第四十九話 サノア領
ジュンはアルトロア国に入った。
王都まではひと月近くはかかる。
北は冬の訪れが早いのか、空に秋の気配はなく、針葉樹の深い緑に紅葉はない。
一日に何度か出会う、魔物たちの顔ぶれは大体同じだが、未知領域が多いこの国は、街道とはいえ姿を見せる魔物は侮れない。
ジュンは王都まで、魔物の少ない街道を通って行く事にしたようだ。
(マントやブーツがあるから寒さは感じないけれど、吸い込む空気が冷えてきているね。そろそろ手袋を用意しなきゃ)
倉庫の中に手袋はあったが、なぜか手に合わない。
カイとは同じ型で作られた体なのだが、百年以上生きたカイと今のジュンでは、そもそも握力も手の形も違うのだから仕方がない。
幸いアルトア国のサノア領を出る間際にある、一番大きな町が近くにある。
そこを逃せば、またしばらくは大きな町がないので、ジュンはサノアの町に立ち寄る事にした。
アルトロアには竜の山がある事を思い出したのは、この町のいたるところで目にする、竜のせいかもしれない。もちろん生きている竜ではない。
看板やオブジェの至る所に、大小の竜がいるのだが、中には翼がなければ、何であるかも分からない物まであって、歩いているだけでもこの町は楽しい。
メフシー商会でカードを出して、素材の買い取りを頼むと、少し時間が欲しいと言われたので預かり証を受け取り、ジュンは一度外に出て、いつものように露店をのぞく事にする。
露店の楽しみである果実水の湯気を見て、思わず声を出して笑ってしまい、ジュンは慌ててあたりを見回す。
人気商品だと店主に勧められた、かんきつ系の果実水を購入して、その場で一口飲んでほほ笑む。
(ホットなんだよ。お茶やミルクじゃなく、かたくなに果汁を温かくする意固地さに、思わず笑ってしまったけど、蜂蜜が入っていて意外においしいな。あぁ、これはホットレモネードに似ているかもね)
メフシー商会に戻り、預かり証を見せるとすぐに終わると聞いて、ジュンは呼ばれるまで手袋を見る事にしたようだ。
手袋はどれも剣を持つと違和感がある。指先のない物はこれからは使えなくなると考えている所に、一人の男が近付いて来てジュンの前で止まった。
「失礼いたします。ジュン・モーリス様でいらっしゃいますね?」
「はい」
ジュンは手にしていた手袋を落として、慌てて返事をする。
「私はサノア領主に仕えております、トリスタンと申します。主がジュン様にぜひ一度ご面会をいただきたいと申しております。ご都合はいかがでございましょう? 後日でしたら、お泊まりの宿までお迎えに参ります」
突然、領主と面会をしろと言われて、ジュンは眉間にしわを寄せる。
「どうして僕がここにいる事が、分かったのでしょうか?」
(彼は少しも迷わず僕の元に来た。まるでジュン・モーリスの容姿を知っているかのように……。僕はモーリスの姓を名乗る場所や、人を選んでいるからね。そこが気になるよ。悪い予感しかしない)
「いつもメフシー商会をご利用になると、店長から聞き及んでおりました」
(利用する日時まで分かるなら、それはすごいけどね)
「僕は未成年の平民です。領主様に対し失礼があってはなりませんので、面会はどのようなご身分の方でも、ギルド本部を通していただいております。お手数をおかけしますが、本部にご連絡ください」
ジュンはそう言って、会釈をしながら手袋を拾い、彼の横を通り過ぎる。
買取金を受け取ると、一部始終を見ていた店員に告げる。
「この店の店長はいらっしゃいますか?」
「ただ今、外出しております」
「僕は客です。個人の情報を流すのは、止めていただくようお伝えください。会長には僕からカードを返上いたします。その意味を理解できる方だと、よろしいのですがね」
「は、はい。申し訳ありません」
ジュンは不快さを、隠そうともせず店を出る。
(大きな商会だし、いろいろな人がいて当然だよね。脅しただけで、ルーカスさんにカードを返す気もないけどね。さて、何が出てくるのかな?)
ジュンはメフシー商会が気に入っている。だからこそ、その口利きで貴族には会えない。この町でそれをすると、他の店にもその面倒事を強いる事になる。
店長がどうするのかは分からないが、ルーカスに会う事になるだろう。ルーカスはモーリス家と縁のある商人なのだ。ジュンは無責任にも領主と店との信頼関係は丸投げする事に決めたようだ。
衣料品の店を見て歩いたが、納得できる物がなく諦めていた時、装飾店の窓に飾ってある商品が気になり、ジュンはその店に入ると尋ねる。
「あの外から見える手袋を見せていただけますか?」
手袋を数点持って来てくれた、物腰の柔らかな男が店主のようだ。
「贈り物でしょうか?」
「いいえ。薄い手袋を探しているんです。手を通してみても良いでしょうか?」
真剣に尋ねるジュンに、店主は柔らかくほほ笑む。
「はい、どうぞお手を入れてご覧ください。こちらは手袋の上から指輪をされる方用で、ウルフの毛が生える前の胎児の皮を使用しております」
それは手にちょうど良かった。ただ剣が持ちやすい品を探していたのは、強度や防寒は付加魔法や時の魔法を使う事が前提であったのだろう。
「これを二双ください」
ジュンは商品を受け取ると、急いでサノアの町を出る。
商会が情報を流したと考えると、貴族がジュンに会う理由は一つしか思い浮かばない。竜が持っている賢者の石を得るために、ジュンを利用したいのだろう。
ワトの忠告を思い出し、簡単に諦めるとは考えられない相手のテリトリーからは、急いで出る事にする。
この町は幸いサノア領の外れにあったので、隣の領に入った所にある茂みで石ころテントを出して入る。
「さて、スライムはどんな仕事をしたのかな?」
従者の上着の後ろ見頃は長い。
手袋を落として保険にしたのは正解だった。拾うついでにそこに付けたスライムのかけらは音声だけを拾っている。
「エジリオ様。ただいま戻りました」
「それでジュンとやらは、連れて参ったのか?」
「いえ。お客様もいらっしゃいます。詳細は後程ご報告いたします」
「構わぬ。店長も聞きたいであろう」
その後の従者トリスタンの説明は、実に忠実に店での話が再現されていた。
(解体の時間は店長の移動時間だったって事? なかなか優秀だよねトリスタンさんは……)
映像はないのに、ジュンはスライムを見つめている。
「ギルドを通せだと? 店長どういう事だ? 権力に弱く、王子や領主に施しを受けているのではなかったのか?」
「ええ。さようでございます。メフシー商会の店長会議で、その子供の話が持ち切りです。各国の王子たちと旅をしながら、魔物の討伐をしているようで、どの店もそのお陰で潤っているようです。見かけとは違いとても強いそうで、カイ様やシオン様にも劣らないと聞き及びましたから、サノア様のお耳にお入れした次第でございます。私があの店を任されたのもサノア様のお陰でございますから」
(なるほどねぇ。商売をするために領主に取り入るのは分かるけどね)
「だからこそ、竜を倒して賢者の石を、奪って来させようとしておるのだ。メフシーの会長とは懇意にしているのだな?」
「間違いなく。会長がカードを渡すなど、聞いた事がございません」
「それなら、会長に伝えよ。ジュンとやらを悪いようにする気はない。私との縁は商会にとっては願ってもない事だろう。ジュンを連れてあいさつに参れとな」
「はい。早急に会長の元に行って参ります」
(まずいな。ルーカスさんは言いなりにはならないから、逆に危険かもしれない)
「ですがエジリオ様。先程も申し上げましたが、ジュン様は会長にカードをお返しすると申しておりましたが、いかがなさるのでございましょう」
「トリスタン。どんなに強かろうとたかが子供。大人のいう事は、聞くしかあるまい。賢者の石さえ手に入れば良いのだ。我が家でぜい沢をさせて恩を売り、婿入り先を決めてやるのだ。あのモーリスなのだぞ? どこの貴族も金は惜しまぬ。不老不死でも金がなければ仕様があるまい」
「ごもっともでございます」
(何がごもっともなの?! 貴族の人生計画になぜ僕が入っているんだか……)
ジュンは従者に付けた、スライムの魔法陣に付加していた消滅の魔法を、発動させる。
従者の服には、スライムの粘液がほんの少し残るのは気の毒ではあるが、決して落ちない物ではないと、ジュンは他人の洗濯の心配は投げ捨てたようだ。
メフシー商会に良くしてもらっている事もあり、自分のためにルーカスにいらぬ苦労をかけたくはない。
アブラーモ王と顔を合わせた事もあり、そこの貴族に何かをする事もあえてしないが、もし自分に手伝える事があれば、手伝う意思はあると手紙に書き、額の石の映像とスライムで録音した証拠を添えて、ジェンナに送る。
「賢者の石ねぇ……。そんな物があるのかなぁ? そんな物があるなら、なくしてしまった方がいいよね。スプリガンが帰れないとテンダルも困るだろうし。行ってみようかなぁ。本物の竜も見てみたいしね。怖かったら逃げればいいしね」
ジュンは、のん気にテントの中で、夜空を眺めながらつぶやいた。




