部屋で<4>
「帰り道もわかんねーくせに一丁前に出てってんじゃねーの」
馬鹿だなー。とへらへらした口調で言う。
「だって……あたし居たら邪魔だなと思って」
健の顔を見ずに、しっかり前を見て歩く。見てやるもんか。
「あー、青葉さん? 別に邪魔なんかしてねーよ。
あは。やきもちか? 俺モテるもんな」
「馬っ鹿。んなわけないでしょ」
「それは残念」
一重で切れ長の瞳に、染めているのか分からないけど茶色がかった細めの髪の毛。
鼻も高くて筋が通っている。背だってさっき聞くと百八十八だなんて言っていた。
今通っている大学には推薦入学。
空手五段。運動神経抜群。
……つまり、モテ要素の塊というわけだ、健は。文武両道で、かっこよくて。
あたしとは大違いだ、と不満を心の中でぶつくさとかましていると、いつの間にかドアの前まで来ていた。
「どうぞー」
健がドアノブをひねって、あたしが入るのを笑顔で待ってくれる。何か、こういう気遣いが嬉しい。
ま、どうせ健は何にも考えてないんだろうけど。
「……それじゃあ、改めてお邪魔します」
「いえいえー」
見間違いかと思ったけど、ふと、一瞬健の笑顔が消えた。そして、すぐにへらへらした笑顔に戻った。
※
「健の家泊まるの、何年ぶりだっけ」
あたしは一度、健の家に泊まったことがある。こんなマンションじゃなくて、あたしの家の正面にある健の家。
「あー……、おお、ちょうど十年ぶりじゃん。あの時お前、お前の母さんインフルエンザで家追い出されたんだよな。
俺、六年生だったから反抗期で、すんげー嫌だったの覚えてる」
ははは、と笑う。八重歯が見える。
「え……。嫌だったの? すごい笑顔で迎えてくれたのに」
あの時、『いらっしゃい』って笑顔で言ってくれたのを、あたしは覚えてる。あの笑顔に嘘はないって当然のように信じてた。
小さいけど、何か大切なものを失ったような気がして、心がさびしくなるのを感じた。
「ごめんね」
不意に、そんな言葉が口をついて出てきたので、自分でも驚いた。
何が。と健が笑う。
「あたし、帰ってほしい?」
心がさびしい。
「嫌だったの? 昔も、あたし五才も年下だから分からなかったけど、遊んでくれたときとか、
中学生になってから話したりとか、そういうの、全部嫌だったの?
明日遊ぼうね、って指切りしたのも、嫌だったの?」
心がさびしい。
「……ごめんね」
心がさびしい。
泣きたくなった。ここから出て行きたくなった。でも離れたくなかった。
矛盾した、わけの分からない妙な気持ちは、余計に泣きたくなった。でも泣きたくなかった。
「嫌いだよ」
ずっと黙って聞いていた健が、不意に口を開いた。
「嫌い。お前なんか」
目を見て言われて、そらせなくて、とうとう暖かいものが頬を伝った。
「そうやってさ、泣いて。俺、わけ分かんなくなる。
俺は五才も年上だし、お前が泣くと心配になる。んで、その時、『心配』って気持ちだけじゃなくなる。
何か、ほんと、わけ分かんない気持ちになる。
……だから泣かないで」
言いながら、あたしの涙を辛そうに指でそっとぬぐった。