第四十八話 『闇蜘蛛』
ジュンは翌朝。珍しく日も高くなってから目を覚ました。
日課のトレーニングを終えて、テントの床で大の字になり、見上げているのは天井に広がる秋空。
残る国はアルトロアだけになった。魔物を殺した、人も殺した、金もたまった。
しかし、彼にはまだ居るべき場所が見つかっていない。
「カタツムリじゃあるまいし、石ころテントで狩人をするの? それもいいけど何か違う気がする……」
ジュンは身支度を調えると、アルトロアに向かって歩き出す。
テンダルとアルトロアの国境は海の近くにある。
「この世界の海を見に行こう。頭の中がすっきりするかも……。それはないかなぁ。第一、僕はやった事もないからねぇ。海に向かって叫んだ事のある人って、どの位いるんだろう?」
ジュンの悩み事は病気の事が大半だったので、悩みを抱えて公共機関を乗り継ぎ、海に行った事はない。
当然、夕日に向かって叫んだ事は一度もないので、海の精神的効果に期待などはしていないらしい。
「魚も良いけど、海藻は何か欲しいよね。貝も好きだし……。うん。やはり海を目指そう」
海は青春の何かを捨てるだけの場所ではない。
食欲を満たす場所であると断言をすれば、それはそれで残念ではある……。
一週間ほど順調に旅を続けて、ジュンは漁港のある町の門にたどり着いた。
朝一番の鐘で開く門を待つ荷馬車は、この待ち時間に慣れているのだろうか、のん気な会話があちらこちらから聞こえてくる。
「あれぇ? ひょっとして、ジュンさんじゃないっすか?」
「え? ワイアットさん? なぜこちらに?」
カブラタの『食寝亭』で会い、協力を頼んだ冒険者のワイアットに声を掛けられて、驚いて聞き返す。
「ちょっとアルトロアの知り合いに、会いに行った帰りっす。魚介を仕入れて土産にしようと寄ったっすよ」
「そうなんですか。僕はアルトロアに行く前に、海の幸を仕入れようかと思いましてね。初めての町ですが、人が多いですねぇ。驚きました」
ジュンの話を聞いて、ワイアットは小さく笑う。
この町は朝が一番忙しい。ジュンが強いのはワイアットも知っているが、見た目が何とも頼りない。
「ジュンさんはなんか危なっかしいっす。初めてならオレと一緒にどうっすか? ボラれないっすよ?」
「いいんですか? お願いします。どこで買って良いのかも、分からないですから」
流されるように町に入ると、人々は目的の場所を目指して急ぐ。
「この町は漁港の中では一番でかいっす。北の魚介はうまいっすからね、それぞれ仕入れる場所が決まっているっすよ。そこいらの店はそこから仕入れて並べているんで高いっす」
「ワイアットさんに会えて良かったですよ。僕はきっとそこで買っていました」
何とも危機感のないジュンに、ワイアットは苦笑する。
「ジュンさんはそこでボラれて買わされたと思うっす。商業ギルドに加盟していない露店が多いっすよ」
「そうなの? ワイアットさんは詳しいですね」
「旅の途中の村なんかで売ってる野菜なんかも、ギルドを通していないっす。あれと同じっす。オレの事はワトって呼んでください」
「うん。ワト、僕は平民なのでジュンでいいですよ。村で買い物や物々交換をよくしたけど、気が付かなかったですよ。言われればそうですよね」
海の近くには数軒の家が集まった場所がいくつもある。漁師たちは仲間ごとに集まって生活する事が多いようだ。
ワトはその中の一つに迷わず入ると、大きな作業場の、開け放された場所に顔だけ入れて声を張り上げる。
「ちわっす! いるっすか?!」
「おう、いるぜぇ。久しぶりだなワト」
「はい、ご無沙汰っす。ギルドに出さなかった物を、見せてもらっていいっすか? 知り合いもいるっす」
ワトの言葉で、ジュンは慌てて駆け寄り、あいさつをする。
「突然おじゃましてすみません。ジュンと申します」
「ライリーだ。好きに見てくれ」
漁から戻ったばかりの魚や、生きている貝がたくさんあり、処理の方法や料理の仕方を中に居る者たちが親切に教えてくれる。
習うと欲しい物だらけになったようで、ワトが購入した物以外の欲しい物を買うと中途半端に残るので、ジュンは結局全部買う事にする。
「ワト、変わってる奴だな? 話は流れてきちゃあいるが、信じられねぇ」
「ああ見えても強いっす。知り合って置くと良いっすよ。オレの一押しっす」
「そこまでか?」
「そこまで以上っす」
「『闇蜘蛛』のワトが言うんだから、確かだろうな」
ライリーは見定めるようにジュンを見てうなずく。
ジュンは二人の様子を気にするでもなく、丁寧にお礼を言ってその場を後にする。
ワトにお勧めの休憩場所があると連れて来られ、二人は浜辺で腰を下ろす。
「町の外れで塀があるっすから、ここは休憩にはちょうどいいっす」
「うん。いい景色だね? 夏は泳げそうだね」
「海は初めて見たっすか?」
「うん」
「海は川と違って、泳げないっすよ。魔物の巣窟で危険っす。内海は特に渦が突然できるっす」
この世界はどこの国も内海と外海に面している。しかし、外海は未知領域の向こうにあり、使われているのは内海だけになる。
そのほぼ丸い内海の中心にギルド島があるのだが、大型の魔物と渦を巻く潮の流れがきつく、船で島に行く事は不可能なのだ。
横切る事のできない海は、貿易には不便ではあるが、それでも大量の荷物や重量のある物は馬車を使うより、低コストで時間もかなり短縮できるらしく、陸地に沿うように船を運行させているらしい。
ジュンは石を組み火をおこし、取り出した金網に貝や魚を並べ、モロミを付けた握り飯と共に焼く。
「新鮮だからおいしいよね?」
ジュンは満足気に、焼いた魚や貝に舌鼓を打つ。
一方ワトは、焼きおにぎりが珍しいのか、口に合ったのか、おいしそうに頬張る。
「米はサラダや薄焼きにする物だと思っていたっす。うまいっす、ルークに教えてもいいっすか?」
「うん。誰に教えても問題ないですよ。それより、この辺りでは海藻は食べたりしないの?」
「あぁ。外海は海藻やそれを食べる生き物が、たくさんいるみたいっす。コンバルとアルトロアは外海があるっすから、あるかもしれないっす」
ジュンは海藻の情報が聞けた事がうれしかったようで、自然に顔がほころぶ。
(南のコンバルより、北のアルトロアに昆布がある可能性が高いよね。これからアルトロアに行くからね。あったらいいなぁ)
イザーダの国々は、内海を囲むようにほぼ丸く陸続きなのだが、唯一外海とつながっている場所がある。それが、コンバル国とアウトロア国の間にあるのだ。
内海の中央付近に頻発する、渦の影響が及びにくい事もあり、両国間は船が使われている。
ふと、アルトロアという言葉で、ジュンは何かを思い出したかのように、ワトに尋ねる。
「そういえば、アルトロアからの帰りだって言ってましたよね? 高レベルの冒険者が多数、亡くなったって聞いたけど、何があったの?」
「あぁ。賢者の石の噂っすね。不老不死の石が竜の山にあるってうわさ話しっす。頭が悪いとしか思えないっす。竜を単独で狩れなければ、行っても仲間割れになるだけっす。行く前に仲間割れとかあきれるっす」
ワトはため息をつく。
ジュンは少し眉間にしわを寄せる。
「不老不死になって何をしたいんでしょうね? 知り合いを全て見送る孤独は、大変なものだと思いますが……」
ジュンの言葉に、ワトは顔を曇らせうなずく。
「オレは物心ついた時には、ダンジョンに親と潜っていたっす。親父はポーターでお袋はガイドだったっす。ダンジョンの深層部にある夢のために、たくさんの帰らなかった人を見てきたっす。夢のために残された人たちも、それ以上に見てきたっすよ。夢が欲に食われた時、人格も食われるっす。信じていた人の盾にされて、お袋と親父はオレの目の前で死んだっす。オレは奴らをダンジョンに置き去りにしたっす。ガキができる、唯一の復しゅうだったっすよ」
「ごめんね、ワト。辛い話をさせてしまった。それで『闇蜘蛛』?」
「あぁ。敵わないっすね。その名前は二度と口にしない方がいいっす。オレたちは今は亡き王族の影だったっすよ、あの場所にいる連中は引退しましたけどそれなりの腕があるっす。ドワーフじゃない者はバラバラになったっす。オレは冒険者になったっすけど」
(テンダル国の前王だよね。亡くなった王妃は知恵者ではなさそうだし……)
「そうなんだ。もぅ活動はしないのですか? 命をかけた緊張感を知った者が、平穏に生きて行くことに、満足できるものなんでしょうか……」
「命をかけるからこそっす。私利私欲や恨みつらみで、人殺しを強いる者は主の器ではないっすよ。オレたちが跪けるのは、オレたちの虫けら程の矜持を、受け入れられる器の持ち主だけっす。あの集落で伴侶を得た者はもう戻らないっすね」
(テンダルの王妃と元宰相は、自害じゃ無いって事なんだ……。現王はワトたちに、その器じゃないと判断されたんだね。命を懸けるんだから当然だけど、彼らの矜持のレベルもかなり高そうだよね)
別れ際にワトは笑いながら告げる。
「ジュンさん。アルトロアは魔人族の国っす。エルフと同じ位、長生きっすから、癖の強い人も多いっす。危ないと思ったら逃げるっすよ。彼らは自分に好意や興味を抱かない人間を、追いかける事は滅多にないっす。恨みさえ買わなければ逃げられるっすよ」
「分かりました。忠告をありがとう。気をつけます。ワトも気を付けてね?」
二人はその町の外で別れる事になった。ジュンは歩きでアルトロアへ行き、ワトは近場から船でカブラタに戻る。
ワトは足を止めて振り返る。
(世界中のメンバーが、注目しているっすよ。闇蜘蛛が自分で正体をばらすなんて、前代未聞の珍事っす。皆に言われて来たっすけど、あんな場所で普通に再開はないっすよ。どれほど天然なんすか。でも闇は強い光に惹かれるっすよ……)
ジュンの姿はすでに見えない。しかし闇蜘蛛の勘が、遠くはない未来での再会を告げていた。




