微熱を食む
亜沙花友理:女。大学二年生。
比留芽まほろ:男。大学二年生。
:本編
友理:「(M)比留芽まほろとの付き合いも、今年で三年目になる。高校三年生の時に知り合って、流れで同じ大学に入り、時間が合えば一緒にご飯を食べに行く中で、男女の関係として一切の発展がなかったのは、果たしてある種の奇跡と呼べるのではないだろうか」
友理:「(M)――と、昨日まではそう思っていた」
友理:「……ねぇ、比留芽」
まほろ:「ん?」
友理:「……まほろ、って、呼んでいい?」
まほろ:「……、いいよ」
友理:「(M)二人並んで、狭いベッドの上で、天井を見上げる」
友理:「(M)素肌を覆う、薄手のタオルケットの感触が、少しこそばゆかった」
:朝
友理:「(M)これまで、一晩を共に過ごすことは何度もあった。比留芽は一人暮らしで、わたしは事あるごとに、彼の家にお邪魔していた。夕飯をご馳走になって、そのまま次の日の朝まで居座っていることなんて、珍しいことでもなかった」
友理:「(M)だから、今日、どうしてこうなったのかといえば――それは、お酒を飲んでいたから、と言う他ない」
友理:「(M)若気の至りに酒はつきものだが――これほどまで綺麗に呑まれるのも、恥ずかしい話だ」
友理:「(M)そうして迎えた、次の日の朝――わたしは、昨夜のアレコレを思い出して、ひとり叫び出したい衝動を抑えながら、ただじっと天井と睨めっこしていた」
まほろ:「……よぉ」
友理:「(M)その声に、どきりとする」
友理:「……あ、起きたんだ……、比留芽」
まほろ:「あぁ……、今何時……?」
友理:「えっと……、朝の六時半くらいかな……。まだ寝てていいんじゃない……?」
まほろ:「んー……、まあ、今日は大学も休みだからなぁ……。……亜沙花は? バイトも休み?」
友理:「うん、休み……。でも、そろそろ帰ろっかなぁって」
まほろ:「そっかぁ。じゃ、おれはもうしばらく寝るわ〜」
友理:「おぉ〜……」
友理:「…………」
友理:「(M)どうしてこの男はこんなに呑気なのだろうか。昨日のことを憶えていないのだろうか。だとしたらわたしがバカみたいじゃないか。かといって、わざわざ〝昨日のことなんだけどさ
〜〟って切り出せるわけもなく……」
友理:「…………」
友理:「(M)結局、天井との睨み合いは、そのあとも続いた。気づいた時には、時計の針は朝の七時を指し示していた」
:七時
友理:「(M)比留芽はまだ起きる気配がない。すーすーと寝息を立てて、穏やかな寝顔で夢の世界に浸っている。どんな夢を見ているのだろうか」
友理:「……おーい、比留芽ー……」
まほろ:「…………」
友理:「……まほろー」
まほろ:「…………」
友理:「…………」
友理:「(M)……どうして、たかが名前を呼ぶくらいのことでこんなに緊張しなくてはいけないのか。昨日の自分のせいだ。わざわざ相手に確認まで取って……、今日のわたしが困ってるだろ!」
まほろ:「……んー」
友理:「……比留芽……?」
まほろ:「…………」
友理:「(M)寝息は規則正しく、続いている。念のため、頬をつついてみたり、軽く髪の毛を引っ張ったりしてみたが、これという反応はない。わたしはホッと胸を撫で下ろして――そして、途端に恥ずかしさに見舞われた」
友理:「(M)なんてことないスキンシップ。これまで散々似たようなことはやってきたのに、意識した瞬間どうしようもなく心臓が跳ね上がる。頬をつつくとか、髪の毛を引っ張るとか……それも、薄暗いの部屋の中、並んで向かい合うベッドの上でなんて――それじゃ、まるで本当の恋人みたいな――」
友理:「う……あぁ〜……!」
友理:「(M)頭を抱えてうずくまる。このまま消えてしまいたかった。代わりに、瞼をぎゅっと閉じる」
まほろ:「……亜沙花?」
友理:「(M)その声に、ハッとする」
まほろ:「……何してんの……?」
友理:「……あ、それは……その……」
まほろ:「……七時過ぎか。そろそろ起きるかな……」
友理:「(M)比留芽が体を起こす。タオルケットがするりと落ちて、彼の二の腕や、肩甲骨から背中にかけての体つきが、薄暗がりの中に浮かぶ」
友理:「……あ」
まほろ:「ん……、どうした?」
友理:「え……あ、いや……、なんでもない!」
まほろ:「……? あ、そう」
友理:「(M)普段は気づかなかった、意外にもがっしりとした体つき。昨日のことが、鮮明に脳裏に浮かび上がる。茶化しつつも、その肌に触れて、胸の鼓動を速めていた自分の姿が」
まほろ:「……あれ。そういえば、まだ帰らなくていいのか? そろそろ帰ろうかなとか、言ってなかったっけ?」
友理:「え……、あ、まあ、気分みたいなものだから……大丈夫!」
まほろ:「そっか。じゃあ、朝飯食っていくか? つっても、パン焼くだけだけど」
友理:「おう……、じゃあ、いただこうかな……」
まほろ:「はいよ」
友理:「(M)比留芽の背中が、遠ざかる。ベッドが少しだけ軋んだ音を立てて、わたしはそっと、比留芽がいたところに手を伸ばす。わずかに残った熱が、手のひらを通してわたしの胸の奥まで届いて、満たされるような安心感に包まれる」
まほろ:「コーヒーなかったから、紅茶でいいか? 貰いもんだけど」
友理:「えっ……あ、うん! なんでもいいよ!」
友理:「(M)慌てて手をどける。しかしその手は行き場を失って、不自然に宙へと放り出された」
まほろ:「……何してんの?」
友理:「あ、っと……、ストレッチ! 寝起きの!」
まほろ:「……お前、そんなこと気にするやつだったっけ?」
友理:「最近肩が凝っちゃってさ! 歳かな、ははは!」
まほろ:「おれらまだ二十歳だぞ……」
友理:「(M)呆れた顔で、比留芽はキッチンへと戻る。わたしはブラブラと意味もなく手を振って、なんだか元の場所に戻すのも恥ずかしくなって、背中側に回した」
:朝ごはん
友理:「(M)服を着て、朝ごはんが並ぶテーブルのそばへと下りる。トーストにいちごジャム、紅茶はアップルティー。そして、たぶん昨日の残り物のカットフルーツ」
まほろ:「いただきます」
友理:「いただきます」
友理:「(M)普段通りの、朝。まるで、何事もなかったかのように、いつもの感じを取り戻している」
友理:「…………」
友理:「(M)――ただ、それがひどく、つまらなかった。まるで、何事もなかったように、されたみたいで」
友理:「……ねぇ、比留芽」
まほろ:「ん?」
友理:「……昨日のこと、憶えてる……?」
まほろ:「…………」
友理:「…………」
友理:「(M)気まずい沈黙。わたしは、比留芽の顔を見ることが出来なかった。間をもたせるために、紅茶のカップに手を伸ばす」
友理:「ぁつ……!」
友理:「(M)猫舌のわたしには、この熱さは沁みる」
まほろ:「……ふ、ふふ……!」
友理:「……なんだよ……」
まほろ:「いや……、なんか、いいな……って」
友理:「はあ……?」
まほろ:「――憶えてるよ」
友理:「(M)息が、一瞬止まった」
友理:「……あ、……ぅあ……」
まほろ:「……なぁ。……まほろ、って、呼んでくれないのか?」
友理:「う……あ、……」
友理:「(M)心臓が跳ねて、暴れて、今すぐにでも走り出してしまいたい衝動に駆られる。それでも、その気持ちを、グッと堪えて……」
友理:「……ま、まほ……」
友理:「…………まほろ……」
まほろ:「……うん」
まほろ:「……友理」
友理:「――っ!」
まほろ:「……おれたち、付き合ってるんだよな」
友理:「う……、うん……!」
まほろ:「……じゃあ、今日はどう過ごすか……」
友理:「(M)そう言って、まほろはわたしの隣へと座った。また、顔が見れなくなる」
まほろ:「……今日は、一緒にいたい」
友理:「……うん」
友理:「(M)わたしの肩に、まほろがぽん、と頭を乗せる。その重さが、なんだか心地よくて……、わたしは何故だか、泣きそうになった」
友理:「……まほろ」
まほろ:「ん……?」
友理:「……好き、だよ……」
まほろ:「……うん。……おれも、好きだよ」
友理:「…………!」
友理:「(M)胸の奥から、指先から、満たされていくのを感じる。わたしは堪えきれなくなって、まほろの服の袖を強く引っ張った。瞳が合って、自然と、二人の間に距離がなくなる」
友理:「(M)指を絡めて、強く抱き合う。お互いの心臓の音が重なって、それが、とても心地よくて」
友理:「(M)まほろの熱が、わたしに伝わる。わたしの熱が、まほろに伝わる。あったかい。まほろも、そう思ってくれてるだろうか」
友理:「(M)頭がぼーっとする。溶け合った体温が、心地よい眠気にも似た、幸福感を与えてくれる」
友理:「……ねぇ」
まほろ:「ん……?」
友理:「……今日も、泊まっていって……いい?」
まほろ:「……いいよ」
友理:「(M)まほろの、わたしを抱く腕の力が、少しだけ強くなる。少し苦しい。でも、きっと、わたしも同じくらい、まほろを強く、抱きしめていた」
友理:「……着替え、買いに行かなきゃ」
まほろ:「いいよ、おれの服着れば」
友理:「上着はね。下着は、さすがに……」
まほろ:「……あー」
友理:「……ふふ」
まほろ:「……確かに」
友理:「だから……買い物、付き合ってよね」
まほろ:「……うん」
友理:「(M)微熱を、食んでいる。お互いに、溶け合うように」
友理:「(M)ゆるやかな時間の流れを感じながら、わたしたちは、お互いを満たし合うためだけに、呼吸を重ねた」