第八十九話 二人の新人
ひと月程の滞在を終えて、ミーナとハンナとクレアは戻って行った。
ジュンとミゲルは本邸に来ていた。
二人の目の前には、ジェンナとベルホルトが座っている。
「隊長、もう動いて良いのですか? 心配しましたよ」
ベルホルトは、うなずいて言った。
「ミゲル様、この度は私の不徳の致すところ。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。ジュン、つらい仕事をさせてしまったな。すまない」
ベルホルトの言葉に、ミゲルが表情も変えずに言った。
「不徳の致すところで、十九人の命を散らせたのじゃ。本来であればその首をさらされても、文句は言えんのぉ」
「はい。裁かれる身と覚悟はしておりました」
ベルホルトはそう言うと視線を落とした。
「今回は特務隊員一人の自決と言う事になるねぇ。事件の全容を知るのは、チェイス副隊長だけだ。特務隊員にはチェイスが、隊長への個人的誤解で起こした事件だったと、口頭で説明をしたようだ。影を表に出す訳にはいかないからねぇ」
ジェンナの言葉を、ジュンは暗い顔で聞いていた。
「ジュン。影はどこで集めた? 彼らはいつ飼い主に、牙をむくか分からない。ジュンはまだ若い、一度私が会って見極めよう」
ベルホルトの言葉に、ジュンは小さく息を吐いてから言った。
「僕には影はいませんよ。いるのは調査メンバーです。申し訳ありませんが、彼らの事は誰であろうとお話はできません。僕を信頼できずに会わせろと言われたら、僕は特務隊なんてさっさと辞めますよ。彼らとどこかの国で、調査依頼の店でも開きます」
ジェンナはあきれたように言う。
「ベルホルト、それはしてはならない。ジュンは仕事で結果をだしているからねぇ。私はお主に影と会わせろと言った事はない。そういう事だよ」
ベルホルトはジェンナに言った。
「姉さんはジュンが心配ではないのですか? モーリスの全種持ちですよ。何かがあったらどうするのですか」
「何かがあって、どうにかなったら、それまでの子なのだろうねぇ。私のそばに縛り付けておけたら、楽だろうねぇ。だが、それは無理だろうよ。第一、お主だって私の忠告などに、耳を傾けた事がないだろう」
ジェンナは少し、意地の悪い顔をして言った。
「ジュンは儂が後見をしておる。口出しは無用じゃ。儂では不満なのかのぉ」
ミゲルの言葉にベルホルトは慌てたように言った。
「いえ、そのような意味ではありません」
「来年の春、新人を入れてからと考えていたが、今回の事件があったので、特務隊の仕様を少し変えねばならなくなった。パルドゥールの後任として、一人を補充する。エルフ族なので、八級六種と種類は少ないが、エルフの中等学校で、武術を教えていた者だ。武器全般に明るい」
ジェンナの言葉にジュンは表情を和らげた。
「バルは青組の剣士でしたからね。良かった」
「来年の春にと考えていたのだが、ベルホルトがこのように片方の目を失い、麻ヒが少し残ってしまったのでねぇ。隊長室に文武にたけた秘書を置く事にする」
ジェンナの言葉にジュンは尋ねた。
「特務隊員ですか?」
「いいや。ギルド職員で、全てを熟知している者に来てもらう。春に向けて引き継ぎをしていたようなので、予定を早めてもらった。それに伴い、隊長補佐をなくする」
ジュンは、そう言うジェンナの顔を見てほほ笑む。
「僕はお役御免でしょうか?」
ジェンナはジュンを見て、苦く笑う。
「うれしそうな顔をするでない。ジュンは特務隊の調査部として独立する。雇用ギルド、商業ギルド、冒険者ギルドの調査部はそれぞれギルド本部にある。それで分かるように、調査部はギルド職員で構成されている。特務隊は隊長が代々それを兼任していてねぇ。今回はそれが裏目に出たようだ。これからは、仕事は隊長からではなく、総長である私から出される」
不思議そうな顔のジュンを見て、ジェンナは続けた。
「特務隊の仕事は隊長に渡す。調査の必要な仕事は調査部に渡す。その結果を見て私が隊長に指示を出す。ジュンが、調査の過程を送ってくるからねぇ。間に入る人間は少ない方が、早く正確に対処できる」
「いつもと変わらないですね。一人なのに調査部って言うのも変ですけど」
ジュンのつぶやきにベルホルトが言った。
「赤組にしておこう。ジュンの仕事は、特務隊なら皆が知っている。調査部が増員されるかも知れないしな」
「増えないでしょう? 色は変わるかもしれませんけどね」
ジュンはそう言うと、皆の驚いた顔を見て笑った。
数日後。
新体制の説明と新人の紹介があると連絡がきたので、ジュンは特務隊の自室にきていた。部屋の掃除もしたかったのだろう、時間より早くきたが、机しかない部屋の掃除に時間は掛からなかった。
「ジュン二号が椅子に座っているから、僕の座るところがないよね」
ジュンは入り口の方向に、二号の机と椅子を移動させると、広くなった奥にソファーセットを倉庫から出して並べた。
ゆっくりと珈琲を落としていると、扉をたたく音がした。
ここは、ギルドの特務隊。隊員以外は来る事がない。
「どうぞ。手が離せないので、お入りください」
扉から顔を出したのは、アンドリュー・モーリスだった。
「よぉ、ジュン。今日からよろしくな。隊長に連れて来られたのだが、副隊長と何やら込み入った話になったので、席を外して見学をしていた。名札があったので、寄らせてもらった。先日はクレアをありがとう。楽しかったようだ」
ジュンはソファーを勧めると、珈琲をアンドリューの前に置いた。
「どうぞ、珈琲ですが、砂糖かミルクを入れますか?」
「いや、これは良い香りだ。このまま頂こう」
「ギルド長をお辞めになったのですか?」
「来年、異動だったんだよ。ギルド長は五年ごとに動くんだ。この話が来た時は、家族の事を考えて悩んだが、実家で暮らせば、子供たちも気楽に顔を出せると言われてね。息子たちはクレアが卒業するまで、あの家で暮らすようだ。モナが一緒に暮らしてくれる事になってね」
「アリスンさんはこちらに?」
「あぁ。母の苦手な屋敷管理を任された。あれは貧乏でも、一応は貴族の出だからね。若い頃は冒険者をしながら、実家を助けていたんだよ」
「良かった。ジェンナ様があの広い食堂で、一人ぽっちで食事をしなくて、済みますね」
「あぁ。この前は孫たちと食事や会話ができて、随分と楽しかったようだ」
(こうして、モーリス家も変わっていくといいなぁ。家族の関係なんて個々に違って当たり前だけど、家訓で引き裂かれるのは、間違っていると思うからね)
ジュンはアンドリューにジュン二号の使い方を説明した。
アンドリューはこの手の物が嫌いではないらしく、興味を示した。
時間になり、アンドリューが隊長室に戻ったので、ジュンもゆっくりと会議に向かった。
久しぶりの隊長の復帰に喜んだ隊員たちだったが、片方の目は黒い皮の眼帯で隠れ、杖をついて現れたその姿に一瞬言葉を失ったようである。
それが自分たちの仲間の所業だと、知っているのだから、その反応も不思議ではない。
アンドリューがコンバルのギルド長であった事は、ギルドの転移陣を使う事の多い特務隊では知らない者はいない。
彼は評判の良いギルド長だったようで、紹介されると隊員たちから、歓迎の拍手が起こっていた。
青組に入った男はジャコモと紹介された。
既に青組の家に引っ越しも終わっているらしく、特務隊の個室の名札が、隊長より手渡された。
エルフ族特有の細い体ではなく、筋肉質のがっちりとした体格で、中等学校で武術を教えていたのは、なるほどうなずける。
薄茶色の短髪に薄い緑の瞳で、自己紹介をしたが、人前で物おじせずに話す姿は、前職のせいだと思われた。
隊長の補佐が、調査部と名前を変え、独立した事が発表されたが、誰もがうなずいただけで、質問の声も上がらなかった。
隊長と秘書であるアンドリューが隊長室に入ると、情報交換という名目の雑談になる。それぞれが、マジックボックスから、いつものように飲み物を出す。
ジャコモがジュンに声をかけた。
「君は黒組か? まだ、未成年のように見えるが」
「ジュンと申します。未成年ですよ。黒組ではありませんが」
ジュンの言葉に、ジャコモは優しげに笑った。
「そうか、オレで良ければ、いつでも武術は教えてやるぞ。頑張れよ。早く組に入れるといいな」
人の良さそうなジャコモの誤解に、ジュンは戸惑った。
「あのぉ……。誤解をされていると思いますが」
青組のアロが見かねて、話に加わった。
「ジュンは青にも黒にも入らないだすよ。さっきの調査部とはジュンの事だす。赤組だす。未成年でも、仕事はできるだすよ。モーリスだすよ」
ジャコモはジュンを見た。
「ジュンとは、あの? あのジュン・モーリスか?!」
「ジュン・モーリスですが、あのかどうかは分かりません」
ジュンの言葉を聞いて、ジャコモは言う。
「中等・高等卒業試験。初の同期満点卒業者だろ?!」
ジュンは返事に困った顔をして告げた。
「あぁ。実技の教官の採点が、たまたま甘かったんですよ」
「そんな事はない! 教官の監視をしていたのは、うちの学長だったんだ。それは立派な方なんだ」
ジャコモがあまりにも真剣なので、ジュンは言った。
「そうでしたか。すみません」
「あぁ。いや、そうではない。一度手合わせを願いたい」
ジャコモの言葉にアロが言う。
「また、始まっただす。青組の全員とやっただすよ」
「剣を交えて、互いの心を知る。男の友情の第一歩だろう? なぁ?」
ジュンは、小さく息を吐いた。
「嫌ですよ。面倒です」
「なんだとぉ? 戦うのが面倒だとぉ? ここは特務隊だろうが」
ジャコモの声を聞いて、チェイスが言った。
「うるさい、ジャコモ。ジュンの体に傷の一つでも付けてみろ、私がたたきのめしてくれるぞ」
チェイスの発言に、同じ副隊長のコナーが笑う。
「チェイスはジュジュ嬢のファンだからねぇ」
ジャコモは興奮気味に大きな声を出した。
「ジュジュ嬢?! 夢幻のゴーツを縛り上げ、ムチで打った。絶世の美女!」
「あら、私は幻夢に夢を見させた、唯一の美人だと聞いているわよ」
黒組のソフィの言葉にジャコモは目を見開いた。
「ジュジュ嬢は特務隊にいるのか?! ジュンの姉なのだな」
耳元で騒ぐジャコモに、ジュンは大きなため息をついた。
「ジュジュ嬢は亡くなりました。二度と姿は見られません!」
特務隊員は皆、ジュンの言葉に小さく笑った。
青組の新人であるジャコモが、ジュジュ嬢に出会うのは、そう遠い未来ではない事を、誰もが今はまだ知る由もなかった。




