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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第三章
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見上げるはよだかの星11


     (五)


 御厨のズボンのポケットの中で携帯電話が振動したのは、夜の七時を過ぎた頃だ。通話ボタンを押して電話を耳に押し当てると、「贋作を書き終えた。今から君の店の前まで行く」とだけ告げられて一方的に電話を切られる。


 こちらの話を聞く気は一切ないのか、と苦笑して、御厨は母親と共に店の前で文月を待った。十分程が経過し、アタッシュケースを片手に現れた文月をちらと見てから、御厨が彼に背を向ける。


「車出すから、乗りな」

「……徒歩じゃないなんて聞いていないぞ」

「お前、この町の病院がどこにあるのか分かってて言ってんのか。端っこだぞ、端っこ。良いから乗れよ。あそこ、面会は二十一時までなんだ」


 服飾屋の入り口前の端の方に、一台の黒い車が止まっている。御厨はそれの運転席に乗り込んだ。九美が彼の隣に座ったのを見てから、文月は渋々といった様子で後部座席に乗った。


 流れ出した景色から目を背け、文月が瞼を伏せていると、前に座っている御厨が声をかけてくる。


「贋作、ちゃんとしたもの書けたのか?」

「なんだ君は、俺の贋作を読んでもいないのに馬鹿にしているのか? 俺は患者を治す為にちゃんと……書いて、いるんだ」

「……いきなり死にそうな声出してどうしたんだお前」

「…………話しかけるな。着いたら起こしてくれ」


 赤信号に差し掛かって、御厨はゆっくりとブレーキを掛ける。ルームミラーで文月の方を窺ってみると、彼は険しい表情のまま目を閉じていた。そこでようやく、彼は車が苦手なのだろうということに気付いて、御厨は小さく笑った。


「……九重、あんたさ」

「ん、なんだ?」


 信号が青に変わり、前だけを見ながら御厨が九美に返す。暫くしんと静まると、御厨は深閑を息苦しく感じた。彼女に何を言われるのだろう、怒られるのだろうかと想像しただけで、どうすれば良いのか分からなくなる。下唇に前歯を突き立て、黙っている御厨へ、彼女の問いがようやく投げられた。


「文月くんのこと、信頼しているの?」

「……そりゃ、そうだろ」


 予想だにしていなかった質問に面食らってから、御厨は吐き捨てるように返答した。ふうん、と九美が小さく相槌を打つ。


 車内にエンジン音と震動音だけが響く中、車はひたすらに町の東側へ前進して行った。フロントガラスの向こう側だけを凝視しつつ、御厨は唇の隙間から「五年だ」と零した。


 一分は優に越えたであろう静黙の後の、小さな一言。それに、九美は「何が」と問おうとした。あまりに間が開き過ぎていて、話の流れを掴めなかったのだ。けれども口に出す前に、御厨が続ける。


「五年の、付き合いなんだ。文月がここに来た日から、俺は小春のことを相談しようとして、会いに行った」

「そう、だったの……」

「けど言えなくて、情報屋だって適当なことを言って、本当に情報屋のフリをし続けて……五年、綴者のこいつをこの目で見てきた」


 九美が御厨の横顔を窺ってみれば、彼は笑みを浮かべていた。楽しそうでも、嬉しそうでもなく、どこか悔しげに、それでも彼の唇はしかと笑っていた。


「良いやつだぜ、文月は。……見てて、自分がちっぽけに感じるくらいにさ」

「――そんな風に、感じていたのか」


 静かで透き通る声が背中に掛かって、御厨は目を見開いた。


「……起きてたのかよ」

「そんなにすぐ寝られるわけが……ないだろう」

「黙って寝てろ」

「いや……寝られる気分では、ないんだ」


 揺れる車内で酔っているらしく、文月の息遣いは弱々しい。照れ臭そうにも、気まずそうにも見える顰め面の御厨が黙っていれば、黙るつもりのないらしい文月が沈黙を払う。


「御厨。君は、ちっぽけなんかじゃない。俺なんかと比べるな。比べて、自分の良さから、目を逸らすな」


 御厨は、唇を噛んだ。口内に血の味が広がるくらい、唇が痛むくらい、歯を強く押し付けた。


 文月にこんな言葉をかけられても、御厨の気持ちは軽くならない。それどころか、奥底に沈めていた不快感がせり上がり、それによって劣等感が沸騰しそうだった。


 目元と眉間に皺を作って、不愉快そうにしている御厨の心境に気付いていないのか、文月は声柄一つ変えない。


「君は、人の気持ちを考えられる。誰かの為に、悩むことが出来る。強引にではなく、優しく。人の気持ちを、尊重出来るじゃないか。君は、君の思う正しさを、曲げないじゃないか。だから、妹のことで悩み続けていたんだろう? 君の優しさと、強さは、君だけのものだ。優しさも強さも、ありきたりな言葉、かもしれない。けれど、言葉は同じでも、その形は、人それぞれじゃないのか?」

「……文月、もういい」

「もしかしたら君は、俺を優しいと、強いと言うかもしれない。けれど俺の救いは、強引なものだ。それが、ちゃんと救いに繋がっていても、きっと、身勝手な、押し付けがましいものでしか、ないんだ」

「もういいって言って――」

「俺は君が」


 これ以上聞いていたら、御厨は文月に怒鳴ってしまいそうだった。怒号ではないものの感情的な声に、文月が凛と重ね、御厨の激情を攫おうとする。


「君が、俺にはない優しさと強さを持っているから……君を信頼して、相棒のように、思っているんだぞ」


 御厨の足に、強く力が込められる。乱暴なブレーキが掛かって、大きく揺れた車内で、文月が反射的に口元を押さえた。少し前まで浮かべていた真剣な表情は、既に取り去られている。もともと白い肌がやけに青白く見え、情けなささえ感じさせる。


 そんな文月に御厨は、礼を述べたかった。しかしたった一言でも、今は上手く紡げそうにないようで、口を開くのに長い時間を必要とした。


「……文月」

「……なんだ」

「俺は……お前のそういうとこが、嫌いだ」

「そうか。良いぞ、好きなだけ嫌え」


 言うつもりだった言葉は、喉奥に溶けてしまった。信頼と同じくらい抱き続けている「嫌い」という感情を、気付けば曝け出してしまっている。そのことを後悔したというのに、文月はあっさりと認めて、口元に繊月を湛えていた。


「その分、信頼出来る部分もちゃんと見つけてくれ」

「そこはもう充分見つかってるさ」


 御厨に笑い飛ばされて、文月は目を丸くする。ふ、と頬を綻ばせると、御厨の背からドアガラスに視点を移した。病院の前に着いていることを確認して、文月はドアを開ける。アタッシュケースを手に取って、外へ出た。


 御厨も車を降りようとしていたら、笑声が耳を打つ。


「九重、あんた、良い友達が出来たのね」

「……笑ってんじゃねぇよ。ほら、着いたから。母さんも降りろよ」

「はいはい」


 九美が降りたことを確認してから、御厨も下車し、先に病院の入り口で待っていた文月と三人で建物内へ入った。


 受付で面会手続きを済ませてから、エレベーターを使って三階に上がり、リノリウムの廊下を歩いて行くと、御厨が慣れた足取りでとある部屋の前に立った。部屋番号の下に御厨小春様と書かれているプレートがあり、文月はそれを一瞥してから、先に入室した二人の後を追いかけた。


 室内に足を踏み入れ、静かに扉を閉めると、微かな声が聞こえてくる。それは小春の、よだかの星の朗読だった。


 ベッドの横に備えられている椅子に、文月が腰を下ろす。それからすぐに、アタッシュケースから原稿用紙を取り出した。


 御厨と九美に見守られる中、文月は、はっきりとした声で、小春に向けて語り始めた。

お読みいただきありがとうございます。

毎日一話を更新していましたが、本日から毎日二話更新になります。明日からは午前と午後の七時に一話ずつ載せていくので、よろしくお願い致します。

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