妻を愛する事を我慢している夫のその後
こちらは『君を愛する事は出来ないと言い張る夫』のその後の話になります。
爽やかな初夏の日差しが差し込む城内の王族専用の中庭の一角で、4人の女性達がお茶会を楽しんでいた。
そんな彼女達の様子をチラチラ観察をしつつ、二階のテラス付きの室内で読者や陣取りのボードゲームに興じていのるは、彼女達のパートナーでもあるこの国の4人の王子達である。
そんな四兄弟の彼らは、末っ子の第四王子ルーレンス以外は既婚者だ。
そのルーレンスも一カ月後には、幼少期から婚約者であるシャノンとの挙式を控えている。
挙式を一カ月後に控えたシャノンは、夫を得る事での生活の変化について、少しばかり不安を抱いているらしく、すでに既婚者である姉に相談をしていた。 そんなマリッジブルー気味になっている妹を気遣った彼女の実姉でもある王太子妃オフェリアが、夫の弟である第二王子の妻セリアネスと同じく義弟の第三王子の妻セリーヌにも声をかけ、ここ最近は頻繁にお茶会を開いていた。
だがそんなお茶会は、いつの間にか各々の夫達の愚痴話になる事が多く、四人の王子達は逃げるように室内に避難して来たのが、現在の状況だ……。既婚者の女性が集まり、近々夫を得るシャノンへのアドバイスや心構えを伝える事が目的であれば、自然とそのような話題にはなってしまう。
ましてやこの王家四兄弟は、かなり癖のある愛情表現を自身のパートナーに無自覚で注ぐという特徴があった。
そうなれば妻達の不満や愚痴も面白い程、出て来てしまう……。
自分達が過去にやらかしてしまった失態を面白おかしく何度も語られる事に耐えられなかった四兄弟は、さっさと室内に避難したのだが……。いざ4人揃って顔を会わせると何を話してよいか分からず、結局は時間を持て余している状態となっている。
男同士だからなのか……。
しばらく微妙な気まずい空気が流れる中、兄弟の中でも一番社交的な次男ライナスが、長兄リシウスと陣取りボードゲームに興じながら、その空気を払拭しようと口を開く。
「全く……。堅物なリシウス兄上はともかく、お前達まで変な緊張感を漂わせるのはやめろ!」
「別に好きでそのような空気を漂わせている訳ではありませんが?」
「ラ、ライナス兄様が、変に威圧感を放つ事にも原因かと思います……」
「ほぉ? フィリップ。お前、妻を得てからは言うようになったではないか。昔は俺に視線を向けられただけで、ビクリと肩を震わせていたのに」
「ぼ、僕は昔から威圧的で大きな声が苦手なのです! それなのに……ライナス兄様はそれをご存知の上でワザと大きな声で僕に話しかけ、圧をかけて楽しんでいらっしゃるじゃないですか!!」
幼少期から引っ込み思案で、臆病なフィリップは、その反応を面白がっていた次男ライナスによく揶揄う対象として玩具にされていた……。だが、それはけして意地の悪い感情からではなく、完全に兄ライナスが弟フィリップの反応の面白さに味をしめたという状況だ。
傍から見ると、弟を明後日の方向で可愛がりすぎているという状況にしか見えず、周りの大人達も微笑ましい視線を送っていたのだが……。過剰に絡まれていたフィリップは、四兄弟の中でライナスが少し苦手だった。
そんな三男の気持ちなど、微塵も気が付いていないライナスは、今度は末っ子のルーレンスも巻き込み出す。
「ルー、聞いたか? あのフィリップが俺に反論したぞ? やはり妻を持つと男は見栄を張りたがる所為か、軟弱なフィリップでも変われるようだ」
「何故それを私に言うのですか? 私はシャノンと夫婦になってもフィリップ兄上のようにあからさまな性格の変化等起こしませんよ?」
「ルーまでライナス兄様と一緒になって僕を揶揄うんだね……」
「申し訳ございません。そんなつもりは無かったのですが……。フィリップ兄上なので、つい……」
「ルー!! 酷いよ!!」
「お前がそんな軟弱な性格をしているから、弟にまで揶揄われるのだぞ?」
「ライナス兄様は黙っててください!!」
「おお!! 一人前に俺に怒鳴り返して来たな!」
過剰に反応するフィリップを面白がって、次男と四男がここぞとばかりに三男を玩具にし始める。その状況を見かねた長男リシウスが盛大に息を吐いた。
「ライナス、ルーも。その辺でやめておけ……。そもそも最近のフィリップは、セリーヌ嬢の影響もあり、しっかりと社交をこなせているし、何よりも財務関係の書類処理を頼むと、お前達の三倍早く仕上げてくれる程、公務をこなしているのだぞ? 少しは見習ったらどうだ? 特にライナス!」
「リシウス兄上……。久方ぶりに顔を会わせた弟に小姑みたいな事をおっしゃるのはやめて頂けますか……?」
「言われたくないのであれば、もう少し真面目に領地経営の事務処理をするべきだろう。セリからお前が事務処理業務から逃走し、無駄に領地視察ばかりを重視していると、オフェリアの元へ苦情が入っているのだが?」
「あいつは……。また余計な事を……」
「ライナス兄上。未だにセリから逃亡なさっているのですか?」
「『未だに』とか言うな!!」
「ライナス兄様は、昔から敢えて逃げ回ってセリの気を引いていましたよね?」
「フィリップ……。お前、最近生意気になって来たな……」
「僕はもう18です。いつまでも幼子のような存在として接するのはやめて頂きたいです!」
「俺にとっては、お前は未だに泣きべそをかいていた幼少期時代の印象のままなのだが?」
「その言いぐさは酷いです!! 僕はもう妻も得た一人前の成人男性ですよ!?」
すると、何故かライナスが意地の悪い笑みを浮かべた。
「確かに。セリーヌ嬢を妻に迎えてからは、一変してお前が生き生きとした様子になったのは事実だ。しかも毎朝、愛妻と情熱的に手を繋ぎあって目覚めていると城内では、かなりの噂になっているぞ? やはり妻を得て女を知れば、人畜無害な男の代表だと言われやすいお前でも男の性には勝てなかったようだな」
「なっ……!! お、おやめください!! ぼ、僕のセリーヌに対する想いには、そのようないかがわしい感情から来るものではございません!!」
「使用人達の間で噂される程、毎朝愛妻と仲睦まじい様子で深く手を繋ぎ合って目覚めているのにか? まぁ、お前も所詮、ただの男だったという事だな」
完全にフィリッブを揶揄う事に専念し始めたライナスに対し、悔しさと怒りからフィリップがワナワナと両拳を作って震え出す。そして珍しくカッと瞳を見開き、大きく息を吸い込んだ。
「僕とセリーヌは、今でも清らかな関係です!!」
その瞬間、先程の状況からは考えられない程、室内が静まり返る。
長男リシウスは、口に運ぼうとしていたカップを持ったまま固まり、四男ルーレンスは読んでいた本をバサリと取り落した。何よりも一番驚いているのは、先程まで全力で三男を揶揄っていた次男ライナスだ。驚きからか、少し小刻みに震え出している。
「お前……今、何と言った……?」
「ですから、僕とセリーヌはゆっくりと愛を育んでいる為、未だに清らかな関係だと――――」
ライナスの問いにフィリップが呆れたように小さく息を吐き、答えようとした。しかし、その返答は瞳を見開き驚いていた長男と次男が、意図してもいない状態で見事に声を重ねて叫んだ事で遮られる。
「「挙式してから二カ月以上も経っているのにかっ!?」」
唖然としている兄達に何故かフィリップが誇らしげに自分達の夫婦関係を語り出す。
「僕はライナス兄様と違いますからね。最愛の妻に対して、いかがわしい感情を抱かぬよう今でも必死で自制心を働かせ、煩悩と戦っているのです。それはセリーヌを深く愛したい故の僕の強い想いが成せる業で――――」
「だが、今のお前達の関係は契約上だけの夫婦であり、事実上はまだ正式な夫婦になっていないと言う事ではないか?」
「僕は彼女とゆっくり愛を育みたいのです。ですが、煩悩の塊のようなライナス兄様には、ご理解頂く事は難しいと思いますけれどね」
長男からの問いに何故か勝ち誇ったように返答するフィリップに対して、次男ライナスが長男と興じていたボードゲームが乗っているテーブルに思いっきり両手を突いて、立ち上がった。
「このバカがぁぁぁぁーっ!! どれだけ腰抜けなのだ!! お前は処女愛好家か!! すでに夫婦なのだから、さっさとセリーヌ嬢と夫婦の契りを交わせぇぇぇー!!」
兄から品性の欠片もない内容で怒声を浴びせられた小心者のフィリップが、一瞬ビクリと肩を震わせた。対して長男リシウスは二人のやり取りから呆れたように長く息を吐き、四男ルーレンスは取り落した本を拾いながら、次兄に白い目を向けた。
「フィリップ兄上は煩悩まみれのライナス兄上とは違って、心が清らか過ぎるようですね」
四男のその生意気な言い分に再びライナスが瞳を見開き、怒声を放つ。
「ルー!! 言っておくが、そんな余裕を見せられるのは今だけだからな!! 俺には分かる! お前はシャノンと挙式後の初夜で、人生最大級とも言える葛藤で苦しむと!」
「そうですか。一応、肝に銘じておきます」
次兄からの助言を右から左に聞き流しながら、ルーレンスが取り落してしまった本を拾い、読み始める。そんな態度の末っ子ルーレンスを睨みつけたライナスだが、少し気持ちを落ち着かせようと小さく息を吐いた。
「フィル。煩悩まみれうんぬんは、まぁ俺も大人なので聞き流してやる。だが、未だに契約上だけの夫婦関係を貫き通す事は、絶対にやめろ!」
「な、何故ライナス兄様にそのような事を言われなければならないのですか? これは僕とセリーヌの問題であって……」
「いいや。これは王家の問題だ。お前、今はリシウス兄上の下で公務をこなしている身だが、将来的には臣籍に下り、伯爵辺りの爵位で自分の領地を持つ身だろう。だが、今のお前達の状態だと伯爵位を賜った際、跡継ぎがいない状況になるぞ?」
半目で呆れた表情を浮かべてくるライナスからの言葉に先程怒鳴られた事で、一瞬萎縮してしまったフィリップが、少しだけ立ち直る。
「僕は何も彼女と子供を作らないとは言ってはおりませんよ? もちろん将来的には必須な事だと自覚しておりますが……。今はまだ先延ばしにしても良いかと思うのですが」
「そうか。それは残念だ。だが、セリーヌ嬢が産んだ子供は、さぞ愛らしい容姿の子だろうな」
フィリップの言い分に敢えて被せるように放たれたライナスの言葉は、何故かフィリップだけでなく、長男であるリシウスの動きも一瞬だけ止めた。その二人の反応を目ざとく確認したライナスは、密かに口元の端を上げて、意地の悪い笑みを浮かべ始める。
「フィル、お前は俺達四兄弟の中では一番容姿や顔立ちが整っている。そしてセリーヌ嬢は、小柄で庇護欲をそそるような愛らしい雰囲気の女性だ。どちらも容姿に恵まれ、そして控え目で繊細な内面を持っているのだから、お前達の間に娘が生まれたら、さぞ愛らしい子供が生まれるのではないか? それがもしセリーヌ嬢似だった場合、お前はどう感じる?」
まるで撒餌をして獲物をおびき寄せる狩人のような策士的笑みを浮かべながら、ライナスがは三男の弟に揺さぶりをかけ始める。その次兄の策略に見事に落ちるように……一瞬だけ自分とセリーヌのまだ見ぬ娘の姿を想像してしまったフィリップだが、何とかその欲求を押し殺そうと思いきり左右に首を振った。
「ぼ、僕はそのような誘惑になど負け――――」
「なるほど。オフェリアとの子か……」
「「え……?」」
弟を煩悩まみれの自分達側に引き込もうと企んでいたライナスだが……。
目の前でボードゲームの盤を虚ろな目で見つめているリシウスが呟いた言葉に思わず、視線を向けた。
どうやら別の方が罠にかかったらしい。
「あ、兄上……? まさかそろそろオフェリアと……」
「ライナス」
「は、はい!」
「チェックメイトだ」
「へ?」
長兄の言葉にライナスがテーブルへと視線を落とすと、いつの間にかリシウスの駒がライナスの駒を打ち取れる状況に陥っていた。
「兄上……。まさかイカサマをされたのではありませんよね?」
「お前ではあるまし、私はその様な姑息な手など使わない」
「尚更、タチが悪いです……」
この翌年、あれだけ子作りに後ろ向きだった王太子夫妻の間に王子が生まれた。
そしてその二カ月後に第三王子夫妻の間で女の子が生まれるのだが……。
何故かその事で次男ライナスは、両親である国王夫妻から感謝され、複雑な気持ちを抱いたそうだ……。




