第八十五話 テントと秋の湖
空が遠のいていくようで、秋はどこか心もとない。
たくましい雲に変わって、今にも走り去りそうな雲があるからだろうか。
少し面倒な仕事がようやく終わったジュンは、一晩中鳴っていた雷のせいで朝から機嫌が良かった。
朝のトレーニングを終えて食事をしながら、誰に言うともなくつぶやいた。
「キノコは出たかなぁ?」
拠点は未知領域と言う名の森にあるのだ。
「雷がなっておったからのぉ。ここら辺りの木は良いキノコを育てそうじゃ」
背後から聞こえるミゲルの言葉に、ジュンはうれしそうな笑みを浮かべる。
「ミゲル様。少し探検に行きませんか?」
「良いのぉ。狩りも楽しかろうのぉ」
「俺も連れて行ってくれ。秋にしか採取できない薬草があるんだ」
「パーカー。温室は完成したんだね?」
「皆が手伝ってくれたからな。まぁ。薬草の温室の倍はある、野菜温室ができたがなぁ」
そう言いながらも、パーカーはうれしそうである。
ジュンとミゲルとパーカーは拠点から、水竜の守りを抜け森に入って行った。
「ミゲル様。夕方くらいまでに湖に行きませんか? 畔でテントから外を眺めるのも良いでしょう?」
「それは良いのぉ。魔物の水場とシルキーが言っておったが、良い薬草もありそうじゃのぉ」
二人の話を聞き、パーカーは楽しそうな笑みを浮かべて言った。
「そうですね。俺も楽しみだ。湖の水にも興味がある」
ジュンは左目をフルに使ってキノコを集め、挑んでくる魔物を仕留めて行く。
ミゲルは薬草を見つけては、パーカーと薬の話になる。
夏が暑かったせいか、木の実の実りも良く、三人はなかなか前に進まない。
帰りもあるからと、ジュンが急かせて何とか湖畔にたどり着いた。
「ほぉ。これは……」
「世界で一番美しい妖精湖に、勝るとも劣らないな」
ミゲルの言葉を補うようにパーカーは言った。
ジュンは二人の言葉に、うれしそうに言った。
「奇麗でしょう? 上から見ると、真っ青なんだよ」
「上からだと?」
驚くパーカーにジュンは言った。
「うん。拠点の場所を探すのに、シロにここらを飛んでもらったんだよ。たくさんの魔物の水飲み場になっていたよ」
早速、水を汲むパーカーを見ながらミゲルが言った。
「かなりの深さがあるようじゃ。雪解け水や雨水で補える大きさではないのぉ」
「多分、湧き水だと思うんですよ。川が一本しかなくて、それが細い滝になって海に落ちているんですよ」
ジュンの言葉にミゲルはうなずいた。
「なるほどのぉ。この湖の水は奇麗すぎて、おそらく、魚もおるまいのぉ。冬でも凍らないのなら、冬に眠らない魔物には良い水場じゃのぉ」
「景色は良いのですが、暮らすとなれば、危ないでしょう?」
「確かにのぉ」
ジュンは辺りを見回し、一本の木に登り始めた。
枝から湖を眺めると、長いひもがついた小さなカバンを木に縛り付けた。
「何かの罠か?」
パーカーの問いにジュンは笑った。
「何度か会議をしたテント。あれが中に入っているんですよ。穴が湖に向いています。入りましょう」
三人は中に入った。
「天井に映るので、ずっと見るには寝転がるしかないんですがね」
ジュンの言葉に、ミゲルが笑う。
「さすがのジュンでも、改良は難しいようじゃのぉ。音が聞こえるようにはなったがのぉ」
「改良だって!? オイオイ。これのどこを改めるんだ? 十分だろう。神魔導具だろう?」
パーカーの言葉にジュンは困ったように笑う。
「そうなんだけどね。これを作った人はもうこの世にいないんだ。魔方陣もなくて書き換えもできなくてね。音は後付けで無理やりつけたんだよ」
「それで、主はこれのどこを直したいんだ?」
ジュンは入り口から突き当たりの壁まで行くと、壁に触りながら言った。
「ここをね。こぉんなふうに大きな窓にしてね。景色が見られたら良いでしょう?」
ミゲルとパーカーはポカンと見ていた。
それは夢を語るジュンに、あきれているのではなかった。
いや、あきれているのは確かなようではあるが。
「ジュン。外が見えておるのぉ。空じゃのぉ」
「あ、主。そのぉ、夢が叶って良かったな……」
「え?」
ジュンは振り返り、飛びのいて、二人の横に行くと遅れてポカンと壁を見た。
「なんでぇ? どうしてぇ?」
ミゲルはしばらく考えて、ジュンの手を取った。
「やはりのぉ。ジュンの血と思考じゃな」
ジュンの指には木に登った時についたのであろう、小さな傷に血がにじんでいた。
ミゲルは自分の手を傷つけて、キッチン側の壁に手をつき、しばらく目を閉じていたが、振り返って言った。
「儂にも同じ血が流れているはずじゃが、全く反応しないのぉ。この石は持ち主が分かるのかのぉ」
(血だというのなら、僕とカイは似ているんじゃない。同じなんだよ、ミゲル様。ごめんなさい。それは言えないんだ)
ジュンは外に出ると、再び木に登り、石を寝かせるとテントに戻った。
「天井に空。デカイ窓から湖。最高だぜ主!」
「そうじゃのぉ。ジュン、シルキーに良いカーテンを作ってもらうと良いじゃろうのぉ。このテントは若い者にはつらかろうのぉ」
「そうですね。寝坊はできませんね」
魚介ベースのクリームシチューと、カリッとしたベーコンとガーリックの味が、染み出たバターで焼かれた、採れ立てのキノコ。
三人はゆっくりと水辺の魔物を見ながら、食事を楽しんだ。
食後は片付け終わったテーブルに、ミゲルとパーカーは薬草を少しずつ出しては、あれこれと薬の話に夢中である。
ジュンも左目を使いながら、話を聞いていた。
「これは、解毒にはなるが、体質に合わないと毒だなぁ。血が固まらずに良いのだが、弱くてもこっちですかね」
「辛根は匂いもきついからのぉ」
ジュンの左目にもその植物は辛根と表示されていたが、ミゲルの手の中にある根にジュンは見覚えがあった。
「ミゲル様。その根を一本、僕に頂けませんか?」
「そこら中にあるから、かまわんよ」
ジュンは根の先を少し折って、口に入れた。
(これ! ホースラディッシュだよ。肉屋の息子で良かった! 山わさびだ)
ジュンはキッチンに行くと、ローストミノタウロスを切り、辛根のすり下ろしをのせて、チーズと交互に並べて、冷えた酒と共に二人に勧めた。
パーカーは少し困った顔をしながら、食べた。
「合うな。これはくせになる」
ミゲルはそれを見て笑いながら、肉を口に入れた。
「やはりのぉ。ジュンが出すものに間違いはないのぉ。それで、ジュンは何を食べているのかのぉ?」
「これは、生の魚ですから、お二人は食べないかと思いまして」
「一人で食べるのは、ずるいのぉ」
「一口ぐらいは食ってみたい」
この世界で暮らす人たちは、毒があるので生魚は決して食べない。
それはフグのように、内臓に毒があるのではなく、身に毒があるのだ。
火を通して消えるその毒がある魚は、小さくても群れで魔力を使う魔物なのである。ジュンはただの魚と魔物の区別を水竜に教わった。しかし、それはまだ人の知らない領域だった。
「うまいな。毒はどうしたんだ?」
「さて、種明かしが楽しみじゃのぉ。これは酒がすすむのぉ」
ジュンは小さく笑うと、水竜から聞いた話をした。
「なんだと! 魚は魔物だと?!」
パーカーは案の定、驚いたようだ。
「魔物ではない物は、少ないのじゃのぉ。竜も大変じゃのぉ」
ミゲルは、水竜に同情したように言った。
「いえ、ミゲル様。水竜はどちらも食べますよ? 頭も骨も残さずに」
「……。毒袋でもあるのかのぉ。丈夫で何よりじゃ」
同情をして損をしたかのように、ミゲルは言った。
ジュンは驚いたように、ミゲルを見た。
「さすが、ミゲル様。水竜の毒袋をご存じでしたか?!」
「知る訳がなかろう! 水竜を解体した話など、聞いた事もないのじゃ。飛竜には毒袋はないからのぉ。水竜は毒で攻撃をするのかのぉ」
身を乗り出して聞くミゲルにジュンは言った。
「いえ。解毒袋みたいです。ほとんどの毒は効かないようですよ」
今度はパーカーが身を乗り出した。
「なんだと! 万能解毒袋なのか! 水竜の毒袋は一度で良いから見たい! 薬師なら誰でもが思う! だが……。これは絶対に口外はできん。賢者の石みたいな騒ぎになる」
どうやら自己鎮火したようである。
ジュンは湖に目を向けた。
秋の大雨の翌日は、月が大きくて美しい。
電気のないこの世界の月は、格別に美しいのである。
「月明かりが浮かぶ湖のほとりに、二頭のユニコーン。絵になりますよねぇ。描けませんけど……」
「なんだと!」
「生きておったか!」
ジュンは、パーカーとミゲルの驚きように、首をかしげた。
「絶滅でもしたんでしょうか? いますけど?」
ジュンの言葉にミゲルはうなずくと語った。
「そうじゃ。ジュンは育った環境が特殊じゃから知らぬだろうが、グリュマー家の名を知らぬ者は少ないのじゃよ」
パーカーは眉をよせて言った。
「俺たちエルフ族は、今は途絶えたその家名を誰も口にはしない」
三百年ほど前の話のようである。
エルフ族の国マドニアには、ユニコーンの森があったのだと言う。
ユニコーンはその森にだけ生息し、王家はその森を大切にしていたらしい。
その森があるグリュマー領地は森がほとんどを占め、人里は少なかったが、森の恵みを受け、人々は猟と小さな畑を耕し幸せに暮らしていたようだ。
パーカーとミゲルは物語を聞かせるかのようにジュンに話した。
グリュマー家の、何代目かの当主が亡くなった時から、話は始まった。
代替わりの後、領主になった息子は、登城して知った自分の地位の低さを嘆き、王都で優雅に過ごす貴族を羨んだ。
ユニコーンの森に王家が訪れたのは、何代も前の話だった。森を守る費用が出ている訳でもない。あるのは古びた覚え書き程度の物だったのである。
そこで、領主は領民に重税を課し、森を開墾させる事にした。
ユニコーンを生け捕りにして、世界中の貴族に密かに売り払ったのである。
金が面白いように入ってくると、長年地味な生活を強いられてきた一族は、こぞって我が世の春を謳歌した。
その領主には高魔力の優しい長男がいた。彼は父親の愚行を幾度も止めたが、聞き入れてもらえず、とうとう屋敷の牢に幽閉されてしまった。
彼は、自分の乳母に手紙を託した。そして、時を見計らい父親が贅を凝らした屋敷に、火魔法を放った。
幽閉中の彼はその日の風向きを、知らなかったのだろう。
火は森に燃え移り、幾日もかけて、ようやく鎮火した。
辛くも避難ができた領主と、その恩恵を受けたグリュマー家の一族は、ただちに拘束された。直系の男子は、一人残らず処刑されたのである。
森の民であるエルフ族で森を焼いた、唯一の一族グリュマー家は、その名を後世に残して消えた。
「こんな話じゃのぉ。乳母が手紙を届けた先はギルドだったのじゃ。当時の総長が自ら陣頭指揮に立って、ユニコーンをシオン様の土地に避難させたのじゃ。環境も変わり、少数じゃからのぉ。絶滅したと思われておるのじゃ」
ミゲルの言葉にパーカーがうなずいた。
ジュンは少し不思議そうに聞いた。
「それにしても男子全員ですかぁ。厳しいですね。その後はどうしたんでしょうね」
パーカーが小首をかしげて言った。
「その後の話は聞いた事がないな。家名がない女性は、平民の中に入ると分からないからな」
夜も更け。三人はゆっくりと眠った。
次の日はたくさんの秋を土産に、ジュンたちは拠点へと帰った。
拠点でメンバーと秋の味を楽しんでいるジュンが、グリュマー家の話の続きを知る日がくるとは、今はまだ知る由もなかった。




