第四話
地面に降りたレジ袋はまた目を回していましたが、どれだけ目が回っても一面真っ黄色でした。どうやら、イチョウの絨毯に着地したようです。顔を上げるとどっしりとした大きなイチョウの木が道に沿って整列していました。圧倒された袋が口をあんぐりとしていると、落ち葉たちが話しかけてきました。
「おはよう、おはよう。見かけない顔だね。おはよう」
彼らは口々にそう言ったので、袋は誰に返事をすればいいか分かりませんでした。それでもずっと黙ったままでいるのは失礼だと思い、一番近くにいた落ち葉に向かって言いました。
「おはようございます、朝早くにすみません。実は街路樹さんに北風さんを呼んでもらいたくて、ここに来たんです」
「一体どうして北風を呼んでほしいの?あんなやつ、やって来ないのが一番さ」
「僕を遠くに運んでいってほしいんです」
「遠くへ行く必要なんてないよ。だって街路樹はもう何年もここから動いてないんだから」
「でも、僕は遠くに行かないといけないんです」
「なぜ?」
「なぜって・・・。死にたくないからです」
落ち葉たちがパサパサ、と音を立てました。少し経ってそれが笑い声だと袋は気づきました。
「くすくす、変なの。みんないつか死ぬのに死にたくないなんて、馬鹿みたい。くすくす」
「変でも馬鹿でもないです。落ち葉さんだって死にたくないでしょう?」袋はぶっきらぼうに言いました。
「もちろん生きていたいよ。でも、死にたくないとは思わない」
「どっちだって同じですよ」
「同じじゃないよ、同じじゃない。分からないのはあなただけ。理知らずの無知な鳥、惨めに羽をはためかす」
「おんなじですよ!訳の分からないことを言わないでください!」
モヤモヤしてどうしようもなくなった袋は、地団駄を踏みそうになりました。しかし、落ち葉たちが自分を囲んでくすくす笑うので、とうとう目がうるうるとしてしまいました。
レジ袋は唇を噛んで涙を堪えていましたが、通りを歩いてくる人間を視界の隅に捉えると、はっとしました。彼らはまだ五〇メートルほど先にいましたが、その手に大きなビニール袋と竹箒とゴミバサミを持っているのはしっかりと見えました。きっとパンジーやアスファルトが言っていた人間とは彼らのことでしょう。
「ねえ!落ち葉さん、お願いします。街路樹さんを起こしてくれませんか?あの人間たちに拾われたら僕は死んでしまうんです!」袋はあらん限りの声を出しました。
「くすくす、どうしようかな、困ったな。街路樹どもは寝ぼすけさん。一度ぐうぐう眠ったら、お天道さましか起こせない。くすくす」落ち葉たちは小さな声で口々に言いました。
人間たちは道に落ちている缶やタバコの吸い殻を拾いながら歩いているためゆっくりではありましたが、確実にこちらへ向かっていました。彼らが近づけば近づくほど、それを横目で見た袋の慌てようはどんどん大きくなります。落ち葉たちはその様子がおかしくてたまらないのか、袋が何を言おうと、どれだけ大きな声を出そうと、くすくす笑うばかりです。
「ねえ!落ち葉さんったら!頼むよ!僕のお願いを聞いてくれよ!」
その時、とても太くて威厳のある声が響きました。
「落ち葉ども、聞こえていたぞ。罪のないレジ袋をからかうのがそんなに楽しいか?」
頭上からです。袋は顔を上げました。大きなイチョウの木が無感情な目で見下ろしていました。
「げ、起きてやがった。それならそうと言えばいいのに。黙って聞き耳を立てるなんて悪趣味だぞ!」落ち葉たちは声をそろえて非難がましく言いました。
「北風を探すのに手間取って、なかなか口が利けなかったんだよ。おまえらを叱るより、さっさと北風を呼ぶ方が手っ取り早いからな」街路樹は何の気なしに言いました。
「勝手なことをしないでよ!葉が無駄に落ちちゃうじゃないか!」
「どうせ年が明ける頃には全部落ちるんだ。そして春になればまた生える。だが、そこの袋はそうではない。なにせ人間が作ったものだからな。一度死んでしまえばそれきりなんだ」
「ちぇっ、それくらい知ってるさ。だからからかってやったんだ。必死な様が面白いからね」
「それを知っている上で意地の悪いことを言うのは、悪趣味じゃないのか?」
「ふん、何十年も突っ立ってるのは伊達じゃないね。口だけは達者ときたもんだ」
「もし袋に対して悪いと思ったのなら、謝ったらどうだ?きっと今生の別れになるんだ」
「嫌だね!どうせもうすぐ死ぬっていうのに、謝るだけ損だよ!」
落ち葉と木の口げんかを聞きながらふと横目に人間たちを見ると、彼らはもうすぐそこまで来ています。中年の女性と目が合いました。袋は懇願するような視線を街路樹に向けました。
「分かっているとも、レジ袋。北風のやつは間もなくだ。しかし、とても強い風だからな、うまく乗るんだぞ。少しでも気を抜くとはぐれてしまうからな」
「ありがとうございます!でも、ごめんなさい。葉をたくさん落とすことになってしまって」
「構わんよ。我々にとって、生きるというのはそういうことなんだ」
袋はよく分からずに首をかしげました。イチョウの木は微笑んで小さくうなずき、北の方角を見ました。
「さあ、来るぞ」
レジ袋も彼の見ている方を見ましたが、中年女性しか映りませんでした。彼女の手にあるゴミバサミが体を軽く挟みました。それと同時に、オオオオオ、と叫びながら北風が駆け抜けました。音と衝撃はほとんど一緒にやってきました。女性が袋を離して自身の体を抱きしめてしまうほどの強風です。北風が通りを飲み込みました。レジ袋がぐるんぐるんと二回転してから不格好な人造の鳥のように空を飛びあがり、イチョウの葉が街路樹から雨のようにたくさん降り注いでいます。葉たちと目が合いました。彼らは歌います。
さあさあかさり黄が落ちる ざあざあがさり白が舞う
お天道さまも眠る刻 忌み子みたいに捨てられた
あなたの色は天使のよう
心の狭い女神さま きれいなあなたが妬ましく
下界に落とせと命じたの
あなたは罪無き赤ん坊 白紙みたいに真白色
くるくるよろり銀杏雨 ぐるぐるずばり科学鳥
お天道さまが果てるまで 雑草みたいに奪われる
僕らの生に価値はある?
朴念仁の死に神は 寿命を見るのが面倒で
手当たり次第に鎌を振る
僕らはひっそり身を隠す だけどあなたは駆けてゆく
厚く平たい雲の先
祝福を 生へ縋る無邪気さに
祝福を 死から逃れる無謀さに
歌のことはよく分かりませんでしたが、彼らが自分の無事を祈っているのだろうということは伝わってきました。袋はすれ違っていく彼らに小さな声で「ありがとう」と何度も言いました。彼らは微笑み、大きく手を振りました。