第三十九話 それぞれの道へ
ジュンとレオはミーナや長と朝食を終え、長の執務室で、説明を受ける。
リカルド・オクレールの後を継ぐのは長男で、しばらくは他の三人の長が彼をサポートするらしい。
亡くなった使用人や、警備団の家族への説明責任や賠償等は、アルラーモ王女や他の長と話し合いながら、進めていく事になるだろう。
新しくオクレールの長になった息子が建てる家は、他の家と同様の煉瓦を使用する事になったようで、亡きリカルドの妻も領地に戻るらしい。
ジュンとの会話で知ったシルキーの事は、王女がシルキーの希望を、最優先に考えたいと述べたようで、橋渡しはジュンがするしかないようだ。
レオとジュンは予定通り明日、ルマール家を出発する事を長に告げて退室した。
ジュンはそのままミゲルの元に向かう。
転移陣のある部屋は奇麗に掃除がされていて、かつて、ほこりよけの布が掛けられていた二階の部屋は、いつでも客が泊まれるようになっていた。
「君はすごいね。ピカピカだ」
「おかえりなさいませ」
出迎えたシルキーがほほ笑む。
下に降りてミゲルにあいさつをすると、お茶の良い香りがした。
「終わりました。残念ながら、ニーズヘッグのブレスで、屋敷は全焼してしまいました。ごめんね。シルキー」
お茶を出しながら、シルキーは首を横に振ると言う。
「長い時間を同じ屋敷で過ごせた私は、幸せ者なのですわ。リカルド様との契約も終わり、屋敷の気配が消えたのも分かりました。リカルド様を助けてくださって、ありがとうございます」
「どういたしまして。それよりエルフの女王が、心配をしていたよ。君の気持ちを一番に考えたいらしい。この先、どうする? あの場所に未練がある?」
シルキーはほほ笑みながらミゲルを見る。
「この家で暮らす事になったのじゃ?」
「そうなの? 屋敷じゃなくて小屋だけどいいの?」
ジュンはいささか失礼な自分の物言いに、苦笑しながらシルキーを見る。
「家は大きさではありませんわ。この家の記憶が、どれだけ皆さんに愛されていたかを、教えてくれましたわ。たった一人で、笑顔で楽しそうに作っていらした方は、ジュン様にそっくりでしたわ」
「そう」
ジュンは少し困った顔で返事をする。
(それはそうだよ。同じ型で作られたんだからね。妖精はそこは分からないんだね)
「それに私は臭い家には住めませんわ」
首を傾けるジュンに、ミゲルが笑って告げる。
「汚泥煉瓦が何でできているか、知っているようじゃ。モーリスの本邸も古くて煉瓦は使われておらんからのぉ。儂とはそう長い期間にはならぬじゃろうが、魔力を分ける事になるからのぉ、契約をしたのじゃ」
「魔力はどれ程必要なのですか?」
「魔道具を一回使う程度じゃ。毎回世界樹まで行かれないのでのぉ」
ミゲルはそう言うと、優しいまなざしをシルキーに向けた。
「全ての魔法を使える方の魔力は、とてもおいしいのですわ」
「ジュンはまだ家も作っておらんし独身じゃ。この先ジュンが家庭を持っても、相手に理解がなければ、悲しませる事になるじゃろう。儂が契約しておくのが無難じゃろうのぉ」
ミゲルの言葉にジュンは黙ってうなずく。
「僕はミゲル様がお一人なのは心配ですし、シルキーがいてくれるなら安心です」
ジュンの言葉にシルキーは、うれしそうな笑みを浮かべた。
連絡や予定もあるので、ジュンはお茶を一杯ごちそうになり、早々に引き上げた。
ルマール家に戻ったジュンは、エーベルから急きょ予定が入ったと告げられる。
部屋に行くと、ミーナとレオが笑顔でジュンを見る。
「待っていたぜ。二人とも出かける準備は出来てる」
レオの言葉に、久しぶりにそろって外出するのがうれしいのか、笑顔のミーナがコクコクと首を振る。
「待たせてごめんね。行こうか」
湖畔にある東屋まで行くと、ルチアーノが待っていた。
急いで旅立つジュンたちが長たちに紹介され、それぞれに感謝の言葉をもらう。
世界樹に長たちが魔力をそそぎ元気になったら、いつか妖精湖も浄化されると喜ぶ様子を見てジュンは首をかしげる。
「いくら世界樹でも、これだけ大きな妖精湖をたった一本で浄化するとなると、大変だと思います。よろしければ、世界樹の手助けをいたしますが?」
エルノー長が瞳を輝かせて尋ねる。
「できるのでしょうか?」
「はい。世界樹に触れる許可さえいただければ」
彼は事件の解決に、ギルドの支援を口にした人物である。
最年長のアルロー長は慎重派のようで、エルノー長を遮って口を開く。
「いえ。妖精湖は昔から足を踏み入れる事や、船を出す事は禁止されております。われわれが代々守ってきたのです」
ジュンは、そのとげのある言葉に、冷静な顔で言葉を返す。
「僕は魔法師ですよ? 妖精湖に触れずに、あの島まで行く事など簡単な事です。昔からのしきたりもあるでしょうから、無理にとは申しませんが、何十年も魔力を送るのは、大変かと思いましたので、差し出がましいようですが、お話をいたしました」
ジュンにとっては、どちらでも構わない。自分たちが守ると決めているならそれでも良いのだ。ジュンは結論を長に預けて、少し離れた場所で敷物を広げ、ミーナに果実水を飲ませる。
そこに一人の男が現れた。
彼は長たちの話を聞くと、怒りを抑えた声で告げる。
「アルロー長。何を考えているんだ? 世界中の治療院で薬が不足しているんだ。この里の薬が必要で、順番を待っている患者が手遅れにでもなったら、あんたらの責任だ。俺たちは、あんたらの家族に何があっても、順番通りに薬を渡すって事だけは、覚えておいてくれ。うぬぼれるな。エルフ族を守って来たのは世界樹だ。これ以上世界樹を苦しめるなら俺たち薬師が黙っていないからな」
そう言い放つと、ジュンの元までやって来る。
「俺はオクレール領で代々薬師をしているパーカーだ。領主の屋敷が一晩でなくなったから、城に薬を届けに行って王女から聞いたんだ。世話になった。シルキーとは仲が良かったんだ。助けてくれて、本当にありがとう」
「ジュンです。シルキーは僕の親戚の家が気に入ったみたいで、今は元気にしていますよ」
ジュンはレオやミーナとあいさつをする彼に、果実水を出す。
彼の家はマドニア国では一番古い薬師の家で、兄弟も多く薬草園も人手には困っていないようだが、妖精湖の水が使えないのは、困るようだ。湖の周りに育つ世界樹の葉は、各領地の薬師が管理しているらしい。
「世界樹の木は湖の周りにしか育たないんだ。昔から場所を移すたびに失敗するって、シルキーにぼやいたんだよ。そしたら、世界樹は一本しかないと、教えてもらって驚いたよ」
ジュンは湖の世界樹ほど大きくはないが、湖の周りにある独特の色をした木が、世界樹である事は左目で見えていたのだ。
「え? グレーの木は違うんですか? 世界樹に見えますけど」
パーカーは少し笑うと言う。
「世界樹の根が地中深くに潜り、地表に出て木になっているらしい。だから、根を切っては生きていけない。シルキーが言うには、湖と木を大切にしている礼で、葉を取らせてくれるらしいんだ。なのに長は、ちっぽけな長の矜持でいたずらに世界樹を苦しめやがって、全く」
長たちはようやく話がまとまったらしく、ジュンに助けを求める事に決まったようだ。
「ジュン……。お仕事」
「うん。あの木はね。世界中の皆を助ける、とても大切な木なんだよ? でも今は少し元気がないんだ」
「……。痛いの?」
「うん。だから、頑張れ! と言ってくるよ」
ミーナは瞳を輝かせてうなずく。
「パーカー殿。ジュンは非常識な奴だから、見ているといい。きっと面白いぞ」
なんの事か分からないパーカーは、レオの言葉の通りにジュンを見る。
ジュンは湖の前に立つと、島と同じ高さの階段を作り、後は真っすぐに歩きだした。
(太鼓橋が良かったかなぁ?)
ジュンがのん気に歩いているのを、湖畔にいる人たちはただ口を開けて見ている。
レオは大笑いをし、ミーナは手をたたいて喜んでいる。
パーカーは何度もまばたきをしてから、開きっぱなしの口をようやく閉じた。
ジュンは世界樹の木に手を当てると、浄化と治癒の魔法を流す。それから木の根を通して湖に広がるようにイメージして、光の浄化を流していく。
湖畔にいる者たちは、世界樹とジュンが、大きな光に包まれている光景に、息を飲む。
やがて世界樹の木肌が銀色になり、美しい緑を次々に広げ、その頭上を飾る。
その島から徐々に湖は色を変え、息吹を取り戻していく。
ジュンは世界樹を仰ぐ。
「うはぁ。かっこいい木!」
『ありがとう』
「どういたしまして」
(見えない妖精がいたのかな? 世界樹の声? 喜んでくれたのなら、どっちでもいいよね)
ジュンは木に背を向けて歩き出す。
足元にはどこまでも深い透明な水が、きらきらと光を抱えている。
レオとミーナは水際までジュンを迎えに来ていた。
駆け寄るミーナをジュンは笑顔で抱き上げる。
「元気……。きれ」
「うん。元気になったよ」
振り返って見る世界樹の美しさに、ジュンは目を細める。
「やはりジュンの非常識は、退屈しねぇ。最っ高!」
「レオ。それって褒めていないですよね?」
「いやいやいや。大絶賛中だが?」
正気に返った長たちに礼を言われ、パーカーにまで礼を言われて、ジュンたちは屋敷に戻った。
翌日。
ルマール家の転送室前で、その声は悲しく響き渡っている。
「いやぁ! いかない! ジュン! レオ! ……。だめ! いやぁ!」
起きている時に、大声を出すのも、大粒の涙を見せたのも初めてだった。
ジュンは膝を折り、ミーナの涙をぬぐう。
「そんなふうに叫んでは、喉を痛めるよ。ミーナ、泣く事はないんだよ。僕とレオにはいつでも会える。ミーナが困った時は、いつでも助けに来るよ」
ジュンからもらった腕輪に、ミーナは手を添えるが、それでも涙は止まらない。
「泣くな。枯れちまうぞ? ミーナの好きな菓子を持って、また来るって。な?」
レオに頭を乱暴になでられ、よろよろとしながら二人の顔を見たミーナは、唇をきつく結び、小さくうなずいた。
「ミーナ。お利口さんにしているんだよ。きっとまた来るからね」
「ミーナ。飯はちゃんと食えよ。またな」
ミーナは大きく一度うなずく。それに合わせてジュンとレオは転送陣に乗った。
二人が見えなくなると、ミーナはクルリと振り向き、ハンナのエプロンに顔をうずめ、苦し気なおえつを漏らす。
ハンナはしゃがみ込み、ミーナを優しく抱き締めてささやく。
「ミーナ様。よく頑張りましたね……。ご立派でしたよ」
ミーナはハンナを一瞬見つめると、顔を崩して声を上げて泣き出した。
一方。二人はアドニア城で王妃に報告を終えると、互いに片手を上げる。
「ジュン。またな」
「はい。またいつか……」
レオは転送陣からヘルネーに帰るために、兵士と歩き出す。
ジュンは城の出口へ向かうために、やはり兵士の後ろを歩きだした。