ドッチボール系の人間。
──早朝。職員室にて。
「先生、日誌取りに来ましたよ」
「ああ、その声は白崎か。やっと目が覚めたようだな」
「ええ、おかげさまで最高の目覚めでした」
日直の俺は、クラスの担任から日誌を受け取るという仕事がある。
今日はほんの少しだけ寝坊してしまったので、昼休みになってしまったが。
普段の俺のしゃべり口調は砕けている自覚があるが、この先生の前ではちゃんと丁寧な口調を心掛けている。でないと痛い目に遭うからだ。
「悪いが今、手が離せないんだ。その辺にあるから持っていけ」
どうやら来たタイミングが悪かったようだ。
机上のノートパソコンとにらめっこしている先生は、こちらを見る余裕もないほど忙しいらしい。
授業の準備か、職員会議の資料でも作ってるのだろう。
「了解です」
乱雑にさまざまなものが置かれている机の上から、適当に日誌っぽいものを探す。
お、あったあった──
──今からでも間に合う!
アラサーからの婚活はこの一冊で決まり!
……。
きっと、何かの拍子で紛れ込んだんだろう。あ、こっちが日誌か──
──アラサー女子が気を付けておくべき7つのこと。
妥協しない相手選びの秘訣!
……。
そっと先生の背後に回る。するとノートパソコンの液晶には──
──お見合い写真の選び方を徹底解説!
失敗しないお見合いの秘訣!
「……何やってんすか」
「ぬわぁっ! 乙女のプライベートを覗くなよ!」
白いワイシャツと真っ黒のパンツスーツに身を包み、モデルのようなすらっとしたスタイツを持つ、我が1年7組の担任──千歳椿が素っ頓狂な声を上げる。
生徒の中でも、かなりの美人という共通認識があるが、だからといって人気があるかと問われれば、それは聞かないでやってほしい。まあ体つきだけならドストライクですけどね?
意志の強そうな切れ長の瞳に睨まれると、どんな生徒でも(恋人でも)震えあがって逃げ出してしまうと評判だ。
「いやいや、もう乙女って年じゃないでしょうに」
「おいおい白崎、口には気を付けろよ」
「……」
「いくら温厚な私でも、怒る時はあるんだからな?」
「……それ、殴った後に言う台詞じゃないですよ?」
気付いた時には俺の眼前には教師の拳があり、次の瞬間、激痛が全神経を通じて体中に駆け巡り、全細胞が悲鳴を上げていた。
無言で痛みに耐え、教師の体罰問題にしない俺の優しさに先生は感謝すべきだと思う。
まあ確かに軽口を叩いた俺も悪いが、ノーモーションで神速の拳を叩き込む教師も教師。
こういうところが、独り身の原因なんだろうなあ……。
「今思ったことを言葉にしろ」
「なんて素晴らしい先生なんだと感銘を受けました」
「そうか」
「……」
「それで、日誌だったな。確かこの辺に……」
「あたかも何もなかった風を装わないでください。また思いっきりぶん殴られました」
こういう厄介な読心術も、男が離れていく理由の一つに違いない。
千歳椿 は 白崎凛空 を 倒した!
千歳椿 の レベル が 上がった!
千歳椿 は 新たに 独身術 を 覚えたい!
千歳椿 は 読心術 を 忘れて 独身術 を 覚えた!
……レベルも上がって、このまま一人で生きていけるほどに強くなっていくのだろう。
それにしても、なんて手が出るのが早い人なんだ。
いっそ、ボクサーにでも転向してはどうだろうか。
いや、でもアスリートに転向するにしてはもう年齢が──
「今思ったことを言葉にしろ」
「……」
「まあいい。今回は見逃してやる」
「……」
もう言葉にしなくとも何が起こったかは分かったよな、ブラザー?
俺たちはもう心の友だぜ?
「私の密かな婚活を邪魔するな。お前のペラを没収するぞ」
「それは俺の寮生活に支障が出るんで勘弁してください」
ペラとは学内通貨のことだ。
「まあでも安心してください。千歳先生が婚活サイトを見てることなんて羞恥で周知の事実ですよ。今さら隠してどうすんすか……」
先生のノートパソコンの液晶には、婚活サイトのタブが表示されている。
ん?
何だこのシークレットモードのブラウザは? タブ名は──
──ワンチャンあり、それともなし?
高校教師と教え子(未成年)との禁断の愛……
……。
……。
……。
──ダッ! (恐怖のあまり逃げ出す音)
──ガシッ! (肩が掴まれる音)
──バキィッ! (肩の骨が破壊される音)
「これについては、説明させてほしい」
「その前に僕の肩を破壊した理由の説明を」
なんてナチュラルに破壊行為に勤しむのが上手いんだろう。
明らかに不必要な動作だったはずなのに。前世は破壊神か何かだろう。
「生徒相手に随分手が出るのは早いと思ってましたけど、まさか手を出すのも早いとは。おまけに尻尾を出すのも早かったですね」
「一旦落ち着け。誤解なんだ」
「はっ、もしかして今朝のも、僕の寝込みを襲おうとしてたんですか!? 動かぬ証拠に、手も足も出ませんね!」
「そうか?」
「……」
「どうだ?」
「“手足は駄目でも拳と膝は出せますが何か?”みたいな顔が不愉快です。無言で痛みに耐えるこっちの身にもなってくれませんか」
「お前は分からないかもしれないがな。殴られて痛みを感じているのはお前だけじゃない」
「……どういうことですか?」
「殴る私の方も、自分の拳と良心が、とても痛むものなんだ……」
「殴られた方が痛いです」
やばい。この先生と意思疎通が図れる気がしない。
会話のキャッチボールがドッチボールの様相を呈している。
外野からずっとボールを投げられているせいで、ルール上こっちから投げることができない。
この作品はラブコメのはずなのに、このままでは先生の多種多様な暴力を描くハードボイルド作品に仕上がってしまう。まあヤンキー系流行ってるけどな。でもアラサー女性教師が主人公のヤンキー物とか誰が見んの?
……意外に面白そうだから困る。
「いいか、とにかく聞いてくれ。誤解なんだ」
「何が誤解なんですか? 手を出そうとしてたんでしょ? 理数科には男しかいませんからね」
「私はまだ生徒に手を出していない」
──まだ?
なんて野暮な質問をしてはいけない。
男には、物語を進めるために目をつむらなければならない瞬間がある。きっと今がその時だ。
「あくまで情報収集しただけだ。な、分かるよな?」
意訳:
犯行に及ぶ準備をしていただけで、実行に移してはいない。だから見逃してほしい。お前なら分かってくれるよな?
分かってたまるか。
もしかすると俺の脳内翻訳の精度が悪いのかもしれない。むしろ完璧に理解できてしまったら危険信号だと思う。
「これは本当に誤解だ。いくら私でも分別というものがある」
「……そうなんすか?」
「ちゃんとサイトを見ろ」
実際にサイトをスクロールしてみると、教職者の未成年との淫行という社会問題について真面目に切り込む社会派の記事のようだ。釣りタイトル止めろ。正直な読者がいるんだから! ……ちゃんと妹出てくるから安心して?
「確かに僕の早とちりのようですね」
……なぜシークレットモードを利用していたのかは追及してはいけない。藪蛇率100%だ。
「どう見たら私が教え子をそういう対象として見る輩に見えるんだ?」
どこか芝居がかった様子で疑問を呈す先生。
「……見たまんまなんですが」
「お前なあ……教師を馬鹿にするのも大概にしとけよ?」
大きなため息混じりに呆れる先生。
文面にするとかなり強い言葉だが、決して怒っている様子ではないので、構える必要はない。
「こちとら教師を何年やってると思っている?」
「えっと、もう10年以上のベテランですよね?」
「……」
「……流石に今のは酷くないですか?」
「……すまない」
構えとけばよかった。
これ以上は俺の身体が再起不能になるので、俺は日誌を持って職員室を去る。
「……そういえば白崎、妹の件について……行ってしまったか」




