10歳年上の婚約者をおじ様呼ばわりしてみた
※15Rは保険です。
「はじめまして、私はリリアーナ・ロリークと申します。おじ様はどなたですか?」
小首を傾げて目の前にいる眼鏡をかけた殿方のお顔を拝見すると、端正な顔立ちを引き攣らせた笑顔を拝むことができました。
推し神様、本日は素敵な眼鏡をありがとうございます…と、リリィは心の中で合掌しました。
「はじめまして、僕はリリアーナ嬢の婚約者になったエルマン・カザルディだ、よろしくね」
「婚約者って…なんですか?」
「僕は将来、君の旦那さんになるんだよ」
「リリィは大きくなったらおじ様の所でお仕事するの?ウチのメイド達はお父様の事を旦那様って呼んでるもの、リリィはおじ様のメイドになるのね!ああ、でもでも、お掃除とかマーサみたいに上手にできるかな?……あっ!えとえと、おかえりなさいませ旦那様!…どうですか?リリィは上手にご挨拶できましたか!」
「ええと、ご挨拶は上手だけど、そうじゃなくてね、大きくなったら僕達は結婚するんだよ」
「ケッコンてなんですか?」
「ええとね」
エルマン様の困惑する顔を拝みながら、ふふふ、困ってる困ってる……と、リリィは心の中でほくそ笑みました。
本当は婚約者や結婚が何かちゃんとわかってるんです。だってリリィには前世の記憶があるのですから!
改めてご挨拶致します。私はリリアーナ・ロリークと申します。ロリーク伯爵家の長女で6歳になります。皆からはリリィって呼ばれてます。
リリィには3つ年上のお兄様もいます。マティアスお兄様はリリィに時々意地悪します。そんな時、リリィは必ず倍返しします。それがお約束です。
リリィは小さい頃から不思議な夢をよく見ました。どうやらそれはリリィの前世の記憶みたいです。
前世の世界は魔法の代わりに科学が発達していて、色んな機械がいっぱいある世界です。
前世のリリィはテレビという絵が動く機械に夢中になってました。それから絵がいっぱい描いてあるご本もたくさん読みました。
前世の世界の人達は「推し」という神様をお祀りしていたようです。
色んな人が色んな推し神様をお祀りしてました。もちろんリリィもいろんな推し神様をお祀りしてました。
そしてなんとなんと、エルマン様は前世の世界ではリリィの推し神様だったみたいなの!
エルマン様はカザルディ侯爵家のご長男で、リリィの10歳年上の16歳です。
昔は10歳以上年上の人と結婚する事も普通でしたが、最近では珍しくて、リリィの歳で婚約者がいるのも爵位の高い人達ばかりです。
私達のお父様同士が仲良しで、私とエルマン様を結婚させようと決まったそうです。
エルマン様は青味がかった黒髪に知的な眼鏡をかけて、落ち着いた物腰と色気を持ち合わせたスパダリなのです!スパダリって良く分からないけどなんか凄いらしいです!
あとあと、エルマン様は腹黒キャラと言う設定でした。エルマン様のお肌は白いのにお腹だけ黒いんでしょうか?ちょっと見てみたいです。今度お願いしてみようと思います。
そしてそして、リリィは悪役令嬢なんですって!リリィはね、呼んでもないのに「呼んだ?」って出てきて、ヒロインとエルマン様が仲良くなるのを邪魔するのです。
でもでもでも、リリィはエルマン様の邪魔なんてしません、ヒロインと結ばれて幸せになって貰いたいのです。
だって推しは愛でるものであって触れるものでは無いからです。草葉の陰から眼鏡を拝むのが乙なのです。
え?草葉の陰は生きてる人には使わないって?リリィは子供なのでよく分かんないです。ニホンゴ難しいです。
それに、エルマン様と王太子様がラブラブになって欲しいって前世のリリィは思ってたみたいです。男の人同士では結婚できないのに何故でしょう?不思議です。
悪役令嬢のリリィはエルマン様の事を「お兄様」って呼んでました。
でも、前世の世界では「お兄様」って呼ばれるのを喜ぶ男の人達がいるそうです。その方たちは妹に「萌」という信仰をささげているそうです。
とはいえ、リリィはエルマン様に「妹としか思えない」と言われて失恋してしまうのですが、エルマン様は妹信仰は無いのでしょうか?
でもエルマン様がヒロインと結ばれないとリリィと結婚することになってしまうかも、それは困ります。
素敵な眼鏡のエルマン様がロリコンになってしまったら、残念な眼鏡になってしまいますから。そんなの嫌です。
なのでなので、リリィは考えました。エルマン様の事を「おじ様」と呼ぶことにしたのです。本当は「おじさん」と呼んだほうが男の人は嫌がるそうですが、そんな言葉遣いは端ないので「様」を付ける事にしました。
これならきっとエルマン様が妹萌になる事はないのです。そしてリリィもエルマン様とは結婚するつもりないですよってアピールになるのです。
リリィはスゴイでしょう!完璧な作戦でしょう!
それでねそれでね、リリィも学園に入学したら、ヒロインみたいに素敵な恋をするの!
同じクラスの素敵な眼鏡の男の子に告白されたり壁ドンされたり、2人きりで倉庫に閉じ込められたりするんだ!きゃっ!
エルマン様との顔合わせが終わってしばらくすると、学園祭イベントが発生しました。
本当はリリィにはここでお邪魔虫になるというお仕事があります。でもリリィはお邪魔女リリィにはなりません!ヒロインとエルマン様をくっつけるラブラブ大作戦開始です!
リリィはエルマン様に学園祭に連れてきて貰いました。
お祭り!凄いです!美味しそうな食べ物の屋台がたくさんあって、輪投げとか射的とかのゲームもたくさんあります。
あれ!あのふわふわの綿あめ!とっても美味しそうです。チョコバナナも食べたいです。水飴で包んだ果物も美味しそうです!お祭り楽しい!
リリィは新しいお店を見つけるとついついそちらに行ってしまうので、エルマン様から「しっかり手を繋いでなさい」と注意されてしまいました。
それに、いい子にしてないとおやつを買ってくださらないって叱られてしまいました。
リリィは悲しくなってしまいました。でもリリィは偉い子なので我慢です。スカートをギュって握って泣くのを我慢しました。でも目がボヤけてきます。お鼻もゆるくなってきました。
ふわふわのもバナナも飴の果物も小さくて丸いカステラもポップコーンも全部全部食べたいけど、リリィは、リリィは偉い子なので我慢です。ううぅっ……
「な、泣かないでリリィ、オヤツは1つだけなら買ってあげるよ」
「オヤツ、食べてもいいですか?」
「いいよ、でも1つだけだよ」
「1つ……1つだなんて、リリィは、リリィはどうしたら良いのでしょう?1つだけに決められません、ううぅっ……」
リリィがどのオヤツを食べるか選べなくて困っていたら、エルマン様が特別だよって2つ買ってくれました。やっぱりエルマン様は素敵な眼鏡です!
リリィはふわふわの綿飴とイチゴ味のチョコバナナにしました。とっても美味しいです。
リリィがオヤツに夢中になっていると、数人の殿方がエルマン様に話しかけてきました。
その中には金髪に青い目の人がいます。多分その方が王太子様ですね。
他にも一緒にいる皆様はテレビで見た人達とそっくりです。エルマン様以外に眼鏡は居ません。ちょっと残念です。
その殿方と混じって可愛いお姉様が1人います。このお姉様がヒロインさんですね。
身分は低いけど、お勉強ができるからって生徒会のお仕事のお手伝いをする事になって、おじ様たちと仲良しになったんですよね。リリィは知ってます。
でも、ええと……公式のお名前がわかりません。
「エルマン、何だか随分と疲れた顔をしているな……その子は誰だい?」
「僕の婚約者のリリアーナです」
「ああ、この子が?」
王太子様が私の方を見てニコリと笑いました。ここはきちんとご挨拶しなくては。リリィは偉い子ですから。
「お初にお目にかかります。リリアーナと申します。おじ様達はエルマンおじ様のお友達ですか?」
「お……おじ様?」
「プッ…エ…エルマンおじ様…」
王太子様のにこやかな笑顔が固まりました。他のおじ様達もびっくりしたりクスクスと笑っていたり残念なお顔をしたりと反応は様々です。
不敬だったでしょうか?早速断罪されて処刑されたらどうしましょう?でもリリィは決してお兄様呼びはしてはならないのです!
王太子様は咳払いをすると、またリリィに爽やかな笑顔を向けました。白い歯がキラッと光って見えたのは幻覚でしょうか?
「私達はね、おじ様ではなくてお兄様だよ」
「リリィのお兄様はマティアスお兄様だけですよ?」
「あのね、自分より年上の男の人のこともお兄様と呼ぶんだよ」
「でもでも、おじ様はリリィのお兄様じゃありません…」
どうしようどうしようと困惑していると、エルマン様がリリィの背中を優しくポンと叩いて王太子様の方を向きました。
「リリィ、こちらはルーファス王太子殿下だよ、おじ様でもお兄様でもなく王太子殿下とお呼びしなさい」
「はい、王太子殿下!」
エルマン様、ナイスフォローです。できる眼鏡は最高ですね!でも王太子様以外はおじ様呼びで決定です。
「あら、皆様お集まりになってどうなさったの?」
鈴が鳴るような美しいお声がかかり、そちらを向くと、美しいお姉様達がズラリと並んでいます。
お姉様達のお顔にも見覚えがあります。悪役令嬢様ズです。
「お初にお目にかかります、お姉様!」
リリィは畏まってご挨拶をしました。テレビの中だと意地悪そうなお顔でしたが、ここで見るとそれはもう綺麗で素敵なお姉様達ばかりです。
今はまだおじ様達と痴情がもつれる前なので穏やかなお顔をしているのかも知れません。痴情がもつれると女の人は怖くなってしまうんです。痴情は怖いです。ナメたらイケません!
「私達はおじ様なのに、なんで彼女達はお姉様なんだ?」
王太子様がなんかブツブツ言ってますが、聞かなかった事にします。できる女はスルースキルも高いのです。
王太子様は気を取り直して一番前にいるお姉様のお手を取ると、リリィの方を向きました。
「彼女はシルヴァーナ、私の婚約者だ、こちらはエルマンの婚約者のリリアーナ嬢だ」
「リリアーナと申します」
「可愛らしいお嬢さんね、どうぞよろしく」
リリィは皆様から一人一人、どのお姉様がどのおじ様の婚約者様か教えてもらいました。
「そしてこちらは、エルマンや私達と生徒会の仕事をしているアリアナ嬢だ」
「リリアーナ様、よろしくお願いします」
流石ヒロインさん、素敵な笑顔です。
この世界でも珍しいピンク色の御髪で、何だか変身して悪い人と戦ったりしそうなキラキラしたお姉様です。
お休みの日の朝のテレビでやっていました。
「アリアナ様はもしかしてエルマンおじ様の恋人なのですか?」
「えっ?」
「リリィ、何をっ」
アリアナ様もエルマン様もお顔が赤くなってます。おやおや?これはお二人とも満更ではないのですね!照れる眼鏡も最高です!
「だって、他のおじ様達には素敵なお姉様達がいるでしょ?でもエルマンおじ様にはいないから、アリアナお姉様と仲良くすればいいと思うの!」
リリィの主張に皆様がたじろぐ中、シルヴァーナ様が不思議そうな顔をしてリリィに問いかけました。
「何故他の殿方ではなくエルマン様ですの?リリアーナ嬢はそれでよろしいのかしら?」
エルマン様はリリィの婚約者なのになんで?と思ったのでしょうか?
「だって、婚約者がいるのに他の女の人と仲良くするのは駄目なんですよ、そういう人を『クズ』って言うんです。だから王太子殿下やおじ様達はアリアナ様と仲良くしちゃいけないんです」
王太子様やおじ様達が揃って苦い表情を浮かべました。何かやましい気持ちがあるのでしょうか?あるのですね?リリィは知っています。
不意に、エルマン様はしゃがみ込んでリリィの顔をのぞき込みました。
「僕の婚約者はリリィだよ?それだと僕もクズになってしまうんだけど?」
「でもでも、リリィはまだ学園に通ってないから恋ができません、だからエルマンおじ様はアリアナお姉様と仲良くするといいと思うの!エルマンおじ様には幸せになって欲しいですもの!」
リリィは精一杯エルマン様を応援しました。偉いでしょう!
「それにね!リリィも学生になったら素敵な眼鏡の人と恋をするの!」
パンを咥えて走ってる時にぶつかったり、「おもしれー女」って言われたり、山の中で2人だけ遭難したりするのです。
でもエルマン様は戸惑った表情をしたあと、何やら考え込みながら黙り込んでしまいました。
リリィがキョロキョロして周りを見渡すと、他の人おじ様やお姉様方も静かにしています。リリィはどうしたらいいか困ってしまいました。
暫くしてエルマン様は顔を上げると、もう一度リリィを見つめました。
「リリィは恋がしたい?」
「うん!」
「ならそのうち、大人の恋を教えてあげようね?そっちの方がずっと素敵だと思うよ、ね?」
エルマン様は、なんだかちょっと黒幕みたいな顔をして笑いました。黒い眼鏡も素敵ですね!
「そうですね!16歳になったらリリィも大人ですね!そしたら大人の恋ができますね!早く16歳になりたいなぁ〜」
この国では16歳から大人です。結婚もする事ができます。だからもう、エルマン様は大人です。大人の恋ができて羨ましいです。
「ふふっ、そうだね、早く16歳になってね」
エルマン様はとても素敵な笑顔でニコニコしてます。でもなんだかやっぱり黒幕のようにも見えます。今にも「ふはははっ!」って笑い出しそうなお顔です。何故でしょう?
リリィが首を傾げて不思議に思っていると、王太子様がエルマン様の方をポンポンと叩いてつぶやきました。
「エルマンも大変だな……」
「うふふ、リリアーナ様はまだ幼いですもの、仕方がありませんわ」
この時、他のおじ様やお姉様達に生暖かい目で見られていた事にリリィは気がつきませんでした。
それからリリィはお姉様達と一緒にお茶をしたり、エルマン様と2人でお祭りを見たりしました。
お姉様やおじ様達とも仲良しになれてとても楽しかったです。
そして、これからもアリアナお姉様とエルマン様が仲良くなれるよう、リリィは頑張ります!
……なんて思っていた時期がわたくしにもありました。
「ごきげんよう、エルマン様」
とある休日の午後、わたくしはカザルディ家の美しい庭園の一画にあるガゼボに案内されました。
そこには見慣れた殿方、エルマン様がお茶を嗜みながら寛いでいらっしゃいます。
「最近は僕の事を「おじ様」って呼ばないんだね」
「わたくしももう15、あと僅かで学園にも入学いたしますわ、何時までもあのようにお呼びするのもどうかと思いますもの」
「相変わらずリリィはそっけないな、幼い頃はあどけなくて可愛らしかったのに」
あれから9年、わたくしは15歳になり、間もなく貴族学園に通います。
歳を重ねるにつれ分別がつくようになると、幼い頃の言動がなんとも痛々しいものだと痛感するようになりました。
突飛な言動は10歳を迎えた頃には落ち着き始め、恋だの何だのに対しても然程興味を感じなくなりました。
その頃には、夢で見た前世の記憶がタイトルも思い出せない乙女ゲームの物語だと理解できるようになりましたが、その時は既に物語も終わりを迎えておりました。
幼い頃に前世の記憶を思い出したせいで、今ではその記憶の殆どを忘れてしまっております。そもそもあれはわたくしの妄想だったのかも知れません。
結局、エルマン様はアリアナ様と結ばれる事なく、今日までわたくしの婚約者のままです。
アリアナ様は攻略対象以外の殿方とご結婚し、幸せな家庭を築いていると聞き及んでおります。
「僕達の結婚が決まったよ、1年後、リリィが16歳になって間もなく式を挙げることになった」
「本気ですの?」
「僕ももう25歳だからね、そろそろ身を固めないと」
「そうではなくて、他に良い方がおりませんの?私達は親同士の仲が良いだけで決まった婚約ですし、解消するなら今ですのよ」
「リリィより素敵な女性なんていないよ」
「ぬけぬけとまあ、わたくしの事なんて妹の様にしか思っていらっしゃらない癖に」
「何時、僕がそんな事を言ったかな?」
「聞かなくてもわかっておりますわ」
エルマン様はその年の差から、わたくしを女性として見ることができない、そういう設定でしたもの。
「妹は兄のことを『おじ様』なんて呼ばないよ?」
「例えの話ですわ」
エルマン様はため息を吐くと、手を差し出してわたくしも席につくよう促しました。
着席すると直ぐに、目の前に温かい紅茶と菓子が並べられます。
エルマン様は頬杖をついて流し目で私を見つめると、目を細めました。
「リリィは学園に入ったら物語のヒロインのような恋がしたいんだっけ?」
「コホッ、コホッ……お、幼い頃の戯言を蒸し返すのはやめてくださいまし」
わたくしは飲んでいた紅茶を少し気官に通してしまい、口にハンカチをあてながら咳き込みました。
「そもそも、私のような悪役顔でモテるワケがありませんでしょう?それに今は殿方に興味がありませんわ」
わたくしの目は吊り気味で、表情も硬いため、鏡を見る度に悪役令嬢顔であると落ち込む日々を過ごしております。
幼い頃の学園へのウキウキ感は何処へやら、学園は勉学を学び社交を広げるための場所だと認識しており、むしろうんざりした気持ちの方が強く感じられます。
「そうかな、僕は浮気されないか心配だよ、もしリリィ好みの眼鏡が居たら…」
「そんな不誠実な事は致しませんが、私の心配よりご自分を心配してくださいまし、エルマン様なら私より釣り合いが取れるご令嬢がいくらでもおりますでしょう?本当にわたくしと結婚しても後悔致しませんの?」
「リリィは僕と結婚するのは嫌?」
嫌なはずはございません。なんせエルマン様は前世の推しだったのですから。
だからこそ、お相手がわたくしで本当に良いのかと物怖じしてしまうのですが。
「嫌ではありませんけど……後になって悔やまれたく無いのですわ、わたくしなんて、エルマン様から見たら子供でしょう?」
「リリィは実年齢より大人びて見えるけどね」
「正直に老けてると仰ったら如何です?」
「そんなつもりじゃないんだけどな」
エルマン様との関係は、幼い頃よりも距離を感じるようになりました。
しかしそれは、お互いに異性として節度ある距離で、可もなく不可もなくと言った間柄です。
エルマン様は婚約者としての役目はきちんと果たしてくださり、わたくしも然るべき行いを心がけております。
家同士の婚姻となれば、現在の関係はまずまず良好と言えるでしょう。
ですが度々、このまま結婚しても良いのだろうかという不安にも駆られるのです。
貴族学園に入学して間もなく、やんごとなきお方からお茶会のお誘いがございました。
わたくしも数日前から皆様にお会いできるのを楽しみにしておりました。
「ご無沙汰しております王太子妃殿下、本日はお招き頂き誠にありがとう存じます」
「会いたかったわリリアーナ」
このお茶会は王太子殿下とその側近のお相手の方々とのお茶会です。
乙女ゲームの攻略対象と呼ばれる方々は皆様優秀で、現在は王太子殿下の側近となっておられます。
私もまだ婚約者という立場ですが、度々このお茶会に招待され、お姉様方には非常に可愛がって頂いております。
「貴女ももう学園生ね、始めてお会いした時の事を思い出しますわ」
「あの頃は…幼かったとはいえ、大変な失礼を……」
「うふふ、いいのよ、貴女の発言は殿下方への良い薬になりましたもの」
「殿方達がアリアナ嬢にうつつを抜かしていたのは薄々気がついていましたものね」
「幼さゆえの無邪気さで殿方達を窘めてくださって、リリィには感謝しておりますのよ」
お姉様方はそうやって、何時も微笑ましいお顔でわたくしを見てくださいます。
こうしていると、痴情がもつれて断罪やらなんやらとならずに済んで良かったと改めて感じました。
「リリアーナは漸く恋ができるお年頃になりましたわね」
「学園生活は如何です?素敵な殿方はおりまして?」
「あれは幼き頃の戯言でございますと何度も申し上げているではありませんか」
ツンとしてそっぽを向くと、お姉様方のクスクスと笑う声が双方から聞こえます。
ああ恥ずかしい、穴に潜って暫く冬眠していたい。
「うふふ、貴女がそんな不誠実な事をするとは思えないけど、エルマンがやきもちを焼く姿を見るのは楽しみだわ」
「わたくし達はそんな甘い関係ではありませんわ、常に適切な距離を保っておりますし」
「でも、成人したら直ぐにご結婚なさるのでしょう?エルマンが卒業まで待ちきれないからではなくて?」
「まさか、わたくし達の年齢差から、早く身を固めようというだけですわ」
エルマン様がまさか、わたくし相手に本気になるはずはありませんもの。
それに、エルマン様がロリコンだなんてイメージが湧きません、解釈違いもいいところですわ。
わたくしは学年の代表として生徒会のお手伝いや生徒会の意向を同学年の皆様にお伝えする役目を担うことになりました。
そのお役目は成績上位者から選ばれます。9年前、アリアナ様もお努めになったお役目と同じですね。
生徒会の皆様はどの時代もエリート候補として大変おモテになります。
そのせいか、学園の女生徒からわたくしへの風当たりが強く、それをあしらうだけでも辟易した毎日を送っておりました。
とはいえ、わたくしは普段、顔面偏差値の高い方々を見慣れているせいか、生徒会の皆様にはこれっぽっちも魅力を感じられないのです。しかも、生徒会には眼鏡の男性はいらっしゃいませんし、目が肥えすぎてしまうのも考えものですわね……
「リリアーナ様は随分と年上の方に嫁がれるのでしょう?それはそれはお可哀想ですが、だからって生徒会の皆様達に纏わりつくのは迷惑だと思いますわ」
「何を仰ってますの?わたくしは学年代表としての役割を全うしているだけです」
こうしたやり取りも何回目でしょうか?こんな事をしている暇があるなら、少しでも勉学に励んで成績上位者を目指せば宜しいのに。
学園以外では常に年上の方々と接する事が多いせいか、同世代のご令嬢とのやり取りが煩わしく思えてしまいます。
わたくしったら、随分とお姉様方に甘やかされておりましたのね。
「わたくし達からしたらリリアーナ様のご婚約者はもうおじ様でしょう?一昔前ならまだしも、今どき十も年上の殿方に嫁ぐなんて、ねえ?」
「そんな年の差のお相手しか選べないなんて、相手の方も余程おモテにならないのね」
「わたくしだったら、泣いて修道院に逃げ込みますわ」
「生徒会の方々の何方かに鞍替えしようと思っているのではなくて?」
「まあ、なんて端ないのかしら」
その言葉につい、わたくしは堪忍袋の尾が切れてしまいました。わたくしを悪く言うだけならまだしも、エルマン様まで悪く言うなんて。
エルマン様は老けても乙女ゲームの攻略対象なのです。25歳なんて全然おじさんではありませんし、エルマン様は実年齢より若く見えます。
過去にエルマン様を「おじ様」呼ばわりしていた事を棚に上げ、思わず彼女達に向かって声を荒らげてしまいました。
「エルマン様はとても素敵なお方です!大人の色気もあるし、王太子殿下の覚えも目出たく仕事も社交も卒なく熟しますし、何時もわたくしの事を気遣ってくださって、女性の扱いも手慣れてらして、それにあの少し低めのお声も素敵で、話しかけられるだけで孕んでしまうのでは無いかと思う程ゾクゾクしてしまうのです!しかもあの知的な眼鏡!眼鏡は最強の魅惑のアイテムですわ!眼鏡だけでわたくし、ご飯を三杯は頂けます!眼鏡は美味しすぎます!エルマン様の本体は実は眼鏡なのでは無いかしら?そう思いません?思いますわよね?同世代の殿方なんてもう、エルマン様と比べたら皆イモムシにしか見えませんもの、とてもではありませんが学園内で恋をするなんてわたくしには無理ですわ!」
わたくしは思わず、熱く熱く語ってしまいました。
その様子を見たご令嬢方は、皆様開いた口が塞がらないという顔をしております。
ああ、ついつい興奮して早口で捲し立ててしまいました。オタクの悪い癖ですわね。推しを語ると我を忘れて熱くなりすぎてしまうなんて……
「イモ……ムシ、ですの?」
「そうです!イモムシです!まだお聞きになりたい⁉ わたくしのエルマン様自慢を!はい喜んで!」
「い、いいえ、もう結構です!」
「あら、遠慮なさらなくて宜しいのに」
「わたくし、もうお腹いっぱいで!」
「わ、わたくしもです!」
「あら?エルマン様は別腹でしてよ?」
「ひっ!」
深呼吸をしてクールダウンすると、その反動で黄昏れた気分が胸に押し寄せて参りました。
「はぁ…でも困りましたわ、もしエルマン様と婚約を解消したら、わたくしは修道院へ向かうしかありませんわね……」
右頬に手を宛て、ため息を吐くと、わたくしの心は切なさで乱れ打ちにされた気分に陥り、深い深い闇の中へと引きずり込まれて「くっ、右目が…うずく…」なんて呟いてみたい衝動を必死で堪えました。
なんだか今日のわたくしはどうかしています。落ち着かなくては。
「リリィを修道院へは行かせないよ」
突然、魅惑的なイケボが耳元を犯し、脳を溶かすような衝動に身体がビクリと震えました。
「えっ、エルマン様!ど、どうしてここに?……今の…聞いて?」
「聞いてたよ、言っておくけど、僕の本体は眼鏡ではないからね?」
「違うのですか?」
「本気で残念そうな顔をするのはやめてくれるかな?」
エルマン様はクスリと笑うと、わたくしの耳元に口づけされました。
「ひやぁぁあっ、エルマン様⁉ 何を……」
突然の事に、わたくしの理性は吹き飛び、普段では有りえないような叫び声をあげてしまいました。
「今日は結婚式のドレスを仕立てる日だろう?だからリリィを迎えに来たんだ、その為に昨日は遅くまで仕事をして時間を作ったんだ、だからこれは僕へのご褒美」
わたくし達の様子を見ていたご令嬢達も、顔を真っ赤にしております。
「大人の男性って…素敵……」
「何時もクールなリリアーナ様が、あんなに熱く語るだけの事はありますわ」
「な、なんて羨ま……いえ、破廉恥な!」
わたくしはエルマン様に支えてもらわなければ座り込んでしまうのではと思う程にヘナヘナになり、なんの抵抗も出来ぬまま馬車へと乗り込んだのです。
「エルマン様、どうして突然あのような破廉恥な事を?」
「今までは初心なリリィに嫌われたくなくて、スキンシップは控えていたんだけど、リリィの本音を聞いたら我慢ができなくなってしまったんだ」
「わたくしとの結婚は本気なのですか⁉」
「当たり前だろう、浮気する男はクズだと言っておきながらリリィは僕に全く興味ないなんて悔しいじゃないか、だからあの時決めたんだよ、リリィを絶対に落としてやるってね」
「そんな、意地だけで結婚を決めないでくださいまし」
あの幼い時の言動が、まさかエルマン様のフラグに火をつけてしまったとは。
「しかし、君はマセてると思いきや案外鈍いよね、どんなにアプローチしても全然なびかないし」
「アプローチ……してたのですか?」
「今まで僕がリリィを連れ回してたのは何だと思ってたんだ⁉」
「随分と頑張って子供の面倒を見て下さって偉いですわね〜って思ってました」
「何故そんな親から目線なんだい?」
エルマン様が色々と気遣ってくださるのも年上故、はたまた婚約者としての義務を果たしているだけだと思っておりました。
「正直、最近は焦ってたよ、日々リリィは綺麗になって行くのに、僕の眼鏡にしか興味を抱いていないようだし、学園に入って本気で恋に目覚めたらどうしようかと……だからまず逃げられないように卒業を待たずに結婚してしまおうと決めたんだ、我ながら余裕が無かったと情けなく思うよ」
あ、あら?おほほほ……わたくしが眼鏡フェチなのはバレておりましたのね、やだ恥ずかしい!
「でも、フフフ…同学年の男共はイモムシか……安心したよ、これから約束通り大人の恋を始めよう、ね?」
この笑顔には覚えがあります。何時か見た黒幕顔ですわね、何を企んでいらっしゃるのかしら?
わたくしは身の毛がよだつ思いに駆られました。
「そんな約束はしておりません、私は3年間真面目に学生として過ごすんです!」
「嫌だ、9年間我慢したんだ、今日から僕はリリィとイチャイチャする!」
「それは、大人の恋とかではなく、単にスケベなだけなのでは?」
大人の恋等と言いながら、今の言動はむしろ子供っぽいですわ!何処の思春期のDKですの⁉
エルマン様の新たな一面を垣間見れたのは嬉しいですが、知的眼鏡は何処に⁉
「君は遠回しにアプローチするより、ストレートに押した方が落ちると思うんだ」
「無理に落とさなくて結構です!わたくしなんてエルマン様と比べたら色気もクソもないお子様ではないですか!」
「大丈夫、僕はリリィと結婚したら、誰よりも若い嫁をもらったと皆に自慢するから」
「ええぇ……」
「初夜はリリィが卒業してからと君の父上とは約束しているけど…最後までしなければその他は問題ないよね?」
「もっ、問題だらけですわ!」
エルマン様にこんなロリコン趣味がお在りだったなんて、わたくしのエルマン様のイメージが……ああ、何と言う事でしょう、エルマン様がエロマン様にジョブチェンジしてしまったのです。
もう結婚の日取りも決まってしまったし、嫁ぐ覚悟もそれなりにありますし、少なからずお慕いもしておりますけども、何だか釈然と致しません。
帰り道の馬車で早速大人の階段を登る羽目になり、カザルディ家にたどり着く頃にはHPもMPもすっかり0になってしまいました。
そのまま採寸やら試着やらをこなせるでしょうか?不安しかありません。
その後、学園ではエルマン様の色気に充てられたのか、多くのフリーのご令嬢が「嫁ぐなら大人の男性と大人の恋をしますの!」と騒ぎ出し、同学年の殿方が全くモテないという事態に陥りました。
……なんかごめんなさい、婚活頑張って下さい…と、心の中で祈るリリィなのでした。
おばちゃんはね、イチャラブするシーンを書くのは絵でも文字でもとっても恥ずかしいんだ、これでも頑張った方なんですよ?妄想するのは得意なんですけどね、ムッツリですから。
馬車の中で何があったかは、皆様の素敵な妄想で彩ってくださいまし。
誤字脱字報告ありがとうございます。
「草葉の陰」の誤用についての報告もありましたが、これはリリアーナが誤用と気付かず使っている言葉と解釈してしただければと思います。
ちなみに、現在ヒロインサイドの話「乙女ゲームのヒロインに転生したけどジャンル変えたった〜聖女から美少女戦士への華麗なる転身〜」も投稿しました。https://ncode.syosetu.com/n6988ib/
続編と言う程話は繋がってませんが、エルマンの情けない姿を見たい方はどうぞ。