第六十話 再びの初出勤
ジュンは昨日と同じように、三番の札がかかっている部屋にいた。
昨日と違うのは、今日は一人だという事くらいである。
そこへ、昨日ジュンを案内してくれた、女性が入室してきた。
「おはよう。昨日はごめんなさい。書類を確かめないで、連れて行ってしまったわ」
「いえ。もう一人が先に案内されましたからね」
「ありがとう。優しいのね。それでは、ジュン君でいい?」
「はい。よろしくお願いします」
部屋を出て昨日の廊下に出ると、ジュンはふと右を向く。突き当たりには昨日の食堂がある。
「今日は左よ。でもジュン君は、この入り口を使うことは、きっとないわね」
「そうなのですか?」
「えぇ。あそこは別棟でね。関係者以外は入り口を知らされていないの」
「なるほど」
「こっちに用事がある時は、初めは場所も分からないでしょ? だから売店の横の部屋で、身分証明書を出して聞くのよ? 私もいるわ」
「そういえば、部署等の表示がないですよね?」
「うんうん。新人泣かせなんだけど、治安のためなのよ」
ジュンは売店の上を見て立ち止まった。
「コンビニ売店?」
「あぁ。大昔コンビニさんという方が店番をしていたらしいわよ。今は商業ギルドが当番を決めて店番をしているの。何でもあるわよ。なければ頼むと馬だって売ってくれるらしいわ」
「それはまた……」
「島では生き物は飼えないけどね?」
(多分、カイが作ってコンビニって名前にしたんだね? どっちでも良いけど、一つでいいのは確かかな?)
「さぁ。着いたわよ」
そう言われて立ち止まったのは、どうみても物置のような扉。廊下に並ぶ扉よりかなり貧相な扉である。
中に入ると棚が並んでおり、古い木箱がその棚に収まっているのだから、ジュンはキョトンと見つめるしかない。
「そうよね。驚くわよね。そろそろお迎えがくるわよ?」
棚と棚の間がわずかに光ると、そこには昨日の男が立っていた。
こげ茶色の髪と青色の瞳。狼獣人族独特の筋肉質のたくましい体が、穏やかな日常を送っていない事を、物語っているようである。
「ご苦労だったな。もう良いぞ」
「では、失礼いたします。ジュン君頑張ってね?」
ジュンは昨日も聞いたその言葉に小さく笑う。
「はい。お手数をおかけしました。ありがとうございました」
彼女が出て行くと男はジュンを見て言う。
「お手数が掛かったのは私だ。全く。特務隊副隊長のチェイスだ」
「ジュンです。よろしくお願いいたします」
「我々が本部に来る時は、この部屋を使う。玄関で身分を証明するには人の目が多すぎるからな。行くぞ」
「はい」
転移した場所の扉を開けると、ソファーセットがポツンと置いてある。
「右の戸が風呂と便所だ。左の戸は台所だが、誰も料理はしないので、水飲み場だと思え。このソファーとテーブルは誰かが捨てていった物だ。特務隊に来客はない。来たら攻撃して構わない」
「はぁ……。あっ、はい」
なんとも物騒な話を聞かされた場所は、横に長い学校の教室のようだったが、突き当たりの扉を開くと、そこには文化祭の体育館があった。
舞台はないが、窓の全くない広い空間は、暗幕が窓を塞いでいる体育館そのままなのである。机が真ん中にある以上、この部屋は運動をする場所ではない事は明らかなのだが。
机といっても食堂にあった長机を、六個ほど向かい合わせで並べただけの物で、椅子も背もたれのないベンチである。
天井には、照明の博物館かと思う程の、魔導具がぶら下がっている。
(すごいよね。魔石が切れているのか、壊れているのか分からないけど、どれだけ横着なの? 僕……。よし。見なかった事にするぞ!)
「呼び出しがあるとここに集合する。今日はまだいないが、情報交換や雑談もここだな。両方の壁にある戸は、隊員の部屋だ。名前の札があるので、困る事もないだろうが、右が青組で左が黒組だ」
「青組と黒組ですか?」
(運動会は赤組と白組だったけどね)
「副隊長の目の色だ。副隊長は二人いる。私とコナーだ」
「チェイス副隊長は青組なんですね? 僕は青組でお世話になるのですか?」
「ならない。青や黒と行動する事も多いだろうが、ジュンには隊長の補佐をしてもらう。とにかく隊長の補佐だ。しっかりやってくれ」
(なんか補佐を押し付けたいみたいだ。気難しい人とか怖い人なら嫌だなぁ)
突き当たりには扉が三枚あり、右がチェイス副隊長、左がコナー副隊長らしく、名札が掛かっている。真ん中は名札がないが隊長室のようである。
チェイスが扉をたたくと、中から入れと声が返ってくる。
「失礼いたします。ジュンを連れてきました」
「ご苦労だった」
チェイスは微妙な笑みを浮かべると、ジュン一人を中に入れた。
「初めまして。ジュンと申します。よろしくお願いいたします」
「ベルホルトだ。ここに来て座れ」
「はい。失礼いたします」
ジュンは勧められたので、ベルホルトの前の椅子に腰をかける。
白銀の髪に緑の瞳。青い瞳ではないが、面立ちはミゲルを思わせる。
「待っていたぞ」
「はい。ありがとうございます」
「姉とひいじいさんが随分と世話になったようだな」
「やはり、モーリスの方なのですね?」
「ケームリアンで次男のエリックに会っただろう? 私が父だ」
「え? えぇ!」
「うるさい」
「そんなぁ。故人に自己紹介されたんですよ? 普通は驚きます。僕はいたって普通の青少年です」
ベルホルトはしばらく面白そうに笑ってから、息を整えた。
「まぁ、長男は私が返り討ちにしたのだがな。そのせいでケームリアンを姉に取られてしまった」
どう受け止めて良いのか判断がつかない話に、ジュンは顔をしかめる。
「宿の主人に未練でもあったのですか?」
「あった。子供の頃からの夢だったんだ」
「そうですか。それは残念でしたね」
ジュンはそっとため息をついた。
(どうしてモーリス家の年寄りは、変わっている人が多いの?)
「ジュンを私の補佐という形にしたのには、訳がある。隊長の仕事の一つに依頼調査があるのだ」
「依頼を受けて、調査をするんですか?」
ベルホルトは大きく首を横に振る。
「それが隊長の仕事だと楽なのだがな。要は持ち込まれた依頼の善悪や背後を調べる。なんでも引き受けていては、いたるところで大変な事が起こるのだ、持ってくるのが王族なのだからな。そして王族がいつも正義ではないのだ。ダンジョンや災害級の魔物なんてかわいいものだ」
「そんな憎たらしい仕事をやれと? 僕、食堂に戻ってもいいですかね?」
「駄目だ。なんせジュンは私が二十人の部下を使ってやっていた事を、一人でやって、特務隊の仕事すら、一人でこなしてしまったのだぞ?」
「え? なんの事ですか?」
「ヘルネーの事件にしても、私の影が証拠をつかんで、本部に許可をとって消すのに何日かかるか分からない。エルフの森は影が調べて、特務隊が行っただろうが、死者はでただろうな。鉱山、竜は詳細が来なかったが、しかりだろうな」
(いやいや。それ仕事にするの嫌ですが……)
「それより影ってなんです? 特務隊で良いのでは?」
「特務隊員がそんなにいたら、大変だろうが。過去最大で十六人だぞ? 今は九人だ。影とは隊長の持つ個人部隊のような物でな。私の長男をリーダーにしておいたのが間違いだった。六級六種しか持っていない者が、特務隊に入れない事は知っていたであろうに、周りに持ち上げられたのだろう、よりにもよって、特務隊の隊長の椅子を狙いおった。血筋でなれると吹き込んだ奴がいてな」
「それで、馬車で海に?」
「それが筋書きだったようだからな。二人共死んだ事にして、関与していない数人と調べあげて、捕まえたが半数を交戦で失った。隊長は特務隊員から選ばれる。それなりに人望のある副隊長がなる事くらい。ゴブリンでも分かるだろうに」
「……お気の毒です」
「だろう? 隊長職の合間に影を統率するのには無理がある。それでその任務専門の特務隊員を見つけたのだ」
得意気なベルホルトを見て、ジュンは素直に感想を述べる。
「おぉ。それは良かったですね」
「喜んでくれるか?」
「はい。もちろん。これで隊長業にしっかり取り組めますね?」
「あぁ。よろしく頼むぞ?」
ベルホルトのうれしそうな顔を見て、ジュンも思わずほほ笑む。
「僕は隊長の補佐ですよね?」
「だから先程から言っておる。補佐と言う名前の調査専門職だ」
「無理ですって。たかが十五歳の青少年の仕事じゃないです! 食堂で芋を洗いたいです」
「ストレス解消に洗わせてやる。だが、補佐は総長と前総長も望んでおられる。特務隊の給料の他に二十人分の手当が支給される。その中でやり繰りをしろ。代々チームの拠点を置く場所に困っているが、ジュンはモーリスの遺産があるから、それも大丈夫だろう?」
良く分からない説得に、また分からない物が増えて、ジュンは膨れっ面である。
「遺産? なんです? それ」
「ギルド島には家は建てられない事は知っているか?」
「はい」
「ジュンはシオン様の土地があるから、家を建てる事ができるのだ。ギルド本部が関与できない土地だ。まぁ誰も入った事がないからある意味、未知領域だがな」
(土地も仕事もいらないよ……。新入社員だよ? 中途採用だよ。どこで間違えたんだろう)




