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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第三章
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見上げるはよだかの星6

 渋々といった様子で、御厨が「分かった」と了承した。文月はベッドから立ち上がると、すぐさま部屋を出ようとする。気付けば御厨は、彼の右腕を掴んで引き止めていた。


「なんだ? 君は今、分かったと言ったじゃないか」

「いや、けど、なぁ! もう少し心の準備をしたりとか、そういう時間も必要だろ!」

「話すのは君ではなく、俺と君の母親だ。君に心の準備は必要ない。俺を母親に紹介した後、『それではごゆっくり』と言って自室に戻ったって構わないんだぞ」

「それはそれで不安なんだよ!」


 頭を掻き毟ろうとして手を離してしまった御厨が、あっと声を上げた時にはもう、文月は廊下へ出て行ってしまっていた。華奢な背を早足で追いかけるも、既に彼は階段を数段下っており、その足音に気付いた人物に話しかけられていた。


「あら? どちらさま?」


 御厨にとって毎日のように聞く、芯の通った高い女声。文月を押し退けて先に階下へ駆け下りた御厨は、慌てて母親に近付いた。


「俺の、友人なんだ。それで――」

「綴者の文月八尋と申します。小春さんを目覚めさせる為に贋作を書きたいのですが、その前に、私の話を貴方に聞いて頂きたいのです」


 額に汗を滲ませながらも笑っていた御厨だが、すぐに頭を抱えたくなった。御厨の隣に立って、御厨の母――九美を真っ直ぐに見た文月は、仕事時に浮かべる笑みを作って頭を下げた。彼女の視線に込められた苛立ちを見て取ったというのに、顔を上げた文月はこともなげに微笑んでいた。


 不服そうな瞳をそのままにして、九美が唇だけで笑い返す。


「良いわよ。九重のお友達ですもの。話くらい聞いてあげるわ」


 アーモンド形の大きな目に、長い睫。御厨の母にしては若い顔立ちに、文月は「なるほど」と心で呟く。他人の容姿など気に留めない文月でも、日記に記されていた通り、美人と言われそうな風貌の女性だと感じた。


 挙動不審なくらい戸惑う御厨をちらと一瞥してから、文月は九美の背を追いかけた。リビングの椅子に座るよう促され、文月が腰掛けると、少しの間の後に九美が正面へ腰を下ろした。彼女は手にしていた二つのコップを、自分の手元と文月の手前に置く。揺蕩う水の中で氷が楽器のように音を奏でる。


 文月の隣に座るかどうか悩んでいた御厨へ、九美が冷たい色をした黒目を向けた。


「九重、あんたは話が終わるまで待ってなさい」

「え、いや、でもよ」

「彼は私と、仕事の話をしに来たんでしょう? ならあんたは邪魔なの。分からない?」

「…………分かった」


 掠れた小さな一言を残して、御厨はその余韻を足音で掻き消して行く。彼がリビングの外へ消えた頃、九美は両肘をテーブルに突いて、絡めた指の背に顎を乗せた。


「それで? 文月くん、だったかしら。どういうつもり?」

「どういうつもりもなにも、私は患者を治療したいと思い、患者の母親である貴方に、綴者のことをしかと理解してもらいたいだけですよ」

「治療って、贋作を書くんでしょう? 馬鹿馬鹿しい。そんなの治療じゃないわ」

「貴方は、小春さんが眠ったままでも良いと思っているんですか?」


 九美の、形の良い眉が寄る。吊り上がった目尻が、不服さを表していた。


「そんなわけないじゃない。あの子はあれでも、私の大切な娘なの」

「なら、どんな手を使ってでも、目覚めさせようとするべきでは?」

「それならもっと医学的な手を使ってもらいたいわ。贋作を書かれるなんて嫌」


 文月は顔を顰めることなく、生真面目な面をして彼女の話を聞いていた。彼女はコップを手に取り、喉を鳴らして水を飲み下す。置かれたコップの音さえも、彼女の苛立ちを顕著に見せ付けていた。


「よだかの星は、私にとっても思い出の作品なのよ。大好きなの。治療だなんて理由でその贋作を書いて、偽物を自信満々に朗読するなんて、ふざけないで欲しいわ。そんなの、本物に対する冒涜よ。あの作品を汚さないでちょうだい」

「大切なものを踏みにじられるような気分になるのは、分かります。ですが、小春さんを救えるとしても、心変わりはしませんか?」

「そんなのであの子が救われるなんて嫌に決まってるでしょ!」


 淡々とした空気が弾ける。感情を爆発させてしまったように、九美の手はテーブルに叩きつけられていた。その勢いで思わず立ち上がっていた彼女は、はっとしたように目を瞠る。静黙とし始めた空気の中、唇を噛み締めてから座り直したら、彼女はそれまで通りの静かな語調で続けた。


「あの子、何かを一人で抱えていたんでしょうけど、それを誰にも相談しないで一人で堪えているのを、強さだと思ってた節があるの。馬鹿みたいでしょ。あの顔だってそう、昔の自分を見ているみたいで、本当に苛々したわ。それでも、自分でお腹を痛めて産んだ子ですもの。愛していたのよ。愛しているのよ。けれどね」


 真っ直ぐに、鋭く研がれた白刃の切っ先が、眼前へ突きつけられる。そう錯覚するくらい剥き出しの怒りに、けれども文月は眉一つ動かさなかった。ただ静かに見返され、唾を飲んだ彼女が、それでも愚痴を聞かせるような響きで言葉を捨てて行く。


「本物を汚して貶して冒涜するような作品に……そんなものに胸を打たれて目を覚ますなんて、それで目を覚ます人間なんて、私はもう娘と思いたくない。贋作なんて、ただ素晴らしい作品を真似ただけのものでしょう? 本物の価値を理解出来ずに偽物に目を輝かせるなんて、そんな子、愛せる自信がないのよ」

「……綴者は、真作に敬意を払い、大筋を拝借して、患者自身の物語を綴ります。基になった作品は勿論素晴らしく、その魅力を借りると言うのは、貴方の言うように真作に対する冒涜に値するのかもしれません。けれどそれは、そこに悪意がある場合のみ、ではないでしょうか?」


 言い返そうとした九美を、文月は目つきだけで制した。彼女が蔓延させている刺々しい空気の中で、文月は場違いなくらい、切れ長の目を柔らかく細める。


「私達も純粋に物語を愛しています。真作を素晴らしいものだと思っています。それゆえ、敬意を払うことや、頭を下げることを忘れません。――御厨さん、文明がここまで発展したのは何故だと思いますか?」

「な、なによいきなり」

「現代にあるもののほとんどは、過去、偉人が残してきたものを基盤に造り上げられたものでしょう? 過去を生きた人間の功績があったから為せたことは、現代に数多くあるはずです。もっと言えば、今私達が簡単に会話を出来ているのも、過去に生まれた言葉が現在まで継がれているからでしょう。貴方はそういったことまで、先駆者を貶していると、馬鹿げた真似事だと言いますか?」

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