63話 監視する者
「強過ぎる……」
そう呟いたのは高層ビル50階より地上の様子を窺っていた黒服の男だ。
全身黒で統一したコーディネイトで、黒のサングラスまでをも着用している。
「ボーネス様、修正いたしますか?」
同じ顔をした別の黒服が、超高級ソファーに身を埋めながらブランデーを味わっている中年の男に問うた。
「必要ない。全ては計画通りだ」
「はっ」
その部屋はロイヤルスイートルーム。
今も昔も資産家で特別な地位にいる者しか利用できない部屋だった。
そこを、まるで私室のように利用するこの男は全てが謎に包まれている。
彼に近い黒服たちですら、その素性は計り知れない。
ボーネスは億劫そうにソファーから立ち上がる。
その姿はバスローブ。
あろうことか、あの激しい戦闘の最中であっても優雅に入浴を堪能していたのだ。
それは、自分に絶対に危害が加わらない、という確信があっての事。
ゆらゆらとグラスを揺らしながら窓際へと近寄る。
そして、宝石のような琥珀色の液体を口に含み舌で転がす。
豊潤な香りが鼻腔を駆け抜け、蕩けるような甘味が舌を突き刺す。
食道を焼きながら胃に下るブランデー。
その感覚が愛おしい。
「だが……【今回】は少し早いな」
「は?」
「なんでもない。つまみを用意させろ。チーズにゃんのチーズ盛りだ」
「畏まりました。直ちに」
ボーネスの眼下には腐り行く肉巨人の姿。
そして、木花・桃吉郎の姿があった。
「(さて……おまえの辿り着く先は絶望か。それとも……)」
ボーネスはニタリとほくそ笑む。
しかし、その目だけは笑ってはいなかった。
ドッペルビル32階・ドクター・モモのラボ。
そこに桃吉郎たちは集まっていた。
集まったというよりかは集められた、が正しい。
「集まったな」
「くそ爺、説明しやがれ」
「そう急くな。今から説明してやるわい」
適当な場所に腰を下ろす面々。
椅子が二つしかないので、そうするより他にないのだ。
ドクター・モモのラボはとにかく散らかっている。
研究以外に興味は無い、という強固な意志を感じることが出来る程度には。
「まずはご苦労じゃったな。【フォールンドール】は大変じゃったろう?」
「フォールンドール? それがあの人間モドキの名ですか?」
老科学者は凍矢の質問には答えず、ケトルのお湯を人数分のカップに注ぎ始めた。
立ち上がる湯気には和風の匂い。
「ほれ、梅昆布茶じゃ。冷えた体には丁度ええじゃろ」
「えー? コーヒー」
「そんな高級品なんぞあるわけないじゃろが」
ドクター・モモは顔を顰めながらカップを桃吉郎に突き出す。
もちろん、桃吉郎はそれを受け取る。
彼もまた、梅昆布茶が好きであった。
「さて、順を追って説明するとしよう。凍矢もそれでええな?」
「構いません」
「よろしい。では、まずは……おまえたちの【敵】についてじゃ」
桃吉郎たちは【敵】というワードに反応した。
これまでは明確な敵というものは存在しなかったからだ。
彼らにとって猛獣は脅威ではあった。
しかし、明確な敵というわけでもない。
拠点を襲撃した猛獣たちも、あくまで餌を求めて押し寄せて来たに過ぎないのだ。
しかし、今回は違った。
明確に、そして組織的に人間を襲う異形。
一瞬で理解できる憎悪と悪意。
それが向けられているのは人間である事。
人類の殲滅が目的であることは理解するに容易かった。
「連中は侵略者じゃ。名を【アナザー】という」
「アナザー?」
「衣笠よ。連中は【異世界の住人】じゃ」
「今はジャックだ」
「ほほっ、そうじゃったな。区別が付かんわい」
ずず、っと梅昆布茶を啜る。
豊かな昆布の香りと塩気、そして梅の酸味が日本人の根源をくすぐる。
日本人なら抗えない部分を刺激されるのだ。
これに安堵するのは老科学者だけではないだろう。
「梅昆布茶なんて久しぶりに飲んだわ」
デューイは紅茶か緑茶を飲む。
というか若い世代は梅昆布茶を飲むという習慣自体ないだろう。
「紅茶や緑茶よりも栄養はあるぞい」
「お茶づけも良いよな」
「左様、桃吉郎の言う通りじゃ。面倒な時はこれでお茶づけにしてのう。梅干しがあると大変に喜ばしい」
きゅるるるる……と腹の音が鳴る。
それは桃吉郎であっただろうか。
「すみません、僕です」
犯人は自白した。
凍矢である。
「かっかっかっ、ええわい。人一倍に頑張っておったからのう」
凍矢は顔を真っ赤にして恥じらった。
漢であるにもかかわらず、その仕草が妙に色っぽい。
これは完全に【凍矢はおしまい】状態に近づいているだろう。
「お茶漬け、食べる人~?」
「「「「たべりゅ~」」」」
ここのお誘いにNOという者はおらず。
ドクター・モモは人数分の茶碗を用意。
桃吉郎だけは丼だ。
炊飯ジャーから米をよそう。
しゃもじで米を解し、その上に梅昆布茶の粉末をパラリと振り掛けた。
加えるのは梅干し。
梅干しと言っても本格的なものではなく、梅酢に漬けた梅という大量生産品だ。
だが、これで十分。
そこにケトルで沸かしたお湯を掛ける。
あまりお湯で茶碗を満たさないのがコツ。
これにて雑なお茶漬けの完成だ。
「ほれ」
「「「「わぁい!」」」」
ぴよぴよ、とヒヨコのように群がり、お茶漬けを受け取る。
「「「「いただきまぁす!」」」」
「お上がり」
一斉に、しゃばしゃば、と雑にお茶漬けを掻き込む。
上品に食べない、それがお茶漬けを美味しく食べるコツだろう。
梅昆布茶の塩気と米の甘さが丁度いい塩梅となり箸が止まらない。
そのまま飲み込んでもいいし、よく噛んで味変してもいい。
それは食べる者の自由だ。
時折、梅干しを齧って酸っぱさを堪能し気分を変えるのもいいだろう。
その後の梅昆布茶は新たな魅力を伝えるのだから。
「「「「ごちそうさまでしたっ!」」」」
そして、お茶漬けはダラダラ食べないのが肝要。
一気に掻き込む。
そうしないと米がふやけてだらしなくなる。
お茶漬けとお粥は別物なのだ。
「お粗末様じゃ。茶碗と箸は適当に重ねておけい」
「後で洗うわ」
「すまんの、デューイ。それでは、話の続きと行こうかの」
皆の腹が落ち着いたところで、ドクター・モモは話の続きを語った。




