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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第四章
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やがて高瀬舟でお別れを4

 出窓から差し込む陽光を真っ向から受けている七瀬が、自分の右側にいる文月と、左側にいる御厨を一度ずつ見て、頬を掻いた。


「あの……もしかしてもう話終わっちゃいました? コーヒー、要りませんでしたかね?」

「ああ、ちょうど話がひと段落着いたところだ。君がコーヒーを淹れてくれたおかげで、もう少しのんびり出来る。ありがとう七瀬」

「堂々と職務怠慢宣言するなよ。――あ、七瀬ちゃん、ありがとな」

「君のもとにいつ患者の情報が入ったのかは知らないが、こんな時間に家を訪ねて行くのは失礼じゃないか?」


 それもそうかと思い、御厨は黙ったままカップに口を付ける。苦味よりもやや酸味が強く、水っぽいインスタントコーヒーに、御厨が顔を顰めるのはいつものことだ。あまり好いてはいないように見えるが、ここに来る都度ほとんどと言って良いほどコーヒーを頼むことがあるのだから、嫌ってもいないのだろう。


 何かを想起した時のような「あ」という声に、御厨が顔を上げてみれば、文月が珍しく呆けた顔をしていた。ぽかんと開けられていた口がそっと閉じ、結局何も言わないまま静まってしまった為、七瀬が首を傾ける。


「え、あの、今の『あ』ってなんですか」

「……言うかどうか悩んでいることがあってな、別に今でなくても良いかと思ったんだ」

「そう言われると気になるんですけど」

「俺も気になるから悩まず言えよ」


 七瀬と御厨から詰め寄られるみたいな空気の中、文月は渋面を作って、小さく嘆声を吐き出した。


「御厨小春の治療のことを昨夜報告したんだが、患者を約五年も放置してしまったことを叱責されてな。来年から別の町に、他の綴者の助手のような存在として……分かりやすく言うと出張をするんだ。俺がいない間に聖譚病患者が出た際は、隣町の綴者に連絡してくれ。早ければ一ヶ月で戻って来られるが、二月の、七瀬が受ける試験の前に戻って来られなかったら……七瀬、済まない」

「え、っと、私は別に、気にしません、けど」


 唐突な話に戸惑っているようで、七瀬の声は尻すぼみになっていく。粛然とした中でその余韻が消えるよりも早く、声を上げたのは御厨だ。


「待てよ。それ、つまりずっと黙ってた俺のせいじゃねぇか?」

「そうだな、俺もそう思って、俺は悪くないのではないかと言おうとした」

「そうか。なんか……なんだろうな、自分で言うのは良いし、事実なんだけどな、お前にあっけらかんとそう言われんのはイラっとするな」

「そうか? 悪いな、君の事を気が置けない友人兼相棒だと思っているからか、遠慮を忘れていた」


 複雑そうな表情を浮かべた御厨が黙り込む。御厨は唸り声をとても小さく零し、頬杖を突くと、コーヒーカップをテーブルの上で揺らし始めた。


「……だが、御厨。君のせいだけではなく、俺のせいでもある。初めから俺の仕事の仕方が間違っていたんだ。取り敢えず、俺という綴者の存在は、ここに来た初日に町中へ知らせたつもりだったが、頼ってもらえるような行動を見せなかった。君に任せきっていて、自分で情報を集めようとすることもしなかった。関わりのない存在なんて、年を経れば忘れられていくだろうに、存在を周知させることを初日以降しなかった」

「医者なんて、そんなもんだろ。わざわざ巡回みてぇなことをしなきゃいけないなんておかしくねぇか」

「いや、おかしくはない、と思う。医者の存在はそもそも世間に知れ渡っている。綴者は医者のようでも、聖譚病という珍しい病限定の医者で、知らない人間も多く、一度耳にしても聖譚病と関わりがなければ忘れられていくだろう?」


 文月が喋りを止めれば、室内は閑散とする。御厨に関しては、すぐに言葉が浮かばないだけで、納得はしていないようだった。


「例えば、俺が町を回って、身の回りに異変はないか、聖譚病患者は出ていないかと、日毎聞いていれば、そういった仕事やそういった病があることは周りにも分かり、そのうち自ら出向かずとも、君以外からの情報をも得られただろう。それこそ、病院に行って話を聞くといったようなこともしていれば、御厨小春が聖譚病に罹っていることも、もっと早く知れたのかもしれない」

「そう、かもしれねぇが……小春の件に関しては、俺が意図的に隠していたせいだろ」

「――御厨、君のおかげで、俺は自分の至らなかった点に気付くことが出来た。だから、君は自分のせいなどとは思わないでくれ。少しの間、俺は師匠のもとで研修のようなことをしてくるだけだ」


 気遣っているわけではないのだろう、文月の純粋な微笑に、御厨は困惑した。彼が瞠目している間に、七瀬が控えめに口を挟む。


「あの、師匠ってもしかして、文月先生の恩人の綴者さんですか?」

「……ああ。今朝、どの綴者のもとで学ぶか決定したという連絡が来たんだ。その綴者の名を聞いて驚いたが……なにより、嬉しくもあった。七瀬の試験の直前まで、勉強を教えてやれるか分からないことは、申し訳なく思う。けれど少しだけ、楽しみにしている」


 綻んだ文月の口元は、持ち上げられたカップにすぐさま隠される。それでも彼が嬉しそうにしていることは、優しい雰囲気を纏った両目が明かしていた。感情が伝染したみたいに、七瀬も破顔した。


「文月先生が楽しみなら、良かったです! 行くのは、来年なんでしょう? ならまだ二ヶ月くらいあるじゃないですか! それまでに私、色々覚えますし、文月先生がいない間でも、ちゃんと勉強します。もし先生が、試験前に戻って来られなくても、絶対合格してやりますから!」

「そうか……。君にそう言ってもらえて安心した」


 拳を胸の前で固めた七瀬へ、文月がくすりと笑う。二人の微笑ましいやりとりから、御厨はそっと視線を外し、スーツの胸ポケットから手帳を取り出した。

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