悲しみの眉
「これが、小惑星探査計画の概要だ。それで、小型探査機を近くの工業大学で実験するとかなんとか聞いたぞ。あそこも航空宇宙をやってるからな。なにか、一緒にできないだろうか? おい、聞いているか?」
黒板には椿が描いた小惑星探査のイメージ図と計画の流れがチョークで丁寧に書かれていた。椿は教壇の前で熱心に身振りを交えながら話を続けている。いつも通り自信に満ちているものの、どこか熱がこもっていて、頬にはうっすらと赤みが差していた。
僕は椅子に座り、肘をついたままその様子を眺めていた。
「ん? ああ、ぼちぼち聞いてるよ。小惑星って簡単に行けそうだけど、案外大変なんだね。なかなかドラマがある感じ? うまくいくのかな。」
僕の声はいつもの調子だった。興味がないふりをしながらも、実際は彼女の話を聞いていた。
「お前は、いつも聞いてないふりをして、意外とちゃんと話を聞いてるな。本当は、天文に少しは興味があるんじゃないか?」
椿は少し微笑んで言った。からかうような口調だったが、どこか嬉しそうにも見えた。
彼女の情熱は変わらず真っ直ぐだ。だが今では、その情熱に耳を傾けるのは僕ひとりだけだった。
「そうかな? まあ、話の内容によっては、ちょっと面白いと思ってるよ。全部は理解できてないけど。」
正直、小惑星の話は意外と面白かった。難しい内容だが、椿の熱っぽい語り口には不思議な説得力があって、聞いているうちに少し引き込まれてしまう。
「お前が天文部の活動に毎回参加しているのは、それが理由なのか?」
椿の声が少し低くなった。僕の表情を探るように、じっと見つめてくる。
夕日が教室の隅から差し込み、黒板の図をぼんやりと照らしていた。
「ん〜、まあ暇だからね。」
曖昧に言葉を濁した。確かに暇ではあったが、それだけが理由ではない。
「お前、いつも『暇だ』って言ってるが、それは本当なのか? 中学の頃から付き合ってる彼女がいると聞いたが。」
椿の視線が少し鋭くなる。
沈黙が降りる。僕は目を逸らし、手元のペンを無意味に回した。椿の鋭さにはいつも敵わない。
「……いや、詮索してしまった。悪かった。」
椿は目を伏せて口をつぐんだ。先ほどまでとは打って変わって、彼女の声には力がなかった。
「椿さんが謝ることないよ。」
小さく笑いながら答えた。彼女に謝られると、逆にこちらが申し訳ない気分になる。
気づけば僕は、椿の前で素直な言葉を初めて口にしていた。
「そうだね。春頃は彼女とよく出かけてた。高校が違って話も新鮮だったけど、そのうち噛み合わなくなった。向こうも忙しくなったみたいだし、最近はあまり会ってない。……まあ、それで暇ってわけ。」
明るく振る舞ったつもりだったが、胸の内にはざらついた感情が残った。
ふと椿を見ると、彼女の眉が静かに下がっていた。不揃いな眉に悲しみが宿っている。
「お前はすごいな。そんな辛い思いを抱えてても、いつも冷静にしていられるなんて。わたしには到底真似できない。そんなことも知らずに、部活に付き合わせて悪かった。……天文部、嫌なら辞めてもいいんだぞ。」
椿の声は微かに震えていた。いつもは強気な彼女が自分を責めている。その姿を見るのが少し辛かった。
僕はその気まずさをごまかすように、軽く笑いながら答えた。
「別に嫌ってわけじゃないよ。彼女とも天文部の話はしてたし、椿さんの……変なキャラとか、面白くて、ネタにしてたし。」
「お前、私をそういうふうに見てたのか?」
「はは。椿さん、ちょっと変わってるでしょ? 自分でもそう思ってるんじゃない? でも僕は、そういうところ好きだよ。僕は普通の人間だから、そんなふうに振る舞える強さはないし。」
言い終えてから、少しだけ後悔した。彼女がどう受け取ったか、全く予想がつかなかった。
しかし椿は何も返さず、ただ頬をわずかに紅潮させて顔を逸らした。
僕はその様子を見て、小さく安堵した。
あの頃から僕と椿の距離は少しずつ近づいていった。その後も椿は積極的に話しかけてくれて、僕も少しずつ天文学に興味を持つようになった。彼女の情熱は、何も感じず生きていた当時の僕にとって新鮮で刺激的だったのかもしれない。
椿と過ごした日々を思い返しながら、あの日の彼女の問いかけの意味を、今さらながら理解できたような気がした。