36、私は、私で頑張るから
最初に調べるべきは、――被害者本人だ。
リリアーナはそう判断し、王城内の人脈を静かに辿ることにした。
その時、自室の扉が控えめにノックされる。
「リリー。今、いいか?」
「ええ、大丈夫よ」
入ってきた兄は、どこか様子を窺うような表情をしていた。
気遣いと戸惑いが入り混じった、曖昧な顔。
「......その、大変だったな」
兄が何を指しているのかは、すぐに分かった。
――あの日。
ルキウス様と婚約破棄の書類に署名しながら、堪えきれずに泣いてしまったこと。
その場に、兄がいたこと。
それに続く、事件の発覚と戦地送り。
気にかけないはずがない。
「......私は、大丈夫よ」
そう答えると、兄は短く息を吐いた。
「......そうか」
少しの沈黙のあと、私は前から気になっていたことを口にする。
「その、お兄様は......ルキウス様のこと、どう思っているの?」
兄は一瞬だけ目を見開き、それから柔らかく微笑んだ。
「そうだな......世間の噂ほど、悪い人ではないと思っている。襲撃事件の時も、真っ先にリリーを助けに来てくれたしな」
けれど、すぐに困ったように眉を下げる。
「ただ……セラフィナが、殿下のことをあまり良く思っていないみたいなんだ」
「……お兄様の婚約者よね」
気づけば距離を縮めていた二人は、いつの間にか婚約していた。
以前、セラフィナから
「ルキウス殿下との婚約は破棄してください」
そう言われたことを思い出す。
兄の婚約者である以上、悪く思いたくはない。
それでも、胸の奥に小さな澱が溜まっていく。
――でも、それを口に出す資格は、今の私にはない。
「ああ。リリーに悪影響だから、二人は離れたほうがいいと言っていて......それに今回の事件だろう? 正直、俺もよくわからなくなってしまってな......」
私は兄を真っ直ぐに見つめた。
「私は、ルキウス様が事件を起こすような人じゃないと信じているわ」
そして、はっきりと告げる。
「今回の事件について調べるつもり」
「冤罪の可能性もあると考えているの。だから、お兄様には伝えておきたかったの」
兄はしばらく黙り込み、それから静かに頷いた。
「……分かった。俺も協力するよ。真実が分かれば、自ずと答えも見えてくるだろう」
「お兄様……!」
心強い言葉だった。
必ず、真実を掴んでみせる――そう、改めて思う。
「それにしても……」
兄はふっと笑って言った。
「リリーは、本当に殿下が大好きなんだな」
「……なっ!?」
一気に顔が熱くなる。
「心配してたけど、もう大丈夫そうだな。どうして婚約破棄に至ったのかは聞かないよ。でも……お互いに想っているのは、見ていれば分かる」
「……お兄様……」
視界がじんわりと滲んだ。
「こうしちゃいられないな。一緒に真実を掴もう」
「……うん!」
その瞬間、僅かだけれど、進むべき道が見えた気がした。
「そういえば……一つだけ、気になる話がある」
兄は思い出すように言った。
「件の側近だが、事件の数日前から、何かに怯えている様子があったとか」
「……その話、誰から聞いたの?」
「セラフィナだ。彼女、王妃に気に入られていて、王宮を出入りすることがあるんだ」
「……そうなの……」
嫌な引っかかりが胸に残る。
「俺の方でも調べてみる。何か分かったら、また知らせるよ」
そう言い残し、兄は部屋を後にした。
――セラフィナが、王妃に気に入られている?
原作で、そんな描写はあっただろうか。
(……ますます、分からない)
それでも、立ち止まるわけにはいかない。
その時、ふと夢の中で聞いた声が蘇った。
「......待っていてくれ」
胸が締め付けられるのに、不思議と安心する声。
私は顔を上げ、そっと息を吸う。
――ルキウス様。
私は、私で頑張るから。
どうか、無事でいて。




