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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第一章
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辿るは夢十夜5

 文月の贋作夢十夜の中で、女は姉、『私』は『私』として綴られていた。勿論、この『私』というのは七瀬のことだ。七瀬の視点で、姉に対する思いが感情的に書かれている。


 真作と同じように姉は、大きな真珠貝で穴を掘って、天から落ちて来る星の破片を墓標に置いてくれと口にする。『私』は言われた通りに姉を埋め、昇っては沈んで行く陽を眺め続けた。やがて墓石から百合の花が顔を出し、それを指先で撫でた『私』は遠くの空を見つめて呟く。百年はもう来ていたんだな。


 歌うように朗読し続ける七瀬の声に、文月の贋作の唄が重なる。詠われる偽物の夢十夜が、彼女の耳に届いているのかいないのか、それは当人にしか分からない。


 自身の朗読を終えた文月が、乾ききった七瀬の唇をじっと見つめた。


 小さく口を動かし続ける七瀬は、第一夜の朗読をやめていなかった。


「……駄目だったか。文月、ちょっと休憩でも――」

「いや、のんびりしている暇はない。少し黙ってくれ」


 文月は初め、榊田に、入院や手術をする必要はないと説明したが、聖譚病がすぐに治せない場合、植物状態の患者のように入院させなければならなくなる。


 綴者として、そうなる前に七瀬を治してやりたかった。


 何が足りなかったのか、自身の綴った物語を見つめて思案の海に浸る。元の第一夜と贋作の第一夜の、一致点と相違点に目を付けるも、どの部分が七瀬に物足りなさを与えたのか分からず、呻吟する。


 文月が改稿せずに聖譚病患者の意識を取り戻せた数と、改稿してようやく意識を取り戻せた数は今回のものも合わせて半々となる。目覚めない患者を何度その目に映しても、焦燥感は簡単に抑えられない。自身を急かせば急かすほど、直すべき場所を視野から取り零してしまっているような感覚に襲われていた。


 表情と言う表情を浮かべてはいないが、文月が僅かな焦りを滲ませ、苦悩していることは御厨に伝わっている。それは、文月が綴者となり、書川町に配属されてから、もう五年の付き合いになるからだろうか。


 文月の後ろに立った御厨は、彼の茶色がかった黒髪の向こうの、手元にある原稿を覗き込んだ。悩んでいる友を放っておけない性分が胸の内から湧き上がっているのか、それとも放っておけないのは彼が綴者であり、救わねばならない存在がそこにいるからか。答えの出ない思考に終止符を打ち、御厨は夢十夜のことに脳を働かせる。


 贋作を書く上でストーリーを大きく変えるわけにはいかない。それを頭の隅にしかと残したまま、いくつもの構想を想像していった。


「埋める……真珠貝、星の破片、墓標……百合の花……――文月。どうして、百合の花なんだ?」

「黙ってくれと言ったじゃないか……まぁいい。百合……百合は清純、純潔、母性の象徴とされている。ちなみに『私』が見た暁の星は金星のことなのだが、金星は愛と美、そして女性性の象徴だ」

「その二つで女のことを表していたのか」

「どうだろうな。ただ、百合は真白で、女の頬も真白だ。花弁からぽたりと落ちた露は、女が死ぬ直前、流した涙と似ているようにも思える。……まぁそれよりも、重要なのは百年後にあう、という所だと俺は――」


 思い浮かぶ限りのことをつらつらと並べていた文月は、いきなり声を詰まらせた。突然電源を切られた機械みたいに固まり出した彼の眼前で、御厨が手の平をひらひらと動かす。目の前のそれすら見ていない文月の瞳は、硝子玉の如く澄んでいく。


「……そうか、もしかすると榊田七瀬の場合は百合である必要はないのか。何か、もっと思い入れのあるものを……」


 ぶつぶつと独り言ち、御厨の手から顔を背けて、室内をぐるぐると歩き出した。畳にゆっくりと円を描くよう足を進めながらも、文月は湧き上がる言葉を全て唇の隙間から垂れ流す。何重の円を描いた頃だろう、廊下に繋がる、開かれたままの障子をくぐって、榊田が顔を覗かせた。


 ちょうどそちらへ歩いていた文月が、彼女の姿に足を止める。


「あの――」

「文月様、御厨さん、夕食にしませんか? カレーを作ったんです。よければ召し上がっていってください」


 文月と榊田が声を発したのはほぼ同時だったが、すぐに文月が問いかけを飲み込んだ為、榊田は遮ったことなど気にすることなく、明るく言った。御厨の歓声が文月の後方で上がる。


「良いんすか? 嬉しいな……俺も文月もカレー大好きなんですよ! やったな文月!」

「いや、俺は――…………はぁ。分かりました。ちょうど行き詰っていたところでしたので、休憩をさせて頂きます」


 断ろうとした矢先に、鋭い刃の切っ先じみた視線が御厨から向けられ、文月は仕方なさそうに頷こうとした。目の前に榊田がいることにはっとして、仕方ないという雰囲気をすぐに捨て去ると、端正な顔に完璧な笑みを貼り付ける。


 榊田が嬉しそうに漏らした「良かった」という嘆声に、文月の表情が自然と緩められていく。リビングへと向かう華奢な背中を追おうとした文月だが、御厨に肩を引かれて後ろへ倒れかけた。


「俺はカレーを食べに行くんだ、邪魔するな」

「いや、俺のおかげで良い空気を流せたんだから、ありがとうの一言くらいくれても良くね?」


 胸を張って、礼の一言を待っている御厨へ、文月は悩むような溜息を一つ吐くと、苦笑いを返した。


「何も言わなければ君に感謝の意を示したんだけどな」

「絶対嘘だろ」

「男は背中で語る生き物らしい」

「お前の背中には『よっし、カレー食うぞ!』ってことしか書いてなかったぞ」

「やはり君の目は腐っているようだ」

「お前は性根が腐ってるんじゃねぇか!?」


 御厨が口を大きく開けた時点で文月は片耳を塞いでおり、聞いていないことを物語るべく「あー」と言いながら廊下へ出て行く。おい、と呼びかけて和室を飛び出した御厨は、鼻腔をくすぐったカレーの香りに呆けた顔で固まった。彼自身が思っていた以上に、彼の腹は空いていたらしい。雷に似た音を鳴らして、胃袋が食べ物を求める。溢れ出そうな唾液を飲み込んで、リビングに小走りで踏み込んだ。

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