第八十八話 秋に実るもの
さかのぼること半日前。
拠点の居間では、ミーナがクレアとハンナに、本を読んで聞かせていた。
メンバーが入ってくると、ミーナは読むのをやめて、コラードの元へ行くと尋ねた。
「ジュンは? お仕事、まだです。か?」
「ミーナ様」
コラードはそう言うと、しゃがんで笑みを浮かべる。
「ジュン様は、大変なお仕事を終えられ、少々お疲れなので、お休みになっておいでです。明日には元気になりますよ」
「ジュン。お仕事の後に寝る。は、いつもです」
コラードは優しい笑みを浮かべる。
「そうですね」
「イイコ、シテタ? ゴハン、タベタ? オフロ、ハイッタ? いつも、言います」
ジュンの真似だろうか、ミーナは声を低くして言った。
「全部、ミーナ様はできていらっしゃいますね」
コラードの言葉に大きくうなずき、ミーナはハンナの元に戻っていった。
事件が解決するまでの二週間、クレアも薬草畑や温室の小さな仕事を任されていた。それはコンバルの薬師の元でしていた事と、変わりはなかったので、慣れたものだった。
夕方の作業が終わり、夕食の時間になっても、ジュンが自室から出てこない事が気になるのだろうか、クレアは居間の扉に幾度も目を向ける。
夜になりハンナとミーナが、皆にお休みの挨拶をして客室に引き上げた。
ルークが調理場の片付けを終えて、声を掛けた。
「コラードさん。主の食事はどうしましょう?」
「大きな仕事の後は、あまり肉を喜ばれないですからね。米さえあれば、朝食の用意の中から、お好きな物を召し上がるでしょう。いつもの通りでかまいませんよ」
「米に合いそうな物を、後で少し作っておきますね」
クレアがおずおずと声を出した。
「あのぉ。調理場をお借りできないでしょうか? ご迷惑でしょうか?」
ルークはクレアに笑顔で言った。
「何か食べたい物でもありましたか? 作りますよ?」
言い出した事を後悔しているかのように、困った顔でクレアは言った。
「いえ。ジュン様に……」
「ジュン様が喜ばれるでしょうね。クレア様、お願いいたします」
コラードの言葉に、クレアはうれしそうな笑顔でうなずいた。
ルークはようやく理解をしたようで、優しい眼差しをクレアに向ける。
「調理場にご案内しますよ。器具や食材の場所は、誰でも使えるようになっているんです。遠慮はいりませんよ。料理は好きなんですか?」
「家では家事はモナという人と母がやります。私はお手伝い程度です。好きですが、上手ではありません。でも、ジュン様に食べていただきたい物があるんです」
クレアはそう言うと、食材と調味料の場所をルークに尋ねて、料理を始めた。
いつも調理の手伝いに入るワトと、見物をしていたマシューが、メンバーの元に戻ってきた。
「大丈夫っすかねぇ。主はフワトロのオムレツが好きなのに、思い切り焼いてるっす。魚も焼いてからバラバラにして、それをまた焼いてるっすよ」
ワトの言葉にマシューが続けた。
「真っ黒な石だぜぇ。歯ってよぉ、欠けたら魔法じゃ治らないしなぁ。食べなきゃクレア嬢が傷付くよなぁ」
トレバーが言った。
「クレア嬢を慰めれば良い。パーカーだな」
「いや。ミゲル様だろう。年の功ってやつだ」
パーカーはミゲルに振った。
「儂は女を泣かせた事はないのでのぉ。無理じゃのぉ」
ミゲルはニヤリと笑って言葉を受け取らない。
セレーナがメンバーを見回してから言った。
「主が食べれば良いだけでしょ? 内気なクレアがあれを言うのに、二週間も掛かったのよ。ここは死んでも食べるのが、男ってもんでしょ?」
あまりの男前な発言に、皆は微妙な顔でセレーナを見た。
ワトはそこでつぶやいた。
「食べて死んだら、男も女もないっす」
セレーナがワトをにらんだ。
「骨になっても男女の区別はつくぞ?」
パーカーはワトをかばおうとして、失敗したようだ。
「取りあえず、オレ。階段下で待機っす」
ワトは居間を出ていった。
「主は並の天然じゃねぇ。無意識に毒針を飛ばすしなぁ。両思いなのに実る前に落ちるのは、かわいそうで見たくねぇ」
マシューの力説にコラードは、口元を隠して笑っていた。
(全員、お二人の恋を実らせたいのでしょうね。その割には失礼な発言ですがね)
「おや。クレア様の料理が出来上がったようですね。そして、ジュン様も入浴を終えられたようです」
コラードの言葉に慌ててマシューが言った。
「自分もちょっと、階段下に行ってくる」
クレアはジュンが来るとコラードに言われて、食事を並べた。
「大丈夫でしょうか?」
少し不安げにコラードを見るクレア。
「ええ。とてもおいしそうですよ」
コラードはゆっくりとうなずいて、そう言った。
ジュンは居間に入ってくると皆を見回し、首をかしげて、食堂のテーブルに向かった。
クレアが少しはにかんで言った。
「ジュン様。よろしければ、召し上がってください」
ジュンは目を見開いた。
「これって……。クレアが作ってくれたの?」
「はい。モナがジュン様がお好きかもしれないと、教えてくれたんです」
「おいしそうだね。頂きます」
「「「よっしっ!」」」
居間で聞き耳を立てているメンバーが、小声で叫んだ。
「あぁ。なんておいしいんだろう。ノリがあるんだね」
ジュンのうれしそうな言葉に、クレアは首をかしげた。
「ノリ? これはヌルと言います。モナの故郷で作っているんです。魚のスープの臭い消しに使われるのですが、モナの実家では、大昔にカイ様が立ち寄られて、米に巻いたという話が残っているようです」
「これはヌルって言うんだね」
うなずくクレアを見て、ジュンは続けた。
「これはね。お結びというんだ。クレアは僕に何を作ろうかと考えただろう?」
「はい」
「中の具は何にしようか、僕は何が好きだろうか、喜ぶだろうか。そう思っていただろう? その気持ちがギュッと結ばれている。だからお結び。クレアの気持ちは本当においしい。上手だねぇ。僕だとこうはいかない」
「「「天然のたらしだ……」」」
メンバーは全員、脱力したように座った。
クレアはうれしそうに頬を染めて言う。
「大げさです」
「僕が作ると、中の米が潰れる。口の中でほぐれるように握るのは難しい。中の青魚も臭みがないね。ゴマともろみ汁も丁度いい」
ジュンは二つ目の握り飯を一口食べて、手にある残りを見つめた。
(梅干しとは違うけど、それっぽい)
「これは何? おいしいね」
「アンズ漬けです。母は夏場になると食が細くなるので、毎年漬けるのです。兄たちは嫌いますが、米とは合うと思ったので」
クレアの言葉に、ジュンはうなずく。
「うん。僕は好きだよ。あぁ。だし巻き卵も良くできている。この野菜の漬物はぬか漬けだよね?」
クレアは驚いたように言った。
「分かるんですか?! これは、モナが米のぬかで漬けるのですが、家では母と私しか食べないのです。お口に合いませんか?」
「おいしい。モナさんにぬか床を分けてもらえないか聞いてみようかなぁ」
ジュンの言葉に、クレアが笑顔を向ける。
「本当ですか? モナが喜びます」
「おいしかった。ありがとう」
笑顔でクレアに礼を言って、ジュンは尋ねた。
「ねぇ。クレア。米は何で炊いたの?」
クレアは首をかしげた。
「米鍋ですが?」
「米鍋? そんな物があるの?」
「母の実家は小さいのですが、領地を持っているのです。米や野菜を作っているので、米粉や米を食べる領民が多いのです。今はかまどのある家も少なく、使われていませんが、米がおいしく炊けるので、持ってきました」
「見せて」
そう言うと、ジュンはそばの調理場に入った。
「やはり、これが、米の香りを良くしていたんだね」
付いてきたクレアが不思議そうな顔をした。
「焦げですか?」
「これが黒いと焦げ臭い。この奇麗な薄茶色になると、余計な水分がなく米がおいしくなるんだよ。食べた事はない?」
そう言うと、ジュンは手を洗い、その手に塩をとり、焦げで小さな握り飯を次々に作った。
クレアに一つ手渡し、残りはルークに笑顔で渡した。
「すみません。料理の話だったのでつい……。ありがとうございます」
「いいよ。ルークが研究熱心なのは、知っているからね」
ルークは居間に戻っていった。
クレアは焦げの握り飯を口に運んだ。
「香ばしいですね。おいしい。家では焦げを揚げて、スープに入れたりしますが、これなら私にもできますね」
居間の方が、少し騒がしくなって、ジュンとクレアは小さく笑った。
ジュンとクレアが後片付けを終えて、居間に行くとコラードが窓辺にソファーを用意していた。
「あれ? 皆は?」
「自室に戻りました。そこの家事室で、カリーナとエミリーの手伝いをしております。用事がございましたら、お呼びください」
「うん」
出て行くコラードを目で追ってから、ジュンはクレアに椅子を勧めた。
「仕事であまりそばに居られなくて、ごめんね。何か不都合はある?」
「いいえ。皆さんにとても良くしてもらっています。ミーナちゃんとも、仲良くなれました。私は末っ子だから、妹が欲しかったんです」
「そう。一年半でミーナも成長したんだね。ひどい人見知りだったんだよ」
「ジュン様のお手紙に書かれていたので、心配でしたけれど、元気そうで安心しました」
「大人しかいない家だからね。学校に行かせるようだよ。無理なようなら、家庭教師にするらしい」
「お友達ができると良いですね」
「そうだね。ミーナ次第だね」
「そう言えば、ジュン様のお仕事、お婆さまに聞きました」
「言えなくてごめん。僕はこの場所で、暮らさなければならない。悩んだよ。クレアにどう伝えようかってね」
クレアの不安げな目を、ジュンは見つめて続けた。
「僕の気持ちはあの日から、変わらない。クレアが卒業する時に迎えに行きたい。ここで一緒に暮らして欲しいと思っている。でも、それはクレアにとっては、ここに閉じ込められる事になる。ご両親が、仕事を離れるまで、共には暮らせない。一人で実家に帰る事もできない。特に友達とは会えない。友達が危険だからね。そんな生活を強いるのは残酷だと思っている。それでも、来年の春には、ご両親に婚約の許可をいただこうと思っている。それまでに考えておいて欲しい」
「お婆さまの息子が父親です。危険は子供の頃から、幾度も聞かされてきました。家族に会いたければ、ジュン様が会わせてくださるのでしょう?」
「それはもちろんだよ」
「私の気持ちも変わりません。来年の春。お待ちしております」
「ありがとう。クレア」
(前に座ってくれていて良かった。今夜は狼になる自信があるよ)
ジュンはクレアを見つめた。
(ジュン様。お気持ちはうれしいのですが、面立ちがお優しいので、お耳と尻尾が愛らしく揺れる、獣人族のお子さんのようです)
広い居間の窓辺にいる二人を、月だけが見守っていた。




