第七十二話 男のロマン
ジュンはゴロリとあお向けになった。
「気持ちが悪くなりそう。おまけに首が痛い」
竜が飛行しているので、天井の景色が変わる。だが、その特異な景色の流れ方に慣れるのは、体が少しも動いていない事もあり、大変なようである。
天井の映像が空色から海色に変わると、ほぼ丸に近いギルド島の、全体図が映し出される。
ゆっくりと降下をしながら島を回る。石肌にぶつかる波が砕けて泡になり、風に飛ぶ。この島に浜辺は見当たらない。
中央を走る山並みは、屏風で仕切っているかのように、島を茶色と緑色に分けている。ギルド側に結界があるので、山にいる魔物の侵入はないが、逆に誰も登る事ができない。
「地下の歩行空間にある、山の風景のパネルみたいだ。魔物がいる山でピクニックはないか……」
未知領域を上空からみたところで、茂った木々だけなのだろうと思っていたジュンだったが、竜は細かなところまで、見せてくれようとしているようで、木々が開けると地面の近くまで降りてくれる。
島の東側には湖があり、竜が姿を消していても、気配を感じ取れるのだろうか、水辺にいた魔物たちが逃げて行く。真水が沸いているのかもしれない。湖から細い川が流れていて、その先は細い滝となり、海に落ちている。
「家を建てるとなると、ある程度の広さの土地は確保したい。でも伐採から始めるとなると、一苦労だよね。そもそも、ここに大工さんを呼ぶの? どうやって? あぁ。頭が痛い。家を建てる魔法があるなら、僕は寝ないで勉強してみせる!」
ジュンが拳を強く握って宣言をしたところで、石が地面に下ろされた。
ジュンは扉を開けて思わず息を飲んだ。
ギルド島民で水平線を見て驚く者はいないだろう。だが、この島で、穏やかな波打ち際に立てる人間はいない。
『ここは? 島の周りには浜辺はありませんでしたよね?』
『うん。こんな場所がない事を見せたくて、ボクは飛んでいたんだよ』
竜の息子は得意げに首を伸ばすと言った。
竜王がジュンを見る。
『ここは昔の水竜の休息所で入り江になっている。儂の足に乗れ、水面の近くをゆっくりと飛んでやる。落ちても水だからケガはないだろう。ただ、花の咲かない時期だからな、人は凍えるかもしれん』
ジュンは竜王の足の甲に乗り、不安なので座ると竜の太い足首にしがみついた。
竜王は面白そうに自分の足を見ると、足先を外にヒョイと向けた。
『ありがとうございます。これだと前が見えます』
『翼を持たぬ者は、地面から離れるのは怖いのだな』
竜王はそう言うと、沖に向かってゆっくりと低く飛ぶ。
『ここがこの島の唯一の入り江だ。そしてここから出ると……。見るといい』
そこにはこの島の特徴である、切り立った岩の崖があった。
『水竜が見せる幻だ。だが、ここまで来て触れる人間はいないだろうな』
飛び立った場所で再び下ろされたジュンは、不思議そうに竜王を見上げた。
『内海は魔物が多くて、海には入れないと聞きました。ここでカイは子供を遊ばせたのでしょうか?』
竜王は息子の様子を、目で追いながら答えた。
『この島は水竜の島。息子を守るためにあの幻から、このあたりまでは、空、陸、海からの魔物は入っては来られぬ。魔物の餌となる魚や小動物には良い逃げ場になるだろうな。竜と人間は対象外だから、悪意のある者には気を付けるんだな』
竜の息子が空から海に飛び込んでいるところを見ると、入り江の入り口は結構な深さがあるようだ。
小石の浜から振り返ると、三階建てビルほどの高さの岩壁が、入り江を囲んでいる。上空からでは分からなかったが、他の場所より低いのは確かである。
『ちょうど真後ろが、カイの小さな家があった場所だ。まだあれは無事なはずだ。付いて来い』
竜の向かった先には洞窟がある。そして、その横には、崩れてはいるが、石の階段があった。
洞窟の中は人の目には暗いので、ジュンは倉庫から明かりを出して照らす。
『階段? 外にもありましたよ?』
『あれはカイが作った家に行く階段だ。これはカイが隠れ家と呼んでいた場所だな。後でゆっくりと見ると良い』
洞窟から出る竜王の後を追い、外でジュンは竜王に告げる。
『ありがとうございました。一人ではたどり着く事ができませんでした』
『気にするな。この程度なら散歩にもならん。ではな』
竜王がそばで大きな翼を広げると、息子がジュンのそばまで飛んできた。
『ジュンまたね。また来てね』
『うん。今日はありがとう。助かったよ』
竜王たちはすぐに小さな点になり、見えなくなった。
空を飛びながら、竜王の息子は言った。
『父さん。ボクは水竜の所に行ってくるよ。たまには行かないと、年寄りはうるさいからさぁ』
竜王は息子を見てうなずいた。
(ジュンの事を頼みにでも行くのだろう。水竜は気難しいが、あの結界を解く事はしない。ジュンの魔力とカイの魔力はあまりにも似ている。血縁を疑う事はないだろう)
竜を見送ったジュンは古い階段を見てつぶやく。
「さて、明るいうちに周りを見てこようか」
石の階段を邪魔な草だけ引き抜きながら進む。
「石は無事だから、整えれば使えそうかな」
階段を上り切ると、家があった場所なのだろう。朽ちた木が不自然に重なり合っている。その木は手を触れるとポロポロと崩れ、わずかな風に乗って去って行く。
「こんな風にカイの大切な物は消えていくんだね。六百年ってすごいな」
目を海に向けると百八十度の水平線がある。
後ろには、うっそうと茂る草地が広がっていた。陸から海に風が吹き、もうじき日が沈む事を草が教えてくれていた。
「ここが良い。ここに拠点を建てよう。コラードは気に入ってくれるかなぁ? でも、その前にあれだよね」
ジュンは階段を下りて洞窟に入る。
隠れ家の扉は時の魔法が掛かっていた。ジュンは左目で陣を見つけ出して、指先を切り、血を落とした。
「この世界に戻る事のないカイが、時を止めて待っていた相手は誰なのかな?」
扉を開けて、ジュンはしばらく立ち尽くした。
形は古いが、魔導具の上でヤカンが湯気を立てていた。
その横にあるのは、水の張った容器に入っているネルのフィルター。
ジュンはそばにある、不格好なドリップポットに湯を移す。
陶器の器を空けると、この世界に来て、初めて嗅ぐ珈琲の香り。
湯を通して絞ったネルにジュンは粉を入れて、湯を数滴ずつ落としながら豆を蒸らす。
「ここが大事なんだ。紙のフィルターより、面倒だけど、おいしいんだよね」
こんもりと珈琲が全体に膨らんできたら、湯は細くゆっくりと、真ん中に小さな円を描くようにそそぐ。
「カイのお母さんはこうして、珈琲の香りを楽しむ人だったよね。カイはイザーダ神に家族が亡くなった事は聞いていたはず……。俺様の泣き虫だったからね。珈琲は塩辛かったかもね。だってモーリス本邸でも珈琲は見なかったからね」
ジュンは珈琲を口にして、辺りを見回した。
テントとは逆に、石の地層を真四角に切り抜いたような部屋。
木の台の上の魔導具と珈琲のセット。木のテーブルと二脚の椅子。
テーブルの上の手紙。おそらくその手紙が、この部屋に時の魔法を掛けさせた物
「この手紙を見つけた者へ……。六百年もたって僕? それってどうなの?」
カイは地球から来た、異世界人である事。
地球には果たしていない約束を守るために帰る事。
シオン・モーリスが、自分のせいで心が病んでいた事。
未知領域まで追って行ってカイが見たのは、剣も抜かずに魔物に食べられる姿だった事。
その真実を語れずにいた事の謝罪の言葉。
手紙の間から見覚えのある小さな剣が滑り落ちた。
息子たちの瞳の色と、同じ色の石を入れて渡していた剣。
赤い石の四音。青い石の拓人。緑の石の笙。
小さな剣を見つめているジュン。
森須快。そう書かれている剣には黒い石が飾られていた。
「剣と手紙をモーリス家に持って行った者に、この土地をくれるって? カイがこれを書いた時は、僕がこっちに来るって知らなかったはず。これはカイが自分で言うべき事だったんだよ。この真実は誰一人、幸せにはできない。歴史も物語も変わってしまうんだよ。だからミゲル様は僕に口止めをしたんだ」
椅子に腰掛けて、ジュンは手紙をにらみつける。
「全ての嘘をさらして、異世界人として僕に生きろと? カイはそれができなかったのに? 地球人でもない僕が? 僕はねカイ……。僕は君とは違うんだ。地球には僕の体はないんだ! 僕は戻れないんだよ! 僕がこの世界で生きると! 僕が……。僕が決めたんだ。だからごめん。ごめんカイ……。この手紙は渡せない。僕には仲間ができたんだ」
ジュンは何かを思い出したかのように顔を上げる。
それから、乱暴に涙を拭うと、テーブルをひっくり返した。
「やはりね。カイはそういう奴なんだ。こんな重い手紙が置いてあるテーブルの裏を、いったい誰が見るのさ。全くどうかしているよ」
テーブルの裏には、カイの書いた宝の地図。題名、男のロマン
「字は下手だけど、漫画は上手だったからね。宝の地図に副題って普通ある?」
ドクロマークの宝の地図を手に入れて、ジュンは苦い顔で笑った。
その日、ジュンは海辺に石ころテントを置き、星空を見ながら波の音を聞いて眠った。
次の日。ジュンは朝のトレーニングの後、豆入りのミネストローネスープとパンの朝食を食べ終え、つぶやく。
「お宝ってなんだろう? 久しぶりでワクワクするよ。カイの宝物はいつも手作りのオモチャだったんだよね。見つけるのは僕で、遊ぶのはなぜかカイなんだ」
地図にある宝箱の絵の場所には、陶器の瓶。ふたを開けて中をのぞくと、そこにはまた地図。
木のうろや、土の中、岩と岩の間。波打ち際の石の下。十個目の瓶に入っていた地図でようやく宝箱を見つけた。
陶器の箱の中には木の箱。マトリョーシカのように次々に出て来る箱。
七つ目の箱が最後だったようである。箱を開けてジュンは固まった。
「カイ……。僕が女の子だったら、どうする気だったの? まぁ確かに男のロマンだろうけどね」
古今東西、住んでいる世界が違っても、この手の本はあるようだ。
「ベットの下はやめたの? 写真じゃないから逆にエロい? グロい?」
十個の瓶と七個の箱はカイの手作りだと思うと、壊す気にもなれず、ジュンはため息をつきながら、それらを倉庫に片付けた。
もちろん、男のロマンは箱に七回入れる事は忘れなかった。




