12月5日
泣いて良いことなんかあったっけ?
重度の泣き虫だった僕でも思い出せないんだから、たぶん泣いても良いことなんか無いんだと思う。親兄弟には放置され、友人にはからかわれる、その程度だ。
でも年を取ると涙腺が緩くなって、駅の雑踏の中でも臆面もなく涙が零れてしまう。馬鹿みたいだよなあって、情けなく呟いても誰も振り返ってくれる人なんかいない。
泣くことはストレス解消になる。最近、ネットで仕入れた知識。
でも解消されても困ってしまう。心に刺さったナイフが爪楊枝みたいに解消されても困っちまう。穴をいつまでも穴として残すために尖ったナイフが必要だ。そこにぴったりと納まる何かが戻ってきた時のために穴は残しておかないといけない。
本当に倒れるまで走ってみたい。きっと誰だって思ったことがあると思う。
限界まで何かをやって、力尽きたように倒れる。そんな人生に憧れる。でもそんな生き方ができる人なんてごく少数だ。こうして自分が考えていることを吐き出す、ただそれだけのことですら続けることは難しい。
でもきっと僕は今、それをやらなければいけない。泣いてる場合じゃない。涙腺は自分しか救わない。手を動かせ。人を助けられるのは、この両手しかないんだから。
いつだって心は迷い続けていて、どっちを向いていいかもよく分からずただキーボードを打っている。
小説家になりたい。でも才能が欠けてるし感受性にも乏しい。だから出力量で補わなければいけないんだけど、元来、不平不満を感じない性質なのが困りもの。もしかすると最も小説家に向いてない特徴なのかもしれない。
たとえば道を譲る気が正面から歩いてきたとして、一歩、横にずれればいっか、と思って素直に道を譲ったら物語は生まれない。あえてこちらも一歩も引かずぶつかりにいく。そうしてこそ物語は生まれるのだ。
「いたっ!」
「すいませんすいません。歩きスマホして前見てなかったんです」見るからにオタクなお兄ちゃんはギャルっぽいお姉ちゃんに平身低頭謝り倒した。
「もう!ちゃんと前見て歩いてよね!…って、あれ?(恰好はダサいけど、こいつなかなかイケメンじゃない?)」ギャルのお姉ちゃんは俯くお兄ちゃんの顔を上げさせて言った。「もういいのよ~。よかったらどっか遊びに行かない?」
くっだんね。自分で書いててゾッとしたわ。
まあ、でもこんな感じでたとえ陳腐でも物語は生まれるわけです。つまり不平不満こそがアウトプット量を支える秘訣なのです!
とかいう言葉を真に受けてはいけません。なぜなら一歩横に避けても物語は生まれるのですから。
「危ない!」正面から来るのは歩きスマホの美少女。気づいた僕は、踏み出そうとした右足を咄嗟に左足の後ろに回す。体がくるりと半回転し少女の横を背中を見せつけながら通り過ぎる。
「チュピーン!」少女は不穏な気配を感じ、スマホから目を上げる。すると瞬間目に入ったのは竜巻のごときバックターン。「ま、まさか!これは!」
少女の脳裏によぎったのは一つの伝説。その者青き衣をまといて…。
てな感じで、何しようが物語になるんです。不平不満言おうが笑おうが泣こうが怒ろうが何しようが。何かを感じさえすれば。どうせなら笑っていたいね、なんてバカみたいなことは言いません。どうせなら喜びも悲しみも怒りも全部味わいたいですよね。だって僕ら生きてるんですから。全部余すことなく感じたいですよね。絶望も希望も感動も虚無も。すべて。
しょうもないことばっかり書いてますよね。ちょっと小説家になるために大きく欠けてるものがあるなと最近感じておりまして。お前は欠けてるものばっかだろとか言う突込みはやめてください。「大きく」です。「大きく」。
具体的に言うと出力量と構成力なんですよね。これらを重点的に鍛えていきたい。なので、本当、くっそしょうもないこと書いてます。それは自覚してます。
でも出力量を上げることって大事だと思うんですよね。ほら一万時間の法則ってあるじゃないですか。いわゆる「一流になるためには一万時間の練習が必要だ」みたいな。文章を一万時間書くためには、必要時間って多分、五万時間くらいかかると思うんですよ。なぜなら文章を書くためには合間合間、何を書くか考えないといけないから。この考える時間を極力減らすために出力量を上げるっていうのは大事なのでは?と思ったわけです。要するに考えなくても書けるようにしたいってことです。
このシリーズのタイトルって「長い文章」なんですけど、要するにそういうことです。出力量を上げるための練習シリーズです。石にしがみついてでも一万文字。一万文字書くまでは寝ない。その覚悟で行きます。なので、もしこのシリーズを読んでくださる方は、どうか内容については一切触れないでください。一万文字辿り着けたかどうか、注目点はそこだけです。僕もそこしか気にしてません。
構成力というのは、起承転結ですね。ちゃんと物語を振って転回してオチをつける。その訓練です。これは「短い文章」というシリーズを作って練習しようと思っています。あんまり詳細をまだ決めてないんですが、こちらは文字数にはとらわれず千文字以上くらいかな、と考えています。ちゃんと起承転結をつける練習をしたいということです。
でも一万時間の法則を調べていて知ったんですが、世の中には二十時間の法則というものもあるんですね。二十時間の法則というのは、どうやら駆け出しが中級者まであっという間に駆け上るための練習法らしいです。
でも、僕の文章力ってどれくらいなんでしょうね?当然、小説家には程遠いとして、せめて中級者くらいにはなっていたいです。でも中級者ってどれくらいのレベルなんでしょうか。なろうとかで連載するくらいのレベルが中級者だとすると、思わずうめき声出ちゃいますね。それはちょっと厳しすぎないだろうか。でも、最近は皆さん実力が高いですから。小説化されてないだけで面白い小説とかごまんとありますもんね。
そんな群雄割拠の時代に小説家を目指そうなんて我ながら無茶だなあと思います。まあ、でも割とそういう無茶なことって楽しいですよね。無茶なことやってんな自分!ってちょっと自分に酔える感じがすごく好きです。まあ、その無茶さ具合が具体化されてないうちだけな気もしますが。実際にそそり立つ壁を目の前にしたとき、人の心の強さは試されます。負けるもんか。負けるもんか。やるんだ。やるぞ!
さて。出力量トレーニングの佳境に差し掛かってきました。まだ三千文字未達にして既に書くことが無くなってきました。世の中、話し上手な人がいて次から次に話題を提供してくれますが、ああいう人たちの頭の構造ってどうなってるんでしょうね。もしかしたらそういう人たちにとっては一万文字トレーニングなんて簡単なことなのかも。僕みたいに普段から寡黙な人間にだけ有効なトレーニングなのかもしれません。
そういえば出力量トレーニングの良いところとして、頭の中に眠っていた語彙や言い回しが引き出されるという期待もあります。近年、僕は柔らかい言い回しや平仮名の多い文章が「善い」と思っていました。でも小説にすると平仮名は著しくダサい。コソアド言葉もダサい。なのに僕は多用する。接続詞もダサい。もっと滑らかに繋げたい。でも滑らかに繋げるのもダサい。何もかもダサい。僕の文章は何もかもがダサいのです。でも仕方ありませんよね。練習してなかったんですもん。今はとにかく出力なのです。出力こそ正義。僕のさび付いた噴出孔の錆や詰まりをすべて吹き飛ばさねばいけないのです。ですからなんでもいい。支離滅裂でもいい。限界まで書く。それが大事なのだと信じています。
その出力と同時に構成力。ライティングの本とか読んでいると、才能のある人は展開方法を無意識に自覚していると書いてありました。その領域まで行くのは難しいとしても、良い展開・悪い展開を判断できる程度の審美眼は欲しい。審美眼ってものすごく大事ですよね。審美眼さえあればどこにあっても成長し続けられるんですから。審美眼を養うためにはやはり出力。そしてまずは正しい構成。守破離なんて言いますが、最初は基本に忠実に。その忠実な期間をさっさと抜けるためにも出力出力出力。どうでもいいから出力。
審美眼の話でふと思いついたんですが、僕の悪い特徴として局所解に陥りやすいってのがあるんですよね。自己撞着しがちといいますか。この局所解の打破について何も考えてませんでした。やっぱり羽目を外すってのがいいんですかね。あるいは外部からの刺激。本を読んでみたり映画を見てみたり?あんまり普段、自分が取り入れない情報を入れてみるのも良いのかもしれませんし、誰かの本を書き写してみるのもいいかもしれません。
文章力向上の練習として、自分の好きな本を書き写すってのがあるんです。そうやって好きな作者さんの文章のリズムであったり間であったりを身に着けていく。「長い文章」「短い文章」とありますので「中くらいの文章」と銘打って好きな作者さんの本の数ページを書き写しますか。著作権的やなろう的に許されるんですかね?ちょっと怪しい気がします。自分のローカルでやればいいものをわざわざオンラインでやる必要もないですよね。それじゃ道を譲らない人です。それで物語が生まれたとしてもアカバンされたんじゃ元も子もありません。
最近、寒くなってまいりました。肉体労働ですので普段は上着をすぐ脱いじゃうんですが、今日は上着をずっと着たまま仕事してました。
…という文章を書いて、そういえば、とまたまた思い出しました。僕の文章の悪い癖。
僕ってすぐ、「Aだ」と断定したのち、「というのはBだからだ」という言い回しをしちゃうんですよね。素直に「BだからAだ」って言えばいいのに。インパクト重視というかひねくれ者というか。
あとやたらと主語が長い。「〇〇で××で△△なAが、Bした」みたいなことを書いちゃうんですよね。読み返すと大体、バランス悪!ってなります。どう言い換えればいいんでしょうね。「Aは、〇〇で××で△△な感じでBした」みたいな感じにすればいいんですかね?よく分かんないですけど、前者の方は頭に入りにくいですよね。負荷が高いというか。名詞に形容詞をつけるより、動詞に形容詞をつけた方が文章が軽くなる印象。自分の文章をもっと軽くしたいってのはあります。
あと、なんだろうなあ。自分の文章のダメなところ。「てにおは」がおかしい、っていうのも良く言われますね。これは一時期、自分の文章の主張力を高めたいという欲求があって、そこでおかしな「てにおは」を仕入れてしまったというか、癖になっちゃったんですよね。「~だけ」とか「ただ~」とか範囲を限定的にするというのもやりがちです。とにかくもっと素直な文章にしたいんですよね。持って回った言い方とかやめたい。そんなの心がけ一つだろって思われると思うんですが、もうすっかり癖になっちゃってて、困ったもんです。
それで最近、寒くなってきて、地方によっては雪が降ったとか。僕の故郷も積もったようです。もともと雪深い町なんです。でも近年は温暖化の影響か、かなり積雪量も減りました。昔は僕の実家から一時間圏内に7~8個くらいスキー場があったんですが、何個かつぶれてしまいました。今はどんな感じか、久しぶりに行ってみたいですが、年末年始も実家に帰る予定はありませんし、まだまだ当分先のことです。
インターネットが発展したおかげで、僕の出身校の今も簡単に見れるようになりました。こないだ見てみたら僕の恩師が教頭先生になっていてびっくりしました。あなた、隣の隣の市の住人でしょうが!って突っ込み入れたくなりました。それくらい時間が経ったんですね。足踏みしたまんまなのは僕だけで、皆、先に進んでたみたいです。今、僕もようやく歩き始めました。皆に追いつくために一万文字頑張ろう。一万文字って日数換算でどれくらいになるんだろう?って考えてしまうのが即物的な僕の悪いところ。何日かかるとか考えるな。今はただやるべきことをやる時間なんだ。
ようやく折り返し地点の五千文字が目の前に近づいてきました。これはなかなかキツイな。毎日やったらいいトレーニングになりそう。僕は基本的に、日中、一言もしゃべらないんですが、普通の人って一日に何万文字くらい喋るんですかね?ちょっと調べてみよう。
はあ?女性は四万~六万文字とか言ってるんですけど!それじゃ一万文字書いても勝てないじゃん。日中喋らない分をカバーするっていう意味もあっての一万文字だったんですけど!てか、男性でも一万~二万
文字とか言ってるし!本当か?本当にそんなに喋ってるか?おかしくない。誰だよ。その統計取ったの!
まじかあ。じゃあ一万文字書くよりも普段から人と会話するの心がけた方が効果的じゃない?割と衝撃的な事実に愕然とします。まあ、でもやらないよりはマシ。0よりは1のほうが大きい。1を毎日積み重ねればやがてどうにかなるのでしょうか?やはり意味のある1の積み重ねが大事ですよね。意味のある練習するためには振り返り。審美眼。審美眼を手に入れるためには毎日の練習。人とはそんな風にらせん状に成長するものなのです。生まれ持ったものが無い限り、一足飛びに駆け上がることなど無理なのです。空を飛ぶ鳥を見て羨ましがりなさんな。今は翼を成長させる時間なのです。いつかその翼で羽ばたく日が必ずやってくるのです。
でもいつかっていつだよ!(青春の叫び)
桜木花道風に言えば「俺の栄光時代は今なんだよ!」。
僕が飛びたいときも今なんです。でも、準備してなければ人は飛べないのです。花道だって夏休みに20000本のシュートを撃ったんです。流川は百万本のシュートを練習したんです。だからこそ目を閉じててもペナルティシュートを決められたんです。きっと文章構成力の高い人も、何千万文字も文字を書いてきたんでしょう。だからこそ無意識に良い構成で文章が書ける。すばらしい言い回しができる。結局のところ積み重ね。それしかないのです。凡人も才人も積み重ねてこそなんぼ。手間暇かけてこそ花は開くのです。
小さい頃、本が好きでした。主に子供向けの推理小説を読んでいました。僕の持つ語彙のほとんどはその頃に蓄えられました。最近、再び文章を書くようになって、蓄えられたまま死蔵されてた語彙が復活している気がします。でもどうなんでしょうね。この語彙で小説家として闘っていけるもんなんでしょうかね?やっぱりインプットは欠かせないんでしょうね。インプットなくしてアウトプット無し。ネタ自体は日常生活でも得られそうですが、語彙については本を読むしかないですし、今後はそういう時間も積極的に取る必要がありますね。どんどん僕の自由時間が無くなっていきます。それは嬉しいことなのか悲しいことなのか。でも二兎を追うものは一兎も得ず。この諺の体現者たる僕が言うと説得力がありますね。というか自分で言ってて痛いほど身に沁みます。大人しく一兎にしておきましょう。
あと、そっか。足りないものとして表現力もありますね。要するに何もかも足りてないんじゃん。でもどうなんですかね。面白い小説に文学的な表現って必要なんでしょうか?僕の読書経験からすると、話の展開を追うのが一番楽しかったんですが。それじゃ三流の読み手ですかね?文章の味わいをしらない貧乏舌ですか?その面白みを知らないまま読書を続けてきたせいで、そういった表現力のステータスがほぼ0なんですよね。こないだ気づいたんですが、僕って比喩を「見える物」とか「名前のついてる物」に対して使いがちなんですよね。たとえば「タイヤ」のことを「イカリングのようなタイヤ」とか、そんな感じで。あと物語上、大して意味のない物体に対して比喩をつかってみたりとか。比喩は協調手法なのでやっぱり重要なオブジェクトに対して使うべきだし、目に見えない物を伝えるために使うべきですよね。言われてみれば当たり前なんですが、僕はタイヤをイカリングに例えられたことに自分で感動してました。小説家には程遠いです。
まあ、ですが、気づけたってのも一個大事な収穫ですよね。前向きに行きましょう。これから長い道のりなんです。スタート地点でいきなり後ろ向く馬鹿いないでしょ。前だけ見てればいいんです。ほほをつたう涙はいつしか花を咲かせるって信じて歩けばいいんです。
よっしゃー!残り三分の一!
大体100分で6600文字か。一分当たり66文字って考えると意外とすごいんじゃないだろうか。そうでもないのか?小説家志望ならばこれぐらい当たり前なのか?こないだ調べたら村上春樹さんは一日4000文字書くそうだ。書きっ晒しの僕と、小説として成立する文章を書くトップオブトップを比較するのはどうかと思うけど、まあまあまあ。多少、いい気分にはなりますな。こんなことで勝ち誇ってどうすんだとか真顔で突っ込みされても困りますが。
やばい。眠気が。よだれが。座椅子に座っているのに気を失いそうになります。この間。コックリコックリしてたら背中側に首が落ちて、首がもげるかと思いました。衝撃でした。(どうでもいい)
みなさんは小説のネタってどうやって考えてるんですかね。僕はまだろくに書き上げたこともない初心者なのですが、早くもネタに困ってます。まだ一作も書いてないのに!
色々考えちゃいますよね。僕は、泣かせる話とか感動する話が書きたい(って書くとすごく浅ましいな)んですが、どういうのがいいんだろうってすごく悩みます。世界線とかタイムマシンとかそういうのってもう割とありふれてますよね。平行世界とかももう味見しつくされてる気がします。どうしたもんですかね…って考えながら、気づいたら指がキーボードのホームポジションから外れていました。こういうのが無駄な時間なんですよね。書くと言ったら、今は書く時間。
ああ、だめだ。またホームポジションから手が離れてる。気持ちが飛んでいる。コンビニ行ってポテチ買ってきたい。集中力が失せている。あとおよそ2500文字。残り四分の一だというのに、ここで僕の集中力はお陀仏だというのか。
ところで、うちのエアコンなんですが、というか、うちの部屋なんですが、いや、やっぱりエアコンか。どうも暖房運転してると外部から冷たい風が入り込んでくるんですよね。冷房運転のときはそんな感じしなかったんですが。部屋の温度はちゃんと暖まってるのでそこまで問題はないんですが。
だめだー。スマホを手に取ってしまった。これがすべての現況なのに。集中力を削がれてしまう。最近、作業用BGMをよく聞いてます。あんまり信じてなかったんですが、これ確かに集中できますね。BGMに意識をもたれかからせながら作業できる感じがします。確かに集中できるのは間違いない。ポモドーロとかいう手法の動画もよく見るようになりました。25分集中して5分休憩を繰り返す動画ですね。そのうち休憩があると思うと、ちゃんと作業時間中、集中しようという気になりますし、これもおすすめです。
文章を書くってやっぱり集中作業ですよね。まあ、素人レベルが知ったような口きくなって話ですが。というか、世の中あっという間に時間を浪費してしまうコンテンツが多いなって最近気づきました。タイパという言葉が盛んに口にされるのも納得です。仕事から帰って好きなYoutube番組を見ると、きづけばもう寝る時間。夜更かしすれば明日の仕事がきつくなって、明日の就寝時刻が早まるだけ。時間は貴重。少年老い易く、光陰矢の如し。本当、あっという間です。そう知ってなお、時間を浪費しちゃいそうで怖いです。僕はそういう性格なんですよね。楽天的というかそれでいて悲観的で現実的で、つまりは普通の人なんです。だからナイフでゴリゴリと心をえぐる必要があるんですよね。痛みを忘れたくないな。少し前、確かに僕の心にはヒビが入ったんだって実感した瞬間があって、そのヒビは今の僕にとっては大事な痛み製造機なんです。よかった。そういう傷ができて。それが僕を頑張り続けさせてくれるかもしれない。いわば福音とでも言うべき傷。人生万事塞翁が馬。強くなれる。今よりもっと僕は強くなれる。そう信じてる。
やばい。また書くことなくてぼーっとしちゃった。出力出力。頭の中に何もなくても出力!この作業用BGMに意識を任せると何もしてなくても時間が過ぎるってことに気づいてしまった。これはもろ刃の剣かもしれない。でも書き出すとやっぱ快調なんだよなあ。書くことが無くなると途端に止まってしまう。うむぅ。
この一万文字チャレンジ。もしかすると短時間にまとめて書こうとすると難しいのかな。朝、ちょろちょろっと書いて、昼、ちょろちょろっと書いて、夜たくさん書く、ってしたほうが一万文字は稼ぎやすいのかもしれない。だって、今、僕の目の前にあるのって見慣れた汚い部屋だけだし、書くこともそんなないしね。でも朝だったら朝の景色があって、昼間だったら休憩中の景色があって、しかも景色は毎日変わっていて天気一つだって同じ日はないからね。ネタがたくさんあって書きやすいかも。でもそれは攻略するための手段な気もするなあ。まあ、でも書くことによって文章がよりこなれ語彙や言い回しが洗練されるって効果はあるか。やってみて効果を踏まえて考えてみよう。
ほんと代わり映えのない部屋だなあ。もうこの部屋に7年住んでるのか?8年目かな?6畳ワンルーム。ここから始めよう。うん。何もない侘しい部屋だけど、どこだってスタート地点になりうる。歩き出せばその一歩が道になるって猪木も言ってた。PDCAサイクルだ。やることは決めた。やって、確認して、修正する。そしてまた計画する。作戦を練る。そうやって先に進むんだ。やることが形骸化しないように。一万文字書くことが目標にならないように。大目標は小説だ。小説を書くんだ。小説家になろう。そのための練習だ。
と。そういえば僕の文章力に足りないものとして描写力ってのもあったな。風景の描写。一万文字もあると色んなことにチャレンジできていいね。
六畳一間。まず目に入るのは出窓の近くの物干し竿にぶら下げられた洗濯物。万歳するみたいに干されたパーカーと、あとは色違いのTシャツ、下着の類。窓には青いカーテンがかけられている。カーテンフックの一つが折れており、はがれかけたシールみたいに片方がぶら下がっている。基本的には何もない部屋だ。あとは冷蔵庫や電子レンジなどの調理器具。コーナンで買ってきた金属製の棚くらいか。いかにも男の侘しい一人暮らしと言った感じだ。部屋は雑然としており、脱ぎ捨てられたジーンズや12個入りのトイレットペーパーが片づけられることもなく床に放置されている。あとは食べ終わったコンビニ弁当のゴミや空になったペットボトル。
うむ。さっさと掃除しよう。
意外と自分の生活空間の描写は自分の生活を見直すのに良いのかもしれない。ついでに今日の一日の僕の生活も書いてみよう。
朝、6時過ぎに起きて、まず風呂に入る。通勤時間はおよそ1時間ほど。コンビニでおにぎりを買って食べた後、お昼まで仕事。休憩…。
と書き始めて気づいた。つまらなすぎてこれじゃ物語にならない。もう少し物語になる生活をせねば。小説家になるための生活ってどんなんなんだろう?やっぱり本を読みまくって書きまくってだよな。少しでもその生活に近づけよう。というか近づけるじゃなくてそうしよう。そのためにはスマホは大敵。時間が浪費されてしまう。時間というより、僕の人生か。
こんな一万文字とかいうバカみたいなトレーニングはさっさとやめるべきなのだ。こんなものに時間を浪費していてはいけない。でも出力するトレーニングをしなきゃいけないのだ。何書こうかなってキーボードの前で腕を組んでるくらいなら一万文字でも何万文字でも書いた方がまし。書くことでやり遂げることでちょっとでも何かが変わる。変われば世界の見え方も変わる。書きたいものも生まれてくる。好循環だ。きっとそうなるはず。今はだから黙って出力トレーニング。くだらないことでもやり遂げろ。ちゃんとやれ。終わらせろ。そしてこのトレーニングを卒業して、さっさと小説を書くのだ、いや、今からだって構わない。書け。書くのだ。それしかない。書いて、小説家になろう。なんとしても。ああ、薄っぺらいな。ただ同じ言葉繰り返してるだけじゃん。もっと小説家ならうまいこと言えるだろう。小説家じゃなくても才能ある奴ならもっとさ。悲しいことに僕には才能が無い。でもだからって諦める理由にはならない。頑張れって言ってくれる人がいるんだから頑張らなきゃ嘘だ。




