第八十四話 助けて!
(この入り江は水竜がシロに与えた場所なんだ。彼が拠点のせいで来られなくなるのは、心苦しいからね。皆に受け入れられて、本当に良かった)
ジュンは石段の途中で、自分を見るコラードとマシューの笑顔を見て、うれしそうに笑った。
『助けて! カイ! 爺ちゃんが死んじゃう!』
『え? 何?』
そう言った瞬間、大きな波が現れて、ジュンは慌てた。
『大丈夫。この陸球の中は陸の空気があるから、水にぬれないよ』
ジュンはため息を一つついて、座った。
陸球と呼ばれるそれは透明で、水族館にでもいるように海の中が見えた。しかし、この状態でジュンにそれを楽しむ余裕はないようである。
取りあえず、心配しているであろう、コラードやメンバーに連絡を入れようとしたが、つながらない。水の中では空間魔法が無効になるようで、それを利用した物は使えなかった。
「まぁ。伝書鳩も無理だろうけどね」
陸球の上には肉のない指。その上には長くびっしりと鱗に覆われた体がある。
それは、かつて本で見た水竜の姿だった。水竜は泳ぎに特化しているので、頭以外はほぼ同じ太さで長く、頭の位置は動かないがゆっくり体をくねらせて泳いでいる。顔の横の鱗が動く事からエラがあるようだ。
「シロはファンタジー・アニメで、水竜は爺ちゃんの家の掛け軸で見たよ。それにしても水深どの位なのかなぁ。真っ暗になったよ……」
『ここは、陸の下。陸の下には海の道があるんだよ』
「海の中でも話せるんだね」
『魔力交信は空気がいらないから便利』
「なるほどね。あぁ、そうだ。僕はカイじゃない。カイのいとこのジュンと言うんだけど、僕で役にたてるの?」
『え? だってカイと同じ魔力が……。あ、あぁ! 違う!』
「カイはもう、この世界にはいないよ。どうする?」
『もうすぐ着く。取りあえず連れて行くよ。ごめんね。帰りはちゃんと送るからね』
ジュンは体は大きいが、どこかかわいげのある竜の言葉に小さく笑った。
急に視界が明るくなった。
とはいえ、海の中に違いはないのだが、紺に近い透明感のある、青い竜の鱗が輝き、時々水でゆがんだ夕日が見えていた。
深い海の中で放り出されると、生還する自信はないが、水面が見える場所だとなんとかなると思ったのだろうか、ジュンの顔には安どが見える。どうやら竜の手中にある事は、大きな問題ではないようである。
ギルド島から陸地の下をくぐり抜けたのだから、この海は未知領域の先にある事になる。地図を何度も見ているジュンには、どんどん近づく陸地が、地図にない島である事は、容易に理解ができたようである。
その島には、洞窟の入り口のような大きな穴があり、海は中へと続いていた。
『到着したよ』
『そうなの?』
なぜ、竜が到着を告げたのか、ジュンは身をもって知る事になった。
陸球が一瞬で消え、ぬれている石に、ジュンはそのまま座ってしまったのだから、たまったものではない。
「うわっ! あぁ。お尻が……。これから何があるか分からないから、着替えは後だよね」
『ついてきて』
水竜はそう言うと、体からはみ出しているかのような、短い四本の足で歩きだした。確かに長い体を持ち上げるには、四本でも足りないくらいではあるが、トカゲのような歩き方である。
ちなみに水竜以外の竜は猛きん類のように足は二本である。
『どこに?』
『案内するわよ?』
『そうじゃなくてね。君って長いでしょ? 尻尾? 頭? 足? どこについていけば、良いんだろうと思ってね』
人には分かりにくいが、水竜は眉を寄せた。
『歩く時に話をするでしょ? 尻尾にいたら、顔が見えないよ』
『あぁ、なるほどね。ごめんね、長い友人がいなかったから』
『……。私にも短い友人はいないわ』
水竜はジュンの顔を見て、小さく首をかしげると歩き始めた。
洞窟には当然だが、魔導具はない。
しかし、ダンジョンと同じように明るかった。
『どうして、ここは明るいの?』
『うん? あぁ。水竜の長は水を浄化する力があるから。目には見えない小さなものが、汚い物を浄化すると光るのよ』
『すごいね。これだけ明るくするのには、たくさんの力が、必要なんだろうね』
『そうじゃないよ。浄化しきれない洞窟みたいな所では、勝手に増えるのよ。だから時々、減らしてやらないと、まぶしくなるの。さぁ着いたよ』
野球でもできそうな空間に、長い水竜が一頭。
そして、その横に黒くて大きな竜……。
『竜王。どうしてここに?』
『ジュンを呼びに行かせたのは、儂だからな。長が危険な状態なのだ。助けてくれんか。儂ではどうにもならん』
『そうなんですか? 彼女はカイを探しにきましたよ?』
『だろうな、よほど長が心配だったようで、最後まで聞かずに飛び出したからな』
『ごめんなさい。ねぇジュン、爺ちゃんを治せる?』
水竜はジュンの顔をのぞき込んで聞いた。
『どこが悪いんですか?』
ジュンは竜王に尋ねた。
聞けば突然、水も食事も口にせず、声を発する事もなくなったのだと言う。
竜は十日ほど食事をしなくても生きる事は可能だが、ひと月ともなれば、周りが心配をするのは、理解ができる。
水竜の長は魔力交信ができるので、倒れる間際まで、平然としていたようだ。
『どこが、痛いのか、つらいのかは聞かなかったんですか?』
『爺ちゃんが、そんな事を言うわけがないよ』
『ただな、死を覚悟したようで、儂にこやつを任せるつもりで、呼んだようだ』
竜王はそう言うと、水竜を見た。
『その時は、意識があったのですね? どこが、悪いか聞かなかったのですか?』
『どうやら、喉を痛めたようで、水も薬草も飲めなかったようだ。生き物はみな、食わねば生きてはおれぬ。長として、何とか気力で頑張ったようだ』
ジュンは水竜の長の腹から顔に向けて歩きながら、治療魔法を掛けていった。
顔に差し掛かると、治療魔法が一点に集中したのが、分かる。
だが、その範囲が驚くほど小さい。
『何かが刺さっているのかもしれません。それだと、話とも合いますからね。意識はないので、どなたかに中を見てもらうしかないのですが』
『儂では役に立たぬな』
『私がする。爺ちゃんの口を開けるよ』
水竜が器用に体を使い、長の頭を横にして、下顎を引くとだらりと長い舌が出てきた。しかし、口の中をのぞく事はできなかった。
『僕が口の中に入るしかありませんね。長の口が閉じないように、硬い物をかませておきたいですね。何かないかなぁ。太い木とか』
『木は儂が運んでこよう』
『木より堅い木が、たくさんあるよ?』
ジュンは水竜の後を走って付いて行った。
そこにあったのは大量の流木だった。
『流れ着くんだよ。入り口を塞いで邪魔になるからね』
ジュンはできるだけ短くて太い物を探した。次に腐ってもろくなっている部分がないかを調べた。流木は木の種類のもよるが、石のように硬くて重い物がある。
ジュンは切り株のような物を三つ程選び、倉庫に入れると長と竜王のいる場所まで戻った。
『竜王。このロープが思い切り引かれたら、僕が長に飲まれるところですからね。引っ張ってくださいね?』
『任せておけ』
『爺ちゃんは、ジュンを飲んだりしない!』
水竜は悲しそうに声を荒らげた。
ジュンは困った顔をして、倉庫から小さなクッキーを取り出して食べた。
『舌を出してみて? いいかい? これは見ていた通り食べられるよ。でも食べてはいけない。飲んでもいけないよ?』
ジュンはそう言うと、水竜の舌の奥にクッキーを素早く載せた。
『あ、飲んじゃった』
『ね、分かったでしょ? 長は僕を食べる気なんてないよ。でも飲み込んでしまうんだよ』
『ごめんなさい』
『怒ってなんていないよ。長が大事なのは、分かっているからね』
ジュンは笑顔でそう言った。
倉庫からヘッドライトを出して、頭に装着すると、流木を床に置き、長が口を閉じる事ができないようにした。
闇の魔法で眠りを掛けてから、ロープで体を縛るとその端を竜王に預けた。
竜の口の中は二メートル程の奥行きがある。もちろん立つ事は不可能なので、ほふく前進しかないのだが、つかまる物もない場所で、口呼吸で起こる風は厄介である。
力なく垂れている舌に固さはなく、体のバランスが取れないようで、ジュンは長の丈夫そうな歯を支えにしたようだ。
「あれだ! あれは痛そうだ」
食道や気管につながる、大きな穴の上。長にとっては左側の喉に見えるのは、片手でちょうど握れるような剣の柄だった。
ジュンは辛うじて、奥歯の裏部分に足を載せてゆっくり膝を伸ばした。喉の奥はうかつに触ると飲み込まれる。腰を曲げたままの体勢で手を伸ばした。
しかし、剣と手の先との間には、どうやっても埋まらない隙間がある。
間違って剣を落とすと、取り返しの付かない事になる。
頭の位置をずらすと、おそらく、舌に隠れてしまうだろう場所。
『竜王。見つけたよ。ただ、場所が良くないんだ、ロープを張ってくれる? 飛びついて一気に引き抜こうと思っているんだ。何が起こるか分からない。ただね。剣を長が飲み込む事は、避けたいと思っている』
『分かった。少し時間をくれ』
どれほど待っただろうか、ジュンは座って果実水を飲んでいた。
(熱があるから熱いんだよ。おまけにする事もないしね……)
『ジュン。良いぞ』
ロープはほんのわずかな遊びを残して、張られた。
ジュンは軽くジャンプをすると、右手で柄を握りしめた。ググッと小さな音と共にナイフが抜けた。ジュンは急いで傷口に回復魔法を掛けた。
外から強風が入ってきた。ロープは外に引かれているのだが、体は奥に引き込まれそうで、ロープが痛いほど体に食い込む。
その時だった。体の奥から何かが、ジュンを突き飛ばした。
ジュンは大の字になって、洞窟の天井を見ていた。
『長がせきをしたのだ』
ジュンは右手の剣を上げた。柄の一・五倍ほどの剣身を持つ短剣があった。
『やったね! 回復魔法で止血もしてあるよ』
『ジュン! すごいや。助けてくれてありがとう』
その声は水竜の声ではなかった。
『シロ?』
『うん。おじさんが心配できちゃった。僕がおじさんを、押さえていたんだよ』
長の方を見ると、水竜がうれしそうに長に顔をすり寄せていた。
『あれは、両親を亡くして、祖父である長に育てられたのだ、片時もそばを離れずにおった。ジュン感謝をするぞ。あれは儂の妻の兄でもあるのだ』
『そうだったんですね。お役にたてて良かったです』
ジュンはそう言うと、シロを見て言った。
『シロお願いがあるんだよ。僕が海で急に消えたから、皆が心配していると思うんだ。家に手紙を届けてくれる? 僕は長が心配だから、様子をもう少し見てから帰りたいんだ』
『うん。良いよ』
シロは片足を上げて指で丸を作って見せた。
それからしばらくは、火の通った物は口にしない長のために、ジュンは魚のたたきや薄造りを作った。
次々に長の見舞いに集まる、水竜たちの言葉はわかるが、魔力が少ないのだろう竜に言葉が通じない。
ジュンは両手で丸やバツを作りながら言った。
「シロ。これって楽しいけど、疲れる事だったんだね……」
一週間後。
陸球が苦手なのだろうか、ジュンは水竜の送ると言う申し出を丁寧に辞退して、島の上から拠点に転移した。
「お帰りなさいませ。ジュン様」
「ただ今戻りました。コラード、お風呂に入ってくるよ」
「はい。ご用意いたしております」
「ありがとう。説明は難しいんだ。これを見て」
ジュンは頭の皮ひもをコラードに渡すと、自室に向かった。
コラードは執務室に全員を集めると、モニターの映像を見た。
「ほぉ、また無茶をしたのぉ」
ミゲルの言葉にワトは言った。
「手紙には、水竜の喉に魚の骨が刺さったと、書いてなかったっすか?」
「魚の骨のような物だったぜぇ?」
マシューの言葉にセレーナが言った。
「骨が剣でできている魚はいないわ。主は心配を掛けたくなかったのよ」
「それにしても、風呂、長くないか?」
パーカーの言葉に、シルキーが笑った。
「ジュン様は、果実水にお祈りを捧げているわ。髪だけは乾かしておいたわ」
「ジュンは、神に祈りは捧げないのぉ」
ミゲルの言葉にトレバーが言った。
「倒れたか?」
全員がジュンの部屋に向かった。
正座をして床に両手を伸ばし、その先の果実水を取ろうとしている姿は、確かに祈りを捧げているように見える。
ミゲルはジュンのそばに行って、ニヤリと笑った。
「寝ておるのぉ」
「果実水を取ろうとしてるんじゃないぜぇ。ベッドに行こうとしていたんだ」
マシューの言葉にワトが続けた。
「俺たちの部屋なら、たどり着いたっすけどね」
残念そうにミゲルが首を振った。
「さぞ、無念じゃったろうのぉ」
「ジュン様は、生きておいでです」
コラードはそう言うと、優しい笑みを浮かべて、ジュンをベッドに運んだ。




