第九十八話 横恋慕
ジュンの婚約は、次の朝には拠点のメンバー全員が知っていた。
クレアを拠点で保護していた事もあり、誰もが驚く事もなくジュンに祝福の言葉を掛けていた。
クレアがメンバーから好意的に受け入れられている事を知り、ジュンは嬉しそうな笑顔を浮かべた。
婚約をしてから、一週間が過ぎた頃。
ジュンはレオに呼び出され、ヘルネー城の離宮に転移した。
「お待たせしましたか? 急いできたんだけど」
「いや。それより、婚約おめでとう。出会ったころ、プレゼントを贈っていた女性だろ?」
「ありがとう。うん。ちょっと訳があって、早く婚約をする事になったんだよ」
「ゼクセン国の第三王子オーウェン・エスカランテだろ?」
「なぜ知ってるの?」
ジュンは婚約をしたことを、まだ誰にも言ってはいなかった。それを知られていて、なおかつ事情も知られていることに驚いたようである。
「俺のすぐ下の弟、名前はエルマーって言うんだが、それの友達なんだ」
ジュンはそれを聞いて、顔を曇らせた。
「ふぅん。それで何を頼まれたの?」
「いや、エルがな。ジュンがオーウェンの婚約者を寝取ったと言うからな。そんな奴じゃないって言ったら、会わせろと言い出してよ。突き放したら、オーウェンが乗り込んで来て、今度は二人で会わせろと言い出してなぁ」
ジュンは不快な顔で言った。
「僕の婚約者は、ゼクセンの第三王子と婚約してはいませんよ。彼の婚約者が誰かも知りません。たしか、貴族のご令嬢でしたか? 僕は、貴族に知り合いはいません。そもそも会った事もないのに寝取ったとは心外です」
レオはジュンの不快な表情が、理解できなかったのか話しだした。
「いや。クレア嬢の事だ。二人にあってやってくれないか」
「人の婚約者に勝手に熱を上げて騒いでる人と、なぜ会わなければいけないんです? そういうのは横恋慕と言うんです。お断りしてください。嫌です」
「だがよ。ジュンが悪くないなら、会っても良いだろ?」
遠回しに言っても通じなさそうなレオに、はっきりと断ったのだが、それすら気にしていないような発言に、ジュンはため息をついた。
「レオ。何も分かっていないんだね……。僕たちは友達だけど、お互いに立場があるんだよ。そして彼らもね。僕は友人以外と会う時は、記録をとるよ。それは、保管されて、要請があれば開示される。ここまでは分かる?」
「あぁ。ジュンの解決する事件には、動かぬ証拠がいつもあるからな」
「彼らと個人的に会う事はできないよ? 二人とも王族だからね。彼らと問題を起こすことは僕には許されない。その上でどうしても会いたいというなら、レオの顔をたてるよ。二人が王の許可を得る事ができればだけどね」
「そこまでする事か?」
レオは納得ができないようで、ジュンを見る。
「じゃあ、聞くけど。僕は正式に婚約したんだよ? なぜ会わなければならないの? レオ、彼らは僕に会って何がしたいのか、考えれば分かる事だよ。二人に話したら、結果を教えて……。僕は帰るよ」
「あぁ」
ジュンがレオに見せた、初めての怒りの表情に、レオは理解が追いつかないようで、ジュンが去って行った転移陣をしばらく見つめていた。
それから二日後。
レオから連絡がきたので、ジュンは再び離宮を訪れた。
「ジュン、婚約おめでとう」
ダンが笑顔でジュンを迎えた。
「ダン、ありがとうございます。なぜここに?」
「レオがお手上げだって、連絡してきたからね。私が来たんだよ」
少し笑って告げるダンに、ジュンは困った顔でレオを見てから言った。
「すみません。お忙しいところを」
「大切な友の婚約に、ケチを付けられたら、たまらないからね。オーウェン第三王子とエルマー第三王子には、レオと私から、親の許可を得るように言ったよ。おそらく許可はとって来ない。なぜなら許可は下りないからね。それを知っていて、ジュンはレオに告げたんだよね?」
笑顔でジュンを見るダンに、ジュンは答えた。
「そうです」
「おまっ……」
「レオ、ジュンは心配したんだよ。君はすぐに巻き込まれに行くからね」
ジュンは諦めたように、一つ息を吐いた。
「口出しは一切無用です。たとえ何があってもです。二人の目が、僕の盾です。お二人を待たせているんでしょ? 良いですよ、入れてください」
三人は挨拶を交わした。
オーウェンは、レースとフリルを使った、いかにも王子様と言う身なりである。この場はジュン以外は皆王子なのだが、彼だけは際だっていた。
濃い茶色の瞳と巻き毛が印象的だが、年齢より下に見えるのは、ふっくらとした体つきのせいかもしれない。
レオの弟であるエルマーは、レオと同じく金の髪と瞳である。
兄と二歳しか違わないのだが、どことなく幼さが残っているのは、まだ学生のせいなのだろう。
いつまでも口を開かない二人に、ジュンが声を掛けた。
「お話があると伺いましたが? ご発言は記録が残る事はご存じですね?」
エルマーが即座に答えた。
「兄上たちから聞いている。ボクたちに恥じる事などない。卑きょう者の貴殿はそれで良いのだな!」
レオの拳がエルマーの頭を直撃した。口を出すなとジュンに言われたからなのだろう。ダンがあきれたように首を振っている。
「兄上、痛いです……」
「手が滑った。朝食のバターのせいだ。後でバターを叱っておこう」
涙目の弟と視線も合わせず、レオはそっぽを向いた。
オーエンはジュンをにらみ付けた。
「貴殿はクレア嬢の婚約者に相応しくはない。聞けば、特務隊にいるそうじゃないか? いつ死んでもおかしくない仕事をしているような荒くれ者に、クレア嬢を幸せにできると思っているのか? 私ならどのようなぜい沢だって、させてやれるのだぞ。どちらが夫に相応しいか、考えるまでもないことだ」
「ボクたちは、いずれ爵位をもらえる。クレア嬢は何不自由なく暮らす未来が、約束されている。貴殿にそれができるのか?」
得意気なエルマーの言葉に、オーウェンは胸を張り告げた。
「自分の立場が分かっただろう。私に対抗意識を燃やしても、無駄なのだ。クレア嬢との婚約は破棄してもらおう。彼女には私こそが相応しい」
ジュンは退屈そうに言った。
「お断りしますよ。馬鹿らしい」
「なにっ! 私は頼んでいるのではないぞ。平民に断る権利はない。ダンカルロ様やレオナルド様に目を掛けてもらっているからと、調子に乗っているようだが、勘違いをするな。ここはヘルネー城だから、我慢をしてやるが、切り捨てられても文句はいえないのだぞ」
オーウェンはジュンの軽い挑発で、簡単に逆上したようである。
「面白いですね。特務隊を荒くれ者と言った口で、切り捨てると言う。自分のお金も持っていないくせに、ぜい沢をさせると言う」
言われた意味を理解できない様子の二人に、ジュンはため息をつく。
ジュンはおもむろに倉庫から石を出した。それは一抱えほどある石を二つに切った物のようで、底が平らになっている。
「では、これを二千万セリで買ってもらいましょうか。クレアが欲しがっていた石です。ああ、宝石の原石ではないですよ。クレアが欲しがっていたので、テンダル国で仕入れた物です。この切り口が見事でしょう?」
オーウェンは動じずに言った。
「ふん。そのような石が何の役に立つのだ。もっと良い宝石を私なら贈る」
「クレアが欲しがっているのは、この重石です。私は働いていますので、この石を買う事ができます。クレアの喜ぶ顔を見るのが楽しみですね。だが、あなたたちは、宝石やドレスを贈る事ができても、クレアが一番欲しいこの石は買えません」
ジュンは石を片付けて続ける。
「城のお金は、民の血税ですから、重石の購入許可は下りません。王家の財産は王が管理しているので、自由には使えないですよね。勘違いしているようですが、あなたたち自身は、無一文なのですよ?」
二人の悔しそうな顔を見て、ジュンは言った。
「僕は最初に記録を残すと言いました。ギルドと特務隊を荒くれ者とさげすむ国に、僕は力を貸す気はありません、ギルドはお二人の国から退去するでしょうね。謀反が起きても、災害級の魔物が現れても、お二人は対処できるんですね? 助かりますよ。依頼が多くて忙しいですからね」
記録の意味がようやく理解できたのだろうか。少し顔色の悪い二人に、ジュンは笑顔で言った。
「切り捨てるのは、無理でしょうね。僕は見かけよりは強いですよ? やってみますか?」
そこでレオが口を挟む。
「すまん、ジュン。ここらで勘弁してやってくれ」
「いいえ。許しません。僕は正式にギルド総長より、婚約を認められています。ギルド総長を王家の方が否定したのですからね。それと二人の命は諦めてください。婚約者のためにも、黙って切られるわけにはいきませんからね」
とうとう、うつむいた二人の頭越しに、ジュンはレオに目配せをした。
レオはジュンの視線にうなずくと言った。
「ジュンは本気で怒っているようだ。エル、なぁにお前ならジュンに頼らなくても、この国を守れるよな? 頼りにしているぞ。俺はジュンにはかなわないから、協力はしない。ジュンを切り捨てて、一人で国を守れ。頑張れよ。声援はしてやる」
声援を送られたエルマーは、すがるようにレオを見た。
「兄上……」
「俺は何度も、忠告したはずだ。友が道を間違えたら正すのも友だと。獅子族が友にもなれず、腰巾着に身を落とすとはな。恥を知れ!」
ジュンは二人を平然と見て言った。
「お二人は、レオナルド様やダンカルロ様から、王の許可を得るように言われていますよね? なぜ従わなかったのですか? 王族であるあなた方の一言で、国民が迷惑を被り、王家が信頼を失う事にもなるのです。王子としての自覚が足りていない気がします」
離宮の入り口がにわかに騒がしくなった。
どうやら二人の迎えが来たようである。
各王の重臣であろう人物が、王子の処罰後に謝罪に伺うと言われて、ジュンはため息をついた。
「このような事で、遺恨が残るのは互いのためにはなりません。お二人は、騎士団に入団される予定と伺っております。できる事でしたら経験のためにも、入団前に冒険者ギルドに入り、王家の協力なしに、民の中で暮らす経験を積んでいただきたいと思います。自分で働き生活する民を、見下す姿勢に不安を覚えます。それでも僕は未来の彼らが、民から尊敬される王族になっている事を願っています。二人をお連れください」
ゼクセン側の高齢の人物が、驚いたように顔を上げた。
「温情を感謝いたしますが、そのような軽い罰で許されるのでしょうか? 王家としては、王城が池に変わる事だけは、お許しいただきたいのです」
「軽くはないでしょう。彼らが乗り越えるのは難しいと思いますよ。王家を名乗る資格があるかどうかは、その後に判断されても遅くはないと思います。世間を知らないのは、お二人だけの責任ではないと思われますので。僕はまだ、池を楽しむほど年を重ねてはいませんよ」
そう言って、ジュンは二人を見て柔らかく笑った。
引きずられるように連れて行かれた二人を見送って、ジュンはレオとダンに茶を入れた。
「しゃべり過ぎると喉が渇くよね」
ダンはお茶を一口飲んでから言った。
「良かったのかい? 軽くても継承権剥奪、王家追放だろう? 犯罪者として処罰されても不思議じゃない。王会議の結論はその辺りだと思うよ」
レオが肩を落として言った。
「すまねぇ。俺がもう少し考えるべきだった。ジュンに言われたのになぁ。気楽に考えていたんだ。ダンに言われるまで、理解ができなかった。俺の弟だから罪を軽くしてくれたんだろ? 本当にすまない」
ジュンはレオを見て小さく笑った。
「面倒事はもうごめんだよ。でもレオの弟だからじゃないよ。僕の婚約者がこの事件を知ったら悲しむでしょ? 泣いたらどうするの? それに人を愛せるなら、彼らにもいつか相応しい人が現れる。自分が主役の恋をしてほしいよね。で? レオとダンはまだなの?」
レオとダンは同時に横を向いて、お茶を飲んだのであった。