第五話 決心と血縁
沈み込んでしまったジュンを見たミゲルは、何とか慰めようとしたようだ。
「ギルドができるまでは、低賃金で重労働を強いられる者がおったり、冒険者が依頼主と、金銭や契約でもめたりする事は日常茶飯事だったのじゃ。地元のゴロツキに商売の邪魔をされて、泣き寝入りをする商人がおったりしてのぉ。見かねてギルドを作ったのが、モーリス家の初代のカイ様なのじゃよ」
「そうだったんですか?!」
(えぇ! カイなのぉ? 遊んでいたゲームや本が、無駄じゃなかったんだね。ここはどんな顔をすれば良いんだろう……。いろいろと微妙なんだけど)
「ギルドは世界中の王や領主が、支部を増やしたがるのじゃ。治安が良くなるからのぉ、一番は税金の徴収が楽になるからじゃがの。なんにせよ卒業の証は必要じゃ」
「それで僕は証を得るために、中等学校に通えばいいのでしょうか?」
ジュンは何かを決意したように、ミゲルの顔を見て聞く。
「王族や貴族は家庭教師から学んで、十五歳で卒業試験を受ける者が多いのぉ。高等学校から通学するのじゃ。人脈を作るという重要な目的もあるのでのぉ。十八歳で成人になると、家督の継承者は学ぶ事も多くなるのでの、次世代同士のつながりも大事なのじゃよ」
(長く通う事はできなかったけど、ちゃんと受験勉強をして大学に入ったんだ。試験は良いけど人脈うんぬんはパスしたいよ。平民だしね)
「過去の卒業試験の問題を見る事は、可能でしょうか? できれば高等学校のもあるといいんですけど……」
「ほぉ。高等学校も通学はせんのかのぉ? 友を得るのも大切だと思うがのぉ」
「勉強は本でできますし、身分に階級があるのはいろいろと面倒そうです。それに僕はこの世界を知らなすぎます。できれば成人までに旅をしながら、自分にあった職業や友を捜したいと思います。僕はここで生きるしかありませんから……」
「なるほどのぉ。少々無鉄砲ではあるが面白い。どんな結論を出し、友を得るのか儂も楽しみじゃ。国籍と過去の試験の資料を用意させよう」
(まだ幼いと思っておったのにのぉ。巣立つ方向を決めたようじゃ、良い顔をしておる。さて、儂はジュンをどこまで守ってやれるかのぉ)
ミゲルはジュンの過去の年齢を疑った事はない。右も左も分からない世界で、旅をすると決心をした、幼い血縁者の身をただ案じていたのである。
一方ジュンは倉庫内にあった、柔らかい黒のなめし革で、器用に肩掛けかばんを作っていた。
(不器用な姉ちゃんのお蔭だよね? 上出来! 旅に出る前に完成させたかったんだよ)
赤いかばんが、気に入らなかったようだ……。
それから数日後。一人の女性が玄関ではなく、二階から現れた。
「お主がジュンかい? 初めましてだね。ミゲル・モーリスのひ孫のジェンナ・モーリスだ」
「お初にお目に掛かります。ジュン・モーリスと申します」
結い上げられた銀髪と光の強い青い瞳。凛とした気品のあるジェンナは、ジュンがこの世界で初めて出会う女性だった。
(性別は年齢と関係がない……。僕の部屋で悲しそうに言った爺ちゃんは、愛妻家だったんだよね? 恐妻家?)
「ミゲル様。随分とまぁ若返ったもんだねぇ」
「そうじゃのぉ。きっとジュンと暮らしておるからじゃの」
楽しそうに語るミゲルは、ジェンナが知っている老いた大祖父ではない。
この世界は魔力と寿命は比例する。
彼女の両親の魔力は低かったのだ。
幼い頃から大好きな大祖父の変化を、ジェンナはうれしそうに見つめた。
「総長の席に戻る気はないかね?」
「定年退職じゃからのぉ」
「そんな退職はギルド総長にしかないのに、全く忌ま忌ましいねぇ初代は……」
ギルド総長の定年を決めたのはカイだった。カイはイザーダとの約束の百年で帰るため、総長は早々に譲りたかったようである。
(ミゲル様のひ孫……えぇ?)
「おや? ジュン。私の顔に何か付いているかね?」
「い、いいえ!」
(女性に年齢を聞く事はできないけど、うちの婆ちゃんより年上? 若いなぁ)
「ほら持ってきたよ。これが国籍証だ。モーリス家の全種持ちは、ギルド島が祖国って事になるが、それを知っているのは、各国の王族くらいだからねぇ。普通の国籍証として使えるよ」
「はい。ありがとうございます」
ジェンナが持ってきた、魔道具の小さな箱の上で、国籍証に血液と魔力を記憶させてそれは完成となった。
ジェンナに過去五年間の卒業試験が渡されると、ジュンはそれをすぐに読みを始める。
(内容は中学生位のレベルだな。イザーダ語・数学・社会、地理・魔法の筆記問題と、剣術と魔術の選択実技試験があるのかぁ。僕の目ってカンニングだけど良いのかなぁ?)
高等の卒業試験は、一般教養と専門課程があり、実技が重視されるようだ。
「両方受けるには、費用はどれ程必要でしょうか?」
「試験だけなら、どれも大銀貨一枚だよ。卒業試験だけってのはもったいないねぇ。高等学校は通った方が良いよ」
国籍証を取り寄せるにあたって、ギルド総長であるジェンナにジュンの素性を隠す訳にもいかず、二人はジェンナを味方に引き入れる事にしたのである。
ジュンは先日と同じ話を、ジェンナにも伝える。
「モーリスの血をひく全種持ちだよ? 引く手あまたなのに、自分で探すのかい? これは随分と面白い子だねぇ」
「じゃろう? ジュンは良く気が付くし腰も軽い。頭が良いから、むやみに強がらないのじゃよ。高等学校は侍従コースで、執事の勉強を勧めようかと思っておったのじゃよ」
突然、本物を見た事もない執事の話を、ミゲルに聞かされて困った顔をするジュンを見ながら、ジェンナは尋ねる。
「おや。戦闘能力は見込みなしかい?」
「いや。高等学校じゃ学ぶ物はないからじゃよ」
なぜか得意げなミゲルに、ジェンナは小さく笑ってジュンに告げる。
「ほう。それは楽しみだねぇ。試験は王都でひと月程かかるよ。息子が王都のギルド長をしているのだが、ジュンはそこに泊まると良い」
ここに来た初日を思い出したのか、ジュンは慌てて返事をする。
「いえ。そんなご迷惑をお掛けする訳にはいきません。お気持ちだけありがたく、受け取らせて頂きます」
「王都の家はカイ様の家なんだ。シオン様が学生時代を過ごした家でもある。気に病む事はないよ。息子の家族も楽しみにしているからねぇ、気持ちを受け取る気があるのなら、泊まってやっておくれ。モーリス家は親戚が少ないからね、あれでも役に立つと思うがねぇ」
ジュンはしばらく黙り込んでいたが、笑顔でジェンナを見て告げる。
「はい。何も分からないので、ご迷惑をお掛けすると思いますが、お言葉に甘えさせていただきます。よろしくお願いいたします」
ジュンの言葉にジェンナはほほ笑みを浮かべる。
「あぁ、そうすると良いね。私も安心だよ。王都は人が多いからね、治安が良くない場所もあるのさね」
カイの家という言葉で返事をした訳ではなさそうだった。ジェンナの“親戚”という言葉で、彼は怪しげな設定の後ろめたさから、解放されたようである。
ジュンと二人は血縁関係にある事は事実なのだ。
ジュンは日本の祖父母が好きだったハンバーグと温野菜サラダを作り、ストックしておいたコンソメスープを昼食に出した。
「これはうまいねぇ。肉がそろそろつらくてね、ありがたいよ」
「お口に合って良かったです」
「肉は好きじゃから、つらくはないが、これはうまいのぉ」
(ハンバーグは子供と年寄りの味方だと、婆ちゃんが言っていたけれど本当だな)
食後のお茶を出して、キッチンで後片付けをしていた、ジュンがジェンナに呼ばれた。
「ちょっと座りな」
「はい」
「今、ミゲル様に見せてもらった、この宝石だよ」
「何でしょうか?」
ジュンは思い出した。
(確か僕は眠らされていたけど、手紙と袋と一緒に運ばれてきたんだったよね?)
「ジュンの一生分の食費にしても、これは、多すぎるね」
「僕の物じゃありません。返せないのですから。ミゲル様が好きに使って良いんじゃないですか? 確か、手数料でもあったはずです」
「これじゃから、お主に頼んだのじゃ。役に立たんのぉ」
ミゲルには、ジュンの返事が想像できていた。なんとか旅の資金にさせようと、ジェンナに相談を持ち掛けたのだが、彼女は少々不器用なひ孫だった。
「じゃぁ。食費だけもらっておけば、良いんじゃないかね。後は一人立ちする時に祝ってやるって事にしておかないと、ジュンは結構頑固そうだよ」
「そうじゃな……」
ミゲルはあきれた顔を隠そうともしない。
ジェンナはジュンが、現金を持っていないと、ミゲルに聞かされた。王都までの旅は、慣れていても危険が伴うと理由をつけて、ジュンに大銀貨十枚を小遣いとして手渡した。
仕事が忙しいと帰るジェンナの後ろ姿を見て、ミゲルはため息をついた。
「字は読めるのにのぉ。人の気持ちが読めんのぉ」