第九十九話 託された物
ジュンはただ今、料理の真っ最中である。横ではいつものように、ルークが手伝いをしている。
「これはすごいですね。野菜も肉も全部捨てるところで作っていたんですね?」
「うん。もったいないでしょ? このブラウンソースは、結構人気があるんだよ」「それにしても多くないですか?」
ジュンは味見をしてから、うなずいた。
「うん。竜王の好物は、このソースで作ったシチューだからね」
「あぁ。それでこの量のフライなんですね? 実家の宿でも、こんなには揚げませんよ。メンバーの分も揚げるから、後が楽ですけどね」
揚げ物は長時間そばにいると油で酔う。そこでジュンはルークに半分の量を助けてもらったのである。
「竜王は生肉ばかりを食べているからね。たまには魚もいいでしょ?」
「火を使って料理をしないから、珍しいんでしょうね。暖かくなったから、そろそろシロも遊びに来てくれますよね。寒いとぼくらが外に長くいられませんからね」
「確かに、冬は外遊びがきついよね」
ジュンは石窯の中からピザを取り出すと、手際良く切れ目を入れた。
「おお。良い感じに焼けた。ルーク、ちょっと休憩しようよ」
二人でピザを口に入れて、目だけで笑い合う。
「チーズはセレーナに選んでもらうと外れませんね。本人は食べませんけど」
ルークは流れ落ちそうなチーズを、器用にまとめながら言った。
この世界のチーズは作る家により、味が大きく変わる。皆が喜ぶチーズの匂いをセレーナは覚えていて、購入に立ち会うようになってから、拠点のチーズに外れはなくなったのである。
「獣人族は鼻がいいからね。そう言えば、いなり寿司はあったかなぁ?」
「ありますよ。セレーナは最近、肉そぼろのいなり寿司が気に入っているようです」
「そう。トレバーに大豆を仕入れてもらわないとね」
ルークは思い出したように告げる。
「トレバーとミゲル様は、今忙しいですよ?」
「事件はないでしょ?」
「訓練場の入り口を大改造するらしいです」
ジュンは不思議そうに首をかしげた。
「なんで?」
「雪の日にシロが遊びに来ましたよね。帰る姿が寂しそうだったと、ミゲル様が言っていましたね。ぼくには元気に帰ったように見えましたけど」
ルークの言葉にジュンはうなずいて笑う。
「皆と交代で相手をしたから、シロは楽しかったと思うよ。ただ、ミゲル様はシルキーに出してもらえなかったでしょ? 多分自分が寂しかったんだよ。ミゲル様を爺ちゃんと呼ぶ勇者はシロしかいないからね」
「なるほど、それでシロが入れるように、入り口を広げたいんですね」
「そうなの?!」
ジュンは目を丸くしてから、諦めたように続けた。
「明日にでも手伝うよ。その内に、シロを泊めるとか言いだしそうだしね」
「え? とっくに言ってますけど? 皆も楽しみにしているようですよ」
「……。そうなんだ」
ジュンは大きなため息をついた。
春とはいえ、未知領域にある山々の山頂には雪がある。
その中でも一際高い竜王の住み処がある山は、雪がまだ深いのだが、彼らの住む洞窟の周りだけは、結界があるので暖かい。
竜王とシロは食事を終えて、ジュンとのんびり世間話をしていた。
今夜は水竜の所に行く予定だったシロに、ジュンはフライなどを持たせた。
『ジュン、ありがとう。ゆっくりしていってね。また遊びに行ってもいい?』
「大歓迎だよ。皆も喜ぶ」
シロはすっかり上手になった、片足の指で丸を作る動作を、得意気に披露して、飛び立って行った。
シロの姿が見えなくなって、ジュンは思い出したかのように、遺跡の話をした。
『ほう。古い骨が見つかったのか。儂もその辺りは生まれていないな』
「竜はイザーダ神の世界から?」
『いや。我々はその前からだな。人の言う魔物は、イザーダ神の作ったものではないからな』
竜王の言葉にジュンは難しい顔をして聞いた。
「えぇと……。では、竜王たちは別の神様が連れて来たんですか?」
『我々はこの星から生まれたのだ。人の言うダンジョンからな』
「竜もですか?」
『そうだ。この世界にいる人族以外は、祖先は皆ダンジョンから出て、進化したものだ』
「じゃあ、漂流期とイザーダ世界の間に誕生したんですね」
『だろうな。ノーア神の頃は、魔物は大人しかったとスプリガンが言っておった。星が歴史を重ねる度に、魔物は凶暴になったようだな』
「そう言えば、スプリガンに会いたい時は、どこに行けばいいんでしょう?」
『儂はふらりとやってくるまで、待っておるが、用があるなら呼んでやるぞ』
ジュンは小さく首を振った。
「いえ。人間嫌いな方ですからね。彼のように霊になって、今もイザーダにいる妖精がいるのかなぁと思いましてね。家に妖精がいるせいなのか、何か気になるというか、探さなくてはいけない気持ちになるんですよ」
『そうか……人でも感じられるほどか』
竜王の言葉に、ジュンは驚いたように目を丸くした。
「どう言う事ですか?」
『儂らには、人にはない感覚がある。人より危険の察知が早いのだ。長寿の魔物は気が付いているだろうな。大きな災いが、少しずつ近付いている。何年も掛けてゆっくりゆっくりとな』
ジュンは慌てたように尋ねた。
「避けられないのでしょうか?」
『なにが、どのように来るかが、分からないのだ。分かっていたら、儂が何とかしている。妖精が気になるのなら、スプリガンに会うと良い。ジュンはあれが気に入った唯一の人間だからな。呼んでやろう』
スプリガンは大きな杖を持ち、小さなお爺さんの姿で現れた。
「久しいな、人の子よ。ジュンと言ったか」
「お久しぶりです、ジュンです。その節はアダマンティウムをありがとうございました。お陰で良い剣ができました」
「そうか。シルキー殿は息災か?」
「はい。僕や仲間たちと、楽しそうに暮らしています」
シルキーが気掛かりだったのだろうか、スプリガンは優しく目を細めた。
「そうか。世界樹が若ければ、新たな同族が増えたやもしれんがな。言ったところで詮無き事だな」
「そうですか。世界樹から生まれると、確かにシルキーに聞いたのですが、若い世界樹から生まれるのですね」
ジュンは少し残念そうにつぶやいた。
『ジュンよ。聞きたい事は良いのか?』
竜王に言われて、ジュンは慌ててスプリガンを見た。
「そうそう、スプリガン。妖精の霊ってスプリガンの他にいないのでしょうか? 鍵を開けられる戦士とか、まだいそうな気がするんですが」
「なぜそれを知っておる?!」
スプリガンが驚いたように尋ねる。
「あぁ。僕はその鍵を見たんです。ノーアとバーダンの事もその時に……」
ジュンは竜王に話したように、スプリガンにも遺跡の話をした。
「シルキーは生きている妖精は感知できるけれど、霊の妖精は無理なようなんです。でも、僕はなぜか探さずにはいられない……。すごく気になるんです」
スプリガンは懐から鏡で出来ているかのような、銀色の腕輪をだした。
奇麗な彫り模様などはなく、穴が空いているシンプルなデザインだった。
その腕輪からは、キーンと甲高い音が鳴っている。
スプリガンは節くれた、シワだらけの指に付いている長い爪で、その指輪をジュンに近づけた。
「はめてみるが良い」
「え? あ、はい」
言われるがままに、腕輪を受け取ってはめたジュンは、スプリガンを見た。
「音が止まった……。どうして?」
「それは……。尊きお方の腕輪だ」
スプリガンが慈しむように腕輪を見るので、ジュンは困った顔をした。
「あ、すみません」
「それはお主が身につけておれ」
スプリガンは髭だらけの顔で、少し笑った。
「大事な物ですよね? 僕なんかが付けて良い物でしょうか?」
スプリガンはうなずくと言った。
「世界樹の腕輪だ。この腕輪が主を選ぶ。尊きお方が、儂に託されたのだ。腕輪が呼ぶ者の元へ届けよと……。まさかジュンとはな……」
「待ってください。この腕輪のために僕は、何をすれば良いのでしょうか?」
「腕を出せ。そのまま見ておるのだぞ」
スプリガンは自分の身長ほどもある大杖を、空に向けた。
たちまち暗雲が立ち込めると、雲から引きずり出されたように稲妻がその大杖に爆音と共に吸い取られた。
スプリガンの杖の先に、小さな金色の玉が、ふわふわと浮いている。
その玉は静かに、それでも真っすぐにジュンのそばまで来ると、自分の居場所を見つけたかのように、腕輪の穴に収まって動かなくなった。
『ほぉ。良い物を見せてもらった。ただの呑兵衛は辞めたようだな』
「え、これは? スプリガン、あなたは……」
竜王の言葉で我に返ったジュンに、スプリガンは少し笑う。
「妖精五戦士。守りの隊長をしておった。我々はバーダン族の前では無力だった。大きな魔力、武力から守って下さった方が消えぬように、我々は全魔力を注ぐしかなかったのだ。五戦士は霊になって部隊のあった場所におる。その腕輪が教えてくれるだろう」
「僕は五つの妖力の玉を、集めれば良いのでしょうか? しかし、何のためにですか?」
「我々は、取り返しの付かない、間違いを犯していたのだ。それに気付かずに、ただバーダンの召喚師を追っていた。最後に残った、我々の敵だったのでな。お主には感謝をしておる」
「いいえ。僕はノーアの皆さんを知りませんでしたので。あの時は世界樹と妖精湖を守る事しか考えていませんでした。敵討ちの邪魔をした形になってしまい、申し訳ありません」
「霊になった我々が奴と争うと、この世界に害をなした事だろう。我々はバーダン族と同じようになるつもりはないのだ。我々はノーアの民、この世界にあってはならない者なのだ。尊きお方のように、世界樹と妖精を慈しむお主だからこそ、腕輪がお主を選んだのだ。この世界を守るために妖力の玉を集めるのだ。我々五戦士が最後の仕事に赴く前に。世界樹の腕輪がそれを望んでおる」
「最後の仕事とは?」
「ノーアの民にも事情がある。聞くな……」
「シルキーは、知っているのですか?」
「彼女は既にイザーダの民だ。契約者がイザーダの民なのだから。シルキー殿には腕輪が選んだお主もおる。頼んだぞ」
「はい」
スプリガンはその後、竜王と酒を飲み。ジュンは酒のつまみを作りながら、昔話や武勇伝を聞いていた。
ジュンがふと見上げたその先には、おぼろ月だけが、はかなげに浮かんでいた。