第九十一話 舞踏会の罠
コンバル城の一室。
ジュンは一人の侍女と、テーブルを挟んで座っていた。
侍女を呼び出したリックが、口を出さない約束で同席していた。
「ねぇ。君の目的は何?」
ジュンは開口一番に聞いた。
「何の事でしょう?」
おびえもしない侍女を見て、ジュンはニヤリと笑った。
「マッサージだよ。王子に触れて、彼を夢の世界に追いやったよね? それを維持させるのが、あの花の匂いだ。君たちの失敗は花を一種類しか使わなかった事だよ。いや、一種類しか使えなかったのかな? ばれてしまったんだよ」
それでも動じない侍女に、ジュンは続けて言った。
「なぜディエゴ・クーパーの言いなりに? 君のおばあさんは、警備兵だったディエゴに弱みでも握られたの? どうせ君は逃げられない。僕は全種持ちの魔法師だよ。君は死ねない。言いたくないのなら、自白させてあげようか? 簡単な事だよ。鼻水と涙とよだれや、そのほかの物も垂れ流しながら、女性に自白させるのは忍びないからね。選ばせてあげるよ。自分で言う? それとも僕が言わせてあげる?」
そばで口出しのできないリックが、眉間にしわを寄せてジュンを見た。
ジュンはその視線に気付かぬ振りをして、侍女の返事を待っていた。
「祖母は、教会でも腕の良い治療師だったようです。眠っている間に治療が終わると、評判だったそうです。そこに警備隊が現れて、違法な治療をしたと、連行されたと母から聞いています。連行されたのはディエゴの屋敷で、そこで祖母は母を産まされました。ディエゴは母が催眠の魔法が使えるようになるまで、祖母を閉じ込めました。母が魔法を覚えた時、祖母は自由の身になりました。そして母は私を育てて自由を得たんです」
ジュンは侍女に優しい目を向けた。
「催眠の魔法は肌に触れないと使えないね? お母さんや君の父親は誰なの? ディエゴは触らないはずだよね?」
「屋敷にいる使用人は、同じ色の髪と目です。入ってくる人も皆、同じですから誰なのか分かりません」
うつむく侍女にジュンは聞いた。
「二人が訴えなかったのは、君という人質がいるからかい?」
「分かりません。生きてはいないと、思っています」
「君は二人とは違うんだね? 子供は?」
侍女は大きく首を振った。
「ディエゴの目的は、キャリバン家の没落。その時が今なのです」
ジュンは静かに、ゆっくりと尋ねた。
「それはどういうこと?」
「キャリバン家の名前と伯爵の地位を取り戻すと言っていました。罠にはめられ追いやられても、あの地を没落させずに守ったのは、そのためだと言っていました。私にはどうでも良いことでした。王城で働いていれば、私は拘束されずに済みます。学校に行かせてもらえなかった私は、何度も試験に落ちて、ようやく侍女の証をもらえました。いつか逃げて自由になれたら、役に立つと思えば、頑張る事ができました。私の仕事は眠らせる事。あの花の匂いがあるうちは、マリア様の言葉通りに、ギャレット様は動くしかありません」
「そう。聞かせてくれない? 君はあの花でしか眠らせる事ができないの?」
「はい。あれは魔法の花ですから、母も祖母からそう習ったようです」
「ディエゴも知っている?」
「はい。ですから、庭の大きな温室は一年中、あの花が咲いています」
「聞かせてくれて、ありがとう。君が王子にしたことは、許される事ではないのは分かる?」
「はい。あの家の牢に戻るくらいなら、処刑されたい……。断れない立場だったと言い逃れはしません。私はこの手で悪事を働いたのですから」
侍女は兵士に、おとなしく連れて行かれた。
「ジュンはすごいね。あの最初の脅しさぁ、自白させられるの?」
「そんな事ができたら、いろいろとお呼びが掛かって大変だよ。彼女は清潔だったんだ、だから汚れた自分を他人にさらす事を嫌がると思ったんだ。まぁ、聞いて分かったんだけど、牢の生活はひどかったんだろうね」
「兄上の部屋の花は、魔法の花だったんだ」
「彼女のおばあさんが、ついた嘘だよ。被害を最小限に食い止めたかったんだろうね。コンバル国の犯した罪をどう償うのか、僕は気になるね」
ジュンの言葉に、リックが首をかしげた。
「え?」
「しっかりしてよ、第三王子。現役兵士が女性を拉致して監禁したんだよ。それも四十年以上。おまけに強かんだからね。二人が庭から発見されたら、殺人だよ? 彼女は王子の侍女としてマッサージをして眠らせてあげた訳だしね」
「しかし兄上は!」
「事件はまだ終わっていないんだ。ディエゴの目的はこの先にある。ねぇ王家のパーティーはいつ? 招待状がなくても、入れてくれる?」
「招待状くらい私の名前でも出せるよ。若者が参加できるのは舞踏会だね」
リックは満面の笑みを浮かべてそう言った。
数日後。ジュンは城にいた。
パーティーの前日までに、全ての準備を終わらせなければならない。
出入り業者の服装での作業は、撮影が許されない場所があるため、全てを聞かされた宰相が、修繕の指示を出す振りをしてそばにいた。
それからジュンは、戻って来た第二王子のギャレットと、王家の人々との打ち合わせに入った。
「ジュンくん、済まない。私の油断が手を煩わせる事になったね」
「いいえ、ギャレット様。悪人は隙間を無理に作ってでも入り込むのです。お一人で防げるものではありません」
「ありがとう。そう言ってくれると、気が少し楽になるよ」
「もう一息で終わりますよ。一度、脈を測らせていただけますか?」
ギャレットの手首を触ると、ジュンは一輪の山吹色のユリに似た花を出した。
王たちは一瞬、顔をしかめた。
「この花を見てください。どう感じますか?」
「あぁ。どこかで見たような……」
「僕が手を叩くと、この花との糸が完全に切れます。いいですね。一、二、三」
ジュンは手を叩き、再び花をギャレットに見せた。
「この花を見てください。どう感じますか?」
「奇麗だね。随分と香りがある花だから、改良種かな? 私は優しく香る花の方が好きだが」
ジュンは笑顔で周りを見ると言った。
「もう完全に大丈夫ですね。では、明日は打ち合わせ通りにお願いいたします」
ジュンはそう言うと、城を後にした。
その日、拠点ではジュンが叫んでいた。
「だからねぇ。なんでこうなるの!」
「リチャード様からの招待状は、王家からの正式な物でございます。宰相が直々に本邸に使者としてお持ちくださった物です」
コラードの言葉に、ジュンはやさぐれた目つきで言った。
「宛名のジュジュ殿って誰?! リックのパートナーとか罰ゲームなの?」
「諦めてくださいよ。主の名前で出たら後々、パーティーの招待が殺到しますぜぇ。王族や貴族の騒動に巻き込まれたいんですかぁ」
マシューの言葉にセレーナが続ける。
「今回はウチとシルキーさんが作ったドレスよ。色もデザインも地味だから、目立たないわよ」
ジュンはドレスが、薄いグレーなのを見て、安心したのか静かになった。
一方、王城では上位貴族が、控室に次々と到着していた。
キャンベル伯爵の控室に、令嬢であるマリアが入ってきた。
「全く! あの騎士は何なのよ。ギャレット様のお客様に、婚約者としてご挨拶したかったのに。エリザベスに婚約破棄を言い渡したら、すぐに婚約発表させるわ」
「髪にそれだけ花が付いていれば、近付くだけで効果はあるでしょう。宰相の娘がマリアを迫害した証拠は、そろえていますもの」
伯爵夫人はそう言うと、夫に笑顔を向ける。
「宰相とて責任は免れぬ。おまえが第二王子と結ばれれば、宰相の席は間違いなく、儂に転がり込む」
「第一王子の相手は隣国の王女でしょ? お父様は宰相になれるけど、私は王妃になりたいのよ。ギャレット様では無理でしょ? 世界で一番の贅沢ができないわ」
不服そうな娘に、キャンベルは言った。
「忘れたか? この花があるだろう? 王位継承権を放棄させればいいだけだ。王も第一王子もな、時を待つのだ。ドレムラー、バーデン、ボルゲーゼの子爵たちも一年間、資金援助をしてくれた。ディエゴの金食い虫の口を、ようやく塞げる」
父の言葉にマリアは笑顔を向けた。
「あの屋敷の花があれば、誰でも思いのままね。お父様」
広い会場が一瞬静かになり、王家が入場する。王の挨拶が終わると、ジュンとリックはギャレット王子のそばに付いた。
「リチャード王子の横にいるご令嬢は、どちらの国の方かしら」
「まぁまぁまぁ。フェアリーシルクじゃございませんの?」
「寄り添う殿方で色が変わると言われているあの幻の?」
「今はリチャード様の瞳の青色ですのね? どなたか他の方が、おそばに行かれないかしら? 変わるところが見たいですわ」
「スラリとお背が高くていらっしゃるから、ドレスが映えますわね」
「白銀の髪もお美しいですわぁ。あの白いお肌のお手入れ方法が知りたいですわぁ。お茶会にご招待できないかしら?」
ジュンは自分に向けられる視線と、女性たちの話に小さくため息をつく。
(目立ってる……。地味な色のドレスじゃなかったの?! 保護色なのこれ?)
ジュンは王子に向かってくる、マリア・キャンベルを見て小さく笑った。
オレンジ色のドレスは、優に二人分の場所が必要なほど広がっている。
たっぷりのフリルとレースは、その重量を想像すると、あのふくよか過ぎる体は、あながち脂肪だけではないようである。
汗もかかずに足早に近づく姿は、さすがは伯爵令嬢と言ったところだろうか。頭中に山吹色の花が飾ってあるのだから、目立つ事このうえない。
「ギャレット様。ここ数日、私、寂しくて眠れませんでしたの」
作り損ねている上目遣いに、ギャレットは逃げ腰だが、打ち合わせ通りに言った。
「そ、それは、かわいそうだったね」
「今日は私との婚約発表をしてくださるのですもの。嬉しいですわ。でもエリザベス様に婚約破棄を伝えるまでは、私、怖い。おそばにいたウッ……」
ジュンはマリアを眠らせて言った。
「まぁ、大変。ご令嬢を控室に、お連れして」
会場係が四人でマリアを移動させた。
「キャンベル伯、ご令嬢がお倒れになりました。控室にご案内します」
キャンベル伯爵夫妻は、顔色を変えて会場を出て行った。
彼らを拘束したとの連絡が、ジュンに入った。
「終わりましたよ。ギャレット様」
ジュンの言葉で、我に返ったギャレットは言った。
「あの臭いご令嬢と婚約するなど、あり得ない……。え?」
リックは小さく笑った。
「兄上。エリザベス嬢をいつまで待たせるおつもりですか。もう安全ですから、お迎えにいかれたらどうですか」
「ジュン。あぁ、ジュジュ嬢。ありがとう」
ジュンは平静を装って告げた。
「いいえ。何でもない事ですわ」
「子爵たちの拘束も、終わったみたいだよ。すごく経費が掛かっていそうな舞踏会を、台無しにしなくて良かったよ。リック、そろそろ僕は帰るね」
「そうはいかないよ。だって最初の一曲はパートナーと踊るのが礼儀だろ?」
「僕は男だよ?」
「私をパートナーに逃げられた王子にするの? 舞踏会なのにさ」
(踊れないと思ってる? 大学で彼女欲しさに、競技ダンス部に入った兄ちゃんの練習相手を、二年間もやっていたんだよ? まぁ、男性パートは無理だけどね)
フォークダンスのような踊りは、年齢に関係なく楽しめる。王と王妃も笑顔で仲間に入っていた。
「さぁ。ジュジュ嬢、私にリードは任せて」
「はい、はい」
(地球のスローフォックストロットだね? 懐かしい。リックは上手いね)
「ジュジュ嬢。次は私だよ?」
「ダン?」
「私の国の女性は小さくてね。ジュジュ嬢、踊ってもらえるだろうか?」
「ずるい……」
(ワルツは一番練習した。女性を美しく見せるように踊るのは、ダンらしいね)
「ジュン。俺だけのけ者にすんなよな。皆が場所を空けてくれている。楽しもうぜ」
「次はレオ? 誰も踊っていないけどぉ?!」
(ウィンナワルツだね。レオらしいけど、そろそろ靴擦れで足が死ぬ! というかこれ、普通の女性は付いていけないって!)
沢山の拍手をもらって、ジュンたちはバルコニーで休憩を取った。
「リック、あの招待状で僕をはめたね?」
リックの代わりに、ダンが答えた。
「ジュジュ嬢の社交界デビューだろ? 私たちがお披露目しなくてどうする」
レオがテーブルの下をのぞいて言った。
「ジュジュ嬢。なにをモジモジしているんだ?」
「見ないでよ。靴ずれに回復魔法を掛けているんだから。ヒールを履いた事はある? つま先が死ぬよ?」
ジュンがようやく解放されて会場を出ると、追加の拘束対象が出たようで、青組がいた。
真っ赤な顔のジャコモがジュンを見つめて告げる。
「ジュ、ジュ、ジュジュジョー! フ、ファンでしゅ!」
「ふん。お仕事、ご苦労さま。とでも言っておこうか」
ジュンはあきれたようにため息をついた。
「歴史に残る、トマトの激白だな……」
副隊長のチェイスが苦笑して、ジュンを転移ができる場所に誘導した。
「ありがとうございます」
ジュンはそう言うとコンバル城を後にした。
舞踏会後の社交界は、三国の王子を虜にした、謎の令嬢の話で持ちきりだった。
名前も知らない令嬢はその後‘薄氷の舞姫’とよばれたのは、ダンとレオの衣装がブルー系だったからに他ならない。
「ハ、ハ、ハクシュン」
「ジュン様。お風邪を召しましたか?」