34、出発前夜(sideルキウス)
冷たい石の牢獄。両手は鎖で繋がれ、鎖の擦れる音だけが響いていた。
――伯爵家次男殺害の罪。
その名目で、俺は裁かれることになった。
覚えはない。
無実だ。完全な冤罪だ。
だが、抗弁する暇すら与えられず、刑は決定した。
”僻地での戦争に参加”
その宣告は、王妃の口から直接告げられた。
「ルキウス。このような事態になり、残念です。話し合いの結果......あなたの刑が決定したわ」
「僻地での戦争への参加よ」
あの戦地は、かなり危険な場所と聞く。
......なるほど。これが目的か。
「俺は、何もしていません」
「でも証言や証拠もあるのよ? 現場にはあなたの私物が落ちていて、従者の証言もある。疑いようがないわ」
「……はっ」
思わず、乾いた笑いが漏れた。
何が証拠だ。すべて、出来の悪い作り話じゃないか。
間違いない。
俺を嵌めたのは、この女だ。
戦地で死ぬつもりはない。
だが、やってもいない罪を背負わされるのは、我慢ならなかった。
――それに。
脳裏に、一人の女性の姿が浮かぶ。
(……リリアーナ)
戦地に送られれば、数年は戻れない。
その間に、彼女に何かあったら?
異能もあの距離では、かなり体力を使う。
戦闘中であることを考えると、すぐに駆けつけるのは難しい。
(......何もできない)
だから、この理不尽に従うわけには――。
拳を握りしめ、顔を上げた、その瞬間。
王妃は、思い出したように微笑んだ。
「ああ、そうそう……」
ゆったりとした足取りで近づき、まるで世間話でもするかのように、柔らかな声で続ける。
「あなたの元婚約者……リリアーナ嬢だけれど......」
胸の奥が、嫌な音を立てて軋んだ。
「あの子、とても可愛いわよね」
その一言で、全身の血が冷えた。
王妃は、こちらの反応を楽しむように目を細める。
「だから、ちゃんと見張りをつけていてね」
微笑みは変わらない。
けれど、その声は底知れなく冷たかった。
「いつでも......彼女のことは狙えるのよ」
「......は?」
喉から絞り出した声に、王妃は小さく笑う。
「ふふ。ルキウス......あなたが了承しなければ、彼女がどうなるのか......理解したわね?」
爪が、手のひらに食い込む。
だが痛みは、感じていなかった。
八方塞がり――まさに、それだ。
ここまで露骨でありながら、証拠はすでに揃えられている。
無実を証明する証拠は、ない。
やっていないことを証明するほど、難しいことはないのだ。
――くそ。
「......従います」
「罪を認めるのね?」
「......はい」
せめて、彼女だけは守らなければならない。
俺の答えに、王妃は満足そうに微笑み、踵を返した。
残された俺は、静かに手のひらを開く。
そこには、血が滲んでいた。
それでも、何も感じなかった。
***
戦地へ送られる日程は、驚くほど早く決まった。
(まるで、初めから準備していたかのようだな)
思わず、嘲笑が溢れた。
俺は明日の早朝に、王都を発つ。
その前に、どうしても会いたかった。
だが、最後に交わした言葉を思い出す。
婚約破棄。
決定的な別れ。
合わせる顔など、あるはずがない。
それでも――俺は、ここに来てしまった。
寝台の上で、静かな寝息を立てる彼女。
俺は眠っているリリアーナの元へ、異能を使ってやってきたのだ。
起こさぬよう、そっと手を包み込み、癒しの力を流し込む。
(……今は、これくらいしかできない)
どうか、次に会う時まで、無事でいてくれ。
そう願いを込めながら、手をそっと離した。
彼女の寝息は穏やかで、苦しそうではない。
それだけで、胸の奥が少しだけ軽くなる。
本当は、起こしてしまいたい。
だが――起こしてしまえば、きっと止まれない。
だから、耐える。
身をかがめ、指先で彼女の髪に触れた。
「……待っていてくれ」
必ず、生きて帰ってくる。
ほんの一瞬、抱き寄せたい衝動が胸を掠めた。
それでも、俺は必死に堪えた。
(リリアーナ......一目だけでも、顔が見られてよかった)
彼女の髪に、そっと口づける。
また、君に会えたら……その時は、今度こそ伝えるよ。
――俺の想いを。
彼女は、何も知らずに眠っている。
それでも――この夜の温もりだけは、きっと忘れない。
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