見上げるはよだかの星12
――私は、実に醜い娘です。
小さな目に、低い鼻の上に散っている雀斑。それらが乗せられている輪郭はやや丸く、可憐さとはほど遠い容姿をしていました。
視力のせいで眼鏡を掛けなければならない私は、つまり顔立ちの地味さを増さねばなりません。分厚いレンズの奥で、小さな目が更に小さくなったように思えました。
あまりに地味な外見のため、それほど目立たないようで、初めはほとんどの人に興味を向けられませんでした。けれども、こんな私に美しい母と精悍な顔立ちの兄がいることを知った同級生達は、悪口を言うようになります。
「あの子、何度見ても地味だよね」
「あんなお母さんとお兄さんがいるなんて信じられない。拾われた子供なんじゃないの?」
こんな風に、私と同じクラスの女子生徒は陰口で笑い合います。私が、母や兄だったなら、これほど容姿を馬鹿にされることはなかったのでしょう。家で家族の顔を見て、学校で陰口を言われる度に、そのうち私は、本当に両親や兄と血の繋がりがあるのか不安に思えてきてしまいました。
煩悶とする私の前に、ある時、一人の女子生徒が呆れ声を投げ付けにきました。
「あのお兄さんに失礼だから、名前を変えるか本当の親を探しに行くかしたらどう?」
それからというもの、まだ名前を変えないのか、家を出て行かないのか、失礼だと思わないのかと何度も言われるようになりました。日毎行われる嫌がらせは、悪口以外にも増えていきましたが、面と向かって何かをされることは、名前を変えたらどうかと言われた時以来ありませんでした。
ですが、ある日、お昼休みにお弁当を食べていた私のもとに、以前正面から物申してきた女子生徒がまた現れ、私のお弁当は奪われてしまいました。それは、兄が作ってくれたものだったのです。彼女はそのことを知っていたようで、「あんたなんかが食べるのは勿体無い」と、蔑んだような目で私を一瞥したら、すぐに去っていってしまいました。
それからも悪口は止みません。私は日に日に、自分の心が引き千切られているような感覚に襲われていきます。
このままでは、私の心が殺されてしまうと思いました。じわりと滲む痛みが癒されることはなく、自然と傷口が塞がる前に、言葉の刃で穴を増やされるのです。帰路を辿る時、いつも穴だらけになった胸を押さえて、殺されるくらいなら死んでしまおうかと考えておりました。
陽が落ちて行く道の先を見つめながら、私は思いました。
どうして私はこれほど嫌がられ、嫌がらせを受けなければならないのだろう。両親や兄に全く似ていない、所謂地味な顔をしているというそれだけで、何故ここまで心を傷付けられねばならないのだろう。抜きん出た容姿を持っていなくても、私は今までに、人が嫌がるようなことをしたことがない。こんな状況になった中でも、私の近くに鉛筆を落としてしまった人に、それを拾ってあげたことだってある。ああ、だけれどあの時は、汚いものを見るような目を向けられて、引っ手繰るように鉛筆を回収された。それからその子と仲の良い子達が、私のことを笑っていたっけ。これからもこんな日々が続くのか。そんなの嫌だ。今にも私が殺されてしまいそう。
気付けば、私は普段通らない道を歩いていました。自分の家がある道へ背を向けて、きっと隣町に続いているのであろう道の方へ、とぼとぼと力なく、足を動かし続けました。
全く知らぬ道を、どこまで行けば何があるのかすら分からないままに、ただただ歩き続けました。そうしていると、だんだんお腹が空いて来て、学生鞄から、まだ食べていなかったおにぎりを取り出しました。お弁当を奪われるようになってから、私は兄に頼んでおにぎりにしてもらっています。
包みを開けてそれを唇の前まで持っていった途端に、どうしたことか、空腹感は嘘みたく消えてしまいました。
あんたなんかが食べるのは勿体無い。あの言葉が不意に耳に届いてきて、私はおにぎりを地面に落としてしまいました。進み続けていた足がぴたりと動きを止めて、どこにも行けなくなります。棒のように真っ直ぐ張り詰めた両足は、やがて膝から折れて、みっともなく地面にがくりと突きました。
勿体無い。私でもそう思ってしまったのです。私には、あんな両親は勿体無い。あんな兄も勿体無い。彼らを信じられず、逃げ出すように遠くへ行こうとしている私には、勿体無いのです。不相応なのです。
きっと私は、本当に彼らの家族ではないのでしょう。血が繋がっていたとしても、家族でいることが出来ていないのでしょう。笑顔を作って上辺だけで接している関係を、家族と言ってはいけない気がしました。
ぼろぼろと涙が溢れ出しまして、声を殺せないくらいに嗚咽が漏れました。ああ、やら、うう、やら、言葉になっていない嘆きで夜風を切っておりました。
私は、家族の愛から目を背け、全部勿体無いと言って捨てている。だのに「血が繋がっていないのではないか」という嘲笑は、どうしようもなく私の心を殺そうとする。なんて苦しく、辛いのだろう。もう、死んでしまおうか。これからも毎日学校へ足を運べば、近いうちに私の心が殺されてしまう。けれど自殺なんてしたら、同級生達はなんと言うだろう。笑うだろうか。それは嫌だ。どこか、どこか遠くへ行ってしまいたい。
すっかり陽が落ちて、暗くなった道を、私はまた真っ直ぐに歩き始めていました。視界にちらちらと飛ぶ光が、私の視線を上げさせます。見上げた空には、小さな星が幾つも散らばっていました。手を伸ばしても、星には一つとして触れられません。空の紺を掻き混ぜることすら叶いません。ただただ冷たくなってきた空気を手の平で仰ぐようにしながら、ぐんと背伸びをして、私は大きな声で言いました。
「そこの青いお星さま、あなたの所へどうか私を連れてって下さい。やけて死んでも構いません。どうか」
声は、届いていないようでした。それもそうでしょう。触れられないほど遠くにあるのですから、届くはずがないのです。それでも私は、その場から星空を見上げたまま、同じ言葉を繰り返しました。
繰り返し、繰り返し。何回繰り返したか自分では分からなくなってしまった頃、喉に絡んでざらついた私の声に、他の声音が重なりました。
「あなたは何故そうまでして星になりたいのですか?」
空から頭に響いてくるような声でした。女性とも男性とも、若いとも幼いとも取れるそれに、私は、掠れた声を張り上げます。
「もう嫌なんです。ここで生きていたくないのです。お星さまは、願いを叶えてくれるものでしょう? どうか私の願いを叶えてください。そちらに行かせてください」
しんと、冷たい夜の空気が耳を擦りました。空からの返事はありません。聞こえなかったのかと思い、もう一度、全く同じことを言い直そうとしたら、ようやく声が降って来ました。
「人の願いを叶えるのはその人自身です。願いを叶えてくれるという私達に願いを掛け、そうして願いを叶えられる者は、私達に勇気を貰って、自分で願いを叶えるのです。あなたの願いはあなたが自分で叶えて御覧なさい」
「出来ません」
口を衝いて出たのは、そんな言葉です。それからもう何度か、同じことを反芻しました。
「出来ないのです。私はどうやってもそちらに行けないのです。私には翼がありません」
「私達星は、確かに願いを叶えるものです。けれど星は、人々の心の中にもあるのです」
必死に懇願するあまり、泣きそうになりながらも、私は耳を傾けました。空の声は、柔らかく続けます。
「空へ舞おうと思わないで下さい。あなたの星はその胸の中にあります。それを光らせることが一人で出来ないのなら、きっと星が欠けてしまっているんです。ですから頼れる人を頼りなさい。そうして色んな人から星の欠片を集めて、少しずつ光らせていきなさい。沢山の人から集めた欠片を合わせたら、きっと、とても暖かい光が生まれるはずですよ」
そっと、自分の胸に触れてみました。冷たい夜風ですっかり冷えた胸元は、手の平の熱を奪うばかり。私の胸にある星は、もう朽ちてしまっているのではないかと思いました。そう思うと、ひどく悲しくなりました。
夜空の星が、稲光のように明滅したように思え、顔を上げてみたものの、私はその眩しさに目を塞いでしまいます。
「ほんの少しだけ、私も欠片を分けましょう。その胸を暖かくしてみせましょう」
そう言われて少しすると、星が纏っているものは、目を開いていられるくらいの淡い光に戻っていました。もう一度胸に手を当ててみれば、先程よりも仄かに熱を感じました。
「さあ、お戻りなさい。あなたの星の欠片は、もうこちらにはありません。あなたの星は、空では輝けない星です。あなたの中で、静かに、少しずつ大きく、輝き続けるものです。あなたが私達のようになりたいのなら、その優しい輝きを、そっと外に漏らしなさい。そうすればあなた自身がいつか、綺麗な星空になるでしょう」
私は、まだ胸に手を当て続けていました。
学校にいる時みたいな、笑い声は聞こえません。悪口も聞こえません。今はただ頭上の星だけが、優しさを小雨のように、ぽつぽつと落としておりました。暖かな雨水は私の頬を濡らします。
帰らなきゃ、と思いました。
今の私は、この頬を零れる星の欠片を、家族に見せなければならないような気がしたのです。全て零れて、輝きを失ってしまう前に、見てもらいたかったのです。私は見上げていた星空に背を向けました。きらきらした欠片を落としながら、走りました。
早鐘を打つ胸に手を当てると、肌寒い空の下だというのに、暖かさを感じました。
ああ、と私は気付きます。
私の星は、目に見えない所で、ずっと輝こうとしていたのでしょう。私を殺そうとしていたのは誰かの悪意だけではなかったのです。
今なら、この胸中の星に、願いを叫ぶことが出来そうでした。胸の中にたっぷりと溜まった本当の心を、声に出せそうでした。
周りは何も見えず、道の先だけを見つめて、走り続けます。そうしてようやく開け放った扉の向こうに、私は思わず叫んでしまいました。
助けて。
嗚咽に塗れた声が、玄関の先にいた家族に届きました。真っ先に駆け寄って私の顔を覗き込んだ母の目に、私の醜い顔が映っています。
けれどその頬を、綺麗な流れ星が伝っていました。ぽろぽろと、流れることしか知らない私の星が、あまりに美しくて、全身が震えました。
どれほど周りに馬鹿にされても、私の持っていた星は、夜空を泳ぐ流星の美しさを持っていました。心がどれだけ傷付いても、その美しさはきっと衰えなかったのです。
私の中の星は、これから先も輝き続けてゆくのでしょう。その眩しい流れ星の温度を、私は大切な家族に零しました。