第九十四話 忘年会
ジュンはミゲルとシルキーとで、のんびりとお茶をしている。
目の前にあるのは、ルークお手製のケーキ。
横では、コラードがお茶のおかわりの支度をしている。
牛がいないこの世界の、家畜化されたブロールと言う魔物から、搾乳するミルクは脂肪分が多く、バターは世界中どこででも手に入る。
甘い物も酒も大好きなミゲルは、ルークに頼んで、甘いバタークリームのケーキを作ってもらい、ご機嫌である。
シルキーはクリームを指先に、少しもらって口にいれると、甘過ぎたのか顔をしかめた。
「うまいのぉ。木の実のケーキには、クリームが合うのぉ」
「良かったですね。売っている物は硬いですからね」
「そうじゃのぉ。あれは甘いパンじゃのぉ」
(そういえば、クリスマスもお盆も、正月もない世界なんだよね)
「ミゲル様。普通の家庭に行事はないのでしょうか? 誕生日を祝うとか、家族や親戚と少し特別な料理を楽しむような日?」
「誕生した日は祝わないのぉ。一月の一日に皆、年を取るからのぉ。王都では王が国民の前で、健康と幸せを祝すのじゃ。町や村では、長がやるのぉ。ギルド島ではやらん。普通は秋の収穫祭と、結婚位じゃろう」
「昔はあったわ。三歳と十歳の祝いをしたわ。子供は三歳まで成長するのが大変だったの。十歳まで生きれば成人まで、生きる可能性があるから祝ったわ。薬や治療魔法が発達して、上下水道ができて子供が育つようになったわ。たくさん子供のいる家は、そう祝ってもいられないでしょ?」
シルキーはそう言うと、少し寂しそうな顔をした。
「王家や貴族は、シーズン中は毎日のように、行事があるからのぉ。平民は気の合う者同士で、食事をする程度じゃのぉ」
ジュンは、しばらく黙り込むと口を開いた。
「コラード。この拠点で忘年会をしようか?」
「それは楽しそうですが、ボウネンカイとは何を祝うのでございましょう?」
コラードの質問にジュンが首をひねった。
「祝いじゃないんだ。一年の最後の日の夜に、嫌な事や、失敗した事なんか全部忘れて、新しい年から気分を新たに頑張ろうっていう会。おいしい物を食べて、好きな物を飲んでね」
「ほぉ。それは楽しそうじゃ」
ミゲルが笑顔で言うと、シルキーは小さく肩をすぼめた。
「ミゲル様は好きな物を、いつでも飲んでいるわ」
「それでは、ルークと相談してメニューを決めましょう」
コラードの言葉にジュンは言った。
「コラード、それじゃあ、いつもと変わらない。ここは普段から、食事は良いでしょう? 皆に好きな物の順番を書いてもらう。三番位までね。ルークがきっと喜ぶよ。好みがわかればメニューの参考にもなるしね」
ジュンの言葉に、コラードは笑みを浮かべてうなずいた。
「では、そのようにいたしましょう」
「シルキーは何が食べたいかのぉ?」
ミゲルはシルキーを見て言った。
「ミゲル様の魔力で十分ですわ」
「食べたり、飲んだりできるんだから、シルキーも書くと良いよ? 皆と楽しめるだろう?」
ジュンの言葉に、シルキーは嬉しそうに笑った。
「ええ。私も書くわ」
数日後。ジュンとルークは調理場のカウンターで、アンケートを見ていた。
「それにしても、見事にバラバラだね」
「主、ここは全種族がいるんですから、当然そうなりますよ」
ルークはそう言って少し笑う。
「だよね。味や見かけがバラバラになるように、作ろうか」
「全員、共通しているのが、主の料理が入っている事ですね」
ジュンは小さなため息をついた。
「でも、それっていつも食べている物ばかりだよね。何か作るよ」
「やった! 楽しみです!」
ルークは子供の頃から、料理を作っている。それに加えて勉強熱心なのである。
ジュンの料理が彼にとっては今、一番の興味の対象であるようだ。
この世界は薬の材料と料理に、共通で使う物が多い。ルークに頼まれた調味料を届けに、パーカーが調理場に顔を出した。
「あ、パーカー。薬の材料に、小指ほどの真っ赤なのあったでしょ? あれ余ってない?」
「火竜の爪なら山程ある。畑で作るが、大量には使わないので、ルークの料理用だ。食料庫に入れてある」
(鷹の爪じゃないんだ……。鷹はいないからね)
「そうなんだ。ありがとう」
ジュンはルークの横で、料理を始めた。
「ねぎとジンジャーとガーリック、全部みじん切りにして炒めたら、コショウを入れて火を止めるんだよ。たくさんの砕いた火竜の爪とゴマを入れ、熱したゴマ油を入れる。後は放っておいて冷めたらこす。ラー油っていう調味量なんだけど、入れる物で風味が変わる。僕は簡単だからこの方法なんだ」
ジュンは、ラー油にこだわりはないようである。
「これって、小麦粉に塩を一つまみ、入れただけですよね?」
「うん。パン用でも菓子用でもできるよ。両方作るからね。ルークの好みで合わせて使うのもありだよ」
ちなみに、パン用はグルテンの多い強力粉で、菓子用は薄力粉である。
「腸詰めの材料ですか?」
「似てるけど、今日はキャベツが大量にあるでしょ? ギョーザという料理を作るよ。葉野菜ならなんでも良いんだよ。ただ、大事なのは、軽く塩もみをして、しんなりさせる事。具は肉だけでなく、エビでも貝でもキノコでも良い。ジンジャーとガーリック、塩コショウと、モロミ汁を少しね。卵白とデンプンを入れる」
ギョーザをルークと大量に包む。箸が無いので、スプーンにのりやすいように、水ギョーザ用は両端をくっつけて丸くした。
水に打ち粉のあまりを入れて焼くと、羽付きギョーザが出来上がった。
水ギョーザはゆでて上げずに、スープと共に楽しむようである。
「味見をしてみてよ」
「これ、腸詰めより簡単なのに、おいしいですね。パリパリしているのも良いですが、スープのもっちりとした食感も好きです。なるほど、モロミ汁とラー油は合いますね」
「僕は酢も入れるんだよ。後口が良いからね」
ジュンはギョーザを、時魔法の保存庫に入れてから、また新たに料理を始めた。
「また、小麦粉ですか? 新しいパンですか?」
「パン用の粉じゃなくて、菓子用の粉なんだ。たくさん作っておくと、おやつになるからね。これも皮だけ覚えておくと便利だよ。簡単だからね」
ルークの手を借りながら、ジュンは説明していく。
「肉や野菜やキノコの入った方は、水溶きデンプンで汁を固めておく事ね」
「栗予感も作るのですか?」
「ガガーを入れる前の状態で良いんだ。あんなに頑張って練らなくてもいいしね」
この世界には寒天もゼラチンも流通していない。
その代わりにガガーという木の実がある。ガガーは桃のような木の実で、種が大きい。その種のゆで汁を蒸発させた物がゼラチンのように使われる。種の中を乾燥させた物は寒天のように固める力が強いのである。
「これは良いですね。カライライスもこれなら米がなくても楽しめます」
「これも、中身はルークがいろいろ考えられるでしょ? 大事なのは汁気は全部まとめちゃう事かな」
「はい。ありがとうございます。トマトソースとチーズもとろけておいしいです」
蒸かし立てを頬張りながら、ルークは満面の笑みを浮かべた。
ジュンが作ったのは、肉マン、アンマン、カレーマン、ピザマンだった。
日本では大みそかに、忘年会をする話はあまり聞かない。
皆でにぎやかに食事をするのも、拠点では珍しくはない。それでも、改めて乾杯をして始まった会は、いつもとは違う高揚感があった。
ミゲルとトレバーの席には、昆布だしの湯豆腐がだされ、二人は自分たちの秘蔵の酒で、どれが合うかと飲み比べを始めた。
シルキーは、コラードが集めた世界中の蜂蜜を、なめては顔をほころばせている。
それぞれが料理を楽しんでいるのを見て、ジュンは満足そうに果実水を飲んでいた。
シルキーが後片付けをしてくれるというので、ルークもコラードも、今日は仕事をせずに、酒を飲んでいる。
(実家の正月みたいだ。一年に一度、こんな日があってもいいよね。僕も皆も、決して安全な仕事をしている訳ではないんだ……。来年も再来年もこうして笑顔でいられるように、僕はがんばらなくちゃね)
ジュンはミゲルの席の話声に振り返った。
「なんじゃと?! 角じゃと!」
ミゲルにしては珍しい大声に皆の視線も集まる。
マシューはミゲルの様子に少し笑って言った。
「自分の下の者で、魔人族の学者と遺跡発掘に行ってる、変わり者がいましてねぇ。そいつが持ってきた話です。与太話をするような男じゃないんで、違わないはずですぜ。角のある人骨が見つかったようですぜぇ。ですから、お聞きしたんですよ。そんな種族が昔はいたんですかねぇ?」
「いや。そのような歴史はない。他の魔物を疑ったほうが、良いかもしれんのぉ」
ジュンはシルキーに視線を移した。
シルキーはそれに気が付いたのか、小さく首を振った。
忘年会もお開きになり、ジュンは自室の窓辺のカウチに体をあずけ、真っ暗な海を見ていた。
(初日の出を拝む習慣はなかったけど、こんな場所に住んでいるんだから、見なきゃ損だよね。でもどの神に、何て拝むんだろう?)
「ジュン……。少しいいかしら?」
「シルキー、どうしたの。隣に座って」
シルキーは姿を現して、カウチに腰掛けた。
「さっき、下で話をしていた、角のある人間の事なんだけれど……」
「知っているの?」
シルキーは一つ、大きくうなずいた。
「ここにイザーダ神が、来る前よ。ジュンが倒してくれたワイトたちが、人間だった時には角があったの。アルトロアで見つかった場所は、彼らがこの世界に入る扉があった場所だと思うわ」
「え? ではまだつながっているの?」
「あの方が、塞いだと言っていたわ。彼らの星は、多分もう無いわ。だからこの星を狙ったのだもの。でもそれはイザーダ世界の歴史ではないわ。あの方がどのように塞いだのかは分からない。その扉が無ければいいけど。もしまだ存在するのなら、災いになる気がするわ。私をその場所に連れて行ってほしいの。角のある骨はどうでもいいの。今の人たちが理屈をつけるでしょう?」
ジュンは、しばらく考え込んでから言った。
「話は分かったよ。魔人族の国アルトロアでは調査が始まっている。僕には権力がないからね。ミゲル様に力を借りるしかないけど、いいかい?」
「ええ。ありがとう」
シルキーはそう言うと、笑顔を作ってみせた。