第七話 準備と油断
ジュンとミゲルは泊まりがけで、森に幾度か足を運んだ。
そんな日の翌日は、朝からミゲルはすこぶる機嫌が良い。
ジュンがミゲルの欲しい薬草を、確実に見つけるので、旅に持たせる薬が順調に出来上がる。
治療魔法が使えるので、大事には至らないと分かってはいるが、ジュンに教えながら薬を作るのは、また別の楽しみがあるようだ。
「ポイズン・キャタピラーに、出会わない事もあるのじゃのぉ」
「必要なんですか? ポイズン・スライムならいましたけど」
「キャタピラーの毒は、食あたりの薬に使うのじゃ」
「その辺でよく見ますから、いたら捕まえますね」
今日は早朝から、ジュンは二人分の保存食を作っている。
倉庫持ちのミゲルは、食料を新鮮な状態で維持できるのだが、加工品には加工品のうま味がある。ミゲルはソーセージや、燻製品、ジャム等を好む。
ミゲルのベーコンは昔の森須家の味で、ジュンには懐かしい物だった。
(カイ、婆ちゃんだって進化するんだよ? 今はハーブとか使っているんだから)
時の魔法があれば、七日かかる塩漬けや、塩抜きが数分で終わる。
出来たベーコンを自分とミゲルの口に放り込むと、思わず笑みがこぼれる。
それぞれの倉庫にしまい込み、ジュンは森に出掛ける準備をした。
ジャムにしたい果実が森にはある。加えて果実水にしたい物まで見つけたのだから、行かない選択肢はない。
二人分をたっぷりと作りたいジュンは、いつもの獣道から、少し外れた場所を目指している。
モンキーベリーは、ツタにたわわに実る緑の実で、今日の目的の一つだった。
酒にもジャムにもできるので、手当たり次第に摘み取っていると、ポイズン・キャタピラーを発見した。
毒袋を傷付けたくないので、水属性のアイスアローで動きを止め、素早く片手剣でとどめを刺して倉庫に入れる。
ベリーの目標量が確保できた頃、グリーン・モンキーの群れがベリーを食べにやってきた。
グリーンモンキーが好んで食べるので、モンキーベリーと呼ばれている訳で、遭遇するのは想定内である。
ジュンは仲間を呼ぶ数匹を倒して、急いで立ち去る事にしたようだ。モンキーの群れが厄介なのは経験済みだったのだ。
次の目的はかんきつ類のハージン。
この果実は黒に近い赤で、香りがなければ、かんきつ類とは思えない。
中は紅に近いオレンジ色で甘みが強い果実だ。
先日、薬草の群生場所に向かう途中で見つけたのだが、数個だけ味見のために持って帰ったのである。帰宅後に食べて、あまりのおいしさに、後悔したのでとりに来たのだ。
空間魔法で足場を作って簡単に収穫を終える。
足場の上は休憩にちょうど良く、もぎたての果実で一休みを決め込んだ。
春とはいえ、じっとしていると体も冷えてくる。
ジュンはミゲルの待つ家に戻ろうと、地面に降りた。
(しまった! 油断しすぎだろう!)
木の上からは茂った木の葉で、下に死角ができる。
用心して鑑定眼を使うべきだったと、後悔したがすでに遅い。
そこにいたのは、十五メートルはありそうな毒蛇、サーペントだった。
保護色である必要もないのか、金色の瞳とシルバーグレーの巨体が輝いている。
(どこが灰色だって? 緑の目だって? 図鑑のうそつき!)
息をするのも恐ろしいが、森の中で人間が走り出して、どうにかなるはずもない。
倉庫から出した槍を構えて、全身を強化した。
情報では毒の霧と牙の攻撃、尾は毒の槍のように使うらしい。
(厚いうろこの防御は刃物を寄せ付けず、魔法耐性まであるって……。まぁやるしかないか! 魔法耐性って魔法が無効じゃないしね)
ジュンは攻撃態勢に入ったサーペントを、投げ槍の体勢で待ち構えていた。
巨大な口が開いたその瞬間、ジュンは槍を投げて真横に飛びのきながら片手剣を取り出す。
槍は振られたその頭部にはじかれ、地面にあっけなく転がった。
ジュンは奥歯をかみ締め直すと、今度は逆に飛びながら剣を投げ付ける。
口の中で消えない武器であれば、なんでも良い。
幸いカイの武器はたくさんあるのだから。
シューシューと耳障りな音がピタリと止まる。
その瞬間を待っていたかのように、ジュンはアースウォールを繰りだした。
五メートル四方ほどの土の壁が、目の前に突然出現して、サーペントの動きが一瞬だけ止まる。
ジュンはしゃがみ込んで、靴底に空間の足場を作り上げた。
土の壁を壊そうと、頭から突っ込むサーペント。
ジュンは眼下に見えるサーペントの弱点、頭骨の下をめがけて、大きな魔力を込めたエアースラッシュを放つ。
ゴトンと音をたててその頭は転がった。
「あぁ! 森は宝箱なのに……」
木々は無事だったが、地面には深い傷が出来ていた。
落ちているサーペントの頭を見ると、大きく開いた口の奥に、片手剣が刺さっているのが見えている。
サーペントを倉庫に入れて、ジュンはミゲルのいる家と森の空間を切り取った。
「ほぉ。ジュンかの?」ミゲルはゆっくりと二階に上がって行った。
「ただいま戻りました」
一見して傷がない事に、ミゲルはそっと胸をなで下ろしてから、魔力ポーションをジュンに手渡す。
「具合が悪いじゃろ? 魔力を一機に使い過ぎたのじゃろう。楽になるから飲むのじゃ」
茶色の陶器に入っている液体は、口にしてはいけない臭いがしている。
ミゲルに無言の笑顔で飲めと促されたら、ジュンに断る事はできない。
「うぅっ! まずいです……」
ミゲルに薬の調合の基礎を教わった時は、ポーションの味見をした。
(ポーションは生臭くて、外用薬にしようと決心したけど、これはトロミなんてものじゃない。粘度がある感じで飲みにくいし、強力な苦みがいつまでも口に残る。これに頼る事はもうない! 絶対にない!)
ジュンは慌てて、水を飲み始める。
「水が飲めるなら一安心じゃ。物心が付く前の子供がよくなる症状じゃよ」
「魔力がなくなった訳じゃないんですか?」
「ジュンが魔力を使い果たす程の魔法を使ったら、儂が現場に行っておるのぉ。それでも、わずかに感じたからのぉ」
体内には血管と同じように魔力が流れている、目視できない管があるのだとミゲルは言う。
徐々に魔力にあった太さと柔軟性が備わるが、一機に大量の魔力を流すと、追いつかずに悲鳴を上げるらしい。
「魔力の多い子が、無意識に魔力を発動すると起こる症状でのぉ、大人でなる者はめったにいないのじゃ、ジュンはまだこの世界では、赤ん坊だから仕方がないのぉ」
ミゲルはそう言うと面白そうに笑う。
魔法は、イメージがしっかりと頭の中にないと発動しないので、知恵が付く前の子供が、魔法を使う事はまれらしい。
ちなみに、魔力が底をついても死んだりはしない。魔法が使えなくなり、貧血のような症状がでるらしい。症状の説明があやふやなのは、個人差があるという事のようだ。
(なんか微妙に敗北感を味わっていますが……。今よりもっと魔法が使いやすくなるのなら、良いかもしれない)
何があったのかを説明させられ、ポイズン・キャタピラーを五匹、マンティスを二匹、ジャッカロープ三匹、ジュンと果物を取り合ったグリーンモンキー四匹を取り出す。
「解体場に出せない程、大きいですよ?」
「ちょっと待つのじゃ」
ミゲルは解体場を大きく広げた。
(なんだって毎回、ミゲル様は僕を驚かすのかな? 最近はそれを楽しんでいるような気が……)
ジュンもそろそろ、この手の事には慣れても良さそうだが、ミゲルの思惑に毎回はまっては彼を喜ばせていた。
出されたサーペントとジュンを交互に数回見ると、ミゲルはため息をついた。
「どんな人にも限界があるのじゃよ? 逃げる事が守る事になる時もある。負傷した仲間がいる時は特にじゃよ」
「逃げる事も考えたんですよ。でも逃げ切れない。食われるって思いました」
「ふむ。それは恐怖じゃ。恐怖を忘れてはいかんのじゃよ。じゃがのぉ、回避の方法は沢山あるのじゃ。戦闘狂は強くはないのじゃよ」
守る事を知る事は、戦いを知る事につながる。それはこの世界で生き延びるために、必要なのだとミゲルはジュンにゆっくりと諭した。
「さて、サーペントの亜種は売れる所がいっぱいあるのじゃ。始めるかのぉ」
「え? ……え? えぇ!」
「亜種は形状がさまざまなのじゃ。図鑑には載らんのじゃよ」
(ズル機能だって理解していたつもりだったのに、頼っていたんだな僕……)
「精進しないと、お爺さんになれませんね……」
「爺になるのが、難しい世界じゃからのぉ」
ミゲルは楽しそうに笑った。