第3章
ちょっと長くなってしまいました。ごめんなさい。
時計を見ると午前12時、丁度シフトが終わる時間だ。スーパーは10~11時はご飯前ということもあってとても混み、レジの前には長蛇の列が出来る。しかしお昼時ど真ん中ともなると逆に空いてしまうのだから不思議である。
私服に着替え、スタッフ専用の出入り口へ向かう。途中、通路である人とすれ違う。
「七海さんお疲れ様。」
頭頂部が大分薄くなった、小太りの中年男性が笑顔を浮かべて話しかけてくる。胸の名札にはむらかみ、というひらがなが大きく書かれ、左上に店長の2文字が小さく乗っている。彼こそがスーパー岩卵のボス、村上店長である。村上店長の父親は初代にして店長なので、スーパー岩卵は今のところ世襲制だ。親の七光りの無能、というほどひどくはないが、かといってカミソリのように切れる有能、というほどでもない。ほどほどの能力でほどほどに職務を果たしている。
「お疲れ様です店長。」
私はぺこりとお辞儀をする。店長の顔には疲労の色が浮かんでいる。
「また万引きがあったんですか。」
私がそう聞くと、店長の顔が曇る。どうやらアタリのようだ。
私が勤務するスーパー岩卵では、最近万引きが相次いでいる。狙われるのは主にお菓子と生鮮食品で、とくにラムネ菓子の「サイダーチップ」がお気に入りのようだ。
スーパー岩卵では開店以来全く犯罪の被害はなく、故に監視カメラは出入り口にしかついていない。しかし、その監視カメラにも犯人の姿は映っていないという。そのため、内部の人間の犯行か?と疑う声もあるという。
「そろそろカメラを増設した方が良いのかなぁ。」
まぁ人間万事塞翁が馬とも言うし、ここから良いことあるかもね、と無理に笑ってみせる店長。店長もスーパー岩卵のことも嫌いではないので、なんとかできないかな、と心の中で思う。
「七海さんも気をつけてね、最近大学生の間で変な宗教とか薬とかが流行ってるらしいし。」
お気遣いありがとうございます、と頭を下げて、私はこの後の待ち合わせ場所に向かった。
岩卵キャンパスに着くと、既に一絵と瑠菜がいた。それじゃあ行きましょうか、という瑠菜の先導に従って目的地に向かう。
水産学部のキャンパスに入るのは初めてだった。何かの実験器具をケースに入れて運ぶ学生とすれ違いながら、私たちはお目当ての研究室へ向かう。本田研究室、と書かれた横長のプラスチック板が扉の上にある。引き戸にかかっている小さなボードには、「外出」と書かれたエリアの上に赤いマグネットが張り付いていた。よく見るとその上には、「本田」とプリントされたシールが貼ってあった。
「先生、いらっしゃらないみたいですね・・・」
瑠菜が困ったようにつぶやく。
「どうかされまシたか?」
後ろから独特のイントネーションの日本語が聞こえてくる。振り返ると、髪を薄く茶色に染めたアジア人とおぼしき少女が立っていた。
「先生なラ、来るまでしばらく時間かかりまスよ?」
中で待っていまスか?と言われたので、3人ともおずおずと入室する。
部屋の中に入ると、向かい合わせに綺麗に整列したデスクで男子学生達がパソコンとにらめっこしていた。卒論やゼミの関係だろうか?少女に促されて、私たちは来客用の3人掛けソファに腰を下ろす。
「申し遅れまシた。私はロザンナ・タカハシといイます。」
私たちもそれぞれ自己紹介する。さらにロザンナさんは詳しく話してくれた。彼女は日系アメリカ人の留学生らしく、見た目とのギャップで戸惑われることが多々ある、と照れくさそうに笑っていた。
「お客さんとは珍しいね~」
麦茶のカップが3つ並んだお盆を持って、背の高い男子学生がこちらに来た。長い前髪で目が隠れている。院生の平井です、と自己紹介を受けた。
平井先輩にお礼を言い、いただいた麦茶を3人でありがたく飲んでいると、研究室の扉がガラガラと開く。
「お待たせしちゃって悪かったね。」
私たちが本日話を伺う、本田義正教授の登場だ。
「日村さんとは講義で会っているけど、そちらの二人は初めましてだよね。」
私たちの正面のソファに座った本田教授はそう言った。笑顔を浮かべると、黒く焼けた肌に白い歯のコントラストが映える。
「他の学科の生徒がわざわざ話を聞きに来てくれるなんて、嬉しい限りだよ。」
教授という仕事は決してヒマではないだろうに、嫌な素振りを見せずに接してくれるのはこちらも嬉しい。
「こちらも教授のお話を聞けて大変光栄です!」
岩卵海域の生物には以前から興味があったんですよ~!と大げさな口調で語る一絵。ウソをつくなよ、と心の中で毒づく。お前、教授の研究テーマには興味ないって言ってたじゃんか。
「そうか!じゃあ今日は張り切って話しちゃうか!」
嬉しそうに声のトーンを上げる教授。騙しちゃってごめんなさい、と心の中で謝る。
カメラ作戦が頓挫した私たちは、次はどう攻めていくかについて頭を悩ませていた。そこで出た瑠菜からの提案が、岩卵周辺の海域を調査している水産学部の教授に話を聞きに行く、というものだった。
「本田教授は、岩卵海域の生物の分布について研究しています。かなりのペースでフィールドに調査に出ているので、岩卵の海のスペシャリストなんですよ。」
そう自信たっぷりに述べる瑠菜。問題は、話を聞きに行くきっかけだった。素直にあの影のことを話した方がいいだろうか
「ダメに決まってるでしょ。」
そんなこと話しても与太話扱いされるだけじゃん、ウソでもいいから私たちが教授の研究テーマに興味ある風を装った方が良い、と一絵の主張。でもバレたらどうするんだ?と聞くと、心配ない、と返してきた。
「岩卵の海に興味が無くても、私たちがあの影に興味があるのは本当でしょ?つまり部分的には教授の研究テーマに興味があるってことじゃん。真実をひとつまみ混ぜればウソは良質なものになるから、バレる心配はないって。」
騙す確率が上がるのなら、それは良質なウソというよりも悪質なウソなのではないか。そう思ったが、結局は一絵の作戦が採用されることとなった。
「それじゃあ僕がやってることから話していくね。」
本田教授が話を切り出す。私が理解出来たこと、私たちの追い求めている情報に関係のあることだけを抜粋すると以下の通りになる。
岩卵の海には、ある奇妙な所があるという。それは、サメやイルカなどの大型肉食動物がいない、という点である。通常これらの、生態系の頂点に立つような捕食者は、その地域の生態系が豊かなことの指標となるらしい。しかし岩卵の海はで、サメやイルカなどを除いたその他の生き物の種類や生息数は、他の海域と大差ないという。さらに、岩卵の海から少し離れた場所では普通にサメやイルカは生息しているのだ。この海域の特殊性こそ、本田教授が取り組んでいるテーマの一つだという。
大型の海洋生物がいないということは、私たちが見たあの影は何だったのだろうか?ますます謎が深まる。
「俺、サメが研究テーマなのに、キャンパスがよりにもよってここなせいでいちいち遠出しなくちゃいけないんですよねー。」
いつの間にか先生の隣に座っていた平井先輩がそうぼやく。彼は元々サメが好きらしく、スマートフォンのキーホルダーにもデフォルメされたサメのストラップが取り付けられていた。
「私もイルカが好キなのに、ここら辺二いないのは寂しいでス。」
平井先輩と同様に、私たちの前に座っていたロザンナさんもそう言って肩を落とす。
「ロザンナさんはイルカの保全活動に、平井君は水族館でのサメの繁殖に関わりたいって言ってこの研究室に来たんだよ。」
結果的にあんまり貢献できなくて残念だけど、と申し訳なさそうに笑う本田教授。
「イルカって可愛いですよね~」
話を合わせようと、かるくロザンナさんに同意する一絵。
「でスよね!私が特二好きなのは、狩りの方法が多彩ナ所です!海底の泥を舞い上がラせて魚を追い込んだリとか、魚を尾ビレで蹴り上げテ気絶させたリだとか、とにかく知能の高さが半端じゃないんでスよ!」
あと産まれたばかりの赤ちゃんを、お母さんが下から水面に押し上げて呼吸しやすいようにしてあげたりするのも、甲斐甲斐しくて可愛い!と熱弁するロザンナさん。瑠菜と一絵は圧倒されて言葉が出ず、平井先輩と本田教授はいつものことかとばかりに苦笑している。彼女の情熱のこもった話を聞いていると、私の心の中に後ろめたいものがわき上がってきた。お前は何をしにここに来たんだ?適当に実家を継げればそれでいいと考えてないか?お前は何も考えていないだけだ。だから彼氏にあんなことをして、貴重な人間関係を失ったのだ。そうやって理性が責めてくる。
「そういえば今度、沖合に1日がかりで調査に行くんだよね。3人も良かったらどうだい?」
ロザンナさんのイルカ愛溢れるトークが一段落した所で、本田教授から提案があった。
「是非!」
思わず声を大きくする私。これは絶好のチャンスだ。何か分かることがあるかもしれない。
先ほどのネガティブな妄想を打ち払うためにも、両手で頬をぴしゃりと叩く。すると、驚きと怪訝さが混じった視線が私に集中した。口を押え、すいませんと小声で謝る。
次も早く投稿できるように頑張ります。