第三十八話 満月とヘイト
与えられた部屋で、ジュンはミゲルにシルキーとの経緯を話している。
『ざっと、こんな話です』
『儂が、シルキーを引き留めておけば良いのかのぉ?』
『満月の日に、彼女の契約は、自然に解除されると思いますから』
『そうなるじゃろうのぉ』
ジュンはそこで、一度深く息を吸い、ゆっくりと吐き出して話し出す。
『ミゲル様。あらかじめお伝えしておきます。僕は彼女の契約者ばかりではなく、きっとこの家も壊す事になります』
『そこまでの戦いになるかのぉ』
『この家の従者、警備隊は全てアンデッドです。普通の光の浄化では無理でしょう。厄介なのはニーズヘッグです。エルフの森は死守しなければなりません。一発勝負だと思っています』
ミゲルはジュンの覚悟を信じる事にしたようだ。
『そうか、シルキーは引き受けたのじゃ。無理はせんようにのぉ』
『はい。よろしくお願いいたします』
ジュンは戦いの準備を始める。倉庫に入っていた、鎖かたびらに付加を付け、上着と足運びの邪魔にならないパンツ。腕の動きが楽なようにマントではなく、ローブを用意すると付加を付ける。
時折、リカルドが顔を出して、機嫌良くお茶を飲んでいく。
(機嫌も良くなるでしょうね。僕は若いし魔力もありますからね。でも、簡単にはあげませんよ)
二日目は城にいるレオたちの方が、何かと慌ただしいが、従者がいつもより頻繁に、気配を探りに来るので、ジュンはのんびりと過ごすしかない。
ジュンは倉庫から、古い毛布や不要な燃えるゴミを出すと毛布にまとめ、そこに微量の魔力をゆっくり流し続けた。
月見でもないのに、こんなに満月を眺めている者も珍しい。
ジュンは装備を早々に身に付け、扉を背にして毛布を抱えてベッドに入り、寝た振りをしている。
その時、窓から見える月を横切った黒い影。
(ご到着ですね? そしてそろそろ……)
音も立てず扉が少し開いた気配がする。
従者が去るとジュンは屋敷の外に転移した。
ベッドの中にはジュンの魔力をまとった、毛布が横たわっている。
ジュンは大きな塀の外を一周走り込むと、巨大な結界を張り巡らす。
(うはぁ……。魔力をごっそりもっていかれた)
二度と世話にはならないと決心したが、背に腹は代えられないとばかりに、魔力ポーションを飲み干す。
「ぐはっ! まずいよぉ」
ジュンは果実水で口をすすぐと、光の魔法を練りあげる。
そして、それを屋敷目掛けて飛ばす。
「行っけぇ!」
屋敷の窓の全てと、出入り口から光が噴き出す。
そのすぐ後に、光が飛び出した同じ場所から、火が噴き出る。
二度目のさらに大きな火が屋敷を完全に落とすと、それは飛び出して来た。
「やはりね。さて、君は後回しですよ。巡回している警備兵六体が先ね」
ジュンは左目を頼りに、魔物を避けながら、警備兵を倒していく。
すれ違いざまに光魔法をぶつけるだけの作業は、苦もなく終えた。
「よっ! 俺の出番だろ?」
オクレール邸の門の前にいたのはレオだった。
「レオ。王子の自覚はあるんですか? どうやって来たんです?」
「ある。確かに俺は王子だ。だがな、ジュンの友でもある。王女に頼んで送ってもらったんだ。ここならジュンの結界があるから大丈夫だろ?」
レオは全くしりぞく気がないようで、ジュンからの返事を待っている。
「はい。力をお借りしますよ。盾を持っているって事は、ヘイトを取ってくれるんですよね?」
「任せろ。一瞬だってジュンに攻撃は向けさせねぇ」
ジュンはレオに剣を渡す。
「これ、あいつらが欲しがっていた魔剣じゃないか」
「うん。それは残念魔剣。魅惑の魔剣なんだよ……」
「そりゃまた……」
レオは宝石がこれみよがしに鞘に付いている、剣を受け取る。
「すぐに終わらせるけど、ヘイトが格段と上がるから使って……。魅惑の力?」
「お、おぉ……。俺、あいつの趣味に合うだろうか……」
「さぁ。微妙ですよね」
二人はそろって同じように眉を寄せる。
「僕は向こうから、気配を消して入ります。結界には一歩も入らないでくださいよ。焼け死にますからね」
「おう。心配すんなって」
ジュンが目的の場所に到着すると、レオは剣を抜き盾を構える……。
『うは。剣からピンクの揺らめきが出ちゃったよ。夜だと奇麗ですよね。だけど見ているのも恥ずかしい』
『うっせぃ!』
『聞こえちゃいましたか。では行きますよ!』
『おう!』
夜の闇の中でも、その巨大で長いナメクジは、はっきりと姿が見える。
隙間なく覆われている小さな鱗は両脇だけが翡翠色に輝いているのだ。
その巨体を支えるだけあって蝙蝠様の翼は大きい。
牙と爪には毒があり、体に巻き付かれると瞬時に麻ひに陥る液体が噴出される。
そして、何より強烈な火のブレスを吐く。
ブレスが結界にあたっているせいで、レオの姿は全く見えない。
戦闘で立ち止まるのは、死を受け入れる事になる。
ジュンはアイスアローを連射して両翼に穴を空けると、今では完全に使い慣れた空間魔法の階段を駆け上がる。
ドサリと音を立てて巨体が地面に落ちても、レオのヘイトはぶれない。
「森での火魔法は禁止です!」
ジュンは練り上げたエアーカッターを、思い切りニーズヘックの首にたたき込む。
ニーズヘックの首が鈍い音と共に転がった。
レオが、笑顔で立っている。ジュンは小さく笑うと結界を解除する。
結界内の火事場独特の臭いが、夜の森に広がっていく。
「見事に焼けたな」
「うん。きっと何も残っていない。更地にできますけど、このままにしておく?」
「待て、持ってきているんだ」
水晶の中でいきなり、あいさつをしてきたのは、リカルド・オクレールの息子だった。
彼は何度も礼の言葉を口にする。
彼は土魔法が使えないと言うので、ジュンはその場に大量の水を掛ける。
すごい音を立てて水蒸気が上がる。それを数回繰り返して風を送る。
熱がかなり落ち着いたので瓦礫の中に入ったが、石の外壁以外は炭すら残っていなかった。ただ、ひしゃげた金庫が、寄り掛かる壁を失い夜空を仰いでいた。
「すげぇな。まるで石の塀に挟まれているみたいだぜ」
「うん。陶器がかけらなのは爆風のせいですね。遺骨があればと思ったけど……。そう言えば地下室ってないの?」
その返事は水晶から聞こえた。
『古い家なので地下室はないのですが、有事に備えて庭の道具入れの下に、確か父の大事な倉庫があるはずですが……』
『了解』
『あれかな?』
ジュンは庭の片隅の、小さな瓦礫の小山を指差す。
瓦礫をよけると地面に小さな扉があったので、剣を一応抜いて中に入る。
棚にびっしりと、時代別に並んでいるのは帳簿や資料なのだろう。水晶から安どの声が聞こえて来る。
ジュンはその横に金庫を置くと、顔をしかめながらポーションを飲み。石を端に移動させて、散らかった土地を更地にする。
(本当は時間の魔法で家は復元できたんだけどね。あの家に彼らが入る事を、シルキーは許さないと思うんだよ。あの家は彼女にとって、尊きお方の家だろうしね。遺産相続の話で説得するより、彼女には笑顔でいて欲しいからね)
ジュンとレオは水晶にあいさつをして、ルマール家の裏門に転移をした。
侍従のエーベルは、いつものほほ笑みで二人を迎える。
二人は神経がまだ高ぶっていたのだが、自分たちのための食事は断りにくく、ありがたく完食する事にしたようだ。
風呂から上がって、果実水を飲みながら二人はようやく肩の力を抜く。
「これで、ミーナとお別れだね」
「あぁそうだな。ハンナと三日も留守番ができたしな」
少し強引な形ではあったが、これで良かったのだと、二人は思ったようである。
明日は長と話し合い、問題がなければ明後日にはミーナのためにも、王都マドニアに行く事を決めて、二人な就寝する。
「ジュン……。ジュン……。いた」
ジュンの首に手を回し、顔をすり寄せるミーナ。
「おはようミーナ」
「おかえり……。なさいます」
ジュンは思わず笑いそうになり、奥歯に力を入れた。
「はい。ただいま?」
「あぅ、おはよう……。ございます」
「すごいねミーナ。とても上手にあいさつができるんだね?」
ミーナはうれしそうにうなずく。
「さて、起きるかな。僕は着替えて顔を洗うからね。レオにあいさつをしておいで?」
「うん」
部屋の反対側のベッドから、二人の楽しそうな声が聞こえる。
ジュンは顔を洗いながら、明日には聞けなくなる会話を、少し寂しい気持ちで聞いていた。




