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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第四章
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やがて高瀬舟でお別れを2

 一階の、本棚に挟まれた廊下の先に行ったら、七瀬は座るよう促された。台所のある方向を背にする形で、出窓の傍の椅子に着席する。台所に向かった一紗の靴音に耳を傾けながら、七瀬は窓の外をぼんやりと眺望した。しんとした空気に気まずさを覚えた七瀬が、廊下の方を一瞥する。


「文月先生は、下りて来ないんですかね」

「ああ……部屋に紙とか本とか散らばっていて汚いから片付けなさいって言ったの。だから、片付けてから来るんじゃないかしら」

「そうなんですか……。あっ、そういえば一紗さん、さっき『恋人がいることになってる』って言ってましたけど、実際にはいないんですか? すごく綺麗なのに」


 ようやく台所から戻ってきた一紗に目を向けてみれば、彼女は長い睫をゆっくりと上下させていた。僅かに開いていた唇を左右に引いて、彼女が七瀬の前にカフェオレが入ったコップを置く。


「ありがと。昔は、いたわよ。けど別れたの。まあそんなこと言い出せなくて、八尋には言っていないっていうだけ。言う必要もないものね。……やっぱり女の子だから、恋人とかの話は興味があるのかしら?」

「あ……いえ。文月先生、前に……いえ、やっぱりなんでもないです」

「……そう? なんでもないなら、無理には聞かないけれど」


 文月は以前、恋い慕った女性がいたと言っていた。その女性は幸せな家庭を築いているのだろう、とも口にしていた。七瀬は、文月の言っていたその女性が一紗なのではと思ったが、そんなことを当人に聞けるわけが無かったのだ。


 七瀬の正面に着座した一紗が、テーブルの上に乗せた両手の指を絡ませる。見つめられていることに気付いた七瀬は、はっと目を瞠ってから瞬きを繰り返した。


「え、あの、私……顔になにか付いてますか?」

「ん? いいえ、可愛いからじっと見ちゃっただけよ」

「か、可愛い……? えっと、ありがとう、ございます?」

「それで、七瀬ちゃんは八尋のどこが良いの?」

「はい?」


 片頬を引き攣らせた七瀬へ、一紗が自信を無くしたように黒目を彷徨わせ始める。数回疑問符を漏らした後に、彼女は苦笑して頬杖を突いた。


「えーと……好き、なんでしょ?」

「えっ? ち、違いますよ!? さっきも言いませんでしたっけ!?」

「うそっ、じゃあホントに綴者に憧れているの!?」

「そうですよ!?」


 思わずテーブルの上に身を乗り出していた一紗が、少ししてからようやく椅子に座り直す。今の大声の応酬が嘘みたいに、悄然としていく。


 カフェオレを飲んで間を埋めていた七瀬に、真剣な視線が向けられた。


「あなたの夢を貶すとかそういうわけじゃないけれど……もっと良い仕事があると思うわよ? 聖譚病せいたんびょう患者は少ないし、治療費として患者やその家族に要求する金額は基本的に任意だけれど、最大でも五万程度って定められているみたいだし」

「五万も、なんですか? でも、文月先生、千円しか要求してませんよ?」

「…………ごめんなさい、もう一回言ってくれるかしら?」

「え、文月先生、治療費は千円だって……」


 大きな溜息を吐き出して、一紗は額を押さえた。呻き声に似た吐息に七瀬が狼狽していれば、握り締められた一紗の拳がテーブルに打ち付けられる。いきなりのことに、七瀬は思わず双肩を持ち上げてしまう。


「っ……あの馬鹿! 千円って馬鹿じゃないの!? 他の仕事があって生活に余裕があるならまだ分かるけれど、馬鹿なんじゃないの!?」

「か、一紗さん落ち着い――」

「騒がしいな。一紗、あまり七瀬を困らせるようなことは」


 眉根を寄せて顰め面を作り、ゆっくりとした足取りで近付いてきた文月めがけて、一紗が片手を伸ばした。勢いに任せて立ち上がった彼女は文月の胸倉を掴み上げると、大口を開けた。


「あなたねぇ! 七瀬ちゃんから聞いたわよ! 千円しか治療費を要求していないってどういうこと? それでちゃんと生活出来ているの!?」

「あ、ああ、大丈夫だ」

「大丈夫なわけないでしょ!? 大丈夫な根拠を言いなさいよ!」

「治療費として貰えるのは任意の金額だが、患者を治したことを報告すれば、国が事実を確認次第、五万円程度支給してくれるからな」

「それでも生活苦しいでしょうが!」


 自身の怒鳴り声が思いのほか響いて、一紗は目を細める。視線を上げてみると、文月も同じように瞳を細くしているが、それは怒声の五月蝿さのせいではないようだ。睨み据えるみたいな鋭さに、一紗は気圧されて身を引いた。彼から離した手を体の横に落としたら、彼が静かに言った。


「俺は、金が欲しくて人を治しているわけじゃないんだ。正直無償でも良いと思っている。だが、皆何かしら礼を差し出そうとして来るからな、千円だけ頂くことにした」

「……いつか、飢え死ぬんじゃないわよ」

「当たり前だ」


 本気で心配している一紗の瞳の中で、文月が薄らと笑う。呆れたと言いたげな顔のまま、彼女は長い髪を揺らして文月に背を向けた。


「それじゃ、私はもう帰るから。後は二人でごゆっくりどうぞ」

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