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贋作聖譚伽  作者: 藍染三月
第一章
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辿るは夢十夜2

     (一)


 特別と思える書物に出逢った時、突然意識を失い、寝たきり状態になる。暫くすると譫言うわごとで詠うように、その作品を朗読し続ける。そうなった者が自然に目覚めることは無い。


 それが聖譚病と呼ばれる病だ。その病の原因となった書物のことは聖譚と称されている。


 聖譚病を治せる医者のような存在を綴者ていしゃと言い、その名を知っている者は少なくないが、そもそも聖譚病が珍しい病の為、綴者がどのように患者を治療しているのかはあまり知られていない。


 故に、御厨から詳細を聞き、綴者として訪れた文月を、患者の母親が戸惑ったように見つめていた。


「え、ええと、綴者様、ご足労頂きありがとうございます。御厨さんも、綴者様に連絡して下さって、本当に感謝しています。それで、あの、私は何を準備すれば……いえ、その前に治療費はどれくらいかかるのでしょうか? 病院に入院させたりするんですか?」

「治療費は野口英世一枚で結構です」

「千円って言えばいいだろ」

「明確な値段を口にするのは憚られたんだ。案内人は黙っていてくれ」


 文月は不服そうな顔の御厨を鋭い目で睨んでから、微笑を浮かべて女性に向き直る。


「お嬢様がどのような治療を受けるのか、やはり不安ですよね。治療に関しての説明は中でさせて頂いてもよろしいでしょうか? もうすぐ冬ですから、玄関先では冷えるでしょうし、ずっと立ったままで貴方を疲れさせるわけにはいきません」


 紳士的に振る舞う文月に、女性はどこかほっとしたように頬を緩めると、入るように促してから廊下を歩み始めた。


 右手側の一番手前にある和室に通され、文月はテーブルの前の座布団に腰掛けた。その隣に御厨が座る。


 茶を載せた盆を手にしてきた女性は、文月の正面に膝を突くと、温かい茶をそっとテーブルに置いた。


「えっと……申し遅れました。私、榊田光恵さかきだみつえと言います。娘は、七瀬ななせです」

「あぁ、こちらこそ名乗るのが遅れて申し訳ありません。綴者の、文月八尋です」


 右手でゆっくりと湯飲みを持ち上げ、息を吹きかけて少し冷ましてから、文月は茶を一口喉に流し込んだ。それをテーブルに置き直した後、薄れて行く茶の匂いと別の香りが混ざったことに気が付く。入室した際には香りなど気にしていなかったため、線香が上げられていることに文月は気付けなかった。


 榊田の斜め後ろにある仏壇には、若い女性の写真が飾られていた。女性は鉢植えを手にしており、紫色の花を頬に寄せて笑顔を咲かせていた。


 その人物について問おうとしたが、それよりも説明が先と判断して、文月は視点を榊田の方に戻す。


「さて、治療についてですが、お嬢様が聖譚病になってしまった原因の書物の贋作を、綴者である私が書きます。聖譚病患者は夢の中で、その物語の主人公が自分であると思い込み、けれども物足りない自分らしさを探してひたすら彷徨い続けてしまっているんです。それに、作品の終わりは現実の患者の人生には繋がらないので、夢の中で物語を何度も辿り続けるしかありません。綴者は患者を主人公にし、その作品に似せた、患者自身の物語を綴ります。目覚めた後に繋がるよう、目覚めに導くような結末を書かせて頂きます。そうして書き上げた贋作を患者に向けて朗読し、患者がその贋作を気に入ってくれれば、意識を取り戻すはずです」


 淡々と、聞き取りやすい速さで語る文月は、説明することに慣れている印象を榊田に与えた。未だ不安や警戒に似た、微かな強張りを顔に残していた彼女。しかし文月のことを、何人も治療をしてきた綴者なのだろうと感じてか、徐々に信頼の色を見せ始める。


 そんな文月が綴者として仕事をした回数は、これでようやく五本の指で収まらなくなった程度だ。それを知っている御厨は、文月の冷静そうな表情の裏に蔓延る緊張を垣間見て、くすりと笑っていた。


 娘が危険に晒されるようなことが一切ないのだと、今の説明で理解出来た榊田だが、確認するように文月へ尋ねる。


「何か、検査や手術をしたり、入院させたりは、しないんですよね」

「今の所その必要はありません。少々私に時間と情報を下されば、それで結構です」

「情報……?」

「お嬢様――七瀬さんを主人公とした作品を書き、七瀬さんに気に入って頂けないといけないので、彼女がどういった人物なのか教えてもらいたいんです」


 あの子は、と小さく漏らして、薄い唇を引き結ぶ榊田。言葉を纏めているのであろう彼女に、茶を一口飲んだ文月は付け加えるよう、言った。


「それと、七瀬さんのもとに案内して下さい。彼女の聖譚の朗読を聞きたいんです。お話は、後ほどお聞きしますね」

「わかりました。えっと……」

「あ。……はい、今からお願いします」


 榊田の視線が注がれる湯飲みを手に取り、すぐさま中身を嚥下したら、文月は立ち上がった。床に置いていたアタッシュケースを持ち上げて、廊下へ出た榊田の背を追いかける。


 足音が付いてこないことを不思議に思った文月が振り返ってみれば、御厨はゆっくりと茶を飲んでいた。彼をそのままにして、文月は、廊下を真っ直ぐ進んだ先にある一室に通された。


 畳に白い布団が敷かれ、一人の少女が、陽の当たる場所で眠っている。桜色の唇が小さく動いて、微かな物語を確かに紡いでいた。


 文月は鞄を床に置くと、コートのポケットから腕時計を取り出し、時間を確認した。


「少しの間、七瀬さんと二人にさせて下さい。大丈夫です、何もしませんよ。人が居ると、物語の構想が上手く浮かばないので」


 苦笑を向けられた榊田は、こくりと一つ頷きを返して、部屋を後にした。文月の黒目が右に左にと動き、室内をじっくり眺める。物は何も置かれていない整頓されている部屋の為、さほど観察するような場所もなく、すぐに七瀬の傍に腰を下ろす文月。


 人目を憚って歌うような、小さく可憐な声に、彼は目を閉じて聴き入った。


「――百年、私の墓の傍に坐って待っていて下さい。きっと逢いに来ますから」


 七瀬は、泣き出しそうにも聞こえる音吐を伴って台詞を落とす。その言葉だけで、文月は彼女が夢十夜のどの部分を読んでいるのかは分かったが、今読み上げられている第一夜だけに魅了せられたのか、それとも第十夜までなのかを判断するべく、耳を傾け続ける。開けられた障子の向こうの窓硝子を通り抜けて、外から鳥の鳴き声が聞こえてくるけれど、それすら届いていないくらい、文月は今彼女の声だけを外耳道に通していた。

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