第五十二話 竜の親子
ジュンの目の前には、巨大な竜がゆったりと座っている。
それが二頭ともなれば、普通は驚く。普通はだが……。
黒い鱗の竜と純白の鱗の竜は、大きく堂々としていて美しい。
その二頭と意思の疎通ができる事が、よほどうれしいのであろう、ジュンの表情は緩んだままである。
竜王とその息子なのだから白竜の方は王子だろうか?
ジュンの周りは王子が多い……。
竜の息子は楽しそうに父親に話しかける。
『へぇ。本当にカイに似ているね? でも目が違うし、性格も違うんだね』
『いとこだからな。まぁ少し風変わりなところは同じだ。人族が皆、カイやジュンと同じだと思うでないぞ?』
『うん。火竜の所に来る人族は、いきなり襲い掛かって来るらしいよ。危ないよね、火竜は火を噴くのにさ。皆もうんざりしていたよ』
ジュンは二頭の会話を聞きながら、次々と倉庫から料理を出していく。
彼らは生の肉を食べるらしいが、カイが料理を作らなかったようで、人族の料理を知らないと聞き、ジュンが用意をする事になったのである。
ジュンはここで作り置きを放出する事にしたようだ。
全長三十メートルはありそうな体の、二頭の竜を満腹にしようとは、ジュンでもさすがに思ってはいないようだが、それでも珍しい物を喜んで欲しいとは、考えているようだ。
取りあえず、石を集めて火をおこし、倉庫から大きな器になりそうな物を取り出し、水魔法で洗う。
ずん胴鍋には、竜の顔が入らない。水が漏れなければ、器の見た目は諦めたようで、何とかクリーム、ブラウン、トマトのシチューを並べる。
倉庫にあった大きな石版を出して魚や肉の熱々のフライを乗せて、竜の親子に笑顔を向けた。
『お口に合うと良いんですけど、人族の料理です。どうぞ』
『ほう。良い匂いだ。いただこう』
『おいしそう。ジュン、ありがとう』
親子が食べている傍らで、ちょうど炭がオキになったので、網を並べてバーベキューを始める。
二頭はあれがうまいとか、これがいいとか言いながら食事を残さず食べ終えて、ジュンの焼く魚や肉を食べ始める。
竜はジュンに視線を向ける。
『肉以外の物もうまいのだな。真ん中のが儂は一番好きだったな』
『ブラウンシチューは肉の味が濃いですからね』
竜の息子はうれしそうに首を伸ばし、父親とジュンを交互に見る。
『ボクは全部好きだよ。でも今食べてる肉がおいしい』
息子のうれしそうな様子に、竜王は目を細める。
『火で焼くと肉じゃないみたいだな。歯ごたえが良いな』
そんな親子の会話にジュンはうれしそうに言う。
『楽しんでもらえたようで何よりです。量は足りなかったでしょうけどね』
『いや。十分足りたぞ? 儂らは七晩くらいなら、食わずとも平気なのだ。気が向いたら食べる。ジュンも魔力が高いから、数日食べずとも大丈夫だろう?』
竜の言葉にジュンは苦笑する。
『僕はおなかがすきますから、三食きちんと食べていますよ?』
竜の息子はジュンの顔をのぞきこむ。
『ジュンは食いしん坊なんだね? おいしい食事が作れるから、食べるのが楽しいんだね』
『料理を作って、おいしそうに食べてもらうのも好きですよ。見ていると幸せな気持ちになります』
ジュンは、そう言うと息子に笑いかける。
『ジュン。また遊びに来てくれる?』
『はい。人族の僕で良いのなら、いつでも来ますよ』
『やった! 楽しみにしているからね』
そう言うと竜の息子は空を目指して飛んで行った。
『あいつはカイに懐いていたから、ジュンに会えてうれしいのだ。迷惑でなければ来てやってくれ。儂もまた楽しみができた』
『僕の素性を全て知っている人はいないんです。言えませんからね。あなたは知っていて受け入れてくれましたから、ここにいると落ち着きます。この世界にいる事を許してもらえたような気がします』
どこの世界で生きていたとしても、自分の人生の全てを話す者が、いるとは考えにくい。ジュンはそれでも小さな信頼関係を築き、相手が心を開いてくれる度に、嘘で作られた過去に、後ろめたさを感じていたようだ。
『ジュンよ。この世界に自ら望んで、産まれた者は何人いると思う? いないだろう? ジュンは自分の意思でこの世界に来たんだ。誰の許しがいるんだ? 神とカイが許したんだ。だから堂々と生きていけば良いんだ』
竜王の言葉に、ジュンは突然目を見開き顔を上げる。
『僕はこの世界の片隅で、ひっそりと生活をしようと考えていました。それがふさわしいと思い込んで、居場所を探していたんです。命をもらってこんなにうれしいんです。探す場所を間違えていた気がします。神が愛するこの世界を、カイが愛したこの世界を僕は守りたい』
ジュンは竜王に剣を見せる。
『ほう。ジュンの奇麗な魔力がこもっている。守りの剣だな』
ジュンは大きくうなずいた。
『スプリガンがくれた、アダマンティウムで作ったからなのかと思っていました。でも、違う気がします』
竜は目を細めて剣を見る。
『スプリガンは確かにジュンに小細工をしているな。ただし、それは守りではない。その雷だ。あれはジュンが気に入ったのであろう。人族は雷を使えないからな。あれは妖精ではなく霊なのは分かるか?』
『はい……』
竜は大きくうなずくと続ける。
『遠い昔、この世界にイザーダが降り立つ前の話だそうだ。他の世界から侵略して来た人間の召喚獣に殺されたのだと聞いた。よほど悔しかったのだろう。以来人間が嫌いだったのだ。ジュンに力を授けたところを見ると、あれも何かに気付いているのかも知れんな。あれが願ったら、どんな状況でも浄化をしてやってくれるか?』
『はい』
ジュンはスプリガンがそれを望めば、他の人に任せるつもりはないようで、はっきりと返事をする。
『忘れるなよ。あれはそれをジュンに託すつもりだ。その時は迷ってはならない』
竜の真意がどこにあるのかは分からない。その時とは、おそらく普通の状況にはならないと竜は言っているのだろう。
ジュンは竜を見つめて答える。
『はい。覚えておきます。彼が僕を信じてくれたのなら、僕は迷いません』
竜はまるで小さな子供にするような表情を、ジュンに見せる。
その時だった。
地響きを立てて何かが落ちてきた。
『うわっ!』
ジュンは思わず退く。
ミノタウロスとヒュドラ……。多分これらは空を飛ばない。
数頭の黒い竜が去って行くのが見えた。
『あいつはまた……』
竜王が首を振ると、次に息子の声が聞こえてくる。
『ジュン。おいしい料理のお礼とおみやげだよ。角のあるのは肉が甘いんだ。頭がたくさんあるのは肉もおいしいし、元気が出るんだ。ジュンにどうしても食べさせたかったから、仲間と持ってきたんだよ』
体は大きいが、息子は無邪気で優しい性格をしているようだ。
『ありがとう。でもいいの? 好きなんでしょ?』
ジュンは息子の言葉で、この魔物が彼の好物なのだと分かったようで尋ねた。
『食べたい時は持って来ないで、ボクはその場で食べちゃうよ。住み処が血で臭くなるのは嫌なんだ』
『そう。じゃあ遠慮しないでいただくよ。ありがとう』
竜の息子はうれしそうに父親を見る。
ミノタウロスは顔が牛なので、おそらく牛肉に近い味がするのだろう。しかし、ヒュドラは頭が九つもある蛇なのだ、サーペントの二倍を超える大きさがあるので、味の想像は付かない。ジュンはそれでも息子の気持ちがうれしくて笑顔になる。
両方を倉庫に入れると、ジュンは竜に言われて賢者の石も倉庫に入れる。それから、二頭にあいさつをして帰る事にした。
サノアの近くの街道に転移したジュンは、王都に向かって歩き始める。
途中で心配をしていたのだろう、ジェンナから連絡が入り、賢者の石を手に入れた事を報告すると、ジェンナとミゲルが王都アルトロアに来ると言うので、待ち合わせの日時と場所を決めた。
約束の日より一日早く着いたジュンは、王都に入る前に川辺でテントに入る。
特大のおみやげは別にして、狩りをした物を解体しながらスープを作る。
ブラウンソースとチキンスープは材料がある時にしか作れない。
スープは鳥系の魔物なので、チキンとは言わないが、ガラをゆでてから洗ってジンジャーとネギで煮込む。時の魔法は大活躍である。ガラはミキサーで細かくしてスープに戻し、再度火を通してこすと白濁したスープが出来上がる。
「婆ちゃんは肉屋の嫁としては最強だよね。このスープはよく冬に作って冷凍してあったなぁ。鍋やラーメンを作ってくれたっけ。僕はお粥が好きだったんだよね」
紅ショウガはないが、ジンジャーの甘酢漬けは大量にある。
ジュンは懐かしそうに、心も体も温まるお粥を食べる。
十九年間の過去は、思い出とよぶにはまだ色鮮やかなのだろう、鼻を少し赤くして食べている姿は、まるでホームシックに陥っている子供のようにも見える。
「やばっ! 泣きそうになった。お粥を食べた思い出は、皆が特に優しい顔をしているからね。お粥は体に優しいけど……。『人前で食べるな危険!』だよね」
翌朝。
川の罠には今回も魚が大量で、ジュンはそれらの処理を済ませると王都アルトロアの門に向かった。




