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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第四章
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やがて高瀬舟でお別れを7

「本当のことは五十嵐陽菜にしか分からない。俺が想像出来るのはこのくらいだ。だから、贋作を書くなら今の話を使うしかない」

「けどよ、もしお前のその想像が外れてたら……」

「空転することになる上、贋作は酷い物語にしかならないだろうな。それでも、今はこれしか思い浮かばない」


 芯のある声で言っていても、彼自身不安や不満があるのだろう。細められた双眸から、彼の胸中で入り乱れている感情がいくつも滲んでいた。


「御厨、俺が贋作を読み聞かせている間、君は居間で、五十嵐さんの心を静めていてくれないか。他愛のない話をしていて構わない。彼女には、これからしたためる贋作を聞いて欲しくないんだ」

「……分かった」

「読み終えて、それでもし五十嵐陽菜が目覚めなかったら、報告しに行く」


 御厨の首肯を視界の端で捉えてから、文月はガラスペンをそっと手に取る。触れていなかったそれが冷え切っていたのか、それとも文月の指先が熱を帯びているのか、文月はさやに冷たさを感じていた。


 インク瓶とペンが、揺れる風鈴のような音を鳴らす。瓶から抜かれたペンの先に、黒いインクが染み渡っていく。黒と透明の湾曲した縞模様が、蛍光灯の明かりで煌いた。


 早速文字を書こうとした文月だが、手を止めて、動きを見せない御厨に視線を送った。目が合った彼は、一瞬だけきょとんとしてから、居間に行かないのか、と視線で問われていることに気が付く。


「読み始めるまでは、ここにいてやるよ」

「居てくれ、なんて頼んだ覚えはないが」

「書き終えたらどうせ、何かを語りたくなってるだろ? お前の話を聞いてから、任された仕事をこなしに行ってやる」

「……毎回興味がなさそうな顔をして聞くくせに、実は楽しんでいたのか? 素直じゃないな、君は」


 文月が嬉しそうに口角を上げたかと思えば、その目元が悪戯っぽく細められる。その表情を見た途端に、御厨が下唇で上唇を押し上げた。


「誰が楽しんでるって言ったんだよ。お前の耳は腐ってんじゃねぇか?」

「君ほどではないさ」

「あぁ?」

「さぁ、居るならもう黙っていてくれ。執筆が捗らん」

「あー、はいはい。分かりましたよっと」


 長い睫を伏せて、文月が深く頭を下げた。御厨はアタッシュケースに背を向け、扉に向き合うと、足と腕を組んだ。退屈そうな面相を天井に向ける御厨の背に、文字を書く音が響いては消えて行く。本来なら閑散として静まりそうな室内で、無味乾燥な声調が、二人の耳朶を打っていた。


     (二)


 薄氷うすらいが涼やかに割れる。そんな様相が思い浮かぶ、ガラスとガラスの擦過音。それは、ガラス製のペン置きにガラスペンが置かれたことを物語っていた。


 延々と繰り返される朗読ばかりを耳にしていて、眠ってしまいそうだった御厨は、その音で眉を上げた。彼が文月の方に向き直ったのと、文月が語りを始めたのはほぼ同時だ。


「船は、しばしば人生に例えられ、また、死後の再生と死の象徴だ」

「死、ねぇ……。もうちょっと良い意味はねぇのか?」

「死の意味を命の終わりとだけ考えて、悪いと決め付けるのは良くないぞ。タロットでの死は、ある状態から別の状態へ移行することを示す。生命の一つの段階の終わりと、新たな生命の始まりを意味するものだ。そして高瀬舟が流れるのは川だが、川は、時の経過のシンボルと言われている。時が流れれば、人は変われるものだ。そうは思わないか?」


 文月のその問いかけは、彼自身のことを暗に示しているようにも、御厨のことを仄めかしているようにも受け取れる。そのどちらを考えるのも気が進まず、御厨が思惟したのは自身が文月に抱いている印象の変化だ。


「……まぁ、そりゃあ変わるよな。人に限らずなんだってそうだろうよ。良くも悪くも変わるさ。ほら、あれだ、行く川の流れは絶えずして、しかも……あー……」

「しかも本の水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消えかつ結びて久しくとゞまることなし。世の中にある人とすみかと、またかくの如し。……だろう? 君は何故いきなり方丈記を暗誦あんしょうし始めたんだ?」


 さらりと空で言ってみせた文月に、御厨の精悍な面構えは険しさを増す。彼は不満から、目元と眉根に皺を寄せていた。


「ちょっと頭良さそうでカッコイイ感じに決めたかったんだよ」

「なるほど。だが失敗した、というところか」

「うるせぇ、ほっとけ」


 文月の微笑に口を尖らせ、彼から僅かに視点をずらすと、御厨の眼中に原稿用紙が映り込んだ。舟という単語が目に付いて、御厨は少し前にされたばかりの話を思い出した。


「ところで、お前がよく言ってる象徴だとかタロットの意味だとか……前は花言葉も気にしてたけどよ、そんなのを考えて話を書くことになんか意味ってあるのか?」

「意味? そうだな……意味を作るために、やっているんだ」


 とても短い間の中で、文月は充分におもんみたのだろう。歯切れ良く流れた言の葉に曖昧な響きは欠片もない。彼が口にしたもの以外の理由はないようだ。


 けれども彼の答えに、御厨は首を捻る。


「……つまり、どういうことだ?」

「俺が象徴やタロット等について考えるのは、意味を持たせたいからだ。ただそこに存在しているから描写するのでもなく、ただ川を下る為だけに船があるわけでもなく。物語の中に、少しでも多くの『意味』を持たせたい。水積もりて川を成す、と言うだろう?」

「なんでいきなりそんな、塵も積もれば山となる、みたいな諺が出て来るんだよ」

「そちらを使った方が良かったか? まぁ、伝わったなら良しとしよう」


 文月が、右手の指先を原稿用紙に軽く押し付ける。指の腹を紙上に滑らせて、書かれている一文字一文字を確かめるように触れているみたいだった。


「俺が作中に込める『意味』は願いなんだ。一つ一つの願いが患者に届くように、その願いが患者の人生を良い方向へ導くように、願いをいくつも懸けている。勿論、俺には願いの大きさも形も見えない。だから込められる限りの願いを込めるんだ。一つ一つの『意味』に込めた願いがびょうたるものだったとしても、それを重ねたならきっと、届くかもしれないじゃないか」


 文月が贋作へ向けている優しい瞳に、御厨は表情を緩める。御厨の少しだけ開いた唇から、ふ、と零れた息は、笑っていた。


「届くと、良いな」

「ああ」


 首肯した文月の目が、原稿用紙の一行目からその先へと文字を辿り始める。読み始める前に今一度確認をしていく彼へ、御厨は踵を向けた。


 部屋の扉を静かに開けて、廊下へ足を乗せた御厨は、一瞬だけ背後をちらと見た。


「……じゃ、五十嵐さんの所に行って来る。そっちは任せたぜ」

「無論だ。よろしく頼む」

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