第六十三話 冷酷な少女?
「子供は彼の子だと、思ってはいませんでしたよね? 彼の子であるなら、五か月
で産もうとはしませんからね?」
ポーラはジュンの顔を見てうなずく。
「子供は洞窟に入ってすぐに、私の体を離れてしまいました。助産婦の娘ですから分かりました。でも帰ってきてから、おなかが膨れだしたのです。図書館であいつの姿の挿絵を見た時には震えました」
「それでお母さんに?」
「時間がありませんでした。それより怖くて……。魔物でも赤ん坊なら殺せるだろうと、父の形見の剣を用意して、母の手を借りて私は卵を産みました。既に割れ始めていた卵から出てきたあの子は人間でした。産声を上げたあの子は彼と同じ茶色の巻き毛で、優しい緑の瞳をしていて……。瞳孔だってまん丸だったんです!」
必死に訴えるポーラにジュンは冷静に尋ねる。
「おっぱいはどうしたのですか?」
その場にそぐわない冷静な質問に、ジクが思わず声をだす。
「お、お前……」
ポーラはジュンの顔を見て諦めたように息を吐いた。
「水すら飲まずに夜になると小さなアスワンデになって甘えるのです。怖くはありませんでした。私が産んだ子供ですから……。母と私の血であの子は育ちました。私と母は貧血の薬を手放せなくなりました。その内にあの子は深夜に出かけて、お腹を膨らまして帰ってくるようになりました。甘えて時々血はほしがりますけど」
「時々とは? お母さんが寝込む程なのにですか?」
「夜は私が店に出るので、母に負担をかけてしまいました」
「アスワンデはもう成獣ですね? 人を殺しているのですよ?」
「まだ、大人になりかけなのです、加減が分からないと本人は言っています。助けてください。あの子と街をでますから! お願いします!」
ジュンは突然ポーラを見据えた。
美少女にしか見えないジュンの、凍てつくような視線を誰もが見ていた。
「本人? あなたがアスワンデに、身内に縁の薄い同僚を襲わせたのですね? 悲しむ人が少ない者の命はどうでもいいと? 魔物に襲われながら、死の間際まで助けを求めたと思いますよ? 彼女たちの人生を決める権利は、あなたにはありません。彼女たちの願いを、聞こうともしなかったあなたの願いを、聞く耳など持ち合わせておりません」
(かわいそうだけど、アウトだよ。殺したのはアスワンデじゃなく彼女だ。逃れる事のできない死の恐怖を、僕は忘れてはいない。あの絶望を与える者を、僕はきっとこの先も許せない……)
コナーと黒組が動き出し、ジュンは帰宅を許可された。
ジュンは変装していた服などを返そうとしたが、メラニーは笑顔で告げる。
「そんべべは差し上げます。うちはあんはんが、えらい気に入ったんや。難儀な事がおしたら、うちを訪ねておこしやす」
「はい。ありがとうございました。事件はない方が良いのですが、困った時には相談をしに伺うかもしれません。その時はよろしくお願いいたします」
ジュンはソフィの部屋の窓から、しばらく外を眺めていたが、視線を足元に落とすと、そのままモーリス本邸に転移した。
「お帰りなさいませ。ジュン様」
転移室を出たジュンを待っていたのは、コラードである。
「ただいま帰りました。でもコラード、どうして僕の帰宅を知ったの?」
「今日はジェンナ様のおそばにおりましたので。送られてくる映像を拝見しておりました。お見事でございました」
ジュンはコラードの言葉に、今にも泣きそうな顔で笑顔を作る。
「いたたまれないよ。人のいないところに飛んで逃げてくれれば良かったのに……。僕はそんな事を考えている人間なんですよ? 失われた命があるというのに。あきれるでしょ?」
コラードは優しくジュンを見る。
「いいえ。ジュン様は真実を白日の下にさらしただけでございます。そしてそれがお役目でございました。人の味を覚えた魔物を、隠し通すのは無理なのです。お疲れでございましょう。お湯を用意してございます。お部屋に参りましょう」
「うん。ありがとう」
(なんか恥ずかしいな。コラードに愚痴っちゃったよ。なんでかなぁ? 兄ちゃんや姉ちゃんには似ていないのに。泣かずに済んで良かった)
ジュンが浴室に入って数分後。
「うわぁ! もぅ駄目! コラードいるぅ?」
「ジュン様。ドレスでございますか?」
「そう! どうやって脱ぐのぉ?」
コラードはクスリと笑うと浴室に向かった。
「女性の普段着と違い。ドレスは一人では着る事も脱ぐ事も総じて無理なのでございますよ」
この世界にはファスナーはない。ひもとボタンは平らな背中にあり、それが隠しボタンになっているのだから、初めてのジュンが手に負える訳がない。
「化粧のお手伝いもいたしましょうか?」
「普通に洗っては駄目なの?」
「はい。変装をされているようでしたので、ご用意いたしました。こちらの油を使います。お顔を失礼いたします。目をおつぶりください」
コラードが油をジュンの顔に塗り、化粧を浮かせていく。
「良い匂いですね?」
「お顔に使う物でございますから。化粧は油で落とすのが一番、肌を傷めないのでございますよ」
「でも口紅ってひどい味ですよ?」
「それはメラニー館の方が、ジュン様を思ってしてくださったのですよ? 紅は染料と原料が同じでございますから唇に色が残ります。油を塗って紅を乗せ、再び油をぬると、色が長持ちしますし、洗顔すると唇に色が残らないのでございます」
「ふぅん。親切にしてくれたんですね? でもコラード。執事の人ってそんな事まで勉強するの?」
コラードは柔らかな布で、油を軽く拭き取りながら答える。
「このような事は侍女がいたします。執事は侍女や従者に指示を出す事も仕事ですが、補助もまた仕事でございます。病人や欠員が出るのは避けられませんので」
「すごいですね。でも侍女が風呂に入ってくるのは嫌です」
コラードは小さく笑う。
「入浴のお手伝いも侍女の仕事だと、覚えておいた方がよろしいでしょう。どこで宿泊するか、分かりませんので。さぁできました」
「ありがとう。後は自分で洗えます」
風呂から上がると、ジュンは倉庫から果実水を取り出し、コラードに渡す。
「僕が作ったベリーの果実水です。飲んでみてください。僕は果実水が好きなんですよ。風呂上がりには飲みますけど、これだけはその日の気分で好きに飲みたい」
「承知いたしました。確かにこれはおいしいですね」
「ありがとう」
ジュンは果実水を飲みながら、ふと思い出したようにコラードに尋ねる。
「大きな人形が欲しいのですが、売っている物を見た記憶がないんですよ」
「人形とは女の子が遊ぶ、あれでございましょうか?」
「うん。大きな物ってどれ位?」
「子供が抱えられる大きさでしょうね。貴族は購入いたしますが、普通は母親の手作りでしょうから、大きさはさまざまだと存じます」
「五、六歳の子供程の大きさで、二足歩行の生き物って売ってる?」
「ちなみにどのような目的でご使用になるのか、お聞かせいただいても?」
「特務隊で部屋をもらったんだけど、僕の代わりに仕事机の椅子に座らせて、受付をさせようと思ってね。だから目はボタンが良いんです」
「侍女のカリーナに作らせましょう。彼女は針仕事が得意で、ジェンナ様がその腕前を、いつも褒めておいでですので」
「そうなの? 費用や手間賃は払うから頼める?」
「ジュン様。使用人に手間賃は必要ありません。材料は侍女頭か執事が用意いたします」
「なんで? 仕事を増やした僕が感謝するのは変ですか?」
「カリーナはジュン様の専属侍女。感謝は言葉だけで十分でございますよ。金銭は使用人たちの均等を欠いてしまいますので、ご注意ください」
「うん。僕は使用人になった事もないから、教えてくれると助かるよ」
その日ジュンは食事もせずにベッドに入った。
その報告をコラードから受けたジェンナは小さく息を吐く。
「明日の朝食は、米を多めにしてやっておくれ」
「米でございますか? お好きなのでしょうか?」
「ミゲル様の話だと、火の通った野菜が好きで、特に米を食べると機嫌が良くなるようだよ」
「それでは、そのようにいたしましょう」
「隊長のベルホルトから、連絡が入ってねぇ。コナー副隊長がポーラとその母の身柄をゼクセン国に引き渡したようだ。黒組が突入した時、祖母に刺された孫は隊員の目の前でアスワンデの姿になって事切れたようだ。それを明日、あの子は聞かされる。転送室前の映像を見ていたよ」
映像を送る石はジュンの額にある。したがって彼の表情だけは見る事ができない。
コラードはジェンナに告げる。
「ジュン様はアスワンデの最後をご存じだったと思われます。ジュン様はそれは悲しそうになさっておいででした」
コラードの言葉にジェンナはうなずく。
「すまないねぇ。あれはまだ危うい。自分の正義を疑い、自分を責める。ただ、私はあの子のそこが好きでねぇ。ジュンは人を愛せる子だよ。そこに打算はないのさ。だから傷付きながらも迷わない。コラード。あれには支えが必要だ」
「承知しております」
次の日の早朝。
本邸の庭で、剣や槍のトレーニングをしているジュンの顔に、昨日の憂いは見受けられない。
部屋でシャワーを浴びて出てくると、カリーナが待っていた。
「おはようございます。人形を作って参りましたが、このような物でいかがでしょう?」
「すごい! うれしいよ。思っていた以上のできだよ。ありがとう! あれ? 寝ないで作ったの?! 駄目だよ無理しちゃあ。コラード、カリーナを休ませて」
カリーナは少し慌てたように話す。
「い、いいえ。初めていただいた仕事ですので、うれしくて朝まで待てなかったのです。お気遣いいただきありがとうございます」
コラードが少し困った顔で言った。
「ジュン様。心得ております。お任せください」
「うん。頼んだよ」
(何とか朝までにとおっしゃったのはコラード様です。侍女長と三人で、大騒ぎで作りましたと、言ってはいけないらしいのです。でも気に入っていただけて良かった。ジュン様の優しい笑顔が、曇るのは嫌ですものね)
ジュンに似せて作ったのだろう、白い髪に赤と紫のボタンの目。口角をあげて機嫌の良さそうな人形に、ジュンは小さく笑う。
コラードに言われて、食堂に入ったジュンは息を飲む。
「古い覚え書きに、米の配膳が記されておりましたので、ご用意いたしましたが、いかがでしょう?」
「コラード。ありがとうございます。うれしい……。すごく」
ご飯と味噌汁。焼き魚と卵焼き。そして、野菜の煮物。
(完璧な婆ちゃんの朝ご飯だよ! 朝の味噌汁は白い甘味噌。だしは前の夜から水に入れておく煮干し。卵焼きは刻みネギが入った塩味。煮物は野菜を軽く炊いた物。焼き魚はイザーダの魚だけどね。茶碗の中で一粒ずつ、ふっくらと立っているご飯。糠漬けがないのは少し残念)
「いただきます!」
「どうぞ召し上がれ」
「え? えぇ! コラードそれも書いてあったの?」
「はい。ただ詳細はなく、食後のごあいさつが『お粗末さまでした』になっておりますので、間違いかと思います。私たちが主に粗末な物をお出しする訳がございません」
「そう……」
胸を張るコラードにジュンはそっと笑うと、心のこもった粗末ではない食事を食べ始めた。
(今はまだこの習慣は広めたくないから、教えてあげないよ。ご飯の度に日本を思い出すのは嫌すぎる。それにしても今日の僕は何だろう。昨日は泣き叫びたい程の気持ちだったのに……。そうか、コラードに感謝しなくてはね。こんなに気をつかわせちゃ駄目だよね)




