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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第一章
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辿るは夢十夜4

「聖譚病に罹る人は、とても感受性が豊かで、繊細な人です。他人と自分を重ねて物事を考えることの出来る、優しい人であることも多いんです。榊田さんの話から想像出来る七瀬さんは、まさにそういう人、ですね」

「は、はいっ。本当に、良い子で……だから」

「待っていて下さい。必ず、目覚めさせてみせますから。お話、ありがとうございました」


 席を立ち、文月はリビングを後にした。七瀬のいる部屋に向かおうとすると、リビング側の壁に背を預けて、御厨が立っていた。彼は立ち止まった文月をじっくりと眺め、意地の悪そうな笑みを浮かべる。


「感受性が豊かで、繊細で、優しい、ねぇ? 俺の知ってる元聖譚病患者サンは、あんまりそうは見えねぇけど」

「なら君の目が腐っているんだろう。良い眼科を紹介してやろうか?」

「結構だ。俺は眼鏡すら必要ないくらい視力が良いん――って最後まで聞けよ!」


 既に廊下にはいない文月の後を追い、御厨は和室に駆け込む。

 文月は既に七瀬の傍らへ座り込んで、数刻前御厨が見た彼と同じように、深く頭を下げていた。上半身を起こした彼は、ガラスペンを握った。横に倒したアタッシュケースの上に原稿を置くと、そこへ穂先を擦り付ける。


 下敷きの代わりに使えるよう、文月は凹凸のないデザインのアタッシュケースを選んでいる。


 紙と硝子の擦過音に耳を傾ける御厨は、立ったり座ったり、片膝を立ててみたり正座をしてみたりと、落ち着かない――というよりも退屈そうだ。


 綴者として原稿と向かい合った文月の視界には、紙と文字以外入らない。彼が聴いているのはガラスペンが奏でる調べのみで、今御厨が声をかけても、見向きもしないはずだ。


 真剣な眼差しの彼を横目で捉える御厨は、退屈しのぎに、七瀬の朗読をしかと聞いていた。


「日が出るでしょう。それから日が沈むでしょう。それからまた出るでしょう、そうしてまた沈むでしょう。――赤い日が東から西へ、東から西へと落ちて行くうちに、――あなた、待っていられますか」


 百年。その年数が御厨の頭の中で想起される。御厨にとって、文月が贋作を書き上げるのを待つ時間でさえ長く感じる。というのに、『私』はこの時間と比べ物にならないくらい長い長い年月を、待ち続けなければならないのだ。


 女への気持ちが一切無かったなら、それは拷問にも等しい時間だろう。百年も一人で待ち続けられる『私』は、女のことをとても愛していたのではないかと、御厨は手持ち無沙汰な頭で考えた。


 御厨は、ふと思う。自分が死ぬ際に、残りの相手の人生を、死んだ自分の為に使ってくれと言えるだろうか。


「……ねぇな」


 唇に触れる、曲げられた人差し指の側面に、一瞬の熱が吹きかけられた。愛する者を死んでまで縛り続けていたくはない。そう思うのは、それほど愛おしいと思える人間を思い浮かべられないからだろうか。


 などと、普段使わない思考を巡らせている間にも、文月は数枚原稿を舞わせていた。後でどれが一枚目か分からなくならないのだろうか、と思うくらい、書き上げた紙はばらばらに散らばっている。


 最後の一マスを埋めた文月は、ガラスペンを唇で咥えて、空いた右手で素早く原稿を薙いだ。ふわりと浮かんだ紙はすぐに畳へ落ちて行く。


 綺麗に落ちたかどうかなど文月は一切気にしていない。目の前から消えた原稿にもう用はないと言わんばかりに、彼は目の前だけを見据えていた。


     (二)


「深い愛を知ってしまった人間は、それを失った時、また別の愛を探して掌中に収めても、物足りないと感じるのではないか、と俺は思う」

「なんだよいきなり」


 ガラスペンをペン置きに置くなり、文月は今まで使っていなかった口を動かした。バラバラに散らばる原稿を一枚一枚丁寧な手付きで掬い上げ、順番に並べていく。白く細いものの、男らしく骨ばっている彼の手を眺める御厨へ、男性にしてはやや高めの声が投げられる。


「物語の解釈は人それぞれだ。登場人物がどういう心境でその言葉を発し、動いているか、書かれていないのなら、こうかもしれないと幾つも想像出来る」


 重ねた原稿を片手で器用に整えると、文月は立ち上がって障子を通り過ぎ、窓に手をかけた。銀色の突起を手前に引いて鍵を開けたら、窓を開け放ち、流れ込んで来た涼風を口に含む。


「俺の考えを述べるなら――死んでしまうと分かってしまった女は、心からの愛を示してもらいたかった。だから百年待っていてくれなんて、あまりに難題なことを頼んだ。それでも『私』は確かに首肯してくれた。待っていると答えてくれた。最期に真っ直ぐな愛を受けて、女はきっと、嬉しかったはずだ」


 営業時以外の彼の優しい声色を、御厨は珍しく感じた。好きなものについて語る際の彼は人が変わったようになるな、と、薄く笑みを形作る。


 語ることに熱が入ったように、文月はまだ止まらなかった。


「『私』は女に愛を向け続けた。大きく膨らんだ愛のやり場は女以外に無かったのだろうし、他へ向けるなどという考え自体浮かばないくらいに、二人は千切れることの無い、深い愛に結ばれていた」

「百合の花に生まれ変わったのも、愛の力、ってことか?」


 広がる庭も、その先にある石塀も茜色に染まっている。これから沈み行く眩い夕陽を瞳に宿して、文月は御厨の方を振り仰いだ。


「君のような、本を一切読まない人間でも、百合の花が女であるという解釈を出来たのか……やはり素晴らしい作品だ」

「なあそれ俺のこと馬鹿にしてるよな、そうだよな?」

「俺は口頭で大体のあらすじを君に話しただけだから、白い百合と女の接点はあまり分からなかっただろうが……読んでみて、自然に綴られている繋がりに気付いた時、感動するぞ」

「あーはいはい、気が向いたら読む」

「さて」


 滑らかな外気が二人の肌を撫ぜる。紙と紙が擦れて鼓膜をくすぐる。文月は庭を背にして七瀬に向き直り、正座をすると、凛と細めた双眸で文字を辿った。


「こんな夢を見た」

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