第十五話
「八加瀬くん。わたし、すごく怒ってる。その理由が分かる?」
会議が終わってすぐ後、自分のテントへ向かおうとした桃李の手を持って、基地の端まで半ば無理矢理に連れて来たのは赤丸だった。
彼女が発したその第一声を聞いた桃李はと言えば、なんだか面倒な質問をされているなという印象しかない。
「えっと。ごめん、こういう時、こういうべきじゃないって分かってはいるんだけど、分かんない」
この桃李の言葉を聞けば田井中あたりは、だからお前って友達が出来ないんだよなどと言って来そうだが、一朝一夕で直せるものではあるまい。
なので赤丸が深いため息を吐き、何故か少し怒りが混じっている様な表情を向けて来た時も、これも仕方ないと受け入れるしかなかった。
桃李が困惑したのは、赤丸が発した言葉のせいである。
「やっぱり、八加瀬くんはそこが問題なんだ……」
「僕がって、さっきの会議でも話したけれど、僕には異論が無かったよ。言われた通りの事をするし、それに反論する意味っていうのもあんまり―――
「八加瀬くんが一番危険なんだよ!? それにどうして一言だって文句が無いの!?」
「それは……」
それだって仕方ないだろうに。そりゃ無茶や無謀は桃李だって嫌いだが、今回の作戦は理にかなっている。
もっとも危険な立場には、適材と思える人材を充てなければならないし、それが桃李であるというのも、当人の技能から考えてそうなると納得した。
だから、何が駄目なのか分からない。けど、それを率直に言える程、赤丸の表情は優しいものでは無かった。
彼女は少し、泣きそうな顔をしていた。
「駄目だよ八加瀬くん。あなた、まるで、死んじゃう事を受け入れてるみたい」
「積極的に死にたいなんて思った事なんて……僕には無いよ」
「じゃあ、積極的に生きたいって思えてる?」
「……」
それに対して、桃李はすぐに肯定出来なかった。
積極的に生きようとするってなんだろう。そんな疑問が心に浮かんでいたから。
「わたし、八加瀬くんの第73部隊がどんな部隊か、噂で聞いた事あるよ」
「そんな噂される程の部隊かな、うちみたいな少数部隊が」
「第73特殊攻撃作戦部隊。みんなは特攻部隊なんて呼んでるし、実際に投入される作戦だって危険な物ばかり。そうでしょう? 今は八加瀬くんと田井中くんだけ。他の部隊員はどうなったの? 最初から、二人きりの部隊なんて有り得ない」
「……一応、管理官も含めて今は三人だよ。確かに、以前まではもうちょっと居たかな」
桃李と同じ、前線で戦う役目の人員だって居た。同じ部隊なのだから、仲良くなったり、むしろ嫌い合った相手だって居た気がする。
気がするだけだ。明確にはもう思い出せない。みんな死んだからだ。生き残っているのは桃李と田井中だけ。
思い出だって、居なくなった相手の事ばかり残しているとただ辛くなるだけだから、思い返さない様にしていた。
「第73特攻部隊は、先天的に打撃力を期待できる能力を与えられて、集められて、そうして無茶な任務ばかり宛がわれる部隊。だから特攻部隊なんて呼ばれてたんでしょう? ここ最近はその噂も聞かなくなったけど……」
「まともな部隊運用が出来なくなったからね。実働でインディとぶつかる部隊員が僕だけっていうのはちょっとさ」
「なら、次からは八加瀬君自身の命を大事にしなきゃでしょ!」
半ば叫ぶ様な赤丸の声に、肩がびくりとした。
ただ驚いたのは赤丸が発した言葉そのものでは無く、彼女は本気でこちらを心配して叫んでいたのに、桃李自身はその事について実感が持てなかったからだ。
「わたし、八加瀬君とは仲良くなったと思ってた。偶然出会って、偶然、この作戦で一緒になって、話だって普通に出来てると思ってた。そんな人が、自分の命を軽く見てる姿なんて見たくないよ……」
「それは……ごめん。けど……うん。ごめん」
謝るしかない。気の利いた言葉なんて出て来ない。
今の桃李はそんなものだ。こうまで赤丸に言われてもまだ、次の仕事をしないという選択を取れないでいた。
そんな桃李の姿を見て、赤丸はただただ、悲しそうな目を向けて来る。多分、今日は一番、これが心に効いてしまったのだと思う。
「随分と浮かない顔してるが、そんなんで大丈夫か?」
砂漠の只中のトラックの中。走行中でガタガタと揺れるその車の中。
そこで桃李はハンドルを握る田井中から言葉を向けられた。
「大丈夫じゃないかもしれない」
砂漠の日差しが突き刺さり始める朝。眠気は緊張感で無くなっているが、一方でやる気の方もどうしてだか桃李の中から無くなって居た。
「昨日、あの赤丸ちゃんだったか。ミーティングの後に話し込んでたが、何かあったみたいだな? お前のそんな様子なんて久しぶりだ」
「以前はどんな時に、こんな様子だったんだよ」
「言って良いのか?」
首を横に振った。碌な話にはならないだろう。今の状況で思い出すべき物でも無かった。
「とりあえず、悩ましいのは分かるけど、それで悩んで居られる状況じゃあ無くなったなんだから、切り替えて行けよ、八加瀬」
「それは確かだ」
トラックから降りて、装備を確認する。既に戦闘用の黒いコートを羽織ったままで、このトラックを降りればすぐに戦いが始まる予定だった。
「そっちも上手く逃げろよ田井中。あいつがどう動くかなんて、僕にも分からない」
「配達人は荷物を降ろせば、そりゃあすぐに帰宅するさ。現場に化け物がいるなら特にな」
動いたままのトラック。その助手席から桃李は飛び出した。
既にワイアームもすぐ近く。滑空する様にこちらへと接近中。今、狙っているのは桃李では無く田井中が運転するトラックの方。
お前の獲物はこっちだとばかりに、桃李は手を空のワイアームへ向けて、黒い杭を放った。
「当たれよ! 当たった!」
一射が外れ、二射目がワイアームの顔間際を通り過ぎ、三射目が漸く奴の足元付近にぶつかった。
突き刺さる角度では無かったため弾かれた形だが、それでもワイアームの敵意を桃李の方へ向かわせる事が出来た。
(お前は幸運だよ、田井中!)
こっちの腕が良いおかげで。
もはや話し掛ける相手から大分距離が開いたので、ただ心の中で考えるだけにする。そんな思考だって、すぐに別の事柄で埋め尽くされる事になる。
これより、上方より滑空してくるワイアームに対して、桃李は単独で奴の牽制をし続けなければならないからだ。
「こっちの前に降りて来る……動きじゃあないな、あれは。なら!」
桃李は走った。どの方向にというよりは、既に向いた方に対して全力で走る。
ちらりと下向してくるワイアームを見れば、桃李に対して滑空しながら平行する動きになっていた。まだ砂漠に足を付けておらず、一方で大きな口を開いていた。その内側が、赤く照らされている。
「この!」
それが来る前に、桃李は手を向けて杭を放つ。一本、二本。射出出来た本数は今の猶予ではその程度。
その二本がワイアームの顔を掠れ、その口元を逸らす事が出来たのは狙い通りであり、幸運でもあるだろう。
すぐさま、逸らされたワイアームの口元よりそれ、炎が噴き出してくる。ワイアームの体内より噴出する炎は、口元から息吹となって、ワイアームの眼前に広がっていく。
だが、桃李には届かない。杭での牽制で炎が吹き荒れる範囲から桃李の位置はズレている。
しかし油断も出来ない。炎の熱波は肌に伝わって来た。その程の距離的余裕しか無いのだ。
(このままじゃそれもまたすぐに詰む!)
ワイアームの炎の息吹はまだ口から吹き出たままだ。そうして炎を吐き出したまま、次の瞬間には桃李の方へと向いた。
「ああくそっ!」
炎はすぐにワイアームの顔ごと桃李へ向き、桃李が立っていた位置を焼き尽くしていく。
あくまで、立っていた場所であるが。
「これ……しないわけには行かないんだけどさ……」
愚痴と共に、自分の立ち位置が瞬時に移動した事を桃李は把握する。
場所は丁度、ワイアームの横腹を見つめられるぐらいに正面からズレた場所。
全身にギクシャクとした痛みと、頭をかき回された様な気分の悪さが襲ってくるも、桃李は炎からは逃れていた。
何かの手品かと聞かれれば、無論、その手の手品だと答える。
もっとも、タネは単純。桃李は一本、射出する予定の杭を発生させ、それが射出する前に、自分の手で掴んだのだ。そのまま、射出された杭ごと身体は引っ張られ、砂漠に杭が突き刺さったタイミングで桃李の移動も終わる。
杭の射出速度と同じ速さで桃李は動けるという事だ。
(もっとも、タネが単純過ぎて便利なものじゃあ無いんだけどさ)
荒れそうになる息を無理矢理整えながら考える。この移動はあくまで緊急回避用の移動手段だ。まるで瞬時に移動したかの様な速度は桃李の肉体でも相応に負担とダメージがあるし、何よりこれは杭の正規の使用方法では無い。
(無理をしているって事だ。何度も使えるものじゃあない。だから……)
だから、滑空から漸く砂漠の大地を両腕で掴んだワイアームとは、正面で向き合って戦う必要がある。
「ああそうだね。これは危険な事だし、自分から望む様なものじゃあない」
こんな状況で、赤丸の言葉を思い出す。
桃李は自分の命を大切にしていないというその言葉。
けど、こうやってまたワイアームと相対し、また炎を吐き出す前に接近、ワイアームの両腕を潜り抜け、腹部の下方へと侵入。煩わしいものが来たとばかりに圧し潰そうとしてくるワイアームの動きの隙を見て、ワイアームの真下から脱するなどといった動きの流れの中で、余計な思考は邪魔になるだけだろう。
これは情が無いのでは無く、情が生きる上で邪魔だから、一旦止めているだけだ。それではいけないのか? それは命を大事にしているという事では無いのか?
考えるのを止めているというのに、思考の端でこびりつく様に、赤丸の言葉の意味を考える自分が居た。
「生きてるだろ? 今も必死で!」
ワイアームの下方から逃れたタイミングで、ワイアームはくるりと胴体を反転させる動きを始めた。胴体の大半を占める長い尾で、桃李を振り払うつもりなのだ。
その動きに対して桃李が何も行動しなければ、その時点で桃李の命はやはり終わる。
さっきからはこの繰り返しだ。相手は大きくて、狂暴で、強大だから、桃李の方が必死に対策を考えねば命は失われる。
生きるための行動なら、今、現在進行形であらゆる手段を取っているでは無いか。
(この一瞬一瞬だって、一歩間違えれば!)
振り払われたワイアームの尾が届く。
その前に、桃李は砂漠の大地を蹴った。着込んだコートの力により軽減された体重と、常人離れした戦争世代としての身体能力が桃李の身体を跳ね上げて、視界の高さを一時的にワイアームより上へと届かせる。
「これで!」
対象より高い位置へと達した上で、広い視界を確保し、一気に杭を化け物へ打ち込んでいく。それが桃李の得意とする戦い方だった。癖と表現しても良い。
大概のインディはこれで倒す事が出来る。だから今回もと思った。実際、その杭はワイアームへと届き、今度は弾かれずに突き刺さった。
だが、ワイアームの羽にである。
「羽を盾に……!?」
想定しておくべきであった。そもそもワイアームの背中側から生えている羽はある程度可動させる事が十分に出来ると分かっている事だろうに。
急所を狙ったつもりが、ワイアームの、肉をある程度傷つける程度に終わる。骨にまでは届かない。
別にワイアーム側の知恵が回るわけでもあるまい。ただ、敵の攻撃を出来るだけ痛くない部分で受けようとした、生物として当たり前の本能。
だから今、桃李が窮地に陥るのは、桃李自身の甘さに寄るもの。
「しまった……!」
そんな事が口から漏れ出る瞬間とは、既に手遅れである場合が大半だ。
ワイアームは盾にした羽を翻し、上空にいる桃李に向かって顔を向けた。その牙はまだ届かない距離ではあるが、その口から吐き出される炎は桃李を焼くに十分な火力を保ったまま、そこへ届くだろう。
この失敗の理由は何であるか。やはり、赤丸の言葉に、心のどこかで動揺していたからか。
理由が何にせよ、失敗の結果は決まっている。
(ああ、参ったな。これで終わりか)
開かれたワイアームの顎を見て、ぼんやりと考える。やれるだけやって、生きるために行動して、失敗した。だから自分の命は終る。ここで死ぬ。
それを桃李は受け入れていた。そこには何も無い。終わるのだから終わるのだ。それだけの実感があった。
いや、生きている実感が薄かったから、死の瞬間までそんな感情しか抱けないのか。
だとしたら……。
「それは―――
また、別の言葉が出てきそうになったその瞬間、桃李の目は見開いた。
驚きと、予想外と、やはりこれだって予想しておくべきだったそんな光景がそこに飛び込んでくる。
桃李やワイアームから見て、視界が届かぬ横側から、黒いそれが高速で接近し、勢いそのすべてのエネルギーを、そのままワイアームへ叩き込んだのだ。
ワイアームはその衝撃に身体を大きく傾ける。それを見た桃李はすぐさまに反応し、滞空からの緩やかな下降の状態で、自らも杭を放ち続ける。
ワイアームに直撃したのは、黒い砲弾だ。桃李の杭と同じ材質と、貫くのでは無く叩くための人類の武器。
それが飛んで来た方向を横目で見れば、そこには他の部隊員達がそれぞれの武器を所持してワイアームを狙っている。
特に大きいのが大砲とも形容出来る自走型の迫撃砲だ。幾つもある部隊の中でも配置されているのはそう多く無い虎の子の兵装であり、そこから射出された砲弾がワイアームの胴体を叩いたわけだ。
(動く対象をそのまま狙うのは中々難しい命中精度らしいけど、良く当ててくれたよ!)
結果としてワイアームは体勢を崩した。その身体を傾け、咄嗟の動きが困難な姿勢となった。
故に今こそが攻勢に出る時。桃李だけで無く、他の部隊員達もそれぞれの装備から黒い弾を、砲弾を、桃李のそれより長大な杭を放ち、ワイアームに向けて持てんばかりの火力を文字通り叩き込んでいく。
その激しさに砂煙が舞い、落ち着く暇が無いままに、より攻勢を増した結果、桃李が着地する頃には、ワイアームの身体がまるまる砂煙に覆われた程だ。
その煙が晴れる頃には―――
「っ!!」
いや、まだだ。砂煙の中からワイアームが顎を大きく開いて桃李へと向かってくる。
桃李の身体など一噛みで飲み込めるその大きな口とそれより大きな顔が近づき、その口を閉じようとしてきた。
まるで舞い上がる煙をかき消さんとする様な勢いのそれに、桃李の方も咄嗟に動く。地面を蹴り、しかし高くも遠くでも無く、すぐ近くまで自分の身体を移動させ、すぐ近くまで来てくれた巨大な顔はむしろ幸いだとばかりに、自らの手に杭を発生させ、その杭を対象の目の部分へと刺し貫いたのである。
―――
ワイアームの咆哮が響く。断末魔。それが絞り出されたのは桃李の杭だけに寄るものでは無く、晴れていく砂煙の向こう側にあった、苛烈な火力によるボロボロの身体にも原因があるだろう。
最後の力を振り絞って桃李を仕留めようとしてきたのだろうが、それすらも桃李に防がれたのだ。その悲鳴が最後の咆哮だったのだろう。
耳をつんざくその音を聞きながら、目を逸らす様に桃李は自分を援護してくれた火力。それらが飛んで来た方を見つめる。
そこには第266部隊の部隊員である少女達が並び、桃李を様々な視線で見つめて来ていた。
その中にある赤丸の目線は、こちらを責めるそれでは無く、どうしてかとても悲しい物を見ている様に見えたのは、きっと桃李の気のせいだろう。




