第五十三話 決心らしいのだが。
王都アルトロアは黒い。
(ラーメン、ギョーザ、チャーハン? 駅前の店が並んでいるみたいだ)
王都の建物は全て黒い。その上、窓枠と扉が真っ赤なものだから、ジュンは実家の近くの食事処を思い出してしまったようだ。確かに住宅街に一軒あると印象には残るのだが、街中全てとなると少々暗い。
王都アルトロアは魔道具の街。
ジュンはゆっくり見て回るのは後回しにして、待ち合わせの宿を探す事にする。
王都の住人に聞けば、すぐに分かると言われたので、近くを歩いていた通りすがりの警備兵に尋ねようと声をかける。
「すみません。『ケームリアン』と言う宿をご存じでしょうか?」
「あぁ。ほら、城の向こうに山があるだろう? その麓にあるんだ。城の前の道を、真っすぐ行けばたどり着く。一度は泊まってみたいよなぁ。分かるよ、でもな残念ながらあそこは宿じゃない。どこかの貴族の別邸なんだ」
貴族と聞いてジュンは顔をしかめたが、待ち合わせ場所なので仕方がない。
そんな変な名前の宿が他にもあるとは考えにくい。
「そうなんですか? 宿って聞いて来たんですけど……」
「宿を取るなら、反対側の山の麓がいいぜ? 温泉宿がたくさんある。この時期なら安い宿も空いているだろう」
「そうですか。ありがとうございます」
「なぁに。道案内も仕事の内だ。気を付けてな」
気さくな警備兵は、仲間の元に戻って行った。
待ち合わせは三の鐘。つまり正午の待ち合わせなので、王都の外れとなるとのんびりもしていられない。ジュンは足早で目的地に向かう。
警備兵が教えてくれた場所に、確かにケームリアンはあった。
名前は違うが、間違いなくこの場所だと、ジュンは確信できたようである。
【湯けむり庵】木目の奇麗な立派な木に、カイの下手くそな文字。どこかの偉い書家が書いたと言われれば納得できそうなのは、木が立派なせいに他ならない。
看板の前で一頻り笑ってから、ジュンはつぶやいた。
「誰にもどうせ分からないけど、どうして自分で書こうと思ったのかなぁ?」
外観はどう見ても立派な宿にしか見えない。庵とは程遠い建物に首をかしげて、ジュンは扉を開ける。
「あれ? この世界の宿は一階が食堂兼、酒場じゃなかった?」
そこに生真面目そうな一人の男が現れた。
「いらっしゃいませ。ジュン・モーリス様でいらっしゃいますね」
「はい」
「お待ち申し上げておりました。皆さまのお部屋にご案内いたします」
カウンターだけのホールに応接セット、土産物屋はない。横に続く廊下がほの暗い。
ジュンは格子の引き戸をこの世界で初めて目にしたが、カイの字を見た後なので驚きもせず、少し口角を上げる。
いくつかの部屋の前を過ぎ、引き戸の上を見て、ジュンはとうとう声を出して笑う。
(今度は『梅の間』なのぉ? なんちゃって日本じゃない)
引き戸の中で靴を脱ぎ、襖ではないのが少し残念そうに、目の前の戸を引く。
「申し訳ありません。お待たせいたしました」
ジュンの言葉にミゲルとジェンナが笑顔を向ける。
「私らが早かっただけだ。さぁここに座るといい」
「そうじゃのぉ。ジュンは遅れてはいないのぉ」
「掘りごたつですか……。いいですね。初代が作った宿ですね」
「そうじゃ。初代の離れがあるのじゃ」
「あぁ。そこが『湯けむり庵』なんですね?」
「どういう事なんでしょう?」
玄関から案内してくれた男が、驚いたように尋ねる。
「あぁ。ジュン。紹介しよう。私のおいのエリックだ」
「初めまして。ご挨拶が遅くなりました。ジュンと申します」
「エリックです。お恥ずかしい話ですが、ここを任されていた父が急死致しまして、細かな引き継ぎがされていないので、勉強中なのです。ご存じの事があれば、教えていただけないでしょうか?」
エリックにそう言われて、ジュンはミゲルとジェンナを見る。
「この子は本部の事務方で仕事をしていたんだよ。私の弟には息子が二人いたんだが、弟とこの子の兄が二人共、雪道で馬車と一緒に海に落ちちまってね。悪いが知っている事があれば教えてやっとくれよ」
ジュンは少し考えてから口を開く。
「僕の知っている事はお話しします。ですが、それをどうするかはお任せします」
「はい。もちろんです。お願いいたします」
エリックは宿の責任者としての、責任感もあるのだろう、正面から真剣にジュンを見つめる。
「玄関からこの部屋に来るまでの短い間でしたが、気が付いた事を言いますね?」
全員がジュンに注目した。
「まず、看板の文字ですが、あれは『湯けむり庵』と読みます」
「なんじゃと?!」
ミゲルが驚いて声を上げる。
「だから、言おうか迷ったんですよ。あの看板はおそらく、離れにあった物でしょうね。庵とは小さな隠れ家とか仕事部屋とか、質素な小屋に使う文字です。ケームリアンが有名なようですから、そのままこの宿の名前で良いでしょうね」
ジュンは紙を出して、松竹梅と書いて説明した。
「これらはおそらく初代の考えた順番です。特上。上等。普通を現すようです。三種類は植物のようです」
三人があまりに奇妙な顔をするので、ジュンは一人で笑う。
どうやら梅の間は、一番良い部屋のようである。
「何かの折に札が変わってしまったのじゃろうのぉ?」
ミゲルの言葉に他の二人もコクコクとうなずく。
昼食は日本食ではなかったが、久しぶりに他人の作った料理を堪能して、ジュンは幸せそうな顔を見せる。
食後は三人が一番話し合いたかった、竜王の話と賢者の石の話になる。
「これが賢者の石です」
「奇麗な青だのぉ」
「そうさねぇ。炎かねぇ? 中で動いているねぇ」
二人には石が見えるようなので、ジュンはカイが掛けた魔法を説明する。
「人の悪い魔法じゃのぉ」
「初代のしそうな事さねぇ」
「これはどうします? テンダルの鉱山のためにも、二度と問題が起こらないようにしてほしいのですが……」
二人が考え込んでしまったので、ジュンはそのまま話を続ける。
「ギルド職員が見つけた時には割れていたので、持ち帰ってギルド本部で砂状にして、海に流したという理由は駄目ですか? まさか船も出せない場所に、砂を探しには行かないでしょう?」
「それでいいかねぇ。ぶり返さないだろうしねぇ」
「職員だと詮索が入って問題が起こるじゃろう? 特務隊がよいじゃろうのぉ」
その場でジェンナは本部に指示を出す。
ジュンはようやく重い荷物を下ろせた事に、安どの息を吐く。
その姿を見て、ミゲルが思い出したように笑う。
「そういえばルーカスが、激怒しておったのぉ」
「ありゃあ、ひどかったねぇ。あのサノア領主の我が儘にギルドも迷惑していたのさ、本部では支部をモントニーに移す案が出されていたねぇ」
サノアの町に店長を残し。魔法師を呼び寄せ、店はたった一日で取り壊し、同時に進行させていたモントニー領で、二日後には開店をしたらしい。
モントニー領は領主が働き者で人口が増え、メフシー商会にはオファーが前からあったようで、すぐにルーカスが指示を出したと二人は面白そうに、ジュンにその様子を伝える。
「サノアの領主と元店長は、突然の事で何もできなかったようだねぇ。サノアのギルド長が機嫌よく報告をしてきたよ。まぁ早くギルドも移転させろと、催促をしていたがねぇ」
「まぁのぉ。ギルドの場所は国王にも話を通さねばならぬしのぉ、簡単にはいかんのじゃよ」
ジェンナの言葉に、ミゲルがそう補足をした。
二人は先に温泉に入ったようなので、ジュンは一人で湯殿に向かう。
温泉は源泉かけ流しの岩風呂で、露天風呂まである。ここには日本がある。
ここに一人で入浴しているカイの姿が見えたのだろうか、ジュンは涙を湯で乱暴に拭う。
(違うんだよ……。ねぇカイ。どっちが切ないんだろうね?)
ジュンは湯殿のそばの卓球台には、近づかないようにして部屋に戻る。
(ラケットと球は地雷臭がするんだよね……。僕は見ないぞ。カイは昔、温泉のスリッパで卓球した奴なんだからね)
部屋に戻ってくると、二人は酒を飲んでいた。
「ジュン。やりたい事は見つかりそうかのぉ」
「えぇ。竜王に言われて……」
「竜はしゃべるのかい?!」
ジェンナは目を輝かせて聞く。
「話せなかったのですが、意思の疎通は図れました」
「話せても疎通できないより良いのぉ」
ミゲルのとげ発言に、ジュンは苦笑する。
「僕はどこかの小さな町で、手に職を付けて家族と暮らそうと思っていたんです。でも、どの職にも目がいかなかったんです。それより困っている人が、笑顔になってくれる事の方がうれしかったんです。ただ、僕の力はどこかの国に入ったら面倒事が起きそうです」
二人は力強くうなずく。
「それで ギルド本部で働こうかと思ったんです」
「それがいいだろうのぅ」
「それがいいねぇ」
二人はジュンの出した結論に、満足そうに相づちを打つ。
「ですよね? それで、職員の食堂に欠員はありますかね?」
「……相変わらずよのぉ」
「……無自覚だからねぇ」
二人は同時にジュンを見てから首を振った。




