第九十話 花を愛する者
イザーダ世界に社交のシーズンが訪れた。
領地で仕事に追われる貴族たちも、冬と夏に開かれる王城での会議に、出席する事が義務付けられている。そのために移動が大変な初冬から初夏までを、家族や使用人を連れてきて、王都にある屋敷で過ごす。その期間を利用して他貴族との交流を図るのである。
ジュンは今、ジェンナと共に王族会議場にある、コンバル王家の部屋にいる。
二人の前に座っているのは、コンバル国王であるフリッツ・アルバラードと第三王子であり、ジュンの友人であるリックこと、リチャード・アルバラードである。
四人は挨拶を済ませると、早々に本題に入った。
「第二王子のギャレットの事なのだ。あれは何をさせても懸命に努力を惜しまない子だった。そのせいか知性もあり、争い事を好まず、花を愛でる事が好きな子だったのだ。それが最近、何かに取りつかれたかのように、周りに冷たい態度をとるようになった。一番に慕っていた第一王子とは、目を合わす事すらなくなる始末。社交のシーズンに入り、王子たちも忙しくなるが、今まで仲の良かった婚約者を、パートナーに選ばぬと言い出した。代わりに指名したのは、評判の良くない伯爵令嬢なのだ」
「アルバラード王。それで、何を依頼されたいのか」
ジェンナは王に聞いた。
「王子ギャレットに何が起きたのかを調べて欲しい。あれの婚約者は私の親友でもあるグーチィ宰相の長女なのだ。宰相は娘のために税金を使う事を良しとはせぬ。婚約破棄をされたのなら、嫁にする価値もないと判断されただけの事と、強がるに決まっている。リチャードにギルドを頼れと言われてな。こんな下らぬ事を願うのは一国の王として、恥ずべき事なのだが、王位継承権を剝奪する前に真実を知りたい」
王の言葉にジュンは言った。
「継承権の剝奪とは、穏やかな話ではありませんね」
ジュンの言葉を待っていたかのように、リックが口を開いた。
「そうなんだ。ギャレット兄上が、エリザベス嬢がマリア嬢を迫害していると言い出したんだ。私は小さな時から共に遊んでいたから、よく分かる。彼女はそんな人ではない。兄は何かに取りつかれているんだよ。無実の彼女を罰する事になれば、ただでは済まされない。宰相は貴族たちからの信頼も厚い。兄を罰しただけでは済まない可能性もあるんだよ」
「落ち着いてリック。人が変わったようになったのは、よく分かったからね。思い出してほしい。それはいつごろ?」
ジュンの問いに、リックは少し考えてから答えた。
「多分、去年の社交シーズンだよ。終わり頃に部屋の模様替えをされたからね」
「忙しいシーズン中に? どのような模様替えを?」
首をかしげたジュンに、リックが言った。
「城の作りは暗いからね。どの壁も白っぽい色にしてあるんだよ。でも、兄上は深い緑にされた。花が映えるようにとね。兄上は昔から季節の花を部屋に飾るのが、お好きなんだ、その中の一輪を胸元に飾っては香りを楽しまれる」
「気になりますね……。ジェンナ様」
ジェンナはすぐにうなずいた。
「単に心変わりなら仕方がないが、きな臭いねぇ。ジュン、調査を頼むよ」
「はい」
ジェンナに返事をしてから、ジュンは言った。
「今日ここで話をした事は一切、口外しないでいただけますか? リチャード様のおねだりで、お茶を飲みにいらしただけという事でお願いします」
ジュンの言葉にリックはにらんだ。
「私は子供ではないよ。ジュン」
ジュンはアップルパイをそれぞれに配ると言った。
「では、これはいりませんね?」
四角いパイに見覚えがあったのだろう、リックは目を輝かせた。
「うぅ。それはリンゴのパイ。ジュンのはおいしいんですよ。父上」
ジェンナの毒味の後で、王はパイを口にした。
「ほぉ。確かに美味だな」
ジュンはお茶を勧めながら言った。
「この季節は平民にとっては、食欲のシーズンです。よろしければ栗やカスタードもございます。弁明のためにもお持ちください」
土産を受け取るリックの耳元で、ジュンは言った。
「リック、陣に小石が現れたら、そのまま魔力を流してくれる? 石が戻ってきたら部屋にお邪魔する」
「分かったよ。頼むよ、兄上もエリザベス嬢も助けてよ。本当に優しい二人なんだ」
「頑張るよ」
ジュンはジェンナと、転移室から城に帰る王とリックを見送ってから、拠点に戻った。
拠点の執務室で、ミゲルとコラードとマシューに会議室の映像を見せた。
「第二王子のギャレット様。宰相のグーチィ家とエリザベス嬢。マリア嬢とキャンベル家。それとコンバルの花だ。王都の家々の窓辺に咲く花ね。王城に届けられる花の業者。昨年の部屋の改装業者も調べてほしい。急がないとまずい」
ミゲルはジュンの顔を見た。
「昨年からなら、急ぐこともあるまい?」
「昨年からの結果を、今シーズンで出すでしょう? 仕掛けてきますよ王家に、これはきっと謀反です」
「なんじゃと?!」
ジュンの言葉にミゲルが驚いたように声を上げた。
「コンバルにいる蜘蛛たちから、そんな情報は聞いてないが……」
マシューの言葉にジュンは言った。
「うん。謀反には見えないだけで、情報はきっと入るよ。蜘蛛の糸は風にも揺れるからね」
コラードは小さく笑みを浮かべると言った。
「さぁ、マシュー。リーダーに指示を出してください。ジュン様の信頼に応えなくてはなりませんよ」
「あぁ。失望はさせないぜぇ」
コラードは珈琲をだして、海を眺めるジュンに声を掛けた。
「ジュン様、どうかなさいましたか? 珈琲はいかがでしょう」
「うん。ありがとう。マリア嬢の目的は何なんだろうね。第二王子への恋心? 自分の欲望? 父親の欲望の手助け? 恋心であってほしいなぁと思ってね」
ジュンの言葉に、コラードは黙ってうなずいた。
情報はコンバルに集中している事から、思いの外、早く集まったようで、リーダーたちが執務室に集合した。
セレーナが口を開いた。
「エリザベス様は宰相の第三子で長女。もぅ、びっくりするぐらい悪評がない。ただ、裏の話では、宰相は王の親友でもあったせいか、エリザベス様には特に厳しかったようよ。生まれながらに王家に嫁ぎ先が決まっていたから、本人が困らないように育てたみたい。使用人がかばいたくなるほど、厳しかったようよ」
「宰相は家でも厳格なのか。息が詰まりそうだな」
パーカーのうんざりとした顔を見て、セレーナは言った。
「それだけじゃないわよ。有事に備えて家事全般から、武術、乗馬。それに加えて王妃から、王家のしきたりまで学ばれているわよ。ウチなら逃げるわね。たかが男一人のために、そこまで頑張れないわよ。弱い者いじめはないわね。宰相は卑きょうな事が大嫌いだもの。第一、そんな暇はないわよ」
マシューがそこで言った。
「比べちゃ悪いが、マリア嬢はその正反対だぜぇ。キャンベル伯の領地は森があって大きくはないが、ガーリックやジンジャーなどで収益を上げている。何よりクーパー子爵が預かっている伯爵領地の花が、一番の収入源だ」
「そこの花が王都を飾っているのだとしたら、すごい収益だろうね」
ジュンの言葉にマシューが言った。
「クーパー家はキャンベル家の本来であれば嫡男だった男が、花の研究に没頭しすぎて追い出されて、子爵になったと言われている家だぜぇ。キャンベル伯は、金と名誉に貪欲な男だ。嫡男がいないので、娘の婿はクーパー家からと言っていたようだが、狙いはクーパー家の技術だ。そのマリア嬢は父親以上に、我がままで贅沢なお嬢様だ。いじめられるような玉じゃないぜぇ。クーパー家に入り浸っていたくせに、何を思ったのか昨年から王都にいて、最近では城に出入りしている」
「マリア嬢が会っていたのは、クーパー家から外れたクーパー家の者……。排嫡された者か隠居した者?」
マシューの言葉にジュンは尋ねた。
「主には、適わねぇな。現当主の先代の弟、ディエゴ・クーパーさ。先代は亡くなっている。ディエゴは若い頃、コンバル城の警備隊に勤務していたようだぜぇ」
トレバーがそこで、話し始めた。
「王城の改装を請け負ったのは、城の出入り業者じゃない。王都の小さな店だ。壁紙は持ち込みだったようだ。口止め料が高額だったようで、恐ろしくて逃げ出したようだ。今は隣国にいる。壁紙は良い匂いがして、さすがに王族だと思ったようだ。本人は貧乏なので、その匂いで頭痛がしたと言っていた」
「壁紙に毒か?」
マシューの言葉にジュンは小さく笑った。
「それなら王子だけでは済まない。一年も無事だからね。城はどうなの? 王子のそばに誰かがいなかった?」
「第一王子の周りは近衛っすね。侍女に至るまで精鋭でそろえているっす。十年前。殺されそうになった第三王子の事件から、王が神経質になっているっす。侍女に誘拐された第三王子は、女性不信になったようで、身の回りは騎士団のむさ苦しい男だけっす。第二王子は、付けられた侍女や騎士に、文句を言った事は一度もなかったようっすけど、去年から部屋付きの侍女を指名して、固定したようっす」
人族の蜘蛛のリーダーであるワトが、城の情報まで手に入れてきた事に、ジュンは感心したように言った。
「城って結構不用心なんだね。なるほどねぇ。その侍女はマッサージが得意?」
「知ってるっすか? そうっす。王子は何でも夢中になると根を詰める性格で、ひどい肩こりに悩まされていたっす。それを解決したのが、その侍女っす」
ジュンは首をかしげてから聞いた。
「王城の侍女って平民ではなれないよね?」
ワトは一つうなずくと言った。
「キャンベル伯の養女っす。ディエゴ・クーパーが六十代の時に、愛人との間にできた子供と言っているっすが、ディエゴに愛人がいた形跡はないっすね。結婚もしていないっす。男の使用人が二人っすね。クーパー家の花を王都で扱っているっすよ」
ジュンはその話を聞いて、しばらく考え込んでから告げた。
「そうだなぁ。まずは第二王子を誘拐しちゃおうか」
マシューがその言葉に慌てた。
「待ってくださいよぉ。事件を解決できないから消すのは、なんてぇか、その、まずくないですかぁ?」
コラードは表情も変えずに言った。
「かしこまりました。どちらで保護なさいますか?」
「王族会議場で十分だよ。本邸から身の回りのお世話をする方を頼んでね。王家の使用人は使わない。それから四種類の花を、それぞれ花瓶に生けて、部屋の四隅に置いて欲しいんだ」
「花をなぜ種類に分けるのか、お聞かせいただいても?」
「花を愛する者は、花に守られる。王子を正気に戻すのは、花だと思っているんだ。無意識に嗅がされていた香りではなく、自発的に花を見て、歩いて行って手に取る。胸元に飾って楽しまれたら、連絡して欲しいと本邸に伝えて」
「かしこまりました」
ジュンはマシューを、しげしげと眺めてから告げた。
「マシュー、誘拐を手伝って」
ジュンの言葉にマシューは言った。
「はいはい。主とならば地獄までも、お供させて頂きますぜぇ」
コラードがマシューに、一瞬目を向けると言った。
「地獄は一人でお行きなさい。ジュン様はこの世にいていただきます」
ジュンはリックの部屋に石を飛ばし、返事を待って転移した。
リックに頼んで、王に第二王子を保護する許可を取り付けた。
ヘルネー城に、王の使いで向かったという筋書きは、リックが考えた。
第二王子は秘密裏に、ジュンに眠らされ、マシューに担がれて、誘拐された。
「誘拐って言葉の意味を、間違えて覚えたの? ジュンらしいけどね」
リックは安心したように、一人で笑みを浮かべた。




