第八十三話 さらわれたジュン
拠点前の海辺は、朝から騒がしい。
それは数日前の夜の話である。
「そろそろ、魚の仕入れに行かないと駄目ですね」
ルークの言葉に、トレバーが言った。
「弟のライリーの所から、もらってくる」
その話を聞いていた、ジュンが言った。
「トレバー、魚を捕る網ってどこに売っているの?」
「その土地の商業ギルド。ヘルネー国とマドニア国の物が高いが質はいい」
「ルーク。前の海で魚を捕ろうよ」
ジュンの言葉にルークは困った顔で笑う。
「素人じゃあ。どうにもならないですよ? 船はどうするんです? 全員で釣りをした方が確実な気がしますよ」
「皆がそろう、天気の良い日にさぁ。外でご飯を食べながら、泳いだり昼寝をしたりして過ごすんだよ。そのときに魚も捕ろう」
「ピクニックですか? 目の前で?」
ルークが不思議そうに首をかしげた。
「弁当は要らないんだよ。火をおこして好きな物を焼いて食べるからね」
ジュンの言葉にトレバーが言う。
「野営か?」
「あぁ。そうそう。そんな感じ」
ジュンはうれしそうに答えた。
そして、皆がそろう、天気の良い日がきたのだった。
「かまどに使う石が足りないぜぇ! なんだってこんなに金網があんだよ?」
「石は後ろに積んであるっすよ。主は肉も魚も野菜も焼くっすよ。オレは前にごちそうになったっすけど。米を焼いたのは絶品っすよ」
マシューとワトは火の担当である。
拠点のメンバーは長机のベンチに腰を下ろすと、申し合わせたかのように空を見ている。
実はジュン。当然の事だが、漁を知らない。網を購入したのは良いのだが、その重さに驚いたのだ。その網を引いて海の上を歩くのは早々に諦めて、竜の息子に助けを求めたのだった。
その話を聞いたメンバーは、近場のピクニックが急きょ、人生最大のイベントに変わったのは、言うまでもない。
この世界の人々にとって、竜は特別な生き物のようで、絵本などにも登場するが、常に正義の味方を助ける役割なのである。世界で一番強く、賢い生き物となっているのは、某国への配慮のようではあるのだが。
シルキーがうれしそうにカリーナの膝の上で笑う。
「来たわ。もうすぐ皆にも見えるわ」
「そうなんですか? ドキドキしますね」
カリーナはそう言うと、膝の上のシルキーにほほ笑んだ。
シルキーの言葉通り、竜はその大きな体で、静かに地面に降りた。
「待ってたよ」
ジュンは竜にほほを寄せて言った。
『皆、ジュンの友達? ボクは大きいから、怖いだろうなぁ?』
「あぁ。皆は怖がっているんじゃないよ。竜が初めてだからびっくりしているんだ」
ミゲルがうれしそうに竜の前にきた。
『ほぉ、初めましてじゃのぉ。儂はミゲルと言う。どうやら儂も会話ができそうじゃのぉ。長生きはするもんじゃのぉ』
『初めまして。ミゲル。人間のおじいちゃん?』
『そうじゃよ。そなたほど生きてはおらぬがのぉ、人の命は短いからのぉ』
そう言ってミゲルが伸ばした手に、竜は顔を寄せた。
シルキーが小さくなって、竜の顔のそばまで、飛んできた。
『スプリガンがお世話になっているようね。彼に優しくしてくれてありがとう。シルキーよ』
『妖精さんなんだね。すごいや。会えてうれしいよ』
『私もよ』
ジュンはまだ、緊張を隠せない皆を見て言った。
「皆。竜は話せないけど、言っている事は分かるから、大丈夫だよ」
それから、竜に話し掛けた。
「分かった時や、良いよの時は首を縦に振って、嫌な時や駄目な時は横に振ってあげてくれる?」
『分かった。こう?』
竜が首を縦に振って見せると、感嘆の声があがった。元来、好奇心が強いメンバーである。
それぞれが、名前を名乗っては竜に話かける。
「主。竜の名前は契約者にしか教えないって言うぜぇ。でもよ。竜って呼ぶのも変だろう? 竜なんてたくさんいるんだしなぁ。愛称? ここでの呼び名を付けるのは駄目かなぁ」
マシューの言葉で、ジュンは竜の顔を見た。
『どうする? 名前はまずいの?』
『皆が呼びやすいように付けてくれるのは、うれしいよ』
それからたくさんの愛称候補がでたが、竜が選んだのはシロだった。
『シロって……』
ジュンは小さく笑って、竜、改めシロを見た。
『ボクの色だって言った。この色はボクだけの色だから』
『でも竜王になって、番いを見つけたら色が変わるでしょ?』
『ジュン。ボクの色が変わる時には、ここにいる誰も生きてはいないんだ。ボクはたくさんの思い出を作るんだよ。父さんがそうしたように。一人で残されても、寂しくないようにね』
『分かったよ。シロと僕とで、たくさんの思い出を作ろうね』
シロはうれしそうに目を細めて、首を縦に振った。
浜に網のロープを置き、ジュンを足に載せ、網の逆がわのロープをくわえて竜は入り江を飛んだ。
皆で引いた地引き網は大漁で、大きな樽に何杯もの海の幸が捕れた。
拠点にはジュンとミゲルがいるので、時の魔法の魔石は困らない。
貯蔵用の物を、地下一階の倉庫に運び込むと、お待ちかねの網焼きが始まった。
新鮮な魚や肉や野菜が焼かれる。
ジュンはシロの食器を出した。
皆がシロの食器に食べ物を入れる。
『ジュン。楽しいね。皆、優しいね』
「うん。たくさん食べるといいよ」
『焼いた魚はおいしい!』
「皆! シロは焼き魚を初めて食べて、よろこんでいるよ」
「シロ、野菜も焼けたぜぇ」
マシューが言うと、ワトも言った。
「ステーキも食うっすよね? 食う? 食わない?」
ワトが頭の上で手で丸を作り、次にバツを作るのが、面白かったのだろう。シロは器用に片足を上げて鋭い爪のある指で、丸を作って見せた。
その姿がかわいくて、誰もが笑顔になった。
「俺が作ったスイカって物だ。皮が固いから半分に切ってきたんだ、中の赤い所だけ食えよ」
パーカーの言葉に、シロはスイカの赤い部分を食べ、それから首をかしげてから、皮を食べて首を縦に振った。
『おいしい!』
残りの半分は皮ごと口に入れると、少し上を向いてうれしそうに食べた。
『スイカはおいしい。好き』
「パーカー、気に入ったみたいだよ」
「そうか、また、竜王にも持っていくか?」
シロはうれしそうに首を振ると、得意げに足を上げて、丸を作った。
パーカーは袋や籠を編むのがうまく、人が入れそうな蓋付きの籠にスイカを入れて、蓋の開け方をシロに教えた。シロはそれを見て器用に真似をした。
シロは皆に漁の感謝の言葉をもらい、スイカの籠をぶら下げて飛んで行った。
メンバーも後片付けを終えると、拠点へと戻って行った。
コラードとマシューは石段を登っていた。
「この年でまさか、海で遊ぶとは思っていなかったぜ。主といると退屈しねぇ」
「そうですね。ジュン様は遊びも仕事も、全力ですからね」
コラードと、マシューはそう言いながら、振り返った。
二人の視線に気づいて、ジュンはまるで子供のような笑顔を向けた。
ジュンの屈託のない無邪気な笑顔に、二人も思わず笑みを浮かべた。
「ジュン様!」
「主!」
それは、一瞬の出来事だった。穏やかな入り江に突然できた大きな波。まるで生きているかのようにその波は、ジュンをさらって、消えて行った。
先に我に返ったのはコラードだった。
「マシュー、ミゲル様に連絡を!」
コラードは、上着と靴をもどかしそうに脱ぎ捨てると、海に飛び込んだ。
何度も水面に顔を出しては、潜るコラード。
(ジュン様! どこにいらっしゃるんです?! ジュン様!)
「コラード。もう良い。あれはこの入り江にはおるまいよ。生きておるようじゃ」
「ミゲル様……」
コラードの、既に感覚がなくなっているであろうほほに、涙が伝った。
涙を洗うかのように、もう一度海面に顔を付けると、彼は岸に向かった。
岸ではびしょ濡れの男たちが、唇を紫色にして座っていた。
誰もが口を開かず暗い顔をして、夕日が海にその姿を隠すのを見ていた。
海の上を、歩いて声を掛けていたようで、ミゲルは皆の前に立つと言った。
「居間に明かりを一晩中つけておこうかのぉ。さぁ、体が冷えておる。帰るのじゃ。ジュンはあれでも人の子じゃから、海の中で息はできぬのじゃよ。認識証に生存反応があると言う事は、水の中にはおらんじゃろうのぉ」
「引きずり込まれて、けがをしているのかもしれないっすよ。ミゲル様、どこにいるか分からないっすか?」
ワトのすがるような目を、ミゲルは優しく見つめた。
「さてのぉ。あれは高魔力者じゃ、薬も持っておる。待つしかないじゃろうのう」
「みなさんが風邪でも引いたら、ジュン様が心配をなさいます。戻って、塩辛い体を洗いますよ」
コラードの言葉に、全員が重たい腰をあげ、とぼとぼと拠点に向かう。
振り返り、振り返り海を眺めては、誰もが切なそうな目をしていた。
入浴を済ませると、誰に言われるでもなく、居間に全員が集まっていた。
居間にあるソファーは、全て窓の前に運ばれ、月明かりしかない暗い海に向けられていた。
誰もが口を開かない。ただ調理場のルークが、料理を作る音だけが、響いていた。
そのルークと言えば、袖口で涙を拭いながら、作っているものだから、誰もが料理の音がうるさいとは言えずにいる。
そこに、転移室に人が来た音がした。
拠点に来訪者はない。メンバーは転送室に向かった。
「おや。すごい歓迎だねぇ」
「いらっしゃいませ。ジェンナ様。申し訳ございません」
ジェンナはコラードの肩を、慰めるように叩くと言った。
「責任を感じる必要はないよ。さて、ミゲル様はどこにいるのかねぇ」
コラードはミゲルのそばにジェンナを案内した。
「ほぉ、なかなかの屋敷だねぇミゲル様。通信機ではらちが明かないから来たよ。それで、あの子の身になにが起こったのかねぇ?」
ジェンナは、ミゲルとコラードから話を聞くと、カリーナの入れたお茶を飲んで言った。
「あの子が生きているなら、心配はいらない。おそらく何かに巻き込まれているのだろうが、きっと帰ってくるからねぇ。ただ、その間の特務隊の仕事だよ。私の仕事の手伝いをさせている事にすれば、隊に出向く必要はない。だが、調査の依頼は放ってはおけないよ。ミゲル様には、コラードと協力して、ジュンが戻るまでの代役をお願いするしかないねぇ」
「仕方ないじゃろうのう。ベルホルトはいつから事務職になったのかのぉ」
ミゲルの言葉にジェンナは小さく息を吐いた。
「弟は、特別な任務を抱えている。いずれ話さねばならないだろうがねぇ。少し厄介な事になっている」
「ほぉ。聞きたくないのぉ。尻拭いはしたくないからのぉ」
ミゲルの言葉に、ジェンナは眉を少し上げて小さく笑う。
「それは、本人も重々承知しているさねぇ。さて、私もそうそう留守にはできない。コラード、何か分かったら連絡をしておくれ」
ジェンナはそう言うと、帰って行った。
誰もが自室に戻らず、居間で長い夜を過ごして、朝を迎えた。
昨日とは打って変わって、雨を抱えているかのような、重そうな雲が広がっていた。
その雲の切れ目に何かが飛んでいる。
それをいち早く見つけたワトが叫んだ。
「あれ! シロッす! シロっすよ!」
ワトの言葉で、皆が窓に駆け寄り外を見た。
シロは真っ直ぐに拠点まで飛んでくると、空中で止まってから、地面に降りた。
シロは居間の窓から、誰かを探すように中をのぞく。
『ミゲルじいちゃん。おはよう』
「おぉ、シロよ。ジュンはおらんのじゃ」
『うん。じいちゃん、これ』
シロは足に持っていた瓶を口にくわえて、ミゲルを見た。
『ジュンからだよ』
「何?! ジュンからじゃと?」
その言葉で、全員の視線がシロからミゲルに移り、くぎ付けになった。




