第八話 国境の町
慌ただしく、王都への旅立ちの準備を整え、ミゲルとジュンはコンバル国の国境に近い、ヴァルテという町にいた。
冒険者や商人は、所得税に通行料が加算されているため、ギルドカードを提示するだけで出入国が可能となる。ただし、冒険者は依頼書の提示が必要になる。
その他の者は国籍カードを提示して、入国税として銀貨二枚と保証金として大銀貨一枚を支払う。
その時に受け取るカードで、その国の各領地に入る事ができる。宿屋の利用や物品の売買の時には、提示を求められる事もある。
出国時にカードを返却すると、料金の踏み倒しなどの罪を犯していなければ、保証金が戻される。
自国民は国籍カードがあれば国内の移動に金は掛からない。
ヴァルテの町は淡い緑だった……。それは草が生い茂っているのではない。建物そのものが淡い緑色なのだ。
区画により大きさは異なるようではあったが、二階建ての四角い同じ建物が並んでいる光景は、ジュンの目には奇妙に映ったようである。
(子供の時に遊んだブロックみたいだ……。頭が良くなるって買って来た爺ちゃんが、大作を完成させて触らせてもらえなかったっけ。爺ちゃんは確かにボケなかったけどね)
「子供や酔っ払いは、暮らしにくそうな町ですね?」
「世界中、こんなもんじゃよ。王都はもう少しどこも建物は大きいかのぉ」
「決まりがあるんですか? 同じ大きさですけど」
「下水の汚泥を肥料や建材に使っておるのじゃ。建材は同じ型で作るから安いのじゃ、一軒に使う数に決まりがあるので、同じ形になるのぉ。魔物の襲撃用に最近はどこの家にも一応、地下室があるのじゃよ」
火災による延焼を防ぐため、住宅は安価で手に入る汚泥で作られた煉瓦が、推奨されている。国や領地によりレンガの色が違うのは、注文の間違いを減らすためのようだが、町の色はどこも統一されているらしい。
大きな町や王都などの石畳にも使われるので、雨などでぬかるんだ道で、人が足をとられたり、馬車の車輪が泥に沈んだりする事がないようだ。
二人はにぎやかな大きな道に出た。
たくさんの看板が軒先に並び、何を扱っているのかが一目で分かる。
そこでジュンは首をかしげた。目に映っているのはショーウィンドウ。
森の家には窓はあるが、板を数枚つなげた鎧戸があるだけで、ガラスは無かったのである。
ジュンの朝一番の仕事はそれを開け、支え棒で固定する事だったのだ。片側だけ開ける事で日よけにもなり雨よけにもなったが、風の向きにより締めざるをえない日もあったのだ。
今は魔道具の照明はあるが、ろうそくやランプの時代は、薄暗かったに違いないと、ジュンは勝手に同情すらしていたのだ。
この世界には冬がある、冬は暗い室内で春を待つのだと……。
「ガラスがあるのに、なぜ家の窓にはつけないのでしょうか?」
「ガラス? ん? スライムの事かのぉ?」
「あの店の中を、外から見られるものは、スライムって言うんですか?!」
「そうじゃよ。スライムから作られておるからのぉ」
(うぅ……。作り方を聞いてはいけない。聞きたくもない。残酷な……。父さんは飾り物のスライムを、何百個もコレクションをしていたからね)
複雑な顔をしているジュンを見て、ミゲルが小さく笑う。
「スライムはとても弱い魔物じゃ。人里や街道のそばに多く生息するのは、保身のためでもあるのじゃよ。攻撃力もせいぜい小さい子供を転がす程度で、人を見たら逃げ出す程弱い」
スライムは核分裂で増殖するが、その時に濃い粘液を出す事が問題なのだとミゲルは言う。
粘液は土に吸収されにくいので、道にあると滑る。
また馬車の車輪や馬に付くと、取り除くのが大変に困難なのだ。
衣服につくと繊維に絡みつき、熱湯で洗うしかないらしい。
そこに目を付けた人がいたようだ。
彼はスライムの繁殖施設を作ると、大量の粘液を採取し、熱を加え急冷する施設を作り、それを板状に加工して窓に張る事に成功したのだという。
火災などの高熱には弱いが、それまで冬や雨の日は、鎧戸で暗かった部屋が明るくなり、今ではどこの家庭でも使われる、画期的な商品になった。難点は安価だが古くなると少し黄ばむ。ミゲルの話を聞きながらジュンは眉間にしわを寄せる。
「三百年も前からあるのじゃよ」
「で? 家にないのはなぜです?」
「年寄りは、お日さんが居ない時は寝るんじゃ! うんうん、そうなのじゃ」
「僕より夜更かしですよね……」
「面倒でついの……。儂は冬が嫌いでのぉ。冬はギルド島におるのじゃ。あの家は結界があるからの、魔物に荒らされはしないのじゃよ」
「スライムはつけましょうよ。あの大きな暖炉や煙突って……。ひょっとして、掃除をしていない?」
「ジュンもあの家が気に入ったのなら、いつでも使うといいのじゃ。そうさのぉスライムも付けておくかのぉ。掃除はなんとかなるじゃろうよ」
ミゲルの『何とかなる』は、自分ではしないという意味なのだと、ジュンは知っている。
(寒くなる前に、掃除しなきゃね。大掃除になりそうだ……)
「そういえば、スライムを発明した人の家族が、今でも作っているんですか?」
「いや、特許を商業ギルドに売って、魔道具研究をしておった」
「おぉ、特許」
「発明をして、特許料をもらい続けるとのぉ、穏やかに暮らすのは難しいのじゃ」
「特許の相続争いとかですか?」
「特許は一代限りなのじゃ。ただ、売却が出来るのでのぉ、狙われやすいのじゃ。ギルドに売って、ギルドに金を預けるのが普通じゃな」
ちなみにこの世界。金はギルドか国に預金する。
ギルドに加入していなくても、国籍証があれば商業ギルドで預金ができる。各ギルドの預金は、本部がまとめて運用するので利息は付く。
世界中どこでも利用できるギルドの預金は、便利そうではあるが、五年に一度の本人の確認がないと没収される。
国から動かない人々は、国に預金をする事が多いようだ。
ベットがモチーフの看板がある大きな宿屋に、二人は到着した。
入ろうとしたところで、ジュンは振り返る。
日本の寺の鐘とは全く違う鐘の音に、不思議そうに耳を傾ける。
「九時を知らせる鐘じゃよ。三時間おきに鳴る、朝六時を一の鐘と言うのじゃ」
「それでは、今の鐘は二の鐘でしょうか?」
「そうじゃ。王城には時計があるのぉ。鐘のない所には日時計があるのじゃ」
時計は高価だがあるという。ただ、一人が持っていても役に立たないので、平民は興味を示さないという。ジュンは少し首をかしげて小さく笑う。
(時計がなくても事が足りるなら、なくても良いのかもしれない。でもいつか時計は見たい気もするけどなぁ)
宿の中に入ると、薄緑の町並みに慣れた目には、重厚な内装は違和感を覚える。
国境に近い町のここはどうやら、大きいだけあって高級宿なのだろう。
客の身なりは良く、旅の途中なのか護衛を連れていた。
元ギルド総長だったミゲルは顔が広いようで、客の何人かが立ち上がったが、片手を上げて制していた。カウンターから出てきた恰幅の良い男が、低姿勢であいているテーブルに二人を案内してくれる。
二人が頼んだ紅茶と果実水には、クッキーが付いていた。
(あれ? そういえば、お菓子は初めてかも……)
ジュンは、果物やジャムや蜂蜜があったせいか、菓子を忘れていたようだ。闘病生活からそのままこの世界に来たので、菓子類への固執は少ないのかもしれない。
クッキーを一口食べると、その強い甘さにジュンは顔をしかめ、残りはミゲルに渡す。
甘党のミゲルはとぼけた顔で、クッキーをローブの内ポケットにしまった。
ルーカスたちが下りてきて、朝のあいさつや別れのあいさつが終わると、ミゲルは物陰から転移魔法で帰って行った。
まるで置いて行かれた子供のように、ミゲルが消えた先をジュンはしばらく見つめていた。
それに気付いたアイクがジュンの肩を軽くたたく。
「試験を受けるんでしょ?」
「はい。受けます!」
ジュンが答えると、カーターは笑顔で馬車の扉を開けた。