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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第三章
33/49

見上げるはよだかの星14

     (六)


 文月が病室を出ると、九美が立っていた。病室の正面にある壁へ背を預けている彼女は、目元にやっていた手をそっと下ろした。いくつもの感情が綯い交ぜになったような面貌を前にして、文月は頭を下げる。


「ありがとうございました。御厨さん」

「……礼を言うのは私の方でしょう」

「私にも、お礼を言う理由が――」

「それ、やめてくれるかしら」


 下げていた頭を持ち上げた文月が、普段通りの姿勢に直ってみたものの、九美は依然として不服そうにしている。それ、が何を指しているのか分からない。そんな文月の困惑を見付けたのだろう、九美が自身の後ろ頭を掻いた。


「『私』って言うの。あなた、九重と話している時は『俺』って言うでしょ。友達の親にわざわざ『私』なんていう男の人、いないと思うわよ」

「そう……ですね。すみません」

「別に謝らなくていいのよ。……ありがとう、文月くん。それと、綴者の書いているものを馬鹿にするようなことを言って、ごめんなさい」


 床に向けられた九美の顔は、上手く窺えない。勿論、文月がそれを、無理に覗き見ようとすることはなかった。頭を下げる代わりにそうされていることを察し、文月が感じたのは申し訳なさだ。


 どう言えば彼女の自尊心を傷付けず、彼女の気を立たせず、彼女に一切の非がないことを伝えられるだろう。それを考えなければと思いはしたが、文月の口は充分に思い見るより早く動いていた。


「いえ、謝らないで下さい。御厨さんがよだかの星をとても好いているのだなと、よく分かりましたから。それに……もし俺が、綴者のことをよく知らない時に、好きな作品の贋作を書かれて読み聞かせられたなら。不快に思ったはずです」

「そもそも贋作っていう言葉は、あまり良い印象を受けないものね」

「そうですね。偽物ですから。人の書物を真似て物語を綴るなんて、本を愛している人間に軽蔑されかねないことです。そんなことは誰より、綴者が分かっている。だから綴者は、自身の書く作品を『贋作』と呼ぶんです」


 九美が眉根を寄せる。しかし唇は苦笑を象っていた。目鼻立ちは似ていないのに、無理に笑っているその造形は、文月の記憶から引き出された御厨の顔と綺麗に重なった。だが、彼女の繕いに、文月は素知らぬふりをする。


「借り物ばかりの作品を、自分が零から書き上げたと嘯かぬよう、声高に『贋作』であることをはっきりと伝える。それは誤解を生ませない為であり、自身を戒める為でもあるそうです。私の恩師が、そう言っていました」

「そう……。誤解、ね。私も、偽物を偽物だと言っていたら、良かったのかしらね」

「偽物、ですか?」

「……ねぇ、私、綺麗かしら?」


 慮外(りょがい)なことに、文月は目を皿のようにした。持ち上がった上瞼が次第に下がっていき、やがて元の位置に落ち着く。


 陶器みたいな頬の上で、人為的に造られたような左右対称の双眼が、文月に返事を求める。滑らかな輪郭も、高い鼻も、桜色の唇も、全てが人形じみていた。例えるならば、美しく見える比率を考えて描かれた、絵の中の人物、といったところだ。文月は世辞抜きに頷いた。


「そうですね、綺麗です」

「これ、偽物なのよ」

「……なるほど。そういうことだったんですか」


 造られたもののよう、と思わせるそれはまさに、造りものだったのだ。


 贋作と言う偽物は(すべから)く否定すべきである、と考えていた彼女が、自分自身に抱いていた呵責はどれほどのものだったのだろうか。


 彼女は己の面に手を当てて、悔しげな声を真っ直ぐ吐き捨てた。彼女の正義が微かに漏れたのは、内側で凛と聳える芯の強さの表れだろう。


「醜い顔立ちの人間が虐げられるのは、どうしてなのかしらね。学生時代は酷いものだったわ。だから、大人になったら手術をして、綺麗な顔になりたいって思ったのよ。自分のことしか考えていなかったから。私に夫が出来て、娘が生まれた時のことなんて考えていなかった。……作り替えた顔には、似てくれないのよね。私の顔のせいで娘が悩むくらいなら、顔なんて、作り替えなければ良かった」

「御厨さん、小春さんの日記を読まれていたんですか?」

「……ええ、読んだわ。けど、どうして分かったのかしら」

「なんとなく、ですよ。貴方も、御厨――……彼と同じことで、悩んでいたのですね」

「……そう。九重も、そうなのね」

「はい」


 瞳に暖かな色を灯して、九美は少しだけ顎を持ち上げた。天井が無かったなら、彼女は星を仰いだはずだ。彼女が見据える先に夜空は無い。病院の廊下に、とても小さく、呟きに似た音吐が流れた。


「『僕はもう虫をたべないで餓えて死のう。いやその前にもう鷹が僕を殺すだろう。いや、その前に、僕は遠くの遠くの空の向うに行ってしまおう』」

「……暗誦、出来るんですか?」

「小学生の頃、学芸会でよだかの星の演劇をしたのよ。私がよだかを演じたの。醜い顔と言ったら九美だ、って、指名されてね。初めは嫌で嫌で仕方がなかった。よだかの星っていう作品の良さも、自分や同級生への苛立ちで霞んで見えなかったわ」


 さながら台詞のような語りが、この場の空気を涼しいものにする。真作の中でよだかが昇った空の温度が、辺りに蔓延っているみたいだった。切なさを誘う声付きのまま、九美が独白を紡ぐ。


「でも、ちゃんと演じてみたら、よだかの気持ちが手に取るように分かって、泣きたくもないのに涙が出てきて、微笑まなきゃいけない場面で泣いていた。醜い顔で泣きながら、私もよだかのようになりたいと思った。なり方が、分からなかったけれど」

「……そう、だったんですか」

「それで、星にはなれないから、遠くの空に行くことにしたのよ。顔を変えて、元の私を知ってる人がいない所に引っ越して」


 過去を凝望していた九美の口から、あ、と小さな母音が飛び出した。唾と一緒に息を一つ飲み下し、九美はこれまでの調子に戻った。舞台を下りた演者は、役でもなんでもない自分の本心を、嘲笑で覆ってしまう。

 人は作った顔で本当のことを隠す道化だ、と言わんばかりに、彼女は自虐的な笑みを浮かべていた。


「どうでもいい昔話は置いておきましょうか。とりあえず、今になってようやく分かったのは、私は綺麗な星を持っていなかったってことよ」

「そんなことはないです。小春さんのために涙を流した貴方の星も、綺麗でしょうから」

「……本当にそうなら、良いのだけれど」


 力の抜けた声色が、静かに響いて消えて行く。疲れてしまったみたいに、九美が膝を折ってしゃがみ込んだ。彼女のか細い肩が震えて見えたのは、きっと錯覚だ。それでも文月は、「大丈夫ですよ」と投げかけた。


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