第九十五話 シルキーと遺跡
数日後。
ジュンはアルトロアの小さな町から出ている、雇用ギルドの馬車に揺られていた。
遺跡が見つかった場所が、未知領域であるため、魔物の防御用の塀を巡らす、日雇い労働が雇用ギルドに張り出された。
農閑期である冬場は、土木系の日雇い労働は人気がある。
ミゲルが、ある人物の極秘調査のためだとギルド長に協力を頼み、ジュンを一日だけ雇い入れてもらったのである。
忘年会の後、シルキーの話をミゲルにしたのだが、イザーダの歴史を大きく変えてしまう事になるという結論に達して、取りあえず、三人で秘密裏に動く事にしたのだ。
北にあるアルトロアは雪が積もっている。この辺りは積雪が少ない分、寒さが特に厳しい。
ホロはあるにしても、馬車の中でじっとしているのは寒い。息を吸うと小鼻がくっつき、マツゲが凍って、まばたきがしづらい。
北国の労働者は耳と首を守るようにマフラーを巻き、似たような上下の服を皆が着ている。それは、短毛の魔物の毛皮で、内側に毛がくるように作られている。もちろん、ジュンも古着屋でそれを購入した。
大きな体が着膨れで、割り増しになっている男たちと、普段であれば近づきたいとは思わないが、隣に座る者がいるだけでも、温かいのだから、互いに横にいる者との距離が縮まる。
しゃれた会話も無駄話もないが、険悪な空気もないので、居心地は悪くない。
全員が馬車を降りた所で、ツルハシやスコップ、バケツなどを手渡され三十分ほど歩く。道のない岩場では、馬車は進めない。
同行しているギルド職員同士の話にも、ジュンは耳をそばだてていた。この遺跡は冒険者が休息に使った洞窟で、偶然に発見されたようである。
どうやら、貴重な物は地下にあるらしく、石に囲まれた箱の中で発見されたようで、春までに内部をしらべ、その後、外を掘るようである。
洞窟の入り口の周りを塀で囲い、作業用の小屋を建てる予定らしい。
学者たちが、未知領域で貴重な発掘をするのだから、安全は確保しなければならないのだろう。
ジュンの仕事は、雪をどかして土を掘る事だ。ひもとひもの間を、決められた深さまで掘るのである。
冬なので草は茂ってはいないが、しっかりと根が張り巡らされていて、穴を掘るのも容易ではない。
にわか労働者であるジュンは、身体強化の魔法をかけ、手の豆の治療をしながら、穴を掘っていた。
昼の時間は、ギルドの職員が、熱い茶を金属のカップで配る。
持ってきたパンや干した肉や果物で食事をするが、外気を避けて自分で掘った穴の中で休む者が多い。
ジュンはルークに用意してもらった、標準的な昼飯を食べていた。
人目に付きたくない時には、隠れるより普通の中に身を置く方が、確かに良いだろう。
「初めてにしちゃあ、良く頑張るな」
馬車の隣にいた男が、隣の穴から声を掛けた。
「ありがとうございます。初めてだって分かりますか?」
「そりゃあ、皆が分かったろうよ。キョロキョロと人を見てから動くんだから」
男は笑いながら言った。
「そうですよね」
恥ずかしそうに言うジュンに、男は笑みを深くした。
「これだけ掘れていれば上等だ。分からない事があったら聞け。知ってる事なら、教えてやる」
「ありがとうございます。お茶のお替わりはないのでしょうか?」
皮の水筒をルークに持たされたが、寒い屋外では、温かい飲み物が欲しくなるのは誰もが同じである。
「現場により違う。ここはすぐに片付けたから無しだな。見回りもしないから、穴の中や、石を捨てる場所で休憩している者がいる。初心者には良い現場かもな」
男の含みのある笑顔は、適度に手を抜けと言っているようで、ジュンは分かったとばかりに笑顔を返していた。
日が沈む前に、本日の作業は終了した。
ジュンは、石捨て場所の石の間に転移陣を隠して、皆と一緒に現場を離れた。
この場所は、深夜は無人になるようで、作業道具は持ち帰る。
洞窟の入り口は、結界が張られていた。警備の身の安全を考えると、場所が場所だけに、それが最善の方法だろう。
町に着くと、ジュンは雇用ギルド長の部屋に顔をだした。
「働かれたのですか?」
「ええ。僕がいたせいで、一人分の仕事が遅れては、ご迷惑になりますから」
「はぁ……。見ているだけかと思いましたので、部下には言ってあったのですが」
「あんな寒い所で、黙って座っている部下の方は、大変でしょうね」
「はい? 今なんと?」
ギルド長が目を見開いて、ジュンを見た。
「御者の方と、二人の職員は馬車にいましたね。お昼に一度だけお茶を配って、職員の方は交代で馬車に戻りました。ただ、座っているだけなら、一人で残れば良いのに、ギルド職員の方は真面目ですよね?」
「大変申し訳ありません」
「え? どうしたんですか?」
突然のギルド長の謝罪に、ジュンは首をかしげた。
「本人たちには再度、教育をいたします」
ようやく、ギルド長の言動が理解できたのか、ジュンは言った。
「あぁ、あれが本来の仕事の仕方ではないのですね? お昼のお茶は、お替わりが欲しかったですよ。温かいお茶は嬉しいですからね」
雇用ギルド長は、ジュンが何者であるかを知っている。
淡々と強烈な駄目出しと、皮肉を言われたと受け取った彼は、それからしばらく部下の教育に力をそそぐ事になった。
ジュンはギルドを出ると、物陰から拠点に転移した。
「ジュン様、お帰りなさいませ。日雇い労働の体験、お疲れさまでした」
「ただいま、コラード。昼食は自分で掘った穴の中で食べたんだよ。すごく暖かかったんだ。真面目に掘って良かったよ」
コラードは静かにうなずいて、優しく目を細めた。
シルキーの頼みでミゲルと三人で動いている事は、コラードにだけは、伝えなくてはならなかった。
ジュンとミゲルの両方がいない間、ジェンナへの対応と、依頼をコラードに頼むしかなかったのである。
詳細の明かせない話にもかかわらず、コラードは詮索をせずに、協力してくれている。
夜、ジュンはミゲルとシルキーがいる、戒めの森の家に転移した。
ミゲルとシルキーが時々、森の家に様子を見に行く事は、皆が知っているので、ジュンが出掛ける事を不思議に思う者はいない。
「お待たせしました。行けますか?」
「大丈夫じゃ」
「私もよ」
シルキーは小さくなって、ジュンの肩に座った。
遺跡に転移した三人は、魔導具で足元を照らし、歩きだした。
「見てください。この穴は僕が掘ったんですよ」
ジュンの得意気な言葉に、二人は黙り込んでから言った。
「……。頑張ったのぉ」
「……。穴だわ」
穴を褒めるのは、なかなか難しいようである。
洞窟の前で、ジュンは立ち止まった。
「この結界は簡単に破れますが、張った魔術師には分かりますよね?」
「そうじゃのぉ。おまけに触れると、火魔法が発動するようじゃ」
ジュンとミゲルの言葉に、シルキーは小さく笑った。
「ジュン様、転移陣をください。私は屋敷妖精。空間のある場所には入れるわ」
シルキーが結界を避けて中に入ると、ジュンとミゲルは転移で移動した。
洞窟の床が抜け落ちていて、そこに調査員が置いたのだろうか、木のはしごが掛かっていた。
降り立った床は石が、並べられており、明らかに人により作られた物のようだ。
落ちた天井部分は端に避けられていた。ただの四角い空間の奥に、木のベッドだったのだろう。朽ちた木と遺骨はあった。
「この角には見覚えがあるわ。耳の所で丸まっている角と真っすぐに伸びている角の二種類は見た事があるわ」
「年寄りだったのだろうのぉ。歯の数が少ないし、かなりすり減っておるのぉ」
「それにしても何もないですね」
ジュンの言葉に、シルキーは言った。
「この部屋の記憶が教えてくれたわ。ここは彼らが死ぬために建てたのよ」
「待って、シルキー。彼らって? まだ他にいるの?」
ジュンの言葉に、シルキーは首を振った。
「この家の半分はその、壁に見える石の下よ。空間はないわ。全てが土になってしまったわ」
「では、シルキーの言っておった扉もその下かのぉ」
ミゲルの言葉にシルキーが言った。
「こんな狭い場所に召喚獣は入れないわ。この石の向こうに空間があるわ。行ってもいい?」
「かまわんよ。儂らも行けそうなら呼んでほしいのぉ」
シルキーは嬉しそうにうなずくと、石の壁のなかに姿を消した。
『陣を置いたわ』
ミゲルとジュンは、高魔力交信の声に、顔を見合わせてうなずいた。
シルキーの元に着いた二人は、大きな入り口を見上げた。
「これは、すごいのぉ」
「岩を抜けた先の空間は狭くて、三回抜けたら、ここに出たわ。でもここは、あの家のすぐそばにあったのよ。なぜ離れてしまったのかしら」
「長い時の中で、大きな災害か何かで、地形が変わったのかもしれないね」
ジュンはそう言いながら、入り口に向かった。
「ミゲル様。これは時の魔法でしょうか? 何か違う感じがします」
「確かにのぉ。儂らよりはるかに高い魔力を、持っておったのだろうのぉ」
二人の言葉をシルキーはただ黙って聞いていた。
「すごいですね。大昔の物とは思えません。床も天井も壁も、どのように掘って、磨いたのでしょう」
建物の内部を見回して、ジュンはそう言った。
「イザーダにとっては大昔じゃが、シルキーの話から考えると、ここよりかなり進歩しておる世界から、来たのだろうのぉ。他の世界へ移動する方法など、イザーダではまだ見つかっておらんからのぉ」
ジュンとミゲルが話をしている間、壁に触れていたシルキーが振り返った。
「ここは、扉を守るために魔術師や召喚獣が作ったようよ。たくさんの人が来る予定だったようだわ」
そう言うとシルキーは不快そうに眉を寄せた。
竜が楽に通れそうな穴の奥は、広い空間がありそうだったが、その手前の壁側にぽつりと四角い箱形の物があった。
それには、扉が付いていた。
「へぇ。この箱は部屋かなぁ」
ジュンは扉を一応たたいてから、それを開けた。
中にあるのは二組の机と椅子、本棚には奇麗に本が並べられていた。
「あれ? イザーダ語の本? 全滅したんだよね? ワイトの趣味は読書だったの?」
机の引き出しを開けていたミゲルは言った。
「ならば、エルフの長に取りついたワイトは、日誌を付けていた事になるがのぉ。ここはあの角のある遺骨の者が、生前に書いたと過程したほうが、無理がないのぉ」
ミゲルの言葉にジュンは苦く笑った。
「読書をしているワイト……。見たくはないですね」
「あった! あったわぁ」
部屋の外から、シルキーの声がした。
ジュンとミゲルは部屋を出ると、穴の奥に向かった。
それは二メートル程の高さがある、長方形の石版だった。
五個の丸いくぼみが円の形に並び、中央に文字が彫られている。
「やはり、扉は開かれていないわ」
シルキーが笑顔を浮かべる。
「この石が扉なのかい?」
ジュンはシルキーを見る。
「いいえ。鍵よ。これは妖精の鍵だわ」
ミゲルは石版に触れながら尋ねた。
「真ん中の文字は何と書いてあるのかのぉ」
「我ら戦士がこの道を塞ぐ……。そう書いてあるわ」
「シルキー。君の言うあの方は、戦士だったのかい?」
ジュンの言葉に、シルキーはうつむいて言った。
「……違うわ。あの方のおそばには、いつも五人の戦士が付いていたのよ」




