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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第三章
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見上げるはよだかの星2

 固まったように動かない七瀬へ、文月は椅子に腰掛けたまま、普段通りの声を投げかけた。


「七瀬、ピザかパスタにするか? 和食が良いなら、和菓子屋の向かい側にある店がオススメだ」

「えっ、あー、えっと」

「君は普段外食する時どこに行く?」

「あんまり外食したことなくて。私の家の近くにある蕎麦屋さんには行ったことあるんですけど……でも、外食でパスタってなんかお洒落ですよね!」


 御厨のことを気にしていた七瀬が、これまでの調子に戻ってくる。美味しそう、と感嘆を漏らすと、彼女は頬に手を当てて表情を綻ばせた。


 廊下から顔を出した人物へ、文月が声を張り上げる。


「御厨! 今からパスタを」

「――文月、頼む」


 御厨が、いつもと変わらぬ身なりで現れたかと思えば、真剣さと苦々しさを織り交ぜたような表情で文月を真っ直ぐに見ていた。何食わぬ顔できょとんとしている文月に、御厨は唇を噛み締める。漂い始めた緊迫感に近い空気が、七瀬に息を呑ませている。文月は落ち着いた双眸を細めて彼の言葉の続きを待っていた。


 深く腰を折って頭を下げた御厨を目にし、そこでようやく文月の虹彩に動揺の色が混ざった。


「助けてくれ」


 御厨のその一言が纏う覇気は、繕われたもののように思われる。何かが差し迫っていることへの不安や恐れ――そこから生じる弱々しさが、震えた息から滲み出ていた。


 掛け時計の秒針が十回動いても、彼は上半身を起こそうとしない。文月は席を立ち、黒いコートの裾と左袖を揺らした。彼の正面で足を止めた文月が、小さな溜息を吐き出す。


「君なら、頭を下げずとも俺が頷くことを知っているはずだろうに」

「それは……お前がそういう時に頷くのは、お前の仕事が絡んでるからだろ」

「聖譚病が絡んでいようがいまいが、友人に手を貸すのは当たり前のことじゃないのか?」


 さらりと返されて、御厨は床と顔を合わせたまま、表情を歪ませた。「いいから頭を上げろ」と文月に肩を押される。歪んで行く顔でなんとか苦笑を作って、それを持ち上げた御厨が見たのは、彼の困ったような微笑だ。以前自分が暗い雰囲気を落としてしまった際も、彼はこんな顔をしていたな、と想起して、御厨の瞳がどこか辛そうに歪む。


 その瞳の中で、文月が「さて」と顔から感情を落とした。


「これから、君の店がある通りの、パスタ専門店に行くんだ。話は食べながらでも食べ終えてからでも良いぞ。……七瀬もいるんだが、構わないか? それとも高校生の少女には聞かせられない内容か?」


 いつも通りの冷静な顔をして、文月は廊下の方へ歩き出した。廊下を進んで二階に向かった彼の、淡々とした質問に深い意味はないのだろうが、御厨は思わず笑っていた。


「別に聞かせられない内容じゃねぇよ。まあ、俺のカッコ悪ぃ一面を見せちまうって考えたら、多少は嫌だけどな」

「っ大丈夫です、御厨さん!」


 詰め寄ってきた七瀬に、御厨は一瞬、思わず呼吸を忘れた。彼女の目にはいつだって、その心情が綺麗に映し出されている。世辞や嘘など吐けないような、透き通った硝子玉の両目が、柔らかな弧を描いた瞼で隠された。


「格好悪いところがあっても御厨さんは格好いいですから!」


 御厨の耳の奥に、幼い少女の声が蘇った。彼の思い出の大半を占めていた少女が、揺れた視界で七瀬に重なる。御厨は目頭を押さえて、「ありがとな」と呟くと、廊下の方へ進み始めた。


     (二)


「妹が、聖譚病なんだ」


 御厨が話を始めたのは、文月がカルボナーラを食べ終えてからだ。御厨はあまり食欲がないのか、目の前にあるぺペロンチーノを半分も食べ進めていない。御厨の隣で食後のアイスを食べていた七瀬が、スプーンを咥えたまま数秒固まっていた。


 文月はグラスに入ったアイスコーヒーをマドラーで混ぜながら、表情一つ変えずに唇を開く。


「いつからだ?」

「……五年前。お前が、ここに来る少し前からだ」

「……それで、君は……」


 御厨が聞き逃してしまいそうなくらい、小さな独り言が零された。個室の為、他の客の声が大きく聞こえては来ないが、文月の吐息に近い声付きは、七瀬のスプーンが皿に当たった金属音で掻き消されてしまう。


 御厨と初めて出会った日のことを、文月は思い起こしていた。文月が書川町に来た日は、近隣の住民や噂を聞いた町民が菓子折りなどを持ってきたが、翌日になればわざわざ家まで訪ねて来る者はいなくなっていた。一人の時間を読書に費やし、一週間が過ぎようとしていた中での唐突な訪問は、だからこそ文月の記憶に色濃く残っている。扉をくぐって来た御厨があまりに疲弊した顔をしていたことも、それを繕って苦笑を浮かべたことも、慌てたような口ぶりも。文月を軽んじたことも。


 御厨が隠したいと思った全てに気付いていて尚、文月は疑問以外の思いを抱かなかった。過去に抱いた「何故」という疑問がようやく解かれ、文月は苦笑する。


「君は……ずっと一人で悩み続けていたのか」

「……あぁ。馬鹿みたいだろ。お前と何年もいる内に、お前が良いやつなのも、信用出来るやつだってことも分かっていった。それでも、変なプライドみてぇなもんがあって、多分お前に劣等感を抱いてたから、助けてくれなんてすぐに言えなかったんだ」

「そうか。……五年も、よく頑張ったな」


 文月の柔らかい声に、御厨は卓上に落としていた顔を上げるも、すぐに俯いた。呆れられるか、患者をずっと隠していたことを怒られるかと思っていた御厨は、文月の微笑を見ていられなかった。


 文月に揺らされたグラスの中で、氷が清涼な空気を溢れさせる。


「それで、何があった?」


 御厨は、自分が助けてくれと請うに至った経緯を思い返して、唇を一文字に結んだ。冷めてしまったペペロンチーノの隣に置かれているコップを持ち上げ、乾いてきた口内に水を含んで、それからゆっくりと話し始めた。


「……小春こはる――妹が、今年中に目覚めなかったら、安楽死させようって母親に言われたんだ。贋作を読み聞かせなきゃ目覚めるわけないって言っても、母親が、きっといつか目覚めてくれるから、贋作なんて読み聞かせるなって言い続けてきた。綴者を呼んでも、母親に追い返されるだろうなって思って呼べなかったんだ」

「他にも、理由があるんじゃないか?」


 それは根拠のない、文月の勘のようなものだった。それゆえか、遠慮がちな声量になっていたが、その勘は当たっていたようで、御厨がすぐさま口を開いていた。彼は、考えを纏める為と思しき閉口を挟んでから、訥々と言問う。

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