第七十七話 闇蜘蛛の始動
ジュンが特務隊の自室で着替えて向かった先は、隊長室だった。
「ジュンです」
「入れ」
隊長のベルホルトはジュンに視線で、ソファーに座ることを指示すると、机の上にあった書類を持って、ジュンの前に座った。
「この書類に書かれているのは、一年ほど前から起こっている事件だ。ほぼひと月に一度の被害届だが、その何倍起きているか、分からない。被害届が出されない事件だからな」
ジュンはその書類に目を通す。
それは『王の天秤』と名乗る盗賊が、予告カードを送りつけたり、犯行の後にカードを置いていく事件で、彼らのターゲットは、評判の良くない貴族や豪族のようである。
彼らは、平民や弱い立場の者には、手を決して出さないようで、ターゲットの家や周りで仕える者には、傷を付けた事すらない。この世界では珍しい事に殺人は一度もないのである。
そして、この事件が解決されない大きな要因は、彼らが事件の後で、低所得者救済住宅に金を配る事にある。
その行為で彼らを擁護する声もあり、彼らの目撃情報が入って来ないようだ。
(ねずみ小僧ですか?)
ジュンはため息をついて、隊長を見た。
「義賊気取りですか? これって各国の警備隊の仕事ですよね?」
隊長は大きくうなずくと、苦い顔をして告げる。
「彼らは現金にしか今まで手を出さずにいたんだ。それも、後ろ暗い金を持っている連中ばかりでな。警備隊も本腰を入れていたのかどうか怪しいものだ。だが、そうも言っていられなくなった」
「次のターゲットは、ギルドですか? それとも王城?」
ジュンの質問に隊長は静かに聞き返した。
「なぜ、そう思う?」
「エスカレートしてきていますよね? スリまがいの仕事、空き巣、泥棒。金額も上がってきていますから、悪い意味で成長しています。そろそろ大きな事件が来るかなぁと思いましてね」
隊長は大きく息を吸い、一気に吐き出す。
「予告状が来たのは、アルトロア国。アブラーモ・コーベル国王宛てだ」
隊長に目を向けジュンは言った。
「それで狙いは?」
「アルトロア国で一番愛された王女ルル様のクラウンだ。神の妻になられたルル・モーリス様が、嫁がれる時に父王に返上したとされている」
ジュンは隊長の話にあきれた顔をする。
「また、随分と処分に困る物を……」
隊長の話は続く。
「長男の結婚の儀に王が、相手の女性の頭に載せる儀式が行われる。その儀式は来月、現王の孫の長男、その結婚式で行われる。式の三日前から、クラウンは来賓の方々のために展示される」
ジュンは隊長を見て言った。
「クラウンを盗まれないように保管するのが、任務ではないですよね? 調べて逮捕する証拠をつかめですかね? ついでに逮捕できるならしちゃえ、ですかね?」
「察しがいいな」
ニヤリと笑う隊長にジュンは首をかしげた。
「ところで、逮捕って誰でもできるものですか? 権利とか、証明はいらない?」「王家の警備、騎士団からの依頼があれば、ギルドは権利を有する。そして、今回の依頼は、王族会議で全員一致の依頼だ」
ジュンは少しあきれた顔をする。
「たかが、泥棒に? あぁ『王の天秤』って名前が嫌なのかなぁ」
「なるほど、それもあるかもな……。どんな大義名分をつけても、泥棒である事に変わりない。神出鬼没でどこの国に現れるのかも分からない。警備隊も騎士団も、手の施しようがないってところだろうな」
「僕にも手の施しようがないって、隊長はお気づきですかね?」
ジュンの言葉に、隊長は口元だけに笑みを浮かべた。
「誰かがやらねばならない。そしてそれをするのが、特務隊だ」
「頑張ってみますよ……。経費は申請できますかね?」
「仕事のでき次第だ」
「ふう。世知辛いですね」
ジュンは隊長室を出ると拠点に戻った。
「ジュン様、お帰りなさいませ」
「ただ今戻りました。コラード、マシューを執務室に、まず三人で話したい」
「かしこまりました」
ジュンと共に執務室に向かいながら、コラードは認識証でマシューを呼ぶ。
マシューはいかつい体に、かわいらしい、小さなバスケットを持って、入室してきた。
「主。お帰りなさい。これルークから。食事の途中だったでしょ?」
ジュンは机に置かれた、バスケットの中をのぞいて、ほほ笑んだ。
小さめのサンドイッチが、奇麗に並び、フライドポテトが添えられていたのだ。「ありがとう。見たらおなかがすいちゃうね」
ジュンは辺りを見回して、空いている場所にソファーセットを倉庫から出して、
二人に勧める。
コラードがお茶を入れて、腰を下ろすと、ジュンは事件の話を始めた。
「彼らは盗賊や山賊ではなく。町にいる窃盗犯だと思うんだ。事件は町中でしょ? この事件の書類を見てよ。気が付いたら金が消えていた。夫人が狙われた。これもそうだね。仲間に腕の良いスリがいる」
ジュンの言葉にマシューが言った。
「スリはいたるところにいますぜぇ。ただ、それなりの腕があるなら、組織に入らないと仕事ができない。奴らには縄張りがありますからねぇ」
「そうなの? それからおそらく薬師。こっちの二つはパーティー中だよ? 大胆だけど、全員が眠らされている。屋敷の金庫と来ていた客の現金だけを奪っている。パーティーだよ? 高価な宝石は取り放題なのにね。ここの主は自室のマジックバックが壊されているけど、壊れるの?」
ジュンの問いにコラードが答えた。
「マジックバックは七級ほどで、マジックボックスは八級以上で壊せると聞いております」
「犯人、特務隊だったりしてね? そんな足の着く事するかなぁ。高魔力者は登録されているでしょ」
(僕は登録していないから、ザル規則だけどね)
マシューがジュンに言った。
「瞬時に魔力を上げる魔導具はありますよ。魔人族の闇世界にある魔導具屋にですが、一般人が買える値段ではありません」
「屋敷にいる者を瞬時に眠らせるのは、魔法では不可能だからね。倒れた時にケガをした者もいないから、ここは薬師が仲間にいると思うのが自然でしょ? 後は、忍び込んで金庫までたどり着き、金庫を開ける技術がある者」
ジュンは二人の顔を見て続けた。
「あぁ。全員を探すのは無理ですよ。でもそんな人たちがグループを作っていたら探せないかな? もっと言えば、アルトロアの王家の誰かとつながりがある人たちかな? それと、盗んだ金と配った金がある程度、分かる事件で調べてほしい。彼らが義賊を隠れ蓑にしている気がする」
アルトロアの王城で、仕事をした経験がある、コラードがジュンを見る。
「アルトロアの王家でございますか?」
「うん。普通の人が城のどこに何があるかなんて、知る訳がないでしょ? クラウンなんて、売れないから、売るなら溶かすしかないよね? そこまでするなら、貴族から盗めばいい。危険を冒して盗む価値があるとは思えないよ。王家の家族構成が知りたい。それと継承権あたりをね」
ジュンの言葉にうなずいて、コラードが説明をするようだ。
「現王アブラーモ・コーベル様には先に亡くなられた王妃との間に一男三女がいらっしゃいます。三人の王女は貴族の元に嫁がれておりますが、悪い噂は聞いた事がございません。魔人族は三百歳が平均寿命の長寿種族でございますので、子供は少ないのですが、王家は代々多いようです。王は今年百二歳になられましたので、第一王子は七十代でございます。後に王が七十代でご結婚された、現王妃との間には一男がお生まれになり、その方が第二王子です。今年二十七歳におなりです」
王家の継承は諸国により違うようだが、アルトロアの王家は女性の継承は認められていないようである。継承は常に長男から始まり、現在の第一王子は一位継承者である。王子には四人の息子がいて、二位から五位までの継承権を持っている。三代目の長男が結婚をすると、一代目の次男以下の継承権はなくなる。
現王の孫が結婚した時に王の兄弟の継承はなくなった訳だが、王の弟はすでに地方領主として、盤石な地位を確立していたようである。
「第二王子は今回の結婚で権利がなくなるようだけど、仕事をして、結婚もしているの?」
マシューは眉を少し上げ、肩をすぼめた。
「王は四十歳も年下の妻を溺愛していますからねぇ。その息子も目に入れても痛くないようですぜぇ。王妃は体も弱いので、離宮で息子と今も暮らしていますがねぇ。仕事はしていないですねぇ。王族は軍隊か家臣。貴族の婿養子になるんですが、年下の叔父は使いにくいでしょうねぇ。婿養子か、とんでもない功績を挙げて、王領を分けてもらって、領主になるかでしょうね。継承権がなくなると、年報ももらえませんからね。これからは王妃のすねをかじる生活になるでしょうね」
「嫌がらせで、クラウンを盗む? あり得ないな。謀反の可能性は?」
マシューは小首をかしげてから言った。
「返り討ちにされるでしょうねぇ。王妃は王妃としての職務もしておりませんしねぇ。息子と二人で、害も益もなしってところですぜ」
ジュンは納得がいかないらしく、二人を見て言った
「第二王子の素行、友人関係も洗ってほしいな」
それからコラードとマシューが指示を出し。五人のリーダーたちは仲間のところに出かけていった。
執務室はジュンとコラードの、二人っきりになった。
「ジュン様。どうなさいました?」
「ねぇ。クラウンはどうやって盗むつもりだと思う?」
「王城には二つの倉庫がございます。一つは国の財産を入れる宝物庫。もう一つは王家の財産を入れる家宝庫。宝物庫の鍵は王と王子が持ち、入室を許されるのは宰相だけでございます。家宝庫は王と王妃が鍵を持ち、入室が許されているのは、侍従長を務める私の父だけでございます」
「えぇと、ごめん、コラード。入室を許されているとは?」
「身元の確かな兵士が記録を取っております。それぞれの倉庫の中には、たとえお付きの者でも入る事は許されません」
「三人だけ?! それって、どうやって盗むのさぁ」
「さて、私には盗む予定はございませんので、分かりかねます」
コラードはジュンを見て小さく笑った。




