第八十二話 真夏の休日
日が沈み、日が昇る。その間だけは過ごしやすいが、いったん顔を出すと容赦がない真夏の太陽。喜んでいるのは、パーカーの畑の作物くらいな物である。
拠点では、水と風を使った冷風魔導具がフル回転で、夕食の後はコラードの並べる魔石にそれぞれが魔力をそそぐ毎日が続いていた。
ジュンは涼しい早朝に、いつものトレーニングを終えて、朝食に向かった。
ルークは食欲が落ちないように、冷たいスープなども用意してあるが、ジュンは野菜がたっぷりと入っているスープが相も変わらず好きなようで、それで腹を満たすと、横で食事をしているコラードに話し掛けた。
「たまっていた調査依頼も、皆のお陰で片付いたから、今日は友達と遊んでくるよ」
コラードは、ロールパンを一口大にちぎる手を止めた。
「どちらかに、行かれるのでしょうか?」
「目の前の海にいるんだけれどね。認識証の温度に気が付かないかもしれないから、急用があったら、外で叫んでくれるかなぁ?」
コラードは少しずれてはいるが、遠慮を忘れないジュンの性格を、好ましく思っているようで、笑顔を見せる。
「いいえ。急用がございましたら、おそばにまいります。それよりご友人のお食事の用意をいたしましょう」
「あぁ。昨日パーカーがトマトとキュウリをくれたから、仲良く食べるよ。畑で育てた野菜、それも取れたてだよ。喜ぶ顔を見るのが楽しみだよ」
コラードは、子供のように目を輝かせているジュンに、優しい眼差しを向けた。
(ジュン様はまだ、ご友人と楽しく遊ぶ時間を持っていらしても、おかしくはないご年齢。任務に追われてついつい、そんな事を忘れるとは、私もまだまだ修行が足りませんね)
拠点前の海辺。
ジュンは、自室から用意してきた、袖を取ったシャツと短く切ったパンツに着替え、素足で海に入った。
「うわ。足先だけで、全身の毛穴が締まる感触って何年ぶりだろう。心臓に悪いからね。泳げるかなぁ」
ジュンは、風呂にでも入るかのように、ゆっくりと海に体を沈めると、確かめるかのように泳ぎ始めた。
平泳ぎ、クロール、空を眺めながら浮かんで休憩。背泳ぎ、最後はバタフライ。
(僕は区民プールの水泳教室に通うのが嫌だったんだ。父さんが全種目を泳げるようになったら、辞めても良いって言うから、頑張ったんだけど、その内に楽しくなっていたんだよね)
その頃、拠点では。
そろそろ起き出したメンバーが、ずらりと窓の前にそろっていた。
「主だよな?」
パーカーがワトに言った。
「不思議な人っすね。魚だって、あんな風には泳がないっす」
「楽しそうじゃのぉ」
ミゲルの言葉にエミリーが言った。
「オーラがとても奇麗です。キラキラとしていますから、楽しいのでしょうね」
シルキーが小さな眉を少し寄せる。
「あのボロを服とは認めないわ。さっそく作って差し上げなきゃ。あんな塩辛い水で遊ぶなんて。あら? でも本当に楽しいのはこれからみたいよ?」
ひとしきり泳ぎを楽しんだジュンは、すっかり太陽を抱き込んだ石に座って、遠くの空を眺めていた。
空にポツンと小さな点が現れると、立ち上がり両手を大きく振って叫んだ。
『オーイ! オーイ! オーイ?』
(何君? あは、知らないかも……)
『ジューン!』
点はどんどん大きくなると、その白い姿を現し、ジュンの前まで来ると、うれしそうに顔を近づける。
ジュンはその顔にほほを寄せた。
『久しぶりだね? 元気だった? 王は変わりない?』
『うん。起きているのも、寝るのも飽きたと言って、最近は夜になると霊と酒を飲んでいるよ』
『そうか、スプリガンは元気?』
『ジュン? スプリガンは病気にはならないよ?』
『そうか。忘れていたよ』
拠点では皆が窓辺から離れられずにいた。
数分前の事だ。
ジュンが急に立ち上がり、手を振ると、竜が現れたのだから、皆は青くなって、ジュンの元へ向かおうとしたのだ。
「落ち着きなさい! あなたたちが行ったって、ジュン様が食べられるのを止める事は、不可能でしょう? 蜘蛛が犬死にをしてどうします」
止めたのはコラードだった。
「だが! そんな事は言ってられねぇ! 主が危ねぇんだぜ?」
マシューは、居ても立ってもいられないように、コラードに言った。
「ジュン様はご友人と遊ぶのだとおっしゃいました。ご友人なのでしょうね。ご覧なさい。魔物が目を細めて、ほおずりをして人を食べますか? あなたたちがパンにほおずりをしてから食べるのを、私は見た事がありませんよ」
「主は普通に見えるからな。ワシは剣に魔力を入れた主を見たから、竜がダチでも驚かん」
トレバーは窓の外から目を離さずにそう言った。
「俺なんか、湖の上を歩く主を見たぜ。あれは、しばらく夢に出たな」
パーカーは思い出したように言った。
「団長? ところで、あの世にも美しい白竜はなに竜?」
セレーナの質問に、コラードはミゲルに助けを求めようとした。しかし、そのミゲルも、コラードの答えを待っているかのような、目をしているのである。コラードは諦めたように言った。
「ジュン様からご友人としか伺っておりません。ゆ……友人竜でしょうか?」
皆はそっと息を吐き。窓の外の楽しそうな主を見つめた。
カリーナだけが、コラードを見つめ、優しくお茶を差し出した。
さて、こちらは海にいる、元気な一人と一頭。
ただ今、飛び込みに夢中である。海に大きな岩がある訳ではない。
竜の足の甲に乗り飛ぶのだが、自力で潜るより深く潜る事ができるので、楽しいようだ。
『ジュンもっと高くに行く?』
『もぉ、無理だよ。それよりさっきの海藻のある場所に、もう一回行きたいな』
『いいよ。ジュンはあの草がほしいの?』
『うん。だけど岩に生えているから、切ろうと思うんだけど、息が続かない』
『なんだ。欲しいなら言ってよ。取ってあげる』
ジュンは昆布を見つけたのだが、昆布を取った経験はなく、苦戦していたのだった。人は竜のように、長く海中にはいられない。
ジュンは昆布を竜に任せて、それを食べているウニを、袋に片っ端から入れた。
特別な道具を持っている訳ではない。炭に使う火ばさみと作業手袋を使って、器用に袋にいれていた。海面に顔を出して息を継ぎ、それを何度も繰り返した。
竜に取ってもらった昆布を、石の浜で広げていると。竜も面白がって昆布の端をくわえて、トコトコと歩いてまねをする。空を飛ぶ生き物の、歩く姿はなぜか愛きょうがある。
ジュンはそれを見ながら、ウニの口をナイフで取ると、二つに割った。五つの食用部分は随分と大きいが、まだ白子が入っていない事に胸をなで下ろした。
ジュンはスプーンで五つの食用部分を取り出すと、海水で洗った。
『トゲトゲの中身? 奇麗な色だね』
『舌を出して?』
竜が出した舌に、ジュンはウニを載せた。
『あ、ジュン。溶けちゃった。甘いね。おいしい!』
『そう? 良かった。とげがあるから、食べた事がないと思ったんだよ』
『うん、ないよ。水竜も食べないよ』
『水竜は肉を食べるの? それとも魚?』
『両方食べるよ? 海にも肉はたくさんあるんだよ』
しばらく竜は海の肉について、熱く語ってくれたが、生き物に名前を付ける習慣がない彼らは、名乗らない者の名前に興味がないようで、地球にいる海洋生物を頭に描きながら、ジュンはうなずくしかなかった。
『あぁ。そうだ! 冷えているんだった』
ジュンは真っ赤なトマトを出して言った。
『赤いシチューを覚えている? これで作るんだよ。食べてみる?』
竜はトマトを口に入れると、目を細めて上を向いた。
『びっくりしたぁ。中から汁が出てきたよ? 赤いのとは匂いが一緒なのに、全然違う。おいしいねジュン』
『これは、人が畑で作っているんだよ? 太陽をたくさん浴びると赤くておいしくなるんだ』
『畑の太陽なんだね? 元気な味がする』
『じゃあ。これは?』
ジュンが次に出したのはキュウリだった。
『ボリボリ言う草だ! 面白い!』
パーカーがツタで編んだ深いかごに、トマトとキュウリを入れてやると、竜王にお土産ができたと、うれしそうに目を細めた
楽しく過ごす時間は短い。
日が傾き始めると、竜は帰って行った。
ジュンは昆布を返しながら、時の魔法をかけた。保存用の昆布にするには、まだ手を掛けなければならない。ジュンは、地下二階の練習場に続く、かつてのカイの隠れ家に続く洞窟に昆布を片付け、そのまま練習場から一階に向かった。
ジュンは居間を見回して、そばにきたコラードに聞いた。
「皆、どうしたの?」
「お帰りなさいませ。なぜか今日は皆、居間にいたかったようでございます」
「そうなの? 暇だったら海にくれば良かったのに」
ジュンはそう言うと、大きな袋を見せて告げた。
「皆! 手がすいているなら手伝って!」
この世界は海に入る習慣がない。彼らは初めて見るウニとそれからしばらく格闘する事になった。
(ノリもわさびもないけどね。我が家は兄ちゃんがウニが嫌いだったから、生ちらしだったんだ。だから、ウニ丼は酢飯だったんだよね)
「主って本当に米が好きだよな。うまいけどな」
マシューがワトに言った。
「だけど、なぜあれを食おうと、思ったんすかね? 食い物には見えないっすよね。うまいっすけど」
「うぅ。いそ臭い。主、ウチはいなり寿司が好き」
「あるよ。好きなだけ食べて」
ジュンはセレーナにいなり寿司を出した。
(セレーナは狐獣人族だから油揚げが好きなのかなぁ?)
「おぉ。これは酒に合う」
ドワーフ族のトレバーは最近、ミゲルの飲み友達になっていた。
「そうじゃのぉ。焼きウニは癖になるのぉ」
うなずいてトレバーは声を潜める。
「ワシは塩ウニも、うまいとにらんだ」
「ほほぉ。奇遇じゃのぉ。儂も思っておったのじゃ」
二人はうれしそうに笑った。
ジュンから、たまには皆と一緒に食べるようにと、調理場から追い出されたルークは、エミリーの横で食事を楽しむ事にしたようだ。
「ウニのパスタ。これは濃厚でおいしい」
「ここでしか食べられない料理ですね」
「そうだね。ぼくはここにきて本当に良かった。好きな物を作らせてもらえて、新しい料理も覚えられる。夢のようだよ」
エミリーはルークのオーラを見て、ニッコリとうなずいた。
「主。俺の作ったトマトとキュウリ。竜は気に入ってくれたのか?」
パーカーがカウンター越しに、ジュンに話し掛ける。
「うん。すごく喜んでいたよ。畑の太陽だって言ってた」
「そうか。ん? ん?! 言ったってぇ! 主! 竜はしゃべるのか!?」
「竜は人語は話せないよ。僕が竜語が話せる訳でもないんだけど、会話に困らない」
そこで、セリーナは昼間の疑問を口にした。
「火竜は赤色、地竜は茶色、水竜は青色、飛竜は黒色でしょ? 白色って何竜?」
「彼は竜王の息子だよ。あぁ。ここだけの話だよ」
「言わないわよ。蜘蛛が有名人になったら、仕事にならないわよ」
「竜王は黒いよ。その内にくるかも知れないから、先に言っておくね」
ワトはマシューに言った。
「主の交友関係に、普通の人はいないっすね」
「ワト! 俺たちが普通の人だろう」
「そ、そうっすね」
(いろいろと失礼だよね? 普通の蜘蛛って人じゃあないでしょ?)




