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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第三章
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見上げるはよだかの星5

「これは、君が見たという、妹の日記か?」

「ああ。あいつさ……学校でいじめられてたみたいなんだ。それを読んで、初めて知った」


 小さな相槌を返して、文月は日記が始まったページから、流すように読んでいく。


 御厨小春はどうやら、自身の容姿に劣等感を抱いていたようだ。美しい母に、精悍な顔立ちの父と兄を持ちながら、なぜ自分だけ目が小さく、鼻も低く、その鼻の上に雀斑そばかすが散っているのだろうと、鏡を見る度に感じていたという。目が悪いために眼鏡を掛けなければならず、外見のせいで何をするにも自信が持てず、クラスの中心となる人物とは仲良くなれなかった。地味な女子生徒と関わるようになった彼女は、他の生徒に話しかけられることなど滅多になかったみたいだ。


 小春を取り巻く環境が変化を迎えたのは、夏休み明け前に実施された三者面談の後からだという。小春の面談時間の前後だった生徒がどちらも派手な容姿の女子で、彼女達は小春が母親と共にいるところを目撃し、夏休み明けにそれを笑い話にした。御厨小春の母親が美人だなんてありえない、きっと小春は養子か何かなんじゃないか、と噂されて、その噂は小春の胸をだんだんと抉っていった。


 それから、小春の母親がどんな人なのか気になった生徒達が、小春の自宅でもある服飾屋を訪れ始める。そこで小春の兄とも顔を合わせたらしく、クラス内での噂は勝手な想像を膨らませられて更に広がっていく。それでも全て気にしないフリをしていた小春だが、ある時、女子生徒に面と向かって言われたようだ。


 格好良いお兄さんに失礼だから、名前を変えるか本当の親を探しに行くかしたらどうだ、と。嘲笑を向けられる日々に、小春は「こんな私は死んだ方がマシだ」「あの教室に私なんかが行ってはいけない」と何度も日記に綴っていた。


 けれども家族の誰にも相談せず、学校に行き続けたと見受けられる。毎日のように、学校で行われた嫌がらせと、それを受けた自身に対する愚痴、自殺を仄めかす言葉が日記に書かれていた。元々共にいた友達も皆離れていったようで、小春は完全に孤立していた。


 机の中にゴミが入っていることはほぼ毎日で、授業のプリントを回されないことも毎回。小春が体調不良だった日に校門前まで兄が送ってきてくれた時なんて、まだあの家に住んでいるのか、と大きな呆れ声を背中に投げつけられた。ある時は、弁当を奪われたこともあるという。弁当は兄が作ってくれていたものらしく、その情報をどこかから入手した女子生徒が、小春が食べるなんて勿体無いと大袈裟に溜息を吐いて強引に掻っ攫ったそうだ。そんな日々が、何ヶ月も続いた。


 春休みに入る前、読書感想文を書くという宿題を出された小春は、その詳細が書かれているプリントを眺めながら図書室を訪れたみたいだ。読む本はプリントに書かれている五冊の内から好きなものを一冊選んで、と言われたものの、小春はどの本も読んだことがなかったため、一冊一冊確認するように、図書室の中を歩き回る。そうしている間に、同じクラスの女子生徒と鉢合わせた。小春はちらと見られてから、彼女が手に持っていた本を押し付けられた。


 この本、今いじめられてるあんたにぴったりの内容だよ。そんな言葉と共に肩を突き飛ばされて、小春は唇を噛み締めながら彼女の背を見送った。渡された本を不機嫌そうな顔で睨んでから、けれど内容が気になったらしく、結局小春はその本を借りて、持ち帰ったという。


 日記から読み取れる、小春が聖譚病に罹った経緯はこのくらいだった。文月は閉じたメモ帳を御厨に返した。目が合った御厨が、苦しげに笑んでみせる。


「読んだか? 笑っちゃうよな、俺も母さんも父さんも、何も知らなかったんだぜ。いや、両親は今も何も知らねぇけどさ。小春が、ほとんど俺のせいでこんな目に遭ってたっていうのに、俺、何も知らなかったんだ。これを見た後くらいから、小春と同じ制服を着た女を見ると殴りたい衝動に何度も駆られた。小春がいじめられてた時、俺は何も知らずに、小春のクラスメートだっていう女の子と笑って話したことも何度かある。それが全部、こんな風に繋がるなんて想像もしなかった。ふざけんなって怒鳴りたくなったさ。どうしてあいつ、何も言ってくれなかったんだろうな」

「……不安だったから、じゃないだろうか。日記の初めの方から、彼女は自分と両親、兄の容姿が似ていないことを気にしていた。それから学校で、養子なんじゃないかと言われて、彼女は日記で何度も『そんなことない』という言葉を書いている。もしかしたら、そうかもしれない、と、心のどこかで不安を感じていたんじゃないか」

「……なんでだよ。ちゃんと、血の繋がった、大切な妹なのによ。なんで、他人にどうこう言われなきゃなんねぇんだよ。なんで他人なんかの言葉を信じそうになっちまったんだ……」


 御厨が悔しげな眼差しを向ける先に、当然小春はいない。けれども彼の言葉は、他でもない小春に対して、真っ直ぐに吐き捨てられていた。


 唇を噛んで、固まってしまったみたいに俯いたままだった御厨だが、はっとしたように顔を上げる。


「他に、妹について知りたいことはあるか? それだけじゃ足りねぇよな?」

「いや、充分だ。書かれている言葉、筆跡に込められた感情、内容から、君の妹について大方分かった。次に俺がしたいのは、贋作を読み聞かせることに反対していると言う、君の母親と話をすることだ」


 凛と響いて静寂に消えた声を、御厨は頭の中で何度も繰り返した。理解出来ない、と彼が思っていることは、文月にしっかりと伝わっている。彼の、薄く開いた唇の隙間からは、今にも疑問符が放たれそうだった。


 しかし御厨の反応について何も触れることなく、文月はそのまま問いを付け足す。


「先程、君の母親は買い物に出掛けている、と耳にした。この時間に買い物へ、となると夕飯の材料を買いに行ったと考えられるから、そろそろ戻ってくるんじゃないか?」

「多分、そう、だけどよ。話すことはないと思うぜ。俺は母さんを欺いて、お前を病室に招くつもりだったんだ」

「欺く? 俺が綴者だということは伏せて、君の友人であることだけを語る、と? 友人を妹の見舞いに招くのはおかしくないか?」

「小春は、お前の一つ歳下なんだ。もし母さんと鉢合わせちまったら、文月は小春が慕ってた先輩だ、ってことにするつもりだった」


 真剣な面持ちと向かい合い、文月は片方の口端だけを横に引いた。呆れから苦笑を零した文月へ、御厨が文句を言う時みたく唇をへの字に曲げた。それが開かれるより先に、文月は首を左右に振る。


「それは無理があるんじゃないか。それに俺は、騙したり隠したりしなければならないような仕事をしているつもりはない。俺がしているのは純粋な献身だ。人の命を救うことだ。俺は人を救う綴者を、誤解して欲しくはない。患者の御家族なら尚更だ。きちんと理解してもらって、その上で大切な家族の命を、俺に預けて欲しい」


 膝の上に置かれていた文月の手には、紺袴に皺を作るほどの力が込められる。それを目にした御厨から、「けど」や「でも」といった反論を奪うくらい、静かな音吐に強い熱意が込められていた。

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